縋る手を払うことはできなくて
イーサンのために、マクシーは自主的に魔術の習得に取り組んだ。
事前にマクシーが調べて安全と確信できるものを確認してから、イーサンに魔術を習得させて、少しずつでも魔力を消費させるのが日課になった。
毎日のように体調を崩すということがなくなったイーサンは、十四歳にして、マクシーとほとんど変わらない背丈となっていた。
「僕を診てくれている先生に、魔術を使う以外にも効率的な魔力の消費方法がないか尋ねてみたんだ」
イーサンはある日、そんな話を口にした。
「魔力譲渡って、聞いたことある?」
「初めてお聞きしました。そのような方法があるのですか?」
「うん。随分前に、父さんには話していたみたいだけど」
祖母から形見として受け取っていた魔術書に目を通していたマクシーは、当たり障りのない安全な魔術を試しながら顔を上げた。
時折、大人びた表情を見せるようになったイーサンの琥珀色の瞳と視線がぶつかり、僅かに鼓動を跳ねさせる。
「マクシーはあらかじめ安全だって思える魔術を僕に使わせてくれているだろ? だけど、それだと魔力消費が追いつかないことがあって」
「それは……申し訳ありません」
「謝らないで、責めてるわけじゃないんだ。ただ、マクシーの負担を減らせたらと思っただけだよ」
咄嗟に気遣う言葉をかけてくれたが、マクシーは責任を感じていた。
イーサン自身が魔力の消費量を少ないと感じているということは、マクシーのこれまでのやり方が、彼に合わなくなってきたことになる。
魔術の心得が少しある程度の自分では力不足であることは、解っているつもりだった。
けれどイーサンに魔術を教え始めてから四年程が経った今、それを痛感させられてしまうことになった。
「私は何も負担に感じてはおりません。ですが、そういうことであれば……」
もう、イーサンから離れても問題ない頃合いだろう。
そう思いはしたけれど、それをどう伝えるべきか考える間もなく「とりあえず話だけでも聞いてよ」と俯くマクシーの顔を上げさせたイーサンが、必死の思いで頼み込んだ。
今までにない押しの強さを不思議に思いながら、マクシーはひとまず彼の話を聞くことにした。
「魔力の譲渡には、お互いの魔力が馴染みやすい血縁者が相性的に良いらしいんだけど、魔力量に差がありすぎると、かえってよくないんだって」
「それでは、旦那様は……」
「そう、父さんはもともと魔力を持たない人だろ? そういう人に魔力を譲渡してしまったら、僕のように不調をきたしてしまうんだって。だから、父さんにはできない」
そこでイーサンは、マクシーの手から魔術書を取り上げてテーブルに置いた。
「でも、マクシーなら僕と同じように魔力がある。多少の副作用みたいなものはあるかもしれないけど……僕の魔力を、マクシーに受け取ってほしいんだ」
その時、イーサンの瞳の奥に、炎のような揺らぎを見た気がした。
窓から差し込む夕陽の反射を受けたせいかと思ったが、マクシーは本能的に彼から距離を置こうとした。
これ以上、近付いてはいけないと感じて。
「そういうことは私ではなく、他の……」
「知らない誰かとなんて、絶対に嫌だ。マクシーがいい」
そこまできっぱり言い切られてしまっては、何も返せなくなってしまう。
余程危険な内容ではない限りは、マクシーは昔から、イーサンの主張に押し切られてしまうことが多かった。
そして今回も、例外ではなかった。
「一応、方法は聞いてきた。父さんにも許可を得てる。マクシーに同意を得られたら、してもいいって」
「……今、体がおつらいのですか?」
「うん。だから、お願い」
手を差し出される。
会ったばかりの頃は小さかったイーサンの手は、マクシーより一回りも大きくなっていた。
「指を絡めて、掌をぴったり合わせて。……あとは、僕がやるから」
二人の手が隙間なく重なる。その手を引き寄せたイーサンは、マクシーの手の甲にそっと額を押し当てた。
「……どう?」
「大丈夫です。今は、なんとも」
最初は、触れ合った手が熱く感じる程度だった。けれどその熱が徐々に腕や顔にまで広がっていき、そのうち酩酊感のようなものを覚え始めた。
「——ぁ……待って、くださ……頭がくらくら、しっ……——」
ぐわん、と頭が揺れた。実際には揺れていなかったが、それに近い感覚がマクシーを襲った。
すぐに姿勢を保っていられなくなり、椅子に掛けていた状態から前のめりになる。咄嗟に腕を差し出してくれたイーサンに掴まってはみたが、膝にも力が入らなくなる。
その症状は、いわゆる魔力酔いというものだった。
「……かわいい、マクシー……」
脚の力が抜けてその場にへたり込んだマクシーを、ほとんど体格差のないイーサンが軽々と受け止める。
まるで閉じ込めるように、逃がさないように、腕の中に大事に抱えて。
溶け落ちそうなほど甘く濃い蜂蜜のような色をした瞳が、マクシーのヘーゼルの瞳と重なる。
イーサンの唇が、マクシーにそっと触れて。
「——っ!」
びくりと、マクシーが華奢な肩を震わせた。
キスをしていると認識した時には、自然と開いた唇から漏れた吐息が、イーサンのものと重なっていた。
うまく力の入らないマクシーの体はイーサンに抱きとめられ、繋がれていた手はいつの間にか離れていた。
魔力譲渡が断ち切られたのだろう。
魔力酔いが僅かに引いた瞬間、マクシーは目の前の体を突っぱねた。
どっどっ、と心臓の鼓動が今までにないほど激しく脈打つ。
いっそ痛みを感じてしまいそうなほどの激しい鼓動に、思わず胸を押さえながら、マクシーは覚束ない足でなんとか立ち上がった。
その様子を見て手を差し出したイーサンだったが、マクシーは警戒するように、頑なにその手を取ろうとはしなかった。
なんとかテーブルに手をついて、心配そうな表情のイーサンを潤んだ瞳で見上げる。
「こういうことはっ……将来を誓い合った方とするべきです! 安易にするものではありません……っ」
「それって、キスのこと? もちろん、マクシーだからしたんだよ」
マクシーは反射的に顔を赤くした。
駄目なことは駄目だと、しっかり伝えなければいけない立場なのに。こんなことではいけないと、マクシーは自身をなんとか奮い立たせようとした。
けれど、真剣な眼差しのイーサンに先手を打たれる。
「マクシーのこと、好きだよ。可愛いと思った。だからキスした」
イーサンの言葉には、あまりにも嘘偽りがなかった。
真っ直ぐにマクシーを見据えて、真剣に想いを告げる。
これが真っ当な関係なら、マクシーがイーサンに相応しい立場なら、受け入れてもよかったのかもしれない。
けれど、それはあまりにも夢のような話だった。
「私は、ハインツ家ご当主であるイーサン様のお父様に信頼を寄せていただいて、家庭教師として雇っていただいているのです。こういうことは、その信頼を裏切ることになります」
「僕がマクシーのことを、ずっと前から好きだと思っていても?」
畳み掛けるように、再びイーサンが想いを告げる。
それでもマクシーは、彼の想いには応えなかった。
視線を落として、揺らぐ心をなんとか知られまいと平静を装って。
「そう、です」
「……わかった、もうしないよ」
返ってきた声は、あまりにも冷静だった。
イーサンの様子が気になって視線を戻すと、何故か再び手を差し出される。
「でも、魔力は受け取って」
「そ、れは」
「魔術を使っても、魔力が消費しきれない時だけでいいから」
このままイーサンのそばに居続けてはいけない気がした。
さっきのようなことがあった以上、今までの関係ではいられない。彼が今どう思っていても。
「魔術の練習はこれからも続けるよ。マクシーと一緒に。それでも魔力の消費が追いつかない時は、僕を助けて」
ここへ来たばかりの頃の、小さな体の男の子はもういないのに。
琥珀色の瞳だけは、ずっと変わらないままだ。
「お願い、マクシー」
縋るように、イーサンに手を伸ばされて。
大きくなった手を、マクシーは振り払うことができなかった。




