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第5話 走り出す理由

次の日。

ニコはいつもより相当早く目を覚ました。

身体が痛くて眠れなかったからだ。


肩も脚も熱を持ったように重い。

寝返りを打つたびに筋肉が悲鳴を上げる。

薄暗い天井を見つめながら、ニコは昨日の言葉を何度も思い返していた。


――今のままじゃきついと思うよ。


昨日からずっと腹を立てている。

悔しくて、そして悲しかった。


「(このままじゃ、嫌だ)」


ニコは心の中で呟くと、静かに毛布を退ける。

隣のベッドではサマンサが幸せそうに眠っている。


反対側では、アグネスとフロムの寝床は既に空だった。


「……やっぱり」


ニコは小さく呟き、運動のできる格好へ着替える。


サマンサを起こさないよう静かに部屋を出た。


寮の廊下は冷え切っていて、石床の冷たさが足裏に伝わる。

外へ出ると、空にはまだ星が瞬いていた。

吐く息が白い。


それでもニコは練兵場へ向かう。



そこには驚くような光景があった。

まだ夜明け前だというのに、先輩騎士たちが黙々と走り込みや剣の素振りをしている。


剣を振る音。

地面を蹴る足音。

短く吐かれる息。

誰も無駄口を叩いていない。


その中にはヴァスケス班長の姿もあった。

重そうな木剣を片手で軽々と振り続けている。

その動きには、一切の迷いも淀みも無かった。


「(先輩たちは、こんなに早くから自主訓練をしている……)」


衝撃を受けた。


入団試験の試練を潜り抜けたから大丈夫だと勝手に思っていた。


でも、全然大丈夫じゃない。

先輩たちはこんなにも努力している。

自分は何だ。

ずっとベッドにしがみ付いていた。


「くっ」


ニコは走り始める。

まだ昨日の筋肉痛が残っているせいで、身体中が悲鳴を上げる。


脚が重い。

肺が痛い。

それでも走る。


走らないといけない気がした。


置いていかれるのは嫌だった。


心の中がぐちゃぐちゃだった。


悔しい。

情けない。

でも諦めたくない。

だからニコは走るのを止めない。


止めてはいけない気がしたからだ。



そんな時、不意に横から声が掛かる。


「そんなに最初から飛ばすと、余計な負担が掛かって訓練にならないよ。最初は体が訴えてくることに耳を傾けながら、ゆっくりとね」


アグネスだった。

いつの間にかアグネスが横を走っていた。


「アグネス……」


「疲れていると姿勢が崩れやすいんだ。そういう時が怪我しやすい」


反対側をフロムが走っている。


「ひじを少し引いて。呼吸を乱さないように」

「う、うん」


三人で並んで走る。


不思議だった。

さっきまで重かった足が、少しだけ軽くなる。

呼吸も整ってくる。


空の端がゆっくり白み始めていた。

朝露の匂い。

冷たい風。

規則正しく重なる足音。


「どう、朝練もいいものでしょ?」


アグネスが微笑む。


「うん」


ニコもつられて笑顔を浮かべる。


今朝まで胸の中で渦巻いていたグチャグチャな感情は、ずいぶん静まっていた。

悔しさは消えていない。

でも、それで良かった。


悔しいから前へ進める。

そう思えた。

そして分かったことがあった。


「あたしは、自分に胸の張れる自分になりたい」


その言葉は、誰かに聞かせるためじゃない。

自分自身へ向けた誓いだった。


アグネスは少し驚いたように目を瞬かせ、フロムは小さく口元を緩める。

そんな三人を、ヴァスケスが少し離れた場所から見つめていた。


「……ようやく走り出したか」


ヴァスケスは誰にも聞こえない声で呟くと、再び木剣を振り下ろす。

乾いた音が、夜明け前の練兵場に鋭く響いた。



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