第25話 グラディアス
ガイアス達は慎重に、けれど迅速にスラム街ダンジョンの探索を進めていた。
今にも潰れそうな廃屋が建ち並び、舗装のされていない道はところどころが泥濘んでいる。
全体的に霞がかかったような視界はそこに生活する者達の気配を感じさせない。
下水なのか生ゴミなのか、とにかく不快な匂いの充満するダンジョンだった。
ガイアス率いる白金級パーティ【グラディアス】は、五人全員が前衛という非常に尖った編成をしている。
もっとも、全員が同じ役割を担っているわけではない。
フルプレートメイルに金属製のバックラーを装備し、メイスやブロードソードを振るう重戦士が二名、その中央を鎖帷子とツヴァイハンダーで固めた剣闘士のガイアスが進み、左右にはククリと呼ばれるくの字型の独特な内反り刃を持った軽装の戦士と、短槍とクロスボウを使い分ける遊撃槍手が続いている。
五人という少人数ながら、それぞれの得意分野を明確に分けることで、彼らはこれまで数多くの危険な依頼を乗り越えてきた。
全員が少ないながらも補助魔法を習得しており、状況に応じて身体能力の強化や簡単な支援を行うこともできる。ヒーラーこそいないものの、負傷についてはポーションなどのアイテムで対処するというのが彼らのやり方だった。
そのため、全員がマジックバッグを所持しており、必要となる物資はそれぞれ十分に持ち込んでいる。
そもそも、回復魔法を使えるヒーラーは冒険者にはなりにくい。治癒術師の多くは教会や治療院に所属し、怪我人や病人を相手にしているだけでも仕事には事欠かない。わざわざ命の危険を冒してまで迷宮へ潜る必要などないのだ。
もちろん、中には冒険者として活動する回復術師もいるが、そうした者達には大抵、何かしらの事情があり冒険者達の間で【訳アリ】と呼ばれる者達である。
そして、【グラディアス】のメンバーは少し開けた広場のような場所で1匹の異形のモンスターを囲んでいた。
「ガイアスの兄貴、やっぱりこいつぁ……」
ガイアスの弟分である遊撃槍手のシラルドが、目の前に横たわる異形を見つめながら顔を顰めた。
シラルドが手にしているのはポーションであり、それを振りかけている相手は、人間の頭部がそのまま子牛の身体に取り付けられたような奇妙なモンスターだった。
シラルドはモンスターにつけた斬り傷にポーションをかけると、抉られた肉がゆっくりと塞がっていく。苦痛に歪んでいた人間の顔も多少はマシになったように見えるものの、両目は抉り取られたように真っ黒な眼窩となっており、そもそもその表情から何を感じ取ればいいのかシラルドには分からない。
ただ一つ分かるのは、その異形が生きている生物ということだった。
傷が塞がっていく間も、化け物は彼らを襲おうとはせず、ただ苦しそうに身体を震わせながら、息も切れ切れに「ゼッ、ゼッ……ボッ……」と何事かを呟いている。
「切り傷が回復している……」
ガイアスが低く呟いた。
これまでにも何度か、この異形達に対して同じことを試している。特に襲ってくる様子のないモンスターを捕まえ、ナイフで浅い切り傷をつけ、その傷口へポーションを使う。すると、確かに傷は回復した。
そもそも、ガイアスがそんな確認をしているのには理由があった。
このダンジョンについて最初に聞いたとき、彼はここにいる異形のモンスター達をアンデッドだと想像していたのだ。
人間の頭と動物の身体が一つに繋がっている。普通に考えれば、そんな生物が生きているはずがない。ならば死体を繋ぎ合わせ、何らかの術によってアンデッドとして使役しているのだろう。そう考えるのは、それほど不自然なことではなかった。
そして、もしそれが正しいのであれば、必然的にこのダンジョンの奥にいるボスの正体もある程度は想像できる。
死体を加工し、異形のアンデッドを作り出し、それを使役するだけの知識と魔力を持った存在。
それだけの条件が揃えば、候補はかなり絞られていた。
だが――今、その前提が崩れようとしていた。
「こりゃあ、もしかしたらボスはリッチじゃあねぇかも知れねぇな……」
ポーションによって塞がっていく傷を眺めながら、ガイアスはぼそりと呟いた。
「ポーションで傷が治るって事はだ……コイツらはアンデッドじゃあねぇって事になっちまう。可笑しな話しだが、この異常な化け物は死体を繋ぎ合わせたんじゃねぇ……生きたまま繋ぎ合わせてやがる……」
「そ、そんな事可能なんですか?」
シラルドの問いに、ガイアスはすぐには答えなかった。
「俺は医者でも治癒師でもねぇから詳しくはわからねぇが……まぁ、普通じゃねーだろうよ」
言葉にしてみれば、それだけの話だった。
だが、その意味を考えれば考えるほど、ガイアスの胸の奥に嫌なものが溜まっていく。
普通じゃない。
そんな言葉では到底足りない。
人間の頭部だけを生きたまま別の生物へ縫い付けるなど、まともな感覚を持った人間が考える行為ではない。そもそも、そんなことが可能なのかすら分からない。それでも目の前に存在している以上、誰かが実際にそれをやったのだ。
ならば、それを行った者は何者なのか。
ガイアスは無意識のうちに奥歯を強く噛み締めた。
リッチか?
しかし、アンデッドのリッチがわざわざこんなことをする必要があるのか。死体を操ることだけでも十分に強大な存在が、何の意味もないように見える生体融合を行う理由などあるのか。
――いや。
必要がないからこそ、やる者もいる。
目的のためではなく、ただ自分が面白いと思ったから。あるいは、他者の苦痛や恐怖そのものを愉悦として楽しむような存在ならば。
そう考えれば、リッチであっても不思議ではないのかもしれない。
「ちっ! まぁなんにせよ、この奥にいるのはとびきりのヤベエ奴だ。一旦仕切り直すか?」
ガイアスがそう言って仲間達へ撤退を提案した、そのときだった。
――コツ、コツ。
静まり返った通路の奥から、足音が聞こえてきた。
「なんだ? 人? 子供だ。何故こんな所に……」
重戦士の声に、五人の視線が一斉に通路の奥へ向けられる。
そこから歩いてきたのは、十二、三歳ほどに見える少女だった。
闇夜そのものを思わせる漆黒の髪に、つばの広い帽子を被っている。身に纏っているのは薄いレースをあしらったドレスで、それもまた髪や帽子と同じ黒で黒いエナメルのメリージェーンを履いている。
全身を黒で統一しているために、露出した白い素肌が余計に目立ち、その病的なまでの白さが少女の存在を現実から浮き上がらせているようにも見えた。
この場所にはあまりにも不釣り合いだった。
スラム街が変質して生まれたダンジョン。異形のモンスターが徘徊し、何が潜んでいるのかすら分からない場所に、まるで夏の館へ遊びに来た貴族令嬢のような少女が一人で歩いている。
「ほぅ。何をしているかと思えば……」
少女はガイアス達を一瞥すると、漆黒の瞳を細めた。
整った顔立ちが、口元だけニヤリと歪む。
その表情だけを見れば、庭先で綺麗な花でも見つけた少女のような、どこか無邪気な微笑みにも見えた。
だからこそ、不気味だった。
この場所には似合わない。
似合わないどころか、その違和感があまりにも大きすぎて、ガイアスには少女そのものがこのダンジョンの異常性を体現しているようにさえ感じられた。
背筋を冷たいものが這い上がる。
それでも、ガイアスは声をかけた。もしかしたら迷い込んだ、ただの子供かも知れないからだ。
「お、おいお嬢ちゃん。なんでこんな場所にいるんだ? 1人か?」
少女はガイアスの問いには答えなかった。
その視線は彼らではなく、五人に囲まれるような位置で蹲っている異形へと向けられている。
「ふむ、面白いな……たしか辺境の国にそれと似たようなモンスターがいると聞いた気がする」
少女はそう呟きながら、興味深そうに異形を眺めていた。
「確か……名はクダンとかいったか。しかし、同じ牛でもミノタウロスとは随分と趣きが違うものじゃな」
クダン。
その名を聞いて、ガイアスは僅かに眉を動かした。
少女はこの異形を知っているのだろうか。
それだけではない。
まるで珍しい動物でも観察するかのように、恐怖することもなくその姿を眺めている。
「おい! お前はなんだ! 質問に答えろ!」
ガイアスが答えを求めるより早く、シラルドがクロスボウを構えて怒鳴った。
それは警戒の表れだった。
目の前にいるのが普通の少女なら、こんな場所で一人きりになっている時点で助けるべき相手なのだろう。だが、ここは普通の場所ではない。そして少女もまた、普通ではない。
これほど悍ましい異形の化け物を目の前にして悲鳴一つ上げるどころか、興味深そうに眺めている。
その事実が、シラルドに潜在的な恐怖を抱かせていたのかもしれない。
「うん? 我はラビリントスじゃ。それよりも……良いのか? 確かクダンは吉凶を予言し、その後に死ぬ魔物と言われておるぞ。そやつは何か言ってなかったか?」
自らをラビリントスと名乗った少女が指を向ける。
その先にいるクダンと呼ばれたモンスターは、先ほどまでただ蹲って怯えていただけだった。
黒い少女に目を奪われていたガイアス達は後ろを振り返ると……
表情の抜け落ちた人間の顔をガイアス達へ向け黒く抉れた眼窩の奥から何かを見つめるように、静かに立ち上がっていた。
「ひぃっ!」
「わぁっ!?」
あまりにも不気味な動きに、思わず小さな悲鳴を漏らす者がいた。
「コ、コイツ! ビビらせやがって!」
シラルドが吐き捨てる。
とはいえ、ここまでの探索で、彼らの異形に対する恐怖は少しずつ薄れていた。
姿こそ醜悪で悍ましいものの、これまで遭遇した異形達は一度も彼らを襲ってこなかった。こちらから攻撃を仕掛けなければ何もしてこない。ならば、少なくとも今すぐ命を奪われるような相手ではない。
そう、思い始めていた。
だからこそ――次に起きたことは、彼らにとって完全な不意打ちだった。
「ゼッ……ゼッ……ボッ……ゼツボウ……ガ、ヤッテクル…………ギャハッ……ギャハハハハハハハハッ!!」
突然、クダンが声を発したのだ。
そして、クダンは狂ったように笑い始めた。
その凶笑は異様なほど大きく、狭い通路の中で何度も反響し、耳を塞いでも頭の奥まで入り込んでくるようだった。
「なっ!? うるせぇ!」
「コイツ急に笑い出しやがった!!」
ガツン!
鈍い音が響いた。
重戦士のメイスがクダンの頭部へ叩き込まれ、人間の頭部が大きく歪む。その衝撃で首はあり得ない方向へ折れ曲がり、巨体が地面へ崩れ落ちた。
「ちぃ! 何か分からんがヤバい気がするぞ!! 急いで撤退する!」
ガイアスの判断は早かった。
理由など考えている暇はない。
何かがおかしい。
何が起こるのかは分からない。それでも、ここに留まるべきではないという直感だけは、はっきりと告げていた。
その判断を聞いた瞬間、【グラディアス】の五人は一斉に踵を返した。
誰もガイアスの判断に異を唱えない。
何があろうとも、ガイアスが即時撤退を指示したのなら、取るものも取らずに一目散に逃げる。それが【グラディアス】というパーティーのやり方だった。
これまでにも、ガイアスの判断によって何度も危機を救われている。だからこそ、彼らにとってリーダーの判断は絶対だった。迷う時間そのものが命取りになる場所で、ガイアスが逃げろと言ったのなら、それは逃げるべき時なのだ。
仲間達が走り出す中、ガイアスもその後を追おうとした。
その直前――ほんの一瞬だけ、彼は振り返った。
そこには少女が立っていた。
黒いドレスを纏い、つばの広い帽子を被った少女――ラビリントスと名乗った少女。
彼女は追ってくるでもなく、何かを叫ぶでもなく、ただその場に立っている。
そして、口元には先ほどと変わらぬ笑みが貼り付けられていた。




