第2話 転生先でも社畜とか聞いてない
時は半年ほど前に戻る。
「ニコッ! 姿勢が崩れているぞっ、シャンとしろっ!!」
耳元で大きな声で叱責された。
その瞬間だった。
脳が破裂するんじゃないかと思うほどの何かが流れ込んできた。
なんとも形容しがたい、自分ではない何かの膨大な情報、記憶、経験。
眩しい光。
人混み。
鉄の箱みたいな乗り物。
見たこともないほど高い建物。
夜でも煌々と輝く街。
処理しきれない。
頭が熱い。
自分が誰なのかすら分からなくなりそうな感覚。
まるで、自分の中にもう一人の人生が入り込んできたようだった。
ニコはそのまま意識を失い、硬い地面へ倒れ込んだ。
◆
ふと目が覚める。
「……また会社か……行きたくないな……」
寝起きの第一声。
次第に視界がはっきりしてくる。
「あれ……此処は」
目に映るのは、知っている天井。
薄いクリーム色の天蓋。
壁に掛けられた家紋入りのタペストリー。
ニコの自室だった。
窓から差し込む夕日が、ぼんやりと部屋を赤く染めている。
「お嬢様っ! 気が付かれましたか!?」
慌てた声。
侍女のマリアが、泣きそうな顔でベッド脇に駆け寄ってきた。
「試験中に突然倒れられたんですよ!? お医者様も呼んで――」
「……大丈夫」
喉が妙に乾いていた。
身体は重い。
けれど、それ以上に頭の中が混乱していた。
ヴァルキュリア騎士団の入団試験。
その試験の最中に、突然襲い掛かってきた謎の記憶や情報の波。
この記憶の持ち主の名前も思い出せない。
けれど、幾つか鮮明に覚えているものがある。
そこでの私は、給料日と長期連休だけが楽しみな、ごく普通のOLだった。
毎日、通勤電車に揺られ、会社で仕事をする。
上司に頭を下げ、取引先に気を遣い、失敗しないよう神経をすり減らす。
仕事が終われば自宅に帰る。
その繰り返し。
別に不幸ではなかった。
でも。
胸を張って「幸せだった」と言えるほどでもなかった。
「……社畜ってやつ?」
ぽつりと零れた言葉に、マリアが首を傾げる。
「しゃ、しゃちく……ですか?」
「あー……なんでもない」
ニコは額を押さえながら小さく息を吐く。
ニコレット・フォン・アスターハイム。
それが今の自分の名前だ。
年齢は十八。
つい先日、王立学園を普通の成績で卒業した、こちらも平均的な貴族の子女だった。
「(貴族に生まれ変わったのだから、勝ち組だと思ったのに……)」
アスターハイム家は、代々王家に仕える騎士を輩出している家系だ。
現当主である父親も、近衛騎士団で小隊長をしている。
幼い頃から言われ続けてきた。
アスターハイムの娘として恥じぬ生き方をしろ。
騎士として王家に尽くせ。
誇りを忘れるな。
けれど。
「でも……何か違う……」
ニコは天井を見上げる。
ふと、前世の記憶が過る。
終電帰りのサラリーマン。
疲れ切った顔。
上司に怒鳴られても頭を下げるだけの大人たち。
そして。
今世の父親。
王家への忠誠を誇りにしているはずなのに、毎日くたびれた顔で帰宅する男。
上からは命令され、身分の高い部下には気を遣い、それでも文句一つ言わず働いている。
「……前と変わらないじゃん」
思わず漏れた本音。
貴族だろうが騎士だろうが。
結局。
偉い誰かのために働いて、頭を下げて、文句を飲み込んで生きている。
それのどこが勝ち組なのだろう。
コンコン。
その時、部屋の扉がノックされた。
低く落ち着いた男の声が響く。
「入るぞ」
父だった。
近衛騎士団の紺色の制服姿。
疲れた顔をしているのに、背筋だけは妙に真っ直ぐだった。
「……体調はどうだ」
「別に」
素っ気なく返す。
父は少し眉をひそめる。
「試験中に倒れるとは何事だ。ヴァルキュリア騎士団は遊びでは――」
そこまで聞いた瞬間。
ニコの中で何かが切れた。
「ねえ、父様」
「なんだ」
「そんな人生、楽しいの?」
部屋の空気が凍りつく。
マリアが息を呑んだ。
父もまた、押し黙る。
ニコ自身、自分でも驚いていた。
けれど止まらなかった。
「毎日怒鳴られて、頭下げて、王家のため王家のためって……」
「それで最後に残るの、誇りだけ?」
父の表情が僅かに険しくなる。
だが……怒鳴り返してはこなかった。
ただ静かに、疲れた目でニコを見つめている。
その視線が逆に胸に刺さった。
まるで、今の言葉を、自分自身にも向けられているみたいで。
半年後、あの舞踏会で血塗れになるとは、この時はまだ知らなかった




