第二十四話【もう戻るな】
穴富会本部────────巨大な赤い階段。
その一段目へ足を掛けたト壱と垣真は、ギシッ……ギシッ……と古い木製階段を軋ませながら、ゆっくりと二階へ向かっていく。
つい先程まで、この階段では垣真と鱗太郎が殴り合い────────場所によっては階段そのものが拳で砕かれ、手すりにも銃弾の痕や亀裂が残っている。
一階を振り返れば、黒く磨かれた床には動かなくなった鱗太郎。柱には両脚を失い気絶した馬依。
それだけでも充分に────────異常な光景である。
「……ったくよォ、せっかく久しぶりに帰って来たってのに───────随分な歓迎だ」
「階段登ってる時くらい静かにしろ。一応俺にとっては『敵地』だ」
二人はやがて、最後の一段へ足を掛け────────二階へ。
そこで────────二人とも止まった。
先程までのような会話が、一瞬で消える。
「なんだよコレ──────」
最初に声を漏らしたのは垣真だった。
二階は一階の玄関よりも長く、横へ伸びる広い通路だった。
壁には高そうな絵画。天井には幾つもの照明。
床には赤茶色の『不気味な幾何学模様の六角形』の絨毯が敷かれ────────恐らく普段なら、穴富会の幹部や来客が行き交う場所だったのだろう。
だが今その絨毯は、赤茶色なのか、それとも────────別の『赤』なのか。
一瞬分からないほどに────────血で濡れていた。
黒や茶色、灰色に紺色。見るからに堅気とは思えない、強面の男達。
その全員が────────倒れている。
それも一人や二人ではない。
通路の右にも、左にも、壁際にも。何人いるのか、すぐには数えられないほど。
頭部から大量の血を流し、壁にもたれたまま動かない男。 顔面が腫れ上がり、鼻と口を真っ赤にしたまま仰向けになっている男。
右腕が本来曲がらない方向へ折れ曲がり、袖の中から骨らしき白いものが僅かに覗いている者。
両脚が不自然に捻れ、まるで人形を無理矢理捻ったような形になっている男まで────────
そして、誰一人として───────動かない。
「死んでんのか?」
垣真が呟く。しかし、ト壱は答えない。一目で分かる。
これは怪我人が倒れているのではない────────『死体の山』
ト壱の顔から、完全に笑みが消えていた。
つい数十分前に馬依が言っていた。
《何人来ても同じ。蹴れば倒れるし、骨は折れるし、血を見たら怯えるし───────素材にすらならない》
そして、
《結局────────ただの雑魚だったわ》
「───────おっさん」
「あぁ」
ト壱は返事だけする。
足元、一人の男が、うつ伏せになって倒れている。
年齢は30代ほど。黒いスーツ、短い髪、首元には金のネックレス。
ト壱が知っている顔なのか。それとも知らない顔なのか────────その表情からは分からない。
ト壱はその死体を避けるように、一歩だけ横へ動く。
「よくここまで荒らせたものだな」
「馬依と鱗太郎───────二人でやったんだろうな」
「二人で……これだけ」
「俺らが戦った感じじゃ、なんら不思議でもねぇよ」
馬依の『蹄』ならば、一発蹴られただけで普通の人間なら骨折では済まない可能性がある。
鱗太郎に至っては、拳一発で分厚い木製階段を破壊し、銃弾すら弾く鱗まで持っていた。
そんな二人を、能力も知らない、ただの人間。
ただのヤクザが────────何十人集まったところで。
「───────こうなるか」
垣真が小さく呟く。
そして、そのまま一歩、死体の山へ手を伸ばす。
垣真は気が乗らなそうに顔を顰めながらも、足元へ倒れている一人のスーツ男の懐へ手を入れる。
「悪ィな───────借りるぞ」
当然、返事は無い。
内ポケット、腰回り。
垣真はガサゴソと探し────────カチャッ、と黒い金属製のマガジンを一つ取り出した。
「トレカヴ用じゃねぇな」
「見ただけで分かるのか?」
「幅が違う……ってか、形で大体わかる」
別の男、今度は茶色いスーツ。
腰のホルスターには、先程拾った『トレカヴ』と同型の自動式拳銃が刺さっている。
「──────あった」
垣真はホルスターから銃そのものではなく、脇に付けられていた予備マガジンを抜く。
親指で上部の弾薬を確認し────────ニヤッとする。
「八発満タン。イイ子だ」
さらに一人、もう一人……垣真は通路へ倒れている男達の腰や懐を探り────────同型と思われるマガジンを回収していく。
「とりあえず───────四本」
「一本につき八発だったか?」
「あぁ。全部入ってるから三十二発」
垣真は回収したマガジンの一つを『トレカヴ』へ差し込む。
カチャンッ────────スライドし、薬室へ一発。
「これで一応───────戦える」
だが、言葉とは裏腹に垣真の顔は明るくない。
周囲には転がる死体と、血の川。
垣真は立ち上がり、自分の足元に倒れる男達を見回す。
「こりゃまるで───────『羅生門』だな」
「羅生門? なんだそれ」
「死体から物盗んでんだよ───────今の俺。おっさん学校行ってたか?」
垣真は溜息。ト壱は何の話か分からないまま、二階の通路、その奥へ視線を向ける。
「で───────会長は?」
「馬依は二階にいるって言ってたな」
二人は極力、死体を踏まないように────────通路を進んでいく。
右側の壁には、幾つもの扉。
『応接室』……『事務局』……『若頭室』などなど。
何に使うか分からない部屋もあるが、いかにもヤクザ組織の本部らしい札が一つ一つの扉上へ掛けられている。
そして、通路のさらに奥を見れば。
「……あったぞ」
左側、他の扉とは少し違う、重厚な黒いドア。
その上には黒地に金色の文字。
────────『会長室』
「随分──────分かりやすいな」
「会長室だからな」
二人は────────ゆっくりと近付く。
扉前に来る頃、ト壱が右手を上げる。
ギギギギギィィンッ────────!!!
象牙色の『外骨格の刀』───────『銘心鏤骨』が形成される。
垣真も右手には、弾丸を補充した『トレカヴ』を構える。
「───────開けるぞ」
ト壱が左手でドアノブを握った。
「行くぞ───────」
「あぁ」
ドアを一気に開く─────────バンッッ!!!
二人とも────────室内へすぐには入らなかった。
「ココも……随分派手にやられてるな」
垣真が呟く。
部屋自体は広い。恐らく四十畳、いやそれ以上はあるだろうか。
だが────────綺麗だった頃の姿を想像するのは難しい。
部屋中央、元々は大きなテーブルだったと思われる木材が────────真っ二つどころか、何本にも折れ砕けている。
壁には、何か巨大なものを叩き付けたような───────放射状の亀裂。
掛け軸、これも真ん中からビリッと裂け、片方は床へ垂れ落ちている。
椅子という椅子が────────全部粉々。
棚は倒れ、中に入っていた茶器や置物も床へ散乱。
高そうな壺は割れ、畳の一部は剥がれ、その下の床板まで露出している。
「何したらこうなんだよ──────」
「アイツらなら何してもこうなるだろ」
馬依の脚。鱗太郎の拳。
二人が暴れたのであれば────────そう納得出来てしまう。
そして、その破壊された部屋と残骸。その中央。
一人の男が────────倒れていた。
白髪のオールバック、70歳前後だろうか。
黒い着物に近い和装。顔には深い皺が刻まれ、それでもどこか威圧感のある────────老人。
右腕は、身体の横へ不自然に投げ出されている。
ト壱のその顔は、一瞬で────────変わった。
「おい、おっさん?」
ト壱は瞬時に、『銘心鏤骨』を消す。
そして────────走った。
「お、親父ッ!!!!」
「親父?」
垣真が目を丸くする。
ト壱は床へ散らばる残骸を跨ぎ、蹴り飛ばしながら────────倒れている老人へ駆ける。
「親父!! おい親父!!!」
その横へ膝を着く。
肩へ手を伸ばそうとして────────止まる。
見れば、身体中は怪我だらけ。どこを触っても痛めていそうに見える。
「親父───────聞こえるか!?」
老人の瞼が────────僅かに動いた。
「う……ぅ」
「親父!!!」
「……誰……じゃワレ」
「俺です!! 白骨です!!!」
老人のその目、薄く開く。
ぼやけた視界。それでも、目の前にいる、小柄な中年男。
赤いレザージャケットと、その顔を────────数秒見つめる。
「───────お前は確か……」
「ハイッッッ!!!!」
「……イタチ……か?」
「そうです!!! イタチです!!!」
ト壱の顔は笑っているのか、泣きそうなのか───────分からない。
「白骨 ト壱です!! イタチのトイチですよ親父!!!」
老人は掠れた声を、捻り出すように話す。
「何故……ココにおる」
「い、色々あって────────」
遅れて垣真も部屋へ入ってくる。
「おい、誰だその爺さん」
「この方は───────親父だよ!!」
「だから誰なんだよ」
「俺がいた組────────『仁隊組』の組長!」
ト壱は老人へ手を向ける。まるで、宝物を見せびらかすように。
「俺が盃貰った親父の───────『禅十寺仁』だ!!」
「仁隊組の……組長?」
垣真の顔。喜ぶでもなく、何か引っ掛かったように────────僅かに眉を寄せる。
「おっさん、アンタ確か、この穴富会の『直系組織』だった仁隊組にいたんだよな?」
「あぁ、そうだ」
垣真は仁を見る。
「何で────────仁隊組の組長が、穴富会の『会長室』にいるんだ?」
ト壱の顔が────────止まる。
「そういや───────何で親父ここにいんだ?」
仁は小さく────────笑う。
「騒がしい……ヤツじゃ。この話は六年前に遡る」
「六年前……ですか」
「お前が……刑務所に入っとる間にな」
仁は呼吸を整えながら────────少しずつ話し始める。
「穴富会の先代会長が亡くなった……病気じゃったよ。確か『プリオン病』だったかの」
「知らなかった……」
「塀の中へ、いちいちヤクザの人事情報なんぞ届かんじゃろ」
仁は話を続ける。
「それで……先代が亡くなった後、次の会長を誰にするかで少し揉めてな」
仁は目を閉じたまま。
「最終的に────────ワシが就いた」
「しかし、何故……」
「お前が居らん間に、仁隊組も随分儲かっとったからの。シノギもAI関連に変えて、人間も増えて───────気付いたらワシが穴富会の会長じゃ」
ト壱は数秒、仁を見る。それから───────ニヤッ。
「そりゃあ───────随分昇進しましたな親父」
「お前が残っとったら、今頃幹部にでも……」
「それは────────イヤですね」
即答である。
「もうヤクザは懲り懲りだ。足を洗わせていただきました」
「フッ……そうか。いや、それでいい」
仁の言葉。ト壱は少しだけ────────黙る。
「感動の仲良しごっこの途中、空気を壊して悪いが───────お二人さん」
しかし、垣真がここへ割って入る。
「────────何だよ」
「俺達、ココに昔話聞きに来たワケじゃ……ねぇだろ?」
垣真はト壱の横へしゃがみ────────仁を見る。
「組長……いや、会長さんだっけ?」
「どっちでも構わんよ若造」
「じゃあ会長さん、一階にいた女と大男に関してなんだが」
仁の表情が────────僅かに変わる。
「アイツら、下の連中も二階の連中も殺してる。なのにアンタだけは────────『生かしてる』って言ってた」
「……ほう」
「理由、何か分かるか?」
仁は────────天井を見る。
「さぁな。こんな老いぼれ一人を生かしておく理由など、ワシには到底思い付かん……ただ──────────」
「ただ?」
「この穴富会は────────東京中に、幾つも直系組織を持っとる」
ト壱が仁を見る。
「仁隊組だけではない。新宿、池袋、上野───────規模の大小はあるが、この穴富会の傘下にある組はまだ幾つもある」
「なるほど」
垣真が顎へ手を当てる。
「アンタを生かしておけば────────その下の組に命令出来る」
「可能性の話じゃがな」
「この穴富会そのものを支配して、アンタを使って東京中のヤクザを集める───────」
「BONEの『素材』を」……ト壱が低い声で呟く。
「あぁ。そう考えりゃ─────── 一応説明はつくか」
垣真は顎の下を触りながら、納得したように頷く。
「もっとも、あの二人がそこまで考えておったかは分からんがな」
「獣脚はともかく、鱗野郎は何も考えてなさそうだったけどな」
仁がト壱を見る。
「しっかし、相変わらず────────変なヤツとつるんどるな」
「コイツは勝手について来ただけの舎弟です」
「オイ」
仁が薄く笑う。
「……親父」
ト壱の表情が────────少しだけ変わる。
「……俺達よ」
その表情は、何かとても言いづらそうな印象。
「今、アテがなくてな。しかも、ちっとばかし───────シャレにならねぇ連中に追われてる」
ト壱は、荒れ果てた会長室、そして外の通路の死体の山。
その全てを思い出すように────────視線を落とす。
「ココ来りゃ────────何とかなるかと思ってた」
「何とか、のぉ……」
「寝床でもよ。情報でも。ちょっと金借りるとか……何でもよ」
自分でも情けないと思っているのか。
「昔のツテ頼って────────どうにかしようと思ったんだが」
ト壱は改めて、周囲を見る。
「この惨状じゃ───────」
仁がト壱が言い終える前に────────口を開いた。
「それは───────すまんな。何もしてやれん。ワシ自身、このザマじゃ」
仁は左肩を僅かに動かす。
「ほれ、ワシの右手」
ト壱が仁の右腕を見る。肩から先、特に肘付近。
それは、力なくダラン────────と、不自然に床へ転がっている。
「ブランブランじゃろ? 笑うなよ。多分、2、3箇所折れとる」
「笑えるかよ……」
「脚も痛い。肋骨も何本か怪しい。70過ぎの老人へやる事じゃないわい」
ト壱の顔は、悲しそうに歪む。
「そう落ち込むな。何じゃ、その顔は」
「いや──────────」
「昔から───────お前は分かりやすい」
仁は────────小さく笑う。
「通り名『イタチのトイチ』、お前なら大丈夫じゃ。昔から、お前はチビのクセに────────しぶとかった」
「チビは……余計ですよ」
「喧嘩すれば何度殴られても立つ。鉄砲玉に出せば、何故か帰ってくる。刑務所入っても十年経って帰ってきた」
仁はト壱を真っ直ぐと見る。
「だから───────ヤクザなんぞに頼るな。自由になりたいんじゃろ?」
ト壱の目が僅かに開く。
「お前が昔、何でヤクザやっとったかも知っとる。孤児だったお前は『行く場所』が無かっただけじゃ……なら、今度くらい────────自分で行く場所決めろ」
「孤児だったのか? おっさん」
ト壱は何も言わない。言い返そうともしない。
「せっかく塀の外へ出たんじゃ」
仁の掠れた声。
「……『自由』になるなら────────ヤクザなんかに頼るでない」
ト壱は少し俯く。そして──────────
「……親父に言われちゃ世話ねぇな」
「もう、お前の親父じゃないわい」
仁は自嘲気味に笑う。ト壱も、ほんの少し────────笑った。
「───────おっさん」
その時、垣真の声が背後から。静かに、呟くように聞こえる。
「静かにしろ、おっさん……聞こえないか?」
「何が───────」
垣真は────────部屋の外を見る。右目を閉じてもいなければ、『照準眼鏡』も使っていない。
ただ、耳を傾けているだけ。
ト壱も黙る。仁も同様に。三人、静まり返った会長室。
遠くから、ドンッ……ドンドンドンッ────────
「これは……足音か?」
垣真が立ち上がる。
「走ってるな」
「音からして一人か?」
「多分な。用心しろよおっさん」
音が近付く。
ドンドンドンドンッ────────!!!
二階通路のこちらへ、かなりの速度で音は大きくなっていく。
「おっさん!!」
「あぁ!!」
ト壱が右手。
ギギギギギィィンッ───────『銘心鏤骨』
垣真も『トレカヴ』を両手で構える。銃口を────────会長室の入口へ。
「親父、伏せてろ!」
「もう仰向けじゃよ」
足音、目前に迫る。
ドンドンドンドンッ──────────!!!
「来るぞ!!」
垣真の指が引き金にかかる。
瞬間──────────ドォンッ!!!
会長室の黒いドアが────────勢いよく開かれた。
「動くな──────────ッッッ!!!!」
二人は構えたまま、固まる。
そこに立っていた人物。年齢は────────20代半ばほどだろうか。
しかし、男? 女? 一瞬だけでは────────判断がつかない。
細い輪郭、大き過ぎも小さ過ぎもしない目。男にしてはぷっくりとした唇。
全体的にどちらとも取れる────────中性的な顔立ち。
黒髪、耳元辺りで一直線に切り揃えられた────────まるで『おかっぱ』のような髪型。
そして、その身体に着ているもの。
「警察か貴様」
ト壱が呟く。紺色、男物の────────『警察官の制服』である。
胸には警察章、腰には装備品、制帽は被っていないが────────どう見ても、そこに立っている人物は『警察官』の第一印象。
元ヤクザと元自衛官。二人とも何故か────────敵の『BONE』と対峙した時以上に、少しだけ顔が引きつっていた。
「警察だッ!!!!」
男とも女とも判別しづらい、中性的な声が────────荒れ果てた会長室へ響き渡る。
「そこを動くな!!! 全員────────署まで同行してもらう!!!!」




