第6話 四人部屋の空席
ニコが騎士団に入団して、はや一か月が経過した。
季節は少しずつ移り変わり始め、朝晩の空気にも僅かな涼しさが混じり始めている。
遅れていた訓練内容も、少しずつだが追いついていた。
最初は走るだけで息が上がっていたニコも、今では最後まで隊列についていけるようになっている。
剣術訓練も始まった。
まだ木剣を振る姿はぎこちないが、それでも以前より様になってきていた。
「よし、今日はここまでっ!!」
ヴァスケスの声が練兵場に響く。
新人たちが一斉に息を吐き、その場へ座り込む。
「つ、疲れたぁ……」
ニコはその場に大の字で倒れ込んだ。
「最近は少しマシになったね」
アグネスが水筒を差し出してくる。
「えへへ……そう?」
「最初は十分も走れなかったから」
「うぐっ」
事実なので反論できない。
そんな時の出来事だった。
◆
「えーっ、サマンサ、辞めちゃうのっ!?」
「辞める訳じゃないわよ。部署が変わるの」
サマンサは呆れたように笑う。
部屋の中には、まとめられた荷物が並んでいた。
衣類。
書類。
使い込まれた小物。
四人部屋だった空間が、少しずつ“三人部屋”へ変わろうとしている。
「サマンサ、移動になるの?」
「うん。今日付けで主計局へね」
サマンサは制服の襟を整えながら答える。
「もともと内示はあったんだけどね。基礎訓練だけは全員受ける事になっていたから」
そこで一旦言葉を切ってから続ける。
「だって、あたしも叙任式で正式な騎士になった訳だしね」
そう言ってサマンサは少し誇らしそうに笑う。
ヴァルキュリア騎士団には、戦闘部門以外にも様々な部署が存在する。
補給、財務、文書管理、王城との調整。
主計局は、その中でも特に機密性が高い部署だった。
「でも、部屋まで出て行っちゃうなんて」
「ははは。仕方ないよ。主計局の仕事が仕事だからね。秘匿事項が多いからね。なるべく部外者と接触しないようになってるんだ」
「そうなんだ……」
ニコの声が少し小さくなる。
ついこの前まで、四人で騒がしく暮らしていた。
朝起きられなくて怒られたり。
訓練後に全員で倒れ込んだり。
くだらない話で笑ったり。
それが急に終わる。
ニコがサマンサに抱き着く。
「うわっ、ちょ、ニコっ」
そして気づく。
サマンサの体が小さく震えている事に。
「(サマンサも離れたくないって思ってくれている……)」
気丈になんでもない風に振る舞ってくれている友人の事が、嬉しく、そして誇らしかった。
「また会えるでしょ」
サマンサは照れ隠しのように笑う。
「うん……」
「それに、王城勤務だからね。案外その辺歩いてるかもよ?」
「主計局ってそんな気軽なの?」
「気軽じゃないけど」
サマンサが肩を竦める。
そのやり取りに、アグネスとフロムも小さく笑った。
そしてサマンサは荷物を持ち上げる。
扉の前で、一度だけ振り返った。
「じゃあね」
「……うん」
「元気でね、サマンサ」
「そっちも」
そうしてサマンサは新しい部署へと移動していった。
扉が静かに閉まる。
部屋の中が急に静かになった。
四人部屋のサマンサがいた一角だけが、ぽっかりと空間が開いているようだった。
◆
その日の夜。
ニコは何となく落ち着かず、空になったベッドをちらちら見てしまう。
「……静かだね」
「まあ、一人減ったからね」
アグネスは本を読みながら答える。
「そう言えば、サマンサが最後に行ってたOJTってなに」
「おーじぇい……てぃ……、ああ、王城実務訓練の事か」
「何それ?」
「ニコは本当に何も知らないのね」
フロムが呆れ顔だ。
「だ、だって知らないものは知らないし」
「……まあ、ニコだし」
アグネスまで頷く。
ちょっと傷付いた。
「あたしたちの本来の仕事は何?」
「……女性王族の警護?」
「そう。その為には王城の中で王族の方々をお守りする必要があるでしょ」
「うん」
「王城には様々なしきたりや慣例が存在するの。それを知らないで王族の方々の警護は出来ないでしょ」
「なるほど……まさに“OJT”だね」
「時々ニコは訳の分からない事を言うね」
フロムが真顔で言う。
「えっ、通じてない!?」
「だからその“OJT”って何」
「あ……」
ニコは口を閉じた。
ついうっかり、前世の言葉が出てしまった。
「……まあいいや。それより王城って、そんなに厳しいんだ」
ニコは話を誤魔化すように呟く。
「厳しいよ。失敗一つで外交問題になる事もあるから」
アグネスの声が少し真面目になる。
「食事の順番。歩く位置。声を掛けて良いタイミング。全部決まってる」
「うわぁ……」
ニコの顔が引きつる。
「ニコ、多分一日目で怒られるね」
「何でっ!?」
「今の顔」
「ひどいっ!!」
三人の笑い声が、少し静かになった部屋へ広がっていく。
サマンサが抜けた穴はまだ大きい。
それでも、時間は止まらない。
ニコたちは少しずつ、“新人騎士”から先へ進み始めていた。




