第二十五話【女顔】
──────────荒れ果てた穴富会本部、その会長室。
破壊された机、粉々になった椅子、真っ二つに裂けた掛け軸や壁一面へ走った亀裂、その残骸の向こう側に立っていたのは、一人の『警察官』だった。
年齢は20代半ばほどに見える。耳元辺りで一直線に切り揃えられた黒髪は、まるで『おかっぱ』。
細い輪郭に、男にしては少し膨らみのある唇、声も顔立ちも男とも女とも取れる中性的な印象。
しかし身に纏っているのは紺色の男物の警察官制服であり、胸元には警察章、腰回りには警棒や手錠らしき装備品まで見える。
対するト壱は右手に『一将万骨・銘心鏤骨』を発現させたまま、その警察官へ鋭く睨みを利かせている。
右手の中指、その延長線上へ伸びる約50cmの薄汚れた象牙色の『外骨格の刀』─────────当然、警察官を前にして持っていていいような代物ではない。
一方の垣真も、つい先程二階の死体から拝借したマガジンを装填した『トレカヴ』を両手で構え、銃口を警察官へ向けたまま。
床へ倒れた禅十寺仁も、痛みに顔を歪めながら入り口へ視線だけを向けている。
警察官、元ヤクザ、元自衛官────────互いに一歩も動かぬまま、数秒ほど妙な沈黙が続いた。
「テメェ───────警察か?」
「制服を見て分からないのか? ご所望なら警察手帳を見せてやる」
「コスプレかもしれねぇだろ」
「こんな場所へ警察官のコスプレをして一人で飛び込んでくる人間がいたら───────本官も一度見てみたいものだな」
ト壱は相手から一度も視線を外さない。そのまま刀を構えた状態で顎を僅かに上げ、警察官の顔をジロジロ眺める。
「で───────テメェ、名前は? 名前くらいあんだろ。名乗れよ」
すると警察官は、そんなト壱を見ながら僅かに眉を上げた。
「人に名前を尋ねるなら───────まず自分から名乗るのが『ヤクザの礼儀』だと思っていたが?」
その言葉を聞いたト壱は数秒だけ黙り込み、やがて何か納得したように頷いた。
「───────それもそうだ」
次の瞬間、ト壱はその場でスッ───────と両膝を曲げた。
腰を低く落とし、左手を左膝へ置き、右手は身体の前へ差し出すように構える。ただし、その右手には未だに『銘心鏤骨』が生えたまま。
警察官の眉間に、先程よりも少し深い皺が寄った。
「おひけぇなすって────────警察さん」
「おい、おっさん……」
垣真が嫌な予感を覚えたように呟く。
「まさか今からやるつもりじゃねぇだろうな?」
だが、ト壱は止まらない。大きく息を吸い込み、腹へ力を込めると、穴富会の荒れ果てた会長室へ響き渡るほどの声を張り上げた。
「名乗り遅れて御免なせぇ!!! 『仁義』───────発しさせていただきやす!!!」
────────『仁義』を切る
現代では、ほとんど聞く機会も無くなった言葉。まして2040年ともなれば、実際に目の前でそれを切る人間を見る機会など皆無に等しい。
今のような名刺も、スマートフォンも、顔写真付きの身分証明も無かった時代────────『渡世人』と呼ばれた博徒やヤクザ者が見知らぬ土地へ赴き、別の一家や親分へ自分の素性を伝える際に使っていた、所謂『名刺代わり』の口上である。
生まれは何処か、どこの一家に属するのか、名前は何と言うのか。それらを昔ながらの決められた作法に沿って述べるのだが、本来ならば右手を相手へ見せることで『武器を持っていない』ことも同時に示す。
しかし────────現在のト壱の右手。そこには象牙色の『外骨格の刀』が、しっかりと生えている。
やってる事と比較すれば『グレーゾーン』である。
「自分、未熟者ゆえ!!! 仁義前後間違えました暁には────────ご容赦くだせぇ!!!」
「いや、今どき合ってる仁義なんて分かるヤツいないってば……」
垣真の呟きを無視し、ト壱はさらに続ける。
「生国は東京────────!!! 稼業につきましては『仁隊組』に御座んす!!!」
その言葉を聞いた仁が、床へ倒れたまま僅かに顔を上げた。
「さっき足洗ったと言っとらんかったか」
「姓は────────『白骨』!!! 名は────────『ト壱』!!! 人呼んで『イタチのトイチ』と発します!!!」
警察官は表情一つ変えずに見ているが、よく見ればほんの僅かに───────引いているようにも見えた。
「殺伐なる手前にござります!!! 今日向お見知り置かれまして────────行末万事、お引立のほどをお願い奉ります!!!」
最後にト壱は、刀の生えた右手を前へ向けたまま声を張り上げる。
「お頼み申し上げます!!!」
…………──────────静まり返る会長室。
床には全身骨折したヤクザ会長。
その横には拳銃を構えた元自衛官。
そして、その真正面では骨の刀を構えながら仁義を切った43歳の元ヤクザ。
警察官は数秒ほど無言でト壱を見つめていたが、やがて呆れたように小さく息を吐いた。
「白骨……ト壱か。2040年にもなって────────随分と古いヤクザが残っていたものだ」
「元だ。もう足洗ってる」
「今の光景を見せられた後では、とてもそうは思えないが」
警察官は背筋を僅かに伸ばした。
「名乗った以上、本官も答えよう。警視庁所属────────『建御 一智』警部だ」
「警部だって?」
垣真が少し意外そうに眉を上げる。
一智と名乗った警察官は、どう見ても20代半ばほど。警察の階級に詳しくないト壱は大して反応しなかったが、元自衛官である垣真には、その年齢で『警部』という肩書きが少し引っ掛かった。
「建御……一智ねぇ」
ト壱はその名前を口の中で転がすように呟きながら、一智を上から下まで眺めた。
黒いおかっぱ頭。細い輪郭。男物の制服。そして、もう一度顔へ視線を戻す。
「なんだ────────男か……おかっぱにメスみてぇな顔してっから、テッキリ女かと思ったぜ」
「おい、おっさんってば……」
即座に垣真が止める。
対する一智は暫く無表情だったが、眉間だけがピクッ───────と動く。
「今の言葉は『侮辱罪』と受け取っていいな? 白骨」
「何でも罪か? このご時世は───────言いたいことも言えないこんな世の中じゃナントカだな」
「初対面の人間を、見た目だけで女だのメス顔だの言ったのはお前だ」
「面倒臭ぇ────────」
ト壱がそう悪態を吐いた、その時だった。
一智がゆっくりと右腕を持ち上げ────────掌を二人へ向ける。
ト壱は最初、『止まれ』という意思表示なのだと思った。
しかし、それを横から見ていた垣真は違う部分へ目を向けていた。
「おい、おっさん……アイツの腕──────────」
制服の袖口から先────────右手首、手の甲、五本の指、そしてこちらへ向けられた掌まで。
────────そこだけが、普通の人間とは明らかに違う。
「灰色の皮膚?」
垣真が目を細める。
一智の顔、首元、そして左手は普通の日本人と変わらない皮膚色。しかし、右腕の露出した部分だけは、まるで灰を皮膚へ擦り込んだような『灰色』をしている。
青白いわけでもなければ、血流が止まっているような紫色でもない。もっと無機質で、まるで元からその色で生まれてきたかのような、不自然な灰色。
「なんなんだ、その腕は」
垣真が『トレカヴ』の銃口を下げずに問う。
「火傷か? それとも────────何かの病気か」
しかし、一智はそれに答えない。
こちらへ灰色の掌を向けたまま、先程と全く同じ調子で言う。
「署まで同行してもらおう白骨ト壱」
一智の目が僅かに細くなる。
「無論、これは『お願い』ではないぞ」
ト壱は『銘心鏤骨』の先端を一智へ向ける。
「ムショ入って、出てきたその日に訳分からん研究所へブチ込まれた。薬打たれて、身体イジられて、やっと外へ出たと思ったら今度は警察だ? 冗談は顔だけにしておけよ」
「事情聴取だ」
「俺からすりゃ、何処かへ連れてかれる時点で似たようなモンなんだよ────────檻に入れるヤツは全部同じに見えるんでね」
「おっさん────────」
垣真が一智から目を離さず、小さな声でト壱へ。
「一応、相手は警察だ。下手にやるなよ」
「そんな警察に銃口向けてるヤツにだけは、言われたくねぇ」
そんな二人を見ても、一智は右掌を下ろそうとしない。
「最後に言う。白骨、その刀を消せ。そこの優男、お前も銃を床へ置け」
「イヤだねメス顔」
「俺もだ」
「そうか」
ただ一言。それまでと何も変わらない、中性的で淡々とした声。
だが────────その瞬間。垣真は妙な違和感を覚えた。
理由は分からない。ただ、一智がこちらへ向けている灰色の右掌を見た途端、背中へジワッと嫌な汗が滲む。
何かが来る。根拠なんて無い。
だが元自衛官として、危険な訓練や現場の中で何度も感じてきた────────『次の瞬間に何かが起きる』という感覚。
「おっさん───────伏せろ。何か来るぞ」
垣真は『トレカヴ』を持ち直した。
右目を閉じる。左目、その瞳へ────────赤い光と十字線。
「何が来るか見てやる────────『照準眼鏡』!!!」
照準は一智。銃口はその胸元へ。
「先手必勝!!! 撃つぞ!!!」
「待て眼褄────────!!!」
ト壱が止めようとした、その瞬間。
「もう遅い───────『正義雷電』……」
一智の右手。
「……『武装解除電流』───────!!!」
開かれていた灰色の掌が僅かに前へ向けられ────────
──────────パァアアッ!!!
「───────え?」
ト壱には、それが『光』に見えた。
懐中電灯のように周囲を照らすものでもない。レーザーのように一本の線がハッキリ見えたわけでもない。
白なのか黄色なのかすら判断出来ないほど一瞬だけ───────一智の灰色の掌から、眩い『何か』が放たれた。
そして、それは一智本人でも、ト壱でも、仁でもない。
垣真の手に握られていた────────『トレカヴ』へ一直線。
バヂィッ────────!!!
次の瞬間──────────ドゴォォォォン!!!
「がッ───────!!!?」
垣真の身体が────────後方へ吹き飛んだ。
「眼褄ァッ!!!?」
何かに殴られたわけではない。
一智と垣真の距離は数m。拳も、脚も届くはずがなく、当然一智自身は一歩たりともその場から動いていない。
それどころか、何か物体が飛んできて身体へ衝突したようにも見えなかった。
ただ────────垣真が握る銃へ光のようなものが伸びた瞬間。
まるで見えない何かに真正面から弾き飛ばされたかのように、その両足が床から離れ、身体ごと凄まじい勢いで後方へ飛んだ。
ドガァァァンッ────────!!!
会長室の奥。既に亀裂の入っていた壁へ、垣真の背中が激突。
「が──────────ッ!」
バキバキバキッ!!! と、蜘蛛の巣状の亀裂がさらに広がる。
続けて後頭部までゴンッ───────と壁へ打ち付けられた垣真は、そのまま完全に身体から力が抜けた。
ズルッ……と、背中を壁へ擦りながら床へ崩れ落ちる。
ト壱は反射的に一智から視線を切り、床へ崩れた垣真の方を向いた。
「おい!!! 眼褄!! 聞こえてんのか!!!」
返事が無い。壁にもたれ掛かるように座り込んだ垣真は頭を前へ垂らし、『トレカヴ』を握っていた右腕もダラン───────と床へ落ちている。
「クソッ────────!!!」
ト壱が一歩、垣真へ近付こうとする。
「──────────動くな」
一智の声。ト壱の足が止まる。
「次はお前だ」
一智の灰色の掌。今度は真っ直ぐ────────ト壱へ向けられている。
「何しやがった」
「制圧しただけだ。警察官へ銃口を向け、発砲しようとした。故に阻止した」
「んな事聞いてんじゃねぇんだよ!!!」
ト壱の怒声が会長室へ響く。
「今の────────何だ!!! 何で垣真が吹っ飛んだ!!!」
一智は答えない。しかしト壱は────────見ていた。
垣真ほど眼が良いわけではない。まして『照準眼鏡』のように、目の前の高速現象を引き延ばして見ることなど出来ない。 それでも、あの一瞬だけはハッキリ見えた。
一智の灰色の右掌。そこから眩い光のような何かが放たれ、それが一直線に『トレカヴ』へ伸びた。
その直後に────────垣真が吹っ飛んだ。
「銃じゃねぇな……何か投げたワケでもねぇ。テメェもそこから一歩も動いてねぇ」
ト壱の視線が、一智の右腕へ。
灰色の皮膚。普通の人間では有り得ない色。そして先程の正体不明の『光』。
「まさか、その腕──────────」
一つだけ。嫌な答えが、頭へ浮かぶ。
ト壱は右脚を僅かに後ろへ引いた。腰を落とし、右手の『銘心鏤骨』を正面へ向ける。先程まで警察だからと僅かに残していた遠慮は────────もう無い。
「テメェ────────まさか」
一智の灰色の右掌。ト壱の象牙色の外骨格──────────人間から逸脱した、二つ。
「お前も────────『BONE』か!!!」
その言葉を聞いた瞬間。一智の表情が────────初めて僅かに変わった。
「その言葉を────────どこで知った」
否定しない。それだけで充分だった。
ト壱は『銘心鏤骨』を握り直し、ギリッ───────と歯を食いしばる。
「やっぱりテメェも────────そうなんじゃねぇか」
目の前にいるのは警察官、それも警部。
しかし、その身体には───────研究所で自分達へ打ち込まれたものと同じ『異常』が存在している。
警察にも────────『BONE』がいる。
ト壱がそれを知ったのは、この瞬間が────────初めてだった。




