第二十三話【憂さ晴らし】
夕暮れの穴富会本部、その巨大な玄関。
つい先程まで、木製階段を砕くほどの殴り合いと銃声が鳴り響いていた場所は────────今では嘘のように静まり返っていた。
黒く磨かれた床には、185cmを越える大男──────鱗太郎がうつ伏せになったまま動かない。
その少し離れた場所、太い木製の柱へ背中を押し付けるように座らされているのは────────もう一人。
「ちょっと───────怪我人をキツく縛り過ぎじゃない?」
黒いワンピース。長い黒髪。狐のように細い目。両手を背中側へ回され、胴体ごと何重にも縄で柱へ括り付けられた女────────『獣脚と蹄』の馬依。
「逃げられるよりマシだろ」
「こんな怪我人が、どこへ逃げるって言うのよ」
垣真はそう答えながら、壊れた『ニュートウブ』を見下ろす。
シリンダーは鱗太郎の『飛魚鱗』によって完全に歪み、もう拳銃として使い物にはならない。
もう片方の『トレカヴ』も────────残弾は0。
結果として鱗太郎は倒したものの、研究所から持ち出した武器まで全部使い切ってしまった形である。
「ったくよォ───────銃二丁使って、最後に残ったのが鉄クズ二つかよ」
「俺なんざ、服買ってバイク盗んだだけだぜ」
「それを『だけ』で済ませないで欲しいね」
「借りただけだっ言ってんだろ」
そんな二人のやり取りを聞きながら、馬依は何も言わず────────床へ倒れている鱗太郎へ視線を向けた。
黒い鱗は既にその身体からほとんど消え落ち、今ではただの巨大なスキンヘッドの男にしか見えない。
「あのバカ大男───────死んだのね」
馬依は妙に淡々と呟いた。
その声、悲しむ様子もなければ、悔しがる様子も無い。
仲間が目の前で死んでいるというのに、まるで道端で潰れた虫でも見たような声だった。
「あぁ、俺が殺っちまったんだ」
垣真も鱗太郎を見る。
「アンタほど理性も無かったしな。加減して捕まえる余裕もなかった─────不本意ながらな」
「あら、優しいのね」
「別に人を殺すのが好きなワケじゃない。正当防衛だ」
「私は?」
「おっさんが殺さなかったから生きてるダケだよ」
そこで馬依は、今度はト壱を見る。
赤いレザージャケット。その袖や背中は、先程までの戦闘で擦れ、砂埃や血で汚れていた。
鼻の下にもまだ僅かに乾いた血が残り、右腕の『銘心鏤骨』を折られた痛みも完全には引いていない。
「それで───────私をどうするつもり?」
すると、ト壱が馬依との距離を詰める。
コツッ───────コツッ───────と、靴底が黒い床を鳴らす。
柱へ縛られた馬依、ト壱はその真正面まで来ると────────しゃがんだ。
「なによ──────近づいちゃって。拷問?」
「質問だよ。答えなきゃ拷問になるかもしれねぇけどな」
ト壱は右手を上げる。そして────────中指。
その一本だけを立て、馬依の顎の下へ───────スッと添えた。
馬依の目が僅かに細くなる。
今そこにあるのは、ただの指。
だが馬依は先程、自分の腹部を貫いたものを知っている。
この中指、その延長線上へ────────象牙色の『外骨格の刀』が一瞬で形成される。
『一将万骨・銘心鏤骨』───────もし今、この位置から発現すれば。
顎の下から口腔、頭蓋へ一直線である。
「前にも似たような事やってなかったか、おっさん」
垣真が呆れた声を漏らす。
「太寛の時だろ? コレが俺の最大級の『優しい会話方法』なんだよ」
ト壱は馬依の顎へ中指を当てたまま────────目を細める。
「で、本題だ─────何で分かった?」
「何が?」
「俺達がここへ来るってことだ」
馬依の表情に、僅かな疑問。
「研究所から出た後、俺達がどこへ行くかなんざ決めてもいなかった。服屋寄って、それから俺が昔いた組の親を思い出した───────そっからここへ来た」
ト壱の中指が、ほんの僅かに馬依の顎を押す。
「なのに、テメェらは先に居た──────どうやって分かった。俺が『穴富会』へ来るって、誰から聞いた?」
数秒────────沈黙。馬依はト壱の目を見る。
それから何故か、クスッ───────と小さく笑った。
「アナタ達───────随分、自分達が重要人物だと思ってるのね。幸せなアタマだこと」
ト壱の眉間に皺。
馬依は柱へ身体を預けたまま────────首を僅かに傾けた。
「勘違いしてるわよ……アナタ達なんて────────最初から視野に入ってなかったの」
ト壱だけではない。少し後ろに立っていた垣真も────────目を細める。
「どういう意味だ」
垣真が聞く。
「そのままの意味よ。私達はアナタ達を追って、ワザワザここへ来たんじゃない」
「じゃあ何しに来た」
垣真がそう問うと、馬依は────────ジロジロと周囲を見る。
「最初から─────『この組』が目的だったのよ」
ト壱の中指が止まる。
「俺達より先に来たんじゃねぇ。最初から────────『穴富会』を狙って来たってのか?」
「だからそう言ってるでしょう? 聞き分けのない子」
馬依は一度、鼻から小さく息を吐いた。
「ワタシ達は『素材集め』の為に出向いてやったのよ」
「─────素材?」
垣真が聞き返す。
「えぇ。随分前だったかしら……あの研究所の───────『木鼓』とかいうジジイが言ってたのよ」
その名前を聞いた瞬間。ト壱の顔から────────僅かに表情が消えた。
「木鼓……あのヘンタイ博士か」
「そう、その人。私はそこまで話した事ないけど、上にはよく報告してたらしいわ」
馬依は続ける。
「人を『BONE』にするなら、身体が強いだけじゃ駄目。改造したところで、人を殴る事にビビるような人間じゃ兵士には向かない」
ト壱の筋肉、全身に力が入る。
「暴力を振るうことに躊躇がない。怪我にも慣れてる。人を傷付けることにも抵抗が薄い───────そういう人間が良いって」
馬依の口元はレザーマスクに隠れている。だが、目だけでも分かる──────────笑っている。
「だから『ヤクザ』……『犯罪者』……社会の『ゴミ』共──────────木鼓のジジイ曰く、もってこいなんですって。アナタ達みたいな人種は」
「アナタ達って、俺は違うぞ」
垣真が即座に横から言う。
「アンタは元自衛隊でしょう? 似たようなものでしょ。人を殺す訓練してたんだから」
「全然違う!!!!」
「おい、お前ら今そこじゃねぇだろ」
ト壱の一言で、二人の会話が止まる。
馬依は肩を竦めようとするが、縄で柱へ固定されているため僅かに身体が動いただけ。
「とにかく───────私達は『穴富会』の人間を集めに来たの。組織へ連れて帰って、使えそうな人間を選んで、それから────────『BONE』にするためにね」
「じゃあ──────何で殺した」
「だって───────」
馬依の目が細くなる。
「使えなかったんだもの。来てみたらビックリよ。大きな門、大きな家、見るからに怖そうなオジサン達がゾロゾロ出てきて────────最初は期待したわ」
馬依は床へ倒れている鱗太郎へ一瞬視線をやる。
「でも、いざやってみれば───────みーんな大口叩くだけ」
ト壱の中指が、馬依の顎の下から────────僅かに離れた。
「鱗太郎なんて特にガッカリしてたわよ。『ヤクザってもっと強ぇんじゃねぇのか』って」
馬依のその表情、まるで楽しい思い出を振り返るかのような、そんな印象の笑み。
「何人来ても同じ。蹴れば倒れるし、骨は折れるし、血を見たら怯えるし───────素材にすらならない」
馬依は何でもないことのように。
「結局────────ただの『雑魚』だったわ」
ト壱は何も言わない。無言の圧のみを発する。
「おい、おっさん?」
垣真が顔を見るが、返事一つしない。ただ、しゃがんでいたト壱は立ち上がった。
「雑魚─────ねぇ……」
「あら、怒った?」
ト壱は鼻の下を────────指で擦る。
「別に『穴富会』の連中全員と仲良かったワケじゃねぇ」
「直系組織にいたとしても、顔合わせる機会少ないでしょうしねぇ」
「気に食わねぇ奴もいた。理由もなくぶん殴ってくる先輩もいた。金持って来い、車回せ、門に立っとけ───────くだらねぇ事ばっかやらされた」
対して垣真は何も口を挟まない。
「俺ァもうヤクザじゃねぇし、戻る気もねぇ」
ト壱は柱、その向こう。開放された巨大な玄関扉から────────夕暮れの外を見る。
「むしろ───────二度と戻りたくなかったんだよ」
十年前、仁隊組の親である穴富会。
その世界に居たせいで────────塀の中へ十年。
出てきた時には組は無い。知っている人間も居ない。世の中は少しずつ変わっている。
そして自由になったと思えば────────木鼓研究所。
薬を打たれ、身体を変えられ、また閉じ込められた。
「なのによ」
ト壱は────────馬依を見る。
「俺ァここへ来た。好きで来たワケじゃねぇ、頼れる場所が───────他に思い付かなかったからだ」
十年前の自分が知っている────────『昔の世界』……もう二度と戻りたくなかった、その場所へ。
「恥もクソも捨ててよ。昔のツテにすがってでも───────俺ァ『自由に生きる』方法探そうと思ってたんだ」
馬依の目が────────僅かに細くなる。
「自由になりてぇんだよ」
ト壱は右手を────────握る。
「それを、テメェらが先回りしたみてぇに全部ブッ壊してやがった」
「だから言ったでしょう? アナタ達は───────」
「俺達を狙ったワケじゃねぇんだろ」
ト壱が遮る。
「なら───────」
「そっちの方がムカつくんだよ」
馬依が初めて────────少しだけ分からないという顔をした。
「俺達を狙ってやったなら、まだ話は簡単だった」
ト壱は馬依の前へ歩み寄る。
「でもテメェらは、俺が知らねぇところで───────勝手に俺の戻る場所潰した。何の関係もねぇような顔をして」
ト壱の目、先程までの軽口を叩く男とは────────少し違う。
「そんで『雑魚』だ?」
「あら。実際弱かったわよ」
「そうかもな。ヤクザになった時点で───────人間としてはクズだ……俺も含めてな」
ト壱はあっさりと言う。
「善人なんざ一人もいねぇよ。殴るわ、脅すわ、金取るわ、下手すりゃ人殺すわ─────褒められるような人間じゃねぇ」
ト壱の声が────────低くなる。
「だがよ、テメェらに『素材』だの『雑魚』だの言われる筋合いは────────サラサラねぇんだよ」
「し、白骨のおっさん……」
「まして、人間捕まえて身体イジくり回して────────兵隊にしてる連中にはな」
馬依が鼻で笑う。
「随分と身勝手なのね。自分達は散々人の自由を奪っておいて、自分がされたら怒るの?」
「その通りだ」
即答。馬依の方が────────言葉に詰まる。
「俺ァ聖人じゃねぇし、ヒーローでもねぇ」
「開き直るの?」
ト壱はまた、馬依の顎の下へ────────中指を添える。
「だから、これだけ覚えとけ。俺ァもう────────誰にも飼われねぇ」
中指、その先端が、馬依の顎を軽く押す。
「木鼓にも、研究所にも、テメェらの『組織』にもだ」
ト壱の目が────────細くなる。
「これ以上────────俺の自由を奪おうってんなら、その『組織』のヤツらに言っとけ」
数秒、沈黙が訪れる。
「次は────────『殺す』ってな」
馬依も黙る。垣真は少し後ろから────────ト壱を見ている。
だが、ト壱は────────馬依から離れない。
そして馬依が、何かに気付く。
「ちょっと……もう話したでしょう」
「あぁ、話してもらったな」
「なら、その指退けなさいよ」
ト壱は、右手の中指を────────下ろした。
馬依が、ほんの僅かに安堵の息を吐く。
「最初から殺す気なんて無かったクセに───────脅かさないでよ」
「殺しゃあしねぇよ今更」
ト壱は一歩、後ろへ。
「命までは取らねぇ」
「ん? 命『までは』って?」
垣真の眉が動いた。
「おっさん?」
ト壱の右腕、その中指。
皮膚の外側から────────象牙色の骨が伸び始める。
ギギギギギィィンッ────────!!!
その光景、馬依の目が見開かれた。
およそ50cm、薄汚れた象牙色の『外骨格の刀』。
「ちょっと───────何する気?」
「じっとしてろ。動くとズレるぞ」
「何が───────」
馬依の視線はト壱の刀と、そして────────自分の脚。
「ちょっと、待って」
先程まで余裕を崩さなかった馬依の声が────────初めて変わる。
「アンタ──────何する気よ」
ト壱は答えない。馬依の両脚を眺めている。
人間ではあり得ない、その黒い獣毛。長く発達した脚。そして先端にある────────硬質な『蹄』
『蹄刻美女』────────その全てを。
「おい、おっさん」
垣真が一歩前へ。
「何するつもりだ」
「見てりゃ分かる。殺しゃしねぇ」
「そういう問題じゃ───────」
──────────ブォンッ!!!
一閃……象牙色の刀身が────────横へ走った。
「──────え?」
馬依が自らの下を見る。
左脚と右脚の、その膝付近。細い────────赤い線。
馬依の狐のような目が────────大きく開く。
次の瞬間、ズルッ────────とその両脚が同時に、膝から下へ僅かにズレた。
そして黒い獣毛と硬い蹄。
先程までト壱を何度も蹴り飛ばしていた────────右脚の一部が、ボトムッと床へ落ちる。
馬依は、床へ転がった二本の脚を────────見ているだけ。
断面から次の瞬間。
ブシュア────────!!!
「──────────あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!」
馬依の絶叫が────────穴富会本部へ響き渡った。
「イヤァァァァァッ!!!! 脚ッ!!! 私の脚ッ!!! ああぁぁぁぁッ!!!!」
柱へ縄で縛られた身体が────────激しく暴れる。 逃げようにも動けない。両腕も使えない。
ただ、膝から下、今までそこにあったはずの二本が────────無い。
「痛いッ!!! 痛い痛い痛い痛いッ!!! なにして───────なにしてんのよォォォォ!!!!」
「おっさん!!!!」
垣真が声を荒らげる。
「やり過ぎだろ!!! もう勝負は終わってたし!! 縄で縛って、能力も分かった!! ここまでやる必要ねぇだろ!!!」
ト壱は『銘心鏤骨』を振る。刀身に付着した赤い血が────────床へ飛ぶ。
「何すんだよ!! このままじゃ出血で───────」
「死なせねぇよ。その辺の布持ってこい。縛って止血する」
「そういう問題じゃねぇ!!!」
馬依の脚の切断面から────────赤い血が床へ広がっていく。
「いや……イヤ……」
馬依の声。先程までとは────────まるで違う。
「私の脚……」
自分の両脚を見ている。
「脚……返して……お願い……私の……」
声が────────小さくなっていく。
「こんなの……」
顔から血の気が失われる。
「やだ……」
そして、ガクンッ───────と、馬依の首が前へ垂れた。
「おい!」
垣真が駆け寄る。口元に耳を近づければ、呼吸はしているようだった。
「気ィ失っただけか……」
「だから殺しゃしねぇって言ったろ」
「テメェは───────!!!」
垣真が振り向く。今まで、ト壱へここまで露骨に怒鳴った事は────────ほとんど無い。
「何考えてんだよ!!! コイツはもう負けを認めてたし、聞きたい事も聞いただろう!!」
ト壱は、床へ落ちた────────二本の異形の脚を見る。
「必要ねぇって? 俺もそう思う」
「は? じゃあ何で───────」
「教えてやっただけだ」
ト壱は────────気を失った馬依を見る。
「……『自由を奪われる』ってのが────────どういう気持ちか」
垣真の口が止まる。
「コイツらは人攫って、身体変えて、記憶まで消して────────兵隊にしてる」
ト壱は────────淡々と答える。
「同じことしたって、何か戻るワケじゃねぇ。俺が正しいとも思ってねぇ」
右腕の『銘心鏤骨』が────────ゆっくりと縮んでいく。
「早ェ話が『憂さ晴らし』ってヤツなのかもしれねぇ」
象牙色の骨が完全に消える。
「俺ァもう────────奪われる側で黙ってんのはゴメンなんだよ」
「その気持ちも分かるが───────」
「逃げる脚が無くなりゃ、少なくともしばらくは追って来れねぇ」
「それだけか? 本当にそれだけで切ったのか?」
ト壱は答えない。
「おっさん」
「布持ってこい。死なせたくねぇんだろ」
「チッ─────」
垣真は舌打ちしながら、周囲を見る。
何か止血に使えそうなものを探し────────穴富会本部に転がっていた布を拾い上げる。
────────その後、馬依の切断された両脚、その傷口の少し上をきつく縛った。
血は完全には止まらない。だが、先程までのように勢いよく噴き出すことはなくなった。
垣真は立ち上がる。
「アンタ、本当にカタギになる気あるのか? 今の見た後だと全然信じられねぇ」
「俺も……自信なくなってきた」
「そこは否定しろよ」
ト壱は鼻で笑う。
「十年臭いメシ食ったくらいで、人間そう簡単に変わらねぇんだよ……でもまぁ────────」
ト壱は巨大な赤い階段を見上げる。
「変わりてぇとは思ってる。だから上行くぞ」
「話繋がってねぇ」
「会長が上にいるんだろ」
馬依が言っていた、組員達はほぼ全員始末した。
ただ一人、『会長』だけは────────必要だから生かしている。
何のために、何故、そして────────今、二階で何が起きているのか。
「そうだったな……」
垣真も顔を上げる。巨大な赤い階段。
「鱗太郎も死んだ。馬依もこの状態じゃ追って来れねぇ」
「あぁ」
「銃は?」
「タマがゼロだよ。使える方もな」
「なら、二階にいる組員のポケットからマガジンをクスネたらいい。たらふくあるぞ」
「犯罪まがいだが、やむを得ん。そうするか」
二人は────────階段へ向かう。
ト壱と、そして垣真。
その背後には、床へ倒れたまま動かない鱗太郎。柱へ縛り付けられ、膝から下を失ったまま気を失っている馬依。
たった数十分前まで、立派なヤクザ組織の本部だった場所は────────今では戦場の跡と変わらない。
ト壱は一度だけ。背後へ────────振り返る。
「おっさん?」
「いや───────」
ト壱は再び前を見る。
「何でもねぇ」
そして赤い階段の、その一段目へ────────足を掛けた。




