第9話 王宮の廊下にて
王宮内での実務訓練が始まった。
これが意外と大変で、アグネスやフロムでさえ、ガチガチのフル装備状態では令嬢感が出せずに苦労していた。
歩幅は狭く。
足音は立てず。
視線は下げすぎず、上げすぎず。
王族の斜め後ろを自然に歩き、なおかつ周囲への警戒も怠らない。
言葉で説明されると簡単そうだが、実際にやると滅茶苦茶難しい。
そんな中で意外な才能を発揮しているのがニコだった。
元々お嬢様であった事と、猫を被る事に長けているニコは、立ち姿や言葉遣いは完璧にお嬢様だった……ただし動作以外は。
カーテシーをすれば、頭から倒れ込んでしまうし、身体を捻ればそのまま倒れ込んでしまう。
「ううっ、重いし、身体が曲がらない……」
台無しである。
「ニコ、肘を開き過ぎ」
「はひぃ……」
「あと笑顔が引きつってる」
「むりぃ……」
フロムの指摘に、ニコの表情筋がどんどん死んでいく。
そんな新人騎士たちを見ながら、アレクシアとヒルデガルドは口元を扇で隠しながら小声で会話する。
「なかなか、上手くいかないものね」
「アグネスやフロムが苦戦するとはな……騎士としては十分すぎるんだが」
「で、問題はあいつだ」
「……そうね」
二人の視線の先にはニコの姿があった。
ニコは今、会食の訓練中だ。
実に上手そうに食べている。
カトラリーの使い方もほぼ完ぺき。
スープを飲む所作も自然で、グラスの持ち方にも嫌味がない。
穏やかな笑みを浮かべてさえいれば、立派な貴族の令嬢だ。
「なんで歩けないのに食事作法だけ完璧なんだ、あいつは」
「育ちが出てるのよ」
二人の指揮官は再び頭を寄せ合うのだった。
◆
そんな王宮実務研修が進んでいたある日。
王宮の廊下を近衛騎士団の若い騎士たちが歩いてきた。
磨き上げられた床に、金属靴の足音が規則正しく響く。
対するニコたちは、実務訓練の最中だった。
ガチガチのコルセットのおかげで、避けるタイミングがずれた。
ニコの肩と、近衛騎士団の若い騎士の肩が軽く触れてしまう。
「あっ」
「このっ、無礼者めっ!!」
若い騎士は顔を真っ赤にして大声を上げる。
対照的にニコは何が起きたか理解していなかった。
だから思わず言い返す。
「そっちが廊下いっぱいに広がって歩いてくるからでしょ。端っこ歩きなさいよっ!!」
「何だとっ、婦女子の分際でっ、近衛騎士の名誉を汚すかっ!!」
周囲の空気が凍る。
アグネスが頭を抱えた。
「……ニコ、それは駄目」
だがもう遅い。
「肩が触れただけで汚れる名誉なんて、なんて安っぽい名誉ね」
その言葉に若い騎士の顔色が、真っ赤から真っ青に変わる。
後ろにいた近衛騎士たちもざわつき始めた。
「そこまで愚弄するからには……覚悟があるんだろうな……婦女子でも許さんぞ」
「許さなかったらどうするのよ」
「ニコっ!!」
フロムが止めようとする。
しかしその次の瞬間、若い騎士の右手が剣の柄を握る。
「(まじ……こいつ、こんな場所で剣を抜くつもり)」
ニコはびっくりして体が動かない。
周囲の空気が一気に殺気立つ。
「うおおおおっ!!」
剣が抜かれる瞬間、その手を押さえる者がいた。
「おいおい、ウチの若いもんに手を出すなよ……若造が」
そこにいたのはメイド姿のヴァスケスだった。
今日は黒いロングスカート型のメイド服だ。
しかもエプロン付きである。
「き、貴様っ」
若い騎士が剣を抜こうとするが、押さえつけられた右手はピクリとも動かない。
ヴァスケスは若い騎士の耳元で囁く。
「オレはお前を助けてやったんだぞ……王宮内で刃物を抜いたらどうなるか……近衛騎士団では教わらないのか?」
「やかましいっ!!」
若い騎士は顔を真っ赤にして怒鳴る。
だが、その目には既に焦りが浮かんでいた。
「仕方ねえな……オレが相手をしてやるよ」
そう言うとヴァスケスは若い騎士を突き飛ばし、距離を取って、スカートの内側から真っ黒な棒状の物を取り出す。
それは革製の長さ60cmくらいの筒状になった何かだった。
ニコは目を丸くする。
「えっ、何あれ……」
ヴァスケスは右手でそれを持ち、左手の掌に軽く撃ち付けながらタイミングを計る。
ボスッ、ボスッ、と鈍い音が響く。
「おのれっ!!」
若い騎士が今度こそと、剣の柄に右手を触れさせる。
「やらせるかっ!!」
ヴァスケスが大きく振りかぶり、若い騎士の右手目がけてそれを振り下ろす。
バゴッ
ゴキンッ
鈍い音と、何かが折れる音が同時に響く。
ワンテンポ遅れて若い騎士が悲鳴を上げる。
「うがあああああっ」
若い騎士がその場に膝をつく。
右手がありえない方向へ曲がっていた。
ヴァスケスは無表情のまま、革筒を肩へ担ぐ。
「次はだれが相手になるんだ?」
残った近衛騎士たちを睨みつける。
その空気だけで、数人が思わず後退った。
「ひっ……」
「抜けよ。近衛騎士様の名誉ってやつを見せてくれよ」
ヴァスケスの声は低く、冷たい。
さっきまでの軽口が完全に消えていた。
そこに若い男性の一喝が入った。
「何をしているっ!! 王宮内だぞっ!!」
鋭い声が廊下に響く。
近衛騎士たちが一斉に姿勢を正した。
ニコは思った。
「(あれ? これと同じような事があった気がする……)」
そんな事を考えているうちに、駆けつけてきた近衛騎士団に囲まれてしまうのだった。




