第24話 囁く雨
「……主様、1人確保完了致しました。続いて…….もう1人も確保致します」
雨音に紛れてしまいそうなほど小さな声だった。
ウィスパーレインは誰もいない空間へ向かって、独り言のようにそう告げていた。しかし、その言葉が単なる独り言ではないことを、物陰から息を殺して様子を窺っていたルミアは理解していた。
長距離念話による通信。
長距離通信を可能にする魔導具は確かに存在する。しかし、かなり高額であり王族や大貴族ぐらいしか所有していないような代物だ。
代わりに近距離通信する魔導具であればそれなりには流通していたりする。それでも一般市民などには手の届かないものだが。
囁くような声は上手く拾えないが。ルミアはメイドが誰かに向けて、何かを報告しているのだと考えた、そして、それはエドガーの事ではないかと……
エドガーが術者を探しに向かった後、ルミアは【魔炎探知】を使って周囲の魔力を探っていた。そして、その途中で再びウィスパーレインを発見した。
先ほどまでの戦闘では気づかなかった。
あのメイドが、異常なほど強大な魔力を秘めていることに。
だからこそ、ルミアは咄嗟に物陰へ身を隠した。
今の自分が正面から戦って勝てる相手ではない。
魔術師として長年鍛え上げてきた勘が、理屈よりも先にそう告げていた。
やがてウィスパーレインは通信を終えると、何事もなかったかのように歩き始めた。ルミアは一定の距離を保ちながら、その後を追った。
そして辿り着いた先で、エドガーを見つけた。
エドガーは地面に何度も灼炎剣を突き立てていた。 壊れたおもちゃの様に……そして、その柄を握ったまま肩を揺らして笑っていた。
先ほどまでとは明らかに様子が違う。
「ククク……あはははは……」
その笑い声を聞いた瞬間、ルミアの背筋に冷たいものが走った。
だが、それ以上に恐ろしかったのは、その直後だった。
「……あら?」
いつの間にか、ウィスパーレインの水色の瞳がこちらを向いていた。
ルミアは息を呑む。
見つかった──
そう思った時には、既にウィスパーレインはルミアの隠れている場所へ向かって歩き始めていた。
逃げるべきだ──頭では分かっている。
けれど……足が動かなかった。
やがてウィスパーレインが目の前まで来ると、長い前髪に隠れていた片目が僅かに細められた。
「あら? 【囁く雨】の精神干渉が解けて……いる?」
小さく呟きながら、指先を口元へ添える。
そして、幼い子供が不思議なものを見つけた時のように、こてん、と首を傾げた。
「な、何なのよアンタ……エドに何をしたの!?」
恐怖を押し殺しながら、ルミアが問い詰める。
エドガーとルミアは基本的に同じような装備を身につけている。ただし、一つだけ大きく異なるものがあった。
補助としてエドガーが身につけているのは、魔素を吸収して魔力の回復速度を高める【魔素吸収のタリスマン】。
対してルミアが身につけているのは、30日に一度だけ使用者の状態異常を全て解除する『オールリカバリー』の効果を使える【世界樹の恩寵のアミュレット】だった。
豪華な装飾が施されたチョーカー型のアミュレットは、ヴァルクリス家に代々伝わる家宝である。
その希少性は、エドガーのタリスマンとは比較にならない。
ただ、女性的なデザインを嫌ったエドガーが身につけることを拒んだため、現在はルミアが使用しており、幻聴が酷くなってきた辺りで『オールリカバリー』を使用していたのだ。
「そのアイテムのおかげ……かしら」
ウィスパーレインはそう言うと、ルミアの首元へ視線を向けた。
その声音には驚きも焦りもない。
まるで、答え合わせをしているだけのようだった。
「……っ」
ルミアは無意識にアミュレットへ手を添える。
相手が何者なのかは分からない。
ただ、一つだけ分かることがある。
この女は危険だ。
「いいわ。燃やしてあげますわ!」
恐怖を振り払うように叫ぶと、ルミアの右手から青い炎が噴き上がった。
それは普通の炎ではない。
青く煌めく炎こそ、彼女が【煌炎】と呼ばれる所以だった。
炎による攻撃に特化したエドガーの【灼炎】に対して、ルミアは炎を補助的に扱いながら、独自に構築した魔術理論によって極限まで温度を高めることに成功している。
その青い炎は、瞬間的な火力だけならエドガーをも上回る。
しかし、魔力消費があまりにも激しい。
だからこそ、ルミアはこれまで切り札として温存していた。
「いくら化け物でも、鉄をも溶かす数千℃の炎に焼かれれば骨も残らないわよ!」
ルミアは右手を突き出した。
「蒼焔!」
放たれた青い炎が、一直線にウィスパーレインへと襲いかかる。
数千℃にも達する熱量を持った炎が周囲の雨さえ蒸発させながら迫る。
まともに受ければ、どれほど頑丈な生物であろうと無事では済まない。
そう、ルミアは確信していた。
だが――
ウィスパーレインは、手にしていた黒い傘を静かに開いた。
次の瞬間、青い炎が傘へと激突する。
「……え?」
炎が防がれた
黒い傘は青い炎に包まれているというのに、燃えるどころか焦げ跡一つついていない。
「う、嘘でしょ……」
ルミアの顔から血の気が引いていく。
「な、何なのよ、その傘……!」
問いかけに答えることなく、ウィスパーレインは傘を閉じた。
そして次の瞬間には、既にルミアの懐へと踏み込んでいる。
「ッ!」
閉じた傘が横薙ぎに振り抜かれた。
咄嗟に身体を投げ出したルミアの髪を傘の先端が掠め、そのまま背後の廃屋へと突き刺さる。
轟音とともに壁が崩れ落ちた。
「な、何なのよコイツ……」
ルミアは泥水の中へ尻餅をつき、必死に後退する。
雨に濡れたドレスが泥で汚れていくことすら、今は気にならなかった。
「本当に……化け物じゃない……」
目の前にいるのは、どう見ても人間ではない。
そう思ってしまうほどの力だった。
「冗談じゃないわ……」
震える手を地面につき、ルミアは何とか立ち上がる。
「こんな所で……死んでられないのよ……!」
ヴァルクリス家。
魔術の大家として知られる伯爵家に生まれた、稀代の天才魔術師。
それがエドガーとルミア、二人の人生だった。
幼い頃から二人は、常人には到底耐えられないほどの厳しい英才教育を受けてきた。魔術の知識を叩き込まれ、才能を伸ばすことだけを求められ、失敗すれば叱責され、努力しても次を求められる。
兄と妹、双子であり互いだけが同じ苦しみを理解できる存在だった。
だからこそ、二人は支え合ってきた。
学院を卒業し、冒険者となってからもそうだった。
ようやく家の束縛から逃れ、自分たちの意思で生きられるようになったのだ。
「やっと……やっとエドと自由を手に入れたのに!」
ルミアの瞳に涙が浮かぶ。
「こんな所で死ねないのっ!」
残された魔力、その全てを注ぎ込む。
周囲の雨を蒸発させながら、ルミアの身体から凄まじい量の蒼い炎が噴き上がった。
「これは……危なすぎるから禁術にしてたのよ」
炎が巨大な龍の形を取り始める。
「アンタが……アンタが悪いんだからね!」
蒼い炎が咆哮する。
「禁術・蒼葬――煌炎龍!!」
ルミアの手を離れた蒼炎の龍は、荒ぶる龍神のように身をくねらせながらウィスパーレインへと襲いかかった。
その巨体が通りを覆い、周囲を蒼い炎で照らし出す。
これが自分の全て。
これまで積み重ねてきた魔術の知識と、魔術師としての誇り、その全てを込めた一撃だった。
これならば。
これならば、いくらあの化け物でも――
「……虚瀑壁」
ウィスパーレインが、ぽつりと呟いた。そして傘の先端で、地面を軽く叩く。
直後、ウィスパーレインの前方だけに、まるで空から巨大な滝が落ちてきたかのような激しい雨が降り始めた。
視界を完全に遮るほどの水の壁。
蒼い炎龍が、その水壁へ真正面から突っ込んだ。
凄まじい衝撃音が響き渡り、辺り一面を白い水蒸気が覆い尽くす。
数千℃にも達する炎と大量の水。
一瞬で決着がつくはずだった。
だが、炎は水流を突き破れなかった。
滝のように流れ続ける水によって熱を奪われ、炎の勢いが急速に失われていく。
やがて蒼い炎龍はその姿を保てなくなり、無数の火の粉となって消えていった。
「…………」
ルミアは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「……は?」
理解できない。
理解したくない。
「私の……煌炎龍が……」
身体から力が抜けた。
全魔力を使い果たしたルミアは、その場にぺたんと座り込む。
泥水がドレスを汚していく。
けれど、もうそんなことを気にする余裕などなかった。
――【煌炎】。
そんな二つ名を与えられて、いい気になっていた。
周囲の人間は、自分の炎を綺麗だと褒めてくれた。
けれど、ルミア自身はその二つ名が嫌いだった。
煌めく炎。
それは一瞬だけ美しく輝き、そして消えてしまうもの……まるで、自分自身のようだった。
だからこそ、エドガーを超えたかった。
一瞬でもいい。
その瞬間だけは、兄よりも強い魔術師になりたかった。
その願いを形にしたのが、禁術・蒼葬、煌炎龍だった。
それなのに……
「うふふ……」
ルミアの口から、乾いた笑いが漏れる。
「あははは……」
もう何も考えられなかった。
「これは……きっと夢ね……」
雨に濡れた空を見上げながら、ルミアは虚ろな瞳で笑い続ける。
「うふふふ……」
その背後に、ウィスパーレインが静かに立っていた。
「……主様、もう1人も……確保いたしました」
囁くような声が、雨音の向こうから聞こえてくる。
しかし、ルミアにはもう、その声さえ届いていなかった。
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
ウィスパーレイン
能力:【囁く雨】強力な精神干渉効果のある雨を降らす。
雨に触れると幻覚、幻聴が聞こえ、自分に都合の良い世界から帰って来れなくなる。
ヘビーレインの妹




