今ここで手を離すわけにはいかない
あの日マクシーが助けたことをきっかけに、イーサンはそれまでの振る舞いが嘘のように素直になった。
時折、勉強を放り出してマクシーを遊びに誘おうとすることはあるけれど、そんなことは気にならないほど、その歳らしい本来の無邪気さを見せてくれるようになった。
「なんだか……魔術の練習を始めてから、体が軽くなった気がする」
そのことに気付いたイーサンは、ふと、そんなことをぽつりと溢した。
イーサンはマクシーと同様、魔術を扱えるほどの魔力があったため、彼の父から許可を貰ったあと、普段の勉強に加えて魔術の練習も始めていた。
簡単な魔術を少しずつ学び始めて半年が経った頃、イーサンは違和感を覚え始めていた。
「最近、高熱で寝込むことが減ったんだ。なんでだろ……」
「そうなのですか? 他には、何か体調の変化を感じることはありませんか?」
マクシーの祖母の形見でもある魔術書を間に置いて読んでいた二人だったが、揃って顔を見合わせる。
マクシーは住み込みでハインツ家に勤めているわけではない。勉強の進み具合で前後する時はあるが、ある程度決まった時間滞在して、夕暮れ時にはアルエット家へ帰宅する。
最近はマクシーが不在の間に体調を崩すことが増えたのだろうと心配していたが、そうではなかったことが分かり、ほっと息をついた。
「寝込むほどじゃなくても、いつでも熱っぽくて、体の怠さもあったのに、魔術を使うと少し楽になる気がするんだ」
「それは良いことですが……原因がわからないのは、少し心配です。何かあっては事ですから、魔術の練習は一旦中断して、お医者様に診ていただきましょう」
魔術の使用によりイーサンの身にどんな影響があるのか判断がつかなかったマクシーは、彼の父にそのことを相談するように伝えた。
ハインツ家の使用人にも漏れなく事情を伝えたところ、イーサンの体調について、無事に彼の父に話が届いた。
のちに、イーサンは魔力を身の内に溜め込んでしまう、特異な体質であることが判明した。
通常、魔力というものは魔術として使用せずとも、日々少しずつ消費されていくものだ。普通ならば、魔力を無限に溜め込んでしまうということはない。
けれどイーサンの場合は、消費されない魔力をひたすら身の内に溜め続けてしまう、いわゆる特異体質だった。
それが幼少から彼を度々悩ませる高熱の原因となっていたのだ。
数日後。
マクシーはイーサンの父であるハインツ家当主に呼び出されることとなった。
なにか不都合なことでもあったのかと身構えていたが、そうではなかった。
イーサンが魔術を知るきっかけをマクシーが作り、それが原因不明の体調不良の究明に繋がったとして、感謝の意を伝えるために呼び出されたのだった。
「私は亡くなった妻と同様、魔術に関して詳しくない。そちら方面の専門家に診てもらうという考えが、そもそも頭になかったんだ。マクシー、君のおかげで息子の体調不良の原因が判明した。心から感謝している」
「私は、なにも……」
魔術を教えてほしいと言ったのはイーサンだ。マクシーは何もしていない。
全ては偶然が繋がって起きたことだ。それがたまたま良い結果を生んだだけのこと。
だからこそ、これほど深く感謝されるのは身に余るものがあった。
「息子に聞いたよ。危ないところを、君が助けてくれたと。君のおかげで勉強も楽しくやれていると言っていた。私の他にも、息子を気にかけてくれる者がこの家にいてくれるだけで安心できるんだ」
「そんな……。ですが、そう言っていただけて嬉しい限りです」
家業が忙しく、息子になかなか時間を割いてあげられないことを、イーサンの父はひどく憂いていた。
それほどまで気にかけているということは、息子への愛情がちゃんとあるということだ。
それがわかったマクシーは、ほっと胸を撫で下ろした。
「ただ、ひとつ問題が残っていてな」
「問題ですか……?」
マクシーは反射的に身構えた。
これ以上、イーサンが苦しむようなことは聞きたくなかったから。
「イーサンは今後、定期的に魔力を消費しなければならない。そこで、君に頼みがある。いずれ学園に通えるようになっても、暫くはここで、息子に魔術を教えてやってくれないか。もちろん、それに見合う給金も出すつもりだ」
「お給金は今でも充分過ぎるほどいただいています。それに、私は魔術師と呼ばれるほど大それたことはできないので……」
イーサンの父が続けた話は、決して悪いものではなかった。
しかしそれは、マクシーの身には余りある内容だった。
「それを言うなら、父である私には僅かな魔力もない。だが、君にはその力も才もある。どんなことでも構わないんだ。とにかく、魔術を使うきっかけさえあればいい。でなければ、息子はまた体調不良に悩まされることになる」
それならマクシーでなくても務まるのではないかと思ったが、その考えは見透かされていた。
「君も知っていると思うが、イーサンはとても気難しい。幼い頃から学園に通えず、他者と関わる時間が極端に少なかったのが要因だとは思うが……とにかく、また新たな者を雇っても、君のようにうまく馴染んでくれるとは限らない」
「それは……」
「我が家の問題に巻き込んで申し訳ないとは思っている。しかし、なんとか頼まれてはくれないだろうか」
そこまで言われてしまっては、マクシーは家庭教師を続けるしかなかった。
ハインツ家の使用人とイーサンの関係は、相変わらずぎこちないままだ。今ここでイーサンから離れるわけにはいかないと思った理由の一つには、それもあった。
こうしてマクシーは一般的な勉強と、魔術の指導を任されることとなった。




