第5話 金碧華廟牛頭迷宮 1
髭面の大男がエリゼへ向かって歩いてくる。
「やめてくれ! ここには金なんてない! 家にある物なら何でも持っていけばいい。だから妹には手を出すな!」
グレイの叫びを無視して男たちは家の中を荒らし始める。
棚を倒し、食器を床へ叩き落とし、僅かな家財まで片っ端から袋へ放り込んでいく。
「お願いやめて!」
エリゼが叫ぶ。
「それは大切な物なの!」
「知るかよ!」
男の一人がエリゼの腕を掴み下卑た笑みを近づける。
「しけた家だがコイツで愉しませてもらおうか」
「やだっ!離して!」
「やめろ!」
グレイが男へ飛び掛かる。
しかし──
「邪魔だ!」
鈍い音が響いた。
鈍色のナイフが容赦なくグレイの腹へめり込み、その身体が床を転がる。
「ガハッ!」
「いやぁ! グレイお兄ちゃん!」
グレイは血溜まりに沈み、小さく呻いている。その光景を他所にラビリントスは白いパンを頬張っている。
「…………」
迷宮とは平等である。強き者は生きて踏破し名声と財宝を得る。反対に弱き者は何も得ず、汚泥と屈辱の中で死ぬ。
悪人であろうと王であろうと同じ事。それが村娘であろうと変わらない。
それがラビリントスにとっての当たり前だった。
だから、弱者から全てを奪う強盗を見ても何も感じない。
神代から幾度となく見てきたことだ。力ある者が、力なき者を踏みにじる。
それだけのこと。
だが──
ラビリントスの脳裏に、先ほどの光景が蘇った。
倒れていた自分を抱き起こし、何の見返りも求めず、家へ運んでくれた。
そして──
温かなスープを食べさせてくれた。
何万年という時を生きてきたラビリントスだが、誰かに借りを作るという事は初めてだった。
黒髪の少女はパンを齧る手を止め、強盗達を見る。
「……お主ら」
小さなその一言は何故か明瞭に耳に届くと男たちが一斉に振り返る。
「あぁん? なんだ、このガキ?」
「おいおい……よく見りゃ、えらく綺麗な嬢ちゃんじゃねぇか」
男たちがラビリントスの座る食卓へと集まると視線が黒髪の少女を値踏みする。
「こいつも連れていくか?」
「売れば結構な金になるぜ」
ラビリントスは、しばらく黙って男たちを見つめていた。
そして、小さく首を傾げる。
「一つ、聞こう」
「あ?」
「何故、この者たちから奪い傷つける?」
男たちは顔を見合わせると吹き出して笑いはじめる。 やがて強盗のボス的な大男が答える。
「グハハハッ! 何故かって……」
食卓に拳を打ちつける。 ガタンッとラビリントスの前の食器が音を立てる。
「弱ぇからだよ。 お貴族様みてぇに護衛を雇う金もねぇ、抵抗する力もねぇ! そのくせチマチマと働いて質素な暮らしで満足する……俺はよぉ、そんな生活はごめんだぜぇ! だから弱ぇ奴から奪う! 真面目に働いてりゃあ幸せになれるなんて甘ぇ事言ってる奴らだから奪われんだよ!」
「そうそう。弱い奴が悪りぃんだよ」
「生きてぇなら強くなりゃいい」
強盗達が次々に勝手な言い分を述べる。
「なるほど……」
ラビリントスは静かに目を閉じた、確かにその理屈は理解できる。
弱者が死ぬ。
それは世界の理。
そして迷宮の理。
だから──
「……我は」
ラビリントスはゆっくりと目を開いた。
「この2人は我が庇護する事とする」
男たちは意味が分からないという顔をする。
「はぁ? コイツ何言ってやがる?」
「ハハハハハッ! 頭がイカれちまったんじゃねーのか」
少女の口元が、ゆっくりと吊り上がった。
それは人間の少女が浮かべるには、あまりにも禍々しい笑みだった。
「故に──」
少女が両手を顔の前に持ち構図を図る様に指で四角を作る。
「兄妹を傷付けたお主らには試練を与える」
瞬間──
空間が軋んだ。
激しい騒音と共に家の壁に無数の亀裂が走り、床が大きく揺れる。
「な、何だ……!?」
「地震か!?」
男たちが慌てて辺りを見回す。
ラビリントスは笑った。
「弱き者は死に、強き者は栄光を掴む。お主らもその摂理に従うがよい」
七色の魔力が少女の身体から溢れ出す。
空間そのものが歪んだ。
「──迷宮構築」
世界が反転した。
木造の家が一瞬にして消え去る。
壁が黄金へ変わり、床は磨き上げられた大理石へと変貌する。
天井には巨大なシャンデリアが幾つも浮かび、壁一面には宝石が埋め込まれていた。
目の前に広がったのは――
黄金に彩られた巨大な宮殿。
「な、なんだここは!?」
「幻術か!?」
男たちは慌てふためき狼狽する。
先程までいたはずの兄妹も黒髪の少女もいない。
『歓迎しよう』
どこからともなく、ラビリントスの声が響いた。
『欲深き盗人どもよ』
「ひっ……!」
目の前で起こる異常な事態に小心者の強盗が悲鳴を上げる。
『ここは我が造りし迷宮。レベル5──金碧華廟牛頭迷宮』
男たちの目の前で、巨大な黄金の宝箱がゆっくりと開いた。
ゴゴゴゴゴ……
中から溢れ出したのは、黄金だった。
金貨、宝石、宝飾品、魔法の武具……
見たこともないほど豪華な財宝の数々。
床一面を埋め尽くすほどの黄金が、洪水のように溢れ出してくる。
「…………」
男たちは言葉を失った。
さっきまでの恐怖すら忘れている。
「す、すげぇ……」
「全部……金か?」
一人の男が震える手で金貨を拾い上げる。
歯で噛み、その硬さを確かめる。
「本物だ……」
その声は震えていた。
「ほ、本物の金だぞ!」
その一言を合図に、男たちが一斉に財宝へ飛び込んだ。
「おい! 袋を持ってこい!」
「宝石だ! こんなデカい宝石見たことねぇ!」
「この剣は俺のもんだ!」
「王冠まであるぞ!」
我先にと金貨を袋へ詰め込み、宝石を懐へ押し込み、首飾りを首へ巻き付ける。
先ほどまで異常事態に恐れを抱いていたことなど、すっかり忘れていた。
その様子を、ラビリントスは水晶球越しに眺めていた。
豪奢な玉座へ腰掛け、頬杖をついている。
「これは……どうなっているの?」
エリゼがラビリントスの隣でキョロキョロと辺りを見回している。
「ここは……?」
グレイが立ち上がると刺されたはずの腹部の傷は綺麗になくなっていた。
「お兄ちゃん! 大丈夫なの?」
「あ、ああ。俺もよく分からないけど……」
「其奴には神酒を与えてある。もう平気じゃろう。 そんな事よりお主らもこっちへ来て一緒に迷宮観戦でもせぬか」
「神酒? 迷宮観戦?」
エリゼが事態について行けずラビリントスの言葉を反芻するだけになっている。
「迷宮とは、挑戦者の本性が最もよく現れる場所じゃ」
「本性……」
グレイが水晶に映る財宝を見て喉を鳴らす。
「勇気、知恵、恐怖、希望……そして欲望」
水晶球の中では、男たちが我先にと財宝を奪い合っている。
「迷宮の試練とは、ただ強者を倒すだけではない」
ラビリントスの瞳が細くなる。
「知恵を使い攻略をし、己の欲望に打ち勝つ事も試練なのじゃ」
ゴォォン――
重々しい鐘の音が迷宮全体へと響き渡った。
男たちの動きが止まる。
どこからともなく、ラビリントスの声が響いてくる。
『五分が経過した、これより試練を開始する。出口へ辿り着けば、持ち出した財宝はすべて貴様らのものじゃ』
男たちは互いに顔を見合わせ喜色を浮かべる。
『ただし――』
ラビリントスは愉快そうに笑った。
『クククッ宝の番人から逃げ切れれば、の話じゃがな』
「……!」
『逃げ切れば財宝はすべて貴様らのもの。だが、捕まれば――』
少女の笑い声が迷宮へ響く。
『ゲームオーバーじゃ』
その瞬間。
黄金の大広間の奥にある巨大な扉が、ゆっくりと開き始めた。
ギギギギギ……
「な、なんだ……?」
「なか来るぞ……」
「お前ら武器を構えろ!」
男たちが慌てて武器を手にして臨戦態勢をとると誰も扉から目を離さない。
やがて――
暗闇の向こうから、一つの巨大な影が姿を現した。
ドン。
大地が揺れる。
ドン。
また一歩。
床に敷き詰められた金貨が跳ねる。
そして、その姿が光の中へ現れた瞬間、男たちの顔から血の気が失われた。
全身を隆々とした筋肉で覆い、三メートルを優に超える巨躯。
金色に耀く牛頭人身の化け物。
二本の角が天井へ向かって伸び、黄金色の瞳が、五人の男たちを静かに見据えていた。
右手に握られているのは、人間の身体など一撃で叩き潰せそうな巨大な戦斧。
ミノタウロス。
神話の時代よりラビリントスの迷宮を守護し続けてきた、金碧華廟牛頭迷宮の番人。
『紹介しよう』
ラビリントスの声が響く。
『黄金を守護する番人──ゴールデン・ミノタウロスじゃ』
男たちは震えながら武器を構える。
『貴様らの勝利条件は至極単純。この迷宮から逃げ延び、出口へ辿り着くこと。そして番人の目的もまた単純』
ラビリントスの声が楽しげに弾む。
『盗人を、一人残らず殺すことじゃ』
「……ふ、ふざけんな!そんなの聞いてねーぞ!」
一人の男が叫ぶ。
「おい!デケーがたかが魔物一匹だ!」
「そうだ! こっちは五人もいるんだ!」
「囲んで殺せ!」
強盗、盗賊の輩とはいえ、荒事になれた5人の男達だ。 それなりに修羅場も潜ってきている。 いくらデカい化け物といえど1体しかいない。
5人でかかれば倒せないことはないだろう……
五人が一斉にミノタウロスへ飛び掛かった。
剣が振り下ろされる。
槍が突き出される。
斧が唸りを上げる。
しかし──ミノタウロスは避けなかった。
剣が金色の筋肉へ触れた瞬間。
ガキィンッ!
甲高い音が響き、刃が砕け散った。
「は……?」
男から間抜けな声が漏れる。
次の瞬間、ミノタウロスが戦斧を振り上げた。
速くはない。
誰の目にも見えるほど、ゆっくりとした一撃だった。
それでも──
誰も動けなかった。根源的な恐怖が身体を縫い付ける。そして……
ズドォォォンッ!!
大地を割るような轟音が響いた。
1人の男の姿が消える。
いや、消えたのではない。巨大な戦斧によって床へ叩き潰され、その身体が原形を留めぬほど破壊されていた。
「…………」
静寂。
残った四人は、ただ呆然とその光景を見つめていた。
ミノタウロスは何事もなかったかのように戦斧を肩へ担ぐ。
そして、ぐるりと他の4人へ向き直ると、金色の瞳が男達を見る。 まるで次なる獲物を見定めるかのように。
「ひっ……」
「く、来るな……!」
「に、逃げろぉぉぉ!」
男たちは我先にと逃げ出した。
迷宮の回廊を走る。
金貨を蹴飛ばし、宝石を踏みつけ、先ほどまで奪い集めていた財宝すら捨てて走る。
だが──
逃げ場などない。
ここはラビリントスが作り出した迷宮なのだから。
水晶球の向こうで、その様子を眺めながらラビリントスは満足そうに目を細めていた。
「うむ……」
「あの……もう許してあげても……」
先程、理不尽に襲撃されたとは到底思えない言葉がエリゼから漏れた。
「何を言う」
しかしラビリントスはかぶりを振ると口元がゆっくりと吊り上がる。
「まだ始まったばかりではないか」
その漆黒の瞳には、久しく忘れていた愉悦が宿っていた。
迷宮とは、挑戦者がいて初めて完成するのだから──




