第7話 愚望誉望祈試廃宮 1
強盗たちが消え、黄金の輝きが霧散していく。
ラビリントスが指を鳴らすと、歪められた空間は音もなく収束し、再びグレイとエリゼの家へと戻っていた。家の周囲に広がる農場も、何事もなかったかのように元の景色を取り戻している。
床に飛び散った血も、無惨な死体も、何一つ残っていない。
ただ、静まり返った室内で兄妹だけが呆然と立ち尽くしていた。
「さて、掃除は済んだぞ。食事の続きをしよう……どうした? そんなに震えて」
ラビは小さく笑い、当たり前のように食卓の椅子に座った。
突然の闖入者に中断していた食事の合間に聞けば、グレイたちはこの街外れの農園で暮らしていたが、流行り病で両親を亡くし、兄妹2人で農園の管理に勤しんでいるという。
「……ふむ。 ゴミ掃除だけでは一宿一飯の礼にしては少々足りぬな。 グラよ、いるな」
「はいッス!」
ラビが呼べば半透明な青い粘体……スライムがどこからかヌルヌルと姿を現す。
「ひっ!? ス、スライム!? スライムが喋ってる!!」
エリゼがどこから発声しているのか分からないが言葉を話すスライムに驚いているとグラが話しだす。
「ラビリントス様の食事用に虫をたくさんとってきたッス!食べるッスか?」
「要らん。なぜ直ぐ戻って来なかった?」
「戻ってたらラビリントス様が居なくなってたッス! ラビリントス様の匂いを辿ってここに着いたら迷宮が展開されてて入れなかったッス!」
「それもそうか……そういえばお主は迷宮の外でも問題無く行動できるのか?」
「はいッス! オイラはもともと偶に外に遊びに行ってたッス!」
「…………初めて聞いたぞ」
「初めて言ったッス!」
グラはラビリントスの責める様な目には全く気付かずあっけらかんとしている。
「まぁ良い。 グラが平気なら他の眷属も問題ないのだろう」
ラビリントスがおもむろに手を伸ばす。 指先から空間が揺らぐと、物々しい扉が現れてくる。
扉が開くと、そこから一人の女性が姿を現した。
完璧に着こなされたメイド服。腰まで届く漆黒の髪。その凛とした佇まいは、農家の家屋にはあまりに不釣り合いだった。
「お呼びでしょうか、ラビリントス様……ラビリントス様?」
「なんじゃその反応は?」
女性は凛とした表情を崩し、驚きに目を見開いている。
「あ、あの……いつもの、丸い七色では?」
「丸い七色……この身体に憑依し我自ら強者を探すことにしたのじゃ」
ラビリントスは女性の丸い七色発言に訝しげな目を向けるが、少女の身体に憑依した経緯を簡潔に説明した。
「そうでしたか……いつもの七色も素敵でしたが、美少女となったラビリントス様も大変素敵でございます」
「……まぁ良い。この者たちは我が庇護する事とした。 ヘビーレイン、この者達の農園の運営を手伝え」
彼女の名はヘビーレイン。 かつて神話の時代に姉妹でラビリントスへ挑み、最深部目前で力尽きかけたところをラビリントスに「スカウト」された伝説の冒険者である。 今では迷宮の守護者の一人として、ラビリントスに絶対の忠誠を誓っていた。
「ヘビーレインと言います。……お任せください、ラビリントス様。 愚妹も呼ばれますか?」
ヘビーレインは値踏みするようにジロリと兄妹を見やる。 美しく整った顔立ち、しかしまるで人形のような瞳に見据えられたじろぐ2人。
「いや、まずは労働力じゃな。この農園を迷宮として造り替えた。……出よ、我が僕よ」
ラビが合図をすると農園の地面からカタカタと音を立てて十数体の『スケルトン』が這い出してきた。
「ひ、ひぃぃっ!? 化け物だ!」
「案ずるなエリゼ。こやつらは夜間にのみ働かす事にしよう。 雑草を抜き、土を耕す。人間に見つかれば騒ぎになるじゃろうしな。……カッカッカ、どうじゃ効率的じゃろう?」
魔物が鍬を持って整列する光景に、グレイとエリゼは完全に引き気味だったが、ラビリントスの厚意(?)を断る勇気は到底なかった。
数日後。
農園は見違えるほど整備されていた。
雑草は一本残らず抜かれ、畑は丁寧に耕され、傷んでいた柵まで修復されている。
夜な夜な無言で働くスケルトンたちの姿を見て、最初は怯えていたグレイも、今では少しだけ慣れ始めていた。
「さて」
荷物らしい荷物も持たず、ラビリントスは玄関先へ立つ。
「我は、ここから一番近い大都市へと向かう事とする。 暇つぶしになると良いが」
この数日、兄妹から何度もその街の話を聞かされていた。
巨大迷宮を中心に栄えた冒険者の聖地とも呼ばれる街。
それがラビリントスの興味を強く惹いていた。
「はい。大陸中から冒険者が集まる迷宮都市ファズオラです、きっとラビリントス様が求める強者がいるでしょう」
グレイが答える。
古くから存在する巨大迷宮を中心に栄えた街であり、多くの冒険者が一攫千金を夢見て集まってくる場所だ。
「ファズオラ……か」
ラビは楽しそうに笑う。
「他の迷宮を見るのも面白そうじゃの」
そう言って踵を返す。
その小さな背中を見送りながら、エリゼは胸の奥が締め付けられる思いだった。
(ラビちゃんが見た目通りの普通の女の子じゃないって分かってるけど……でも……あんな小さな女の子が一人で旅なんて)
超常の存在であることなど、もう頭から抜け落ちていた。
今のエリゼには、ラビリントスは世間知らずで放っておけない少女にしか見えない。
「お兄ちゃん!」
「へっ!?」
エリゼが勢いよく振り返ると、その真剣な眼差しにグレイは思わず呆けた声を出してしまう。
「お兄ちゃん、ヘビーレインさん! 私、やっぱり追いかける! 何か心配なの!ラビちゃんには、もっと世の中のこと、教えてあげなきゃいけない気がするの!」
「えっ、ちょっ、おいエリゼ!?」
止めようとするグレイをヘビーレインが手で制する。 エリゼはパンを詰め込んだカバンを抱えて走り出していた。
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エリゼがようやくラビリントスを見つけると、ラビリントスは何故かフラフラと街道をそれて小高い丘の上へと登っていた。
「はぁはぁはぁ、あれ?どうしたのラビちゃん? 道から逸れてるよ?」
「ふむ。 エリゼか。アレを見てみよ」
エリゼには一瞥もせずにラビが見つめる先には魔物と戦っている冒険者らしき姿が見える。
「あれって……モンスターに襲われているの!? 大変!助けを呼ばなきゃ!」
エリゼの視力では数人の冒険者らしき人影が数匹の獣らしき影と戦っているのがかろうじて分かる程の距離がある。
「いや、大丈夫だろう。 あの人間の方が上手じゃ。 ククッ、しかしこの間の賊共よりは面白そうな奴等じゃな……軽く試してみるとするか」
ラビリントスの言葉通り、冒険者達は獣型の魔獣の襲撃を切り抜けたようだった。
「さてさて、奴等は何を望むか……見果てぬ栄光か、尽きぬ欲望か……」
「えっ!? ちょっ、ちょっとラビちゃん? あんまり……悪い人とかじゃなければ助けてあげて欲しいなって……」
エリゼが冒険者達を庇おうとするが、その言葉はだんだんと尻すぼみになっていく。
「なぁに、案ずるな。 ククク、本当にただの小手調べよ。 迷宮構築……レベル1 」
ラビが手を翳し構図を測る。迸る魔力が冒険者達の周囲の地形を静かに変化させていく……
『愚望誉望祈試廃宮』
世界が軋んだ──
明るく穏やかだった森は、暗く不気味な森へと姿を変えていく。
岩肌には、それまで存在しなかった古びた石造りの入口が静かに姿を現した。
信仰を失い、永い時を忘れ去られた祠のような迷宮。
その闇の奥から、誰かを待ち続けていたかのような冷たい気配だけが、静かに溢れ出していた。




