第8話 愚望誉望祈試廃宮 2
迷宮都市ファズオラから南東へ半日ほど進んだ場所、アーバンロード地方へと続く街道を、三人の冒険者が歩いていた。街道とはいっても都市間を結ぶ大通りほど整備されているわけではなく、左右には鬱蒼とした森が広がり、時折吹き抜ける風が木々の葉を揺らしている。
ファズオラを出てから既に数時間が経っているものの、目的地まではまだ距離があり、先頭を歩く少女にとっては、この変化の乏しい道程こそが何よりも退屈だったらしい。
「先生! 私はもっとファズオラの迷宮を探索したかったです!」
少女──ウェンディは、まだ幼さの残る顔にあからさまな不満を浮かべながら振り返った。短く切り揃えられたブロンドの髪が歩みに合わせて揺れ、その表情だけを見れば、危険な魔物が徘徊する迷宮を何度も探索している冒険者とは到底思えない。
そんな彼女に呼び掛けられた背の高い男は、困ったように笑いながら肩をすくめた。柔和な顔立ちをした男──スレインは、ウェンディの性格をよく理解しているからこそ、ここで正論を並べて言い聞かせるよりも、まずは宥める方が話が早いと判断したのだろう。
「ハハハハ。まぁまぁ……今はそれほど時間がありませんから。 また今度、時間が出来たら攻略しに戻りましょう。 全ての迷宮はファズオラに通づる、なんて言葉があるくらい広大な迷宮です。 もしかしたらここら辺に別の入り口があってもおかしくありませんしね」
「そうなんですよ! だからこそ、もっと探索してみたかったんです!」
ウェンディが頬を膨らませると、スレインは再び乾いた笑いを漏らした。悪気があって不満を口にしているわけではないことは分かっているし、むしろ彼女の場合、本当に興味を持ったものに対しては遠慮なく食いついていく性格なのだろう。とはいえ、今回の旅には明確な目的があり、いつまでもファズオラの迷宮に留まっているわけにもいかなかった。
「先生、相手にしちゃいけませんよ。 ウェニーに付き合ってたらいつまで経っても目的地になんて着きませんから」
そんな二人のやり取りに横から口を挟んだのは、スレインよりも背の低い緑髪の少年だった。ワースは杖を片手に持ちながら、いかにも面倒そうな顔でウェンディを見ている。言葉だけを聞けば冷たくも思えるが、これも二人の間ではいつものことであり、ワース自身も本気で彼女を嫌っているわけではない。
「あー! そうやってワースはまた私を馬鹿にしてぇ!」
「馬鹿なんて言ってないだろ? 本当の事言ったら可哀想だからな。 俺って優しいだろ?」
「なぁ!? 先生! ワースがひどい事言ってきます!」
「まぁまぁ……ワース、言葉に気を付けなさい。 ウェンディも貴女のバ……素直な所は美徳でもありますから気にしなくて大丈夫ですよ」
「……スレイン先生? いまバカって言いそうになりませんでした?」
スレインとしては二人の口喧嘩を適当なところで終わらせるつもりだったのだろう。しかし、そこで余計な一言が口から滑り落ちたことで、ウェンディの注意は一瞬にしてワースからスレインへと移った。ジト目で見つめられたスレインは、普段の落ち着いた態度からは想像できないほど慌てた様子で言葉を繋ぐ。
「あ、あぁ、いや。 違うんですよ、バカ正直って言おうとしたんですよ。 バカとバカ正直は違うでしょう?」
「バカ正直? それってバカみたいに正直って事ですか?」
「バカで正直って事だろ? あははは」
「もうっ!! 先生! ワースの事殴っていいですか! いいですよね!」
「まぁまぁまぁ……おや? 2人とも戯れあいはその辺にしなさい。 前方から魔物がやって来ますよ」
その言葉が発せられた瞬間、それまで子供のような口喧嘩を繰り広げていた二人の雰囲気が変わった。冒険者にとって、魔物との遭遇は珍しいものではない。それでも、油断した状態で遭遇すれば命を落としかねない以上、戦闘の可能性を察知した時点で意識を切り替えるのは当然のことだった。
ウェンディは口を閉ざし、ワースも杖を構え直す。スレインだけは二人よりも僅かに後方に位置したまま、森の奥へと視線を向けている。彼にとって重要なのは、目の前にいる魔物そのものよりも、敵の数と種類、そして二人の弟子がどのように対処するかという点だった。
「風探知。前方に5匹、多分ケーブハイエナかダイアウルフです」
ワースが杖を軽く振ると、周囲の空気が僅かに動いた。次の瞬間には一陣の風が街道に沿って森の奥へと流れていき、その風を通じて得られた情報が彼の中へと返ってくる。大地と風の術師であるワースが得意とする探知魔法の一つであり、視界の届かない場所にいる魔物を事前に察知するためには非常に有用な術だった。
「まぁ、ケーブハイエナはここら辺には生息していないのでダイアウルフでしょう。 2人で対処できますか?」
「もちろん!」
「問題ありません」
二人からほぼ同時に返事が返ってくる。スレインはその声を聞いて小さく頷いた。五頭程度のダイアウルフならば、現在の二人にとって特別難しい相手ではない。だからこそ今回は自分が手を出さず、二人だけでどこまで対応できるのかを見極めるつもりだった。
ほどなくして、森の奥から低い唸り声が聞こえてくる。木々の隙間から姿を現したのは、鋭い牙を剥き出しにした五頭のダイアウルフだった。獲物を見つけたことで警戒しながらも、数の優位を理解しているのか、群れは徐々に三人を取り囲むような動きを見せ始める。
「3匹は私がたおーす!」
「バカ! 勝手に突っ込むなって!」
しかし、その動きを待っていたウェンディが先に動いた。ロングソードを抜き放つと、まるでそれが最初から決められていた行動であるかのように、正面にいた三頭へ向かって一直線に駆け出す。少女の身体からは想像しにくいほどの速度で距離が縮まり、先頭のダイアウルフが反応して横へ飛び退こうとしたものの、その判断が間に合うことはなかった。
ウェンディの剣が振り抜かれ、ダイアウルフの身体を深々と切り裂く。魔物はその勢いのまま地面へ転がり、ほとんど抵抗することもなく絶命した。
だが、一頭を斬り伏せたことで生じた僅かな隙を、残った二頭が見逃すはずもない。ウェンディが次の標的へ身体を向けた瞬間、一頭が正面から、もう一頭が背後から同時に飛び掛かった。単純な挟撃ではあるが、片方へ意識を向けた瞬間にもう片方の牙が届く距離まで詰められている以上、まともに受ければ無傷では済まない。
それでもウェンディは慌てることなく身体を捻り、振り向きざまに剣を薙いだ。その一撃によって背後から迫っていた一頭が斬り裂かれ、残る一頭についても、既に勝負は決していた。ワースが地面へ手を向けると、その足元から岩の槍が突き上がり、飛び掛かったダイアウルフの身体を下から貫いたのである。
「前に出過ぎだ! 詠唱が間に合わなかったらどうすんだバカ!」
「ナイスワース! 間に合うって知ってたよ」
「ったく、だからお前は……」
ワースが呆れたように言葉を漏らすが、ウェンディは全く反省した様子がない。それどころか、自分の判断が正しかったとでも言わんばかりに笑っている。
その間にも残る二頭がスレインへ向かっていた。彼が一歩も動かないことを隙と判断したのか、茂みの中から二頭のダイアウルフがほぼ同時に飛び出し、その牙を剥きながら一気に距離を詰める。
「あはっ、3匹は私が倒すって言ったよねぇ!」
「だからよぉ! 既に詠唱は終わってんだよ、クソバカウルフが! ディレイ解除、石弾」
ウェンディが勢いよく駆け戻り、一頭のダイアウルフへと斬り掛かる。その剣が魔物を捉えたのとほぼ同時に、ワースが発動待機状態だった魔法を発動すると複数の石弾が高速で飛翔し、ダイアウルフの身体を撃ち抜いて絶命させる。
結果だけを見れば、五頭のダイアウルフは短時間のうちに全滅した。二人の連携にも致命的な問題はなく、少なくとも実力不足を疑うような戦いではない。しかし、戦闘が終わったからといってスレインが何も言わないわけではなかった。
「先生! どうでした?」
ウェンディが褒めて貰いたそうにスレインの前へ駆け寄る。
「ふむ……ウェンディ、貴女なら突っ込まずに上手く釣り出せば三頭をまとめて斬れたんじゃないですか? そうすればワースは茂みに隠れている二頭に専念できたでしょう」
「あぅ……」
ウェンディの表情が露骨に曇る。自分が三頭を相手取ったこと自体は間違いではない。しかし、スレインが指摘しているのは勝てたかどうかではなく、より安全に、より少ない負担で勝つ方法があったという点だった。
「ハッ、ばーか。 だから言っただろ」
ワースが勝ち誇ったように鼻を鳴らす。先ほどまで散々ウェンディに馬鹿にされていた分を取り返したつもりなのだろう。ところが、スレインはそんなワースを見て僅かに眉を上げた。
「そしてワース」
「はい?」
「貴方も岩槍撃などではなく得意な泥沼で足を止めれば、もっと安全にそして魔力も節約して仕留められましたよ。 派手さより確実さを優先しなさい」
「うっ……」
今度はワースの方が言葉を失った。岩槍撃は確かに威力のある魔法であり、今回も敵を一撃で仕留めている。しかし、戦闘の結果だけを見て満足してしまえば、より効率的な戦い方を身につける機会を失ってしまう。スレインが二人に求めているのは、単純に魔物を倒す力ではなく、状況に応じて最適な手段を選択する判断力だった。
その意味では、二人ともまだまだ未熟なのだろう。
もっとも、そんな師の意図など知る由もないウェンディは、先ほどまで落ち込んでいたことも忘れたように満面の笑みを浮かべ、ワースの顔を覗き込んだ。
「えへへー」
「調子乗んな!」
ワースが顔を赤くして怒鳴り返す。ウェンディはそれを面白がるようにさらに笑い、まるで自分だけは叱られていないかのような態度を見せた。
「ワースも怒られたー」
「だから調子乗んなって!」
再び始まった二人のやり取りを見て、スレインは小さく苦笑する。実力に関して言えばまだ改善の余地は多いものの、こうして互いに言い合える程度には信頼関係が出来ている。それもまた、長い旅を続ける冒険者にとっては決して悪いことではない。
「まぁ、それでも及第点といえるかと……」
だからこそ、スレインは最後にそう付け加えようとした。
だが、その言葉は最後まで続かなかった。
「……先生?」
最初に異変へ気付いたのは、スレインだった。
それまで絶えず吹いていた森の風が、唐突に消えたのである。
風が止まったというだけなら、そこまで珍しい現象ではない。だが、異常だったのはそれだけではなかった。木々の葉が揺れる音が途絶え、森の奥から聞こえていた鳥の鳴き声さえも、まるで何者かに音そのものを奪われたかのように消えている。
静かになった、と表現するにはあまりにも不自然だった。
スレインは反射的に周囲を見渡した。木々が揺れたわけでもないのに、森の奥で何かが蠢いている。次いで足元から伝わってきた僅かな振動に気付き、大地へ視線を落とす。地面が揺れているのではない。もっと深い場所から、何か巨大なものが動こうとしているような、低く重い唸りが響いていた。
それは魔物が近付いてくる気配とは明らかに異なっていた。
スレインの顔から、いつもの柔和な笑みが消える。
「二人とも近くへ!! これは……」
警告とほぼ同時に、大地の奥からさらに大きな振動が伝わってきた。
街道脇に広がっていた岩肌へ、何の前触れもなく亀裂が走る。
世界が軋んだ──
ひび割れは瞬く間に広がり、巨大な岩盤が軋みながら左右へと開いていく。だが、そこに洞窟など存在していなかったことをスレインは知っている。先ほどまで何度も視線を向けていた場所であり、地形そのものが変化していないことも確認していた。
それなのに、今は違う。
裂けた岩肌の向こう側に、暗く深い穴が口を開けている。
まるで、そこに最初から存在していたかのように。
──今、この瞬間に生まれたのだ。
三人は言葉を失ったまま、その異様な光景を見つめるしかなかった。
それはまるで──迷宮が、三人を待ち受けるために姿を現したかのようだった。




