第23話 プロミネンス
スラム街の一角では、別の探索者たちが異形の化け物を相手にしていた。
「あははは! なんだこの雑魚ども。本当に逃げ惑うばかりで、まるで襲ってこないじゃないか!」
高笑いを響かせながら、エドガー・ヴァルクリスが杖を振るう。その先端から放たれた炎が、路地を逃げ惑う異形の群れへと飛び込んでいった。
炎に包まれたのは、狼のような四肢を持つもの、牛に似た身体を持つもの、豚のように肥えた胴体を持つものなど、それぞれ異なる動物の身体を無理やり繋ぎ合わせ、その上に人間の頭部を縫い付けたような異形の怪物たちだった。
その姿だけでも十分に悍ましく炎に焼かれているのに、彼らは反撃することすらない。ただ虚ろな瞳を歪ませ、苦しそうに身をよじりながら逃げようとするだけだった。
それを見てエドガーは、まるで子供がおもちゃで遊んでいるかのように楽しそうに笑っている。
「エド、焼けた匂いが臭いですわ。何でもかんでも燃やすのはやめてくださる?」
隣で鼻をつまみながらルミアが言う。
「確かに臭いな……牛や豚なら焼いたら美味そうな匂いがするのに、なんでコイツらはこんなにクセーんだ?」
「知らないわよ。それより不快だわ」
「だってよ。おいお前たち、その燃えカスを端に寄せてこい」
エドガーが顎をしゃくると、後ろに控えていた奴隷の一人が無言で前へ出た。
屈強な成人男性だった。粗末ではあるものの最低限の防具を身につけ、武器も携えている。しかし、その顔には生気がなく、エドガーの命令に逆らおうという意思など微塵も感じられない。
「はい」
奴隷は焼け焦げた怪物の死体へ近づくと、それを引きずって路地の端へ運ぶ。
基本的にエドガーとルミアは、奴隷達の後ろを歩いていく。
二人が前に出ることはない。
何故なら、前を歩く奴隷たちは彼らにとって単なる盾に過ぎないからだ。もしも突然、物陰から敵が飛び出してきたとしても、最初に狙われるのは奴隷たちだろう。床に罠が仕掛けられていたとしても、踏むのは奴隷たちだ。そうなれば、自分たちが危険に晒されることはない。
ファズオラでは奴隷そのものが禁止されているわけではなく、大々的にというわけではないものの、奴隷商人による売買も普通に行われている。
奴隷になった者を主人に従わせるための隷属魔法のようなものは存在しないが、奴隷となった際に刻まれる奴隷紋には、主人が魔力を流すことで強烈な苦痛を与える性質がある。命を奪うことこそないものの、全身を引き裂かれるような激痛に襲われれば、何度もそれを経験した者が主人に逆らおうなどとは考えなくなる。
そして、エドガーたちに従う奴隷たちも例外ではなかった。
屈強な身体を持つ彼らも、心までは鍛えられているわけではない。むしろ、これまで何度も奴隷紋による苦痛を与えられ、逆らう気力そのものを失っていた。
ガサッ……ガサッ……
その時、近くの廃屋から何かを引きずるような音が聞こえてきた。
スラム街の廃屋はどれも似たような有様だった。崩れかけた壁に、穴の空いた屋根。そこが本当に長い間使われていなかった場所なのか、それともつい最近まで誰かが住んでいた場所なのか、それすら判断できない。
そんな建物の陰から、何かが這い出してきた。
「なんだ、あれ?」
「……ッ。気持ち悪いですわ」
二人の目の前に現れたのは、これまでの怪物とはまた違った異形だった。
人間の頭と胴体だけを持ち、腰から下が存在しない。その代わりに、左右から三本ずつ、合計六本の腕が生えている。
いや、生えているという表現すら正しくない。
長さも太さもばらばらな六本の腕が、まるで別々の人間から切り取ってきたものを無理やり縫い合わせたかのように胴体へ繋がっている。その繋ぎ目には皮膚を縫い合わせたような跡まで残っていた。
六本の腕を器用に動かしながら、それは蜘蛛のように地面を這ってくる。
やがて一体、また一体と廃屋の陰から姿を現し、全部で四体ほどがエドガーたちの前に並んだ。
どの顔にも眼球はなく、抉り取られたような眼窩からは黒い涙が流れている。そして、こちらを見つめるかのように顔を歪めると、耳まで裂けた口から鋭い牙を覗かせた。
「ちっ、気持ち悪いし数も多いな……おいお前たち、あの化け物を抑えてろ! まとめて焼き払ってやる!」
「ひっ……む、無理です!」
「あんな化け物を抑えるなんて、出来ません!」
奴隷たちが怯えた声を上げる。
「ちっ、出来るかじゃねぇ。やるんだよ、クズ」
エドガーの声が低くなった。
それと同時に、彼の身体から魔力が放たれる。
「あっ……いぎゃぁぁぁぁっ!」
「す、すみません! やります、やりますから!」
奴隷たちが胸を押さえて地面へ膝をついた。奴隷紋を通して送り込まれた魔力が、彼らの身体を激痛で支配しているのだ。
苦痛から逃れるためには、主人の命令に従うしかない。
「ほら、行け」
二人の奴隷が震える足で立ち上がり、人頭蜘蛛へ向かっていく。
異形の方も、今度は逃げることなく彼らへと向かってきた。
六本の腕を地面に叩きつけながら、見た目からは想像もできないほど素早く這い寄ってくる。その速度に奴隷たちが怯えながらも足を止めなかったのは、背後にいるエドガーの存在があるからだった。
「ひぃぃ……気持ち悪っ!」
「う、うわぁぁっ!」
人頭蜘蛛が二人へ飛びかかる。
鋭い牙が鉄製の軽鎧の隙間へ食い込み、関節部分へ突き刺さった。次の瞬間、肉が引きちぎられる嫌な音が路地へ響く。
「ああっ! いだっ、いだいっ!」
「離れろ! こいつ……!」
奴隷たちが必死に抵抗するが、人頭蜘蛛は離れようとしない。
その様子を眺めながら、エドガーは杖を掲げた。
「灼炎よ、起こり、渦を描け……昇華せよ!」
集められた魔力が一気に膨れ上がる。
「灼炎旋風!!」
轟音とともに高熱の炎が渦を巻き、奴隷もろとも人頭蜘蛛たちを包み込んだ。
「ああぁぁぁぁっ! あ゛あ゛っ! あ゛づい! 助けっ……!」
炎の竜巻が路地を駆け抜ける。
やがて回転する炎の勢いが弱まり、最後には何事もなかったかのように消え去った。
その場に残されたのは、黒く焼け焦げた人間と怪物の死体だけだった。
「エド……また奴隷を潰したわ」
ルミアが死体へ視線を向けながら、呆れたように呟く。
「ルー。だってしょうがないだろ? あんな化け物、俺だって近づきたくないし」
「それは……そうなのだけれど」
ルミアは咎めるような視線をエドガーへ向けたものの、彼はまったく悪びれた様子を見せない。
「……はぁ。もういいわ。さっさとボスを倒して帰りましょう」
そう言ってルミアは、右手に持ったワンドを掲げた。
先端には大きな宝玉が埋め込まれている。そこから生まれた明るい橙色の炎がゆらゆらと揺れ始めると、その炎は風もないというのに一定の方向へ引っ張られるように形を変えていった。
ルミアが使う魔術――【魔炎探知】。
魔力や魔素の濃度が高い方向を炎の揺らめきによって示す探知魔法である。
「こっちね。明らかに反応が強いわ、なかなか強いボスかもしれないわね」
「へぇ。そうだといいんだけどな」
エドガーは楽しそうに笑った。
「もう雑魚はつまらないからさ」
二人は焼け焦げた死体を振り返ることもなく、そのまま路地の奥へと進んでいった。
しばらく歩いたところで、ぽつり、とエドガーの頬に水滴が落ちた。
「ん?」
空を見上げる。
また一滴。
そして、二滴、三滴と続き、やがて雨粒が次々と降り始めた。
「雨? 嫌だわ。傘なんて持ってきてないわよ」
ルミアが眉を寄せる。
彼女の手にある魔炎探知の炎も、雨に晒されたことで急速に勢いを失っていく。魔力を込めれば雨の中でも維持できないことはないが、それでも探知の精度は大きく落ちる。
「本当だね。最悪だ。これ以上強くならないといいけど……急ごうか」
悪態をつきながら二人が先へ進む。
その先に、人影があった。
「……あら、人かしら?」
雨に煙る薄暗い路地の中で、一人の女性が立っている。
近づくにつれ、その姿がはっきりしてきた。
丸みを帯びた深張りの傘を差している。黒い傘にはフリルとレースがあしらわれ、その下から覗く淡い水色の髪は肩口で切り揃えられていた。長い前髪が顔の片側を覆っており、見えているのは片方の瞳だけだ。
それでも、十分に美しいと分かる容姿だった。
年齢は十代後半ほどに見える。
身に纏っているのは、クラシカルな意匠のメイド服。雨の降るスラム街にはあまりにも不釣り合いな姿だった。
「メイド? 冒険者ではないな……」
エドガーが警戒しながら近づいていく。
しかし、女性から動く気配はない。
「おい、お前。こんな場所で何してる?」
返事はない。
「……本当に人間か?」
あまりにも整った容姿だった。
肌は白く、姿勢は真っ直ぐで、雨の中に立っているにもかかわらず服にも髪にも乱れがほとんどない。その立ち姿は人間というより、誰かが丹精込めて作り上げた人形をそのまま動かしているような印象すら与えた。
やがて女性が静かに口を開く。
「私は……ウィスパーレインと申します。ここで……主様のお帰りをお待ちしている所です……」
その声は驚くほど小さかった。
傘を持っていない方の手でスカートの裾をちょこんと摘まみ、膝を曲げる。優雅なカーテシーだった。
「え? なんだって? ウィスパー?」
エドガーが眉を寄せる。
目の前にいる女性は、これほど堂々とした仕草をしているにもかかわらず、声だけは囁き声のように小さい。
「こんな場所で主人を待ってるだと? ここはもうダンジョンになってるんだぞ。馬鹿じゃないなら、さっさと帰ることだな」
エドガーはそれだけ言うと、ウィスパーレインの横を通り過ぎようとした。
この女はいったい何者なのか。
何故、こんな場所で主人を待っているのか。
そもそも、どうして既にダンジョンと化しているスラム街に入り込んでいるのか。ギルドはこの一帯を封鎖していないのか。
いくつもの疑問が浮かんだが、エドガーにとっては今すぐ答えを知る必要のあるものではなかった。
ボスを倒した後にでも聞けばいい。
そう考えて、その場を離れようとした。
「……主様に、この先には……誰も通すなと言われております」
「は? え? 何だって?」
エドガーが振り返る。
ウィスパーレインは、先ほどと変わらない表情で立っていた。
「……通しません」
そう言って、彼女は二人の前へ静かに横へ移動した。
「このメイド、ここを通さないって言ってますわ」
「……声が小さいし、イラつくメイドだな。まったく……」
エドガーの視線がウィスパーレインの服へ向く。
「その綺麗なメイド服を燃やしてやれば、退くだろ」
「エド!?」
エドガーが手をかざす。
次の瞬間、ウィスパーレインの身体を炎が包み込んだ。
「きゃあっ!」
突然の炎にウィスパーレインが悲鳴を上げる。
燃え上がるメイド服から逃れるように、その身体が地面へ倒れ、雨に濡れた路面を転がった。
「ふん。行くよ、ルー」
「ちょっと、エド! いくらなんでも一般人を燃やすのは駄目よ!」
「はぁ? こんな場所にいるんだぞ。一般人なわけないだろ」
エドガーは吐き捨てるように言う。
「死んだとしても自己責任だ」
その言葉を聞いたルミアは、思わずエドガーの横顔を見つめた。
その瞳に、ぞっとするような何かを感じた。
普段から弱い者を虐げ、他人を見下すような態度を取るエドガーだが、それでもルミアを見る時だけは優しかった。少なくとも、これまでの彼女はそう思っていた。
けれど今のエドガーの瞳には、見慣れた優しさがない。
まるで別人のような、得体の知れない狂気だけが宿っていた。
「…………」
ルミアは燃え続けるウィスパーレインを一瞥した。
そして、わずかな不安を胸に抱えたまま、エドガーの後を追った。
クスクス……
その時、どこからともなく笑い声が聞こえた。
「ルー、何を笑ってるんだ?」
エドガーが足を止め、後ろを振り返る。
しかし、ルミアは笑ってなどいなかった。
驚いたような顔で、周囲を見渡しているだけだった。
「……私じゃないわ」
「じゃあ、今のはなんだ?」
クスクス……
また聞こえた。
今度は、すぐ近くからだった。
クスクス……
あはははは……
うふふふ……
それだけではない。
まるで一人、また一人と誰かが笑い始めたかのように、辺りのあちこちから小さな声が聞こえてくる。
クスクス……
あらあら……
かわいそうだね……
そんな囁き声が、雨音に混じって聞こえてくる。
「誰だ!! どこに隠れていやがる!」
エドガーが怒鳴り声を上げ、周囲を見回す。
「エド、今探知をしますわ!」
ルミアもワンドを構えた。
雨の中では魔炎探知の効果が弱くなる。それでも魔力を大量に注ぎ込めば、探知自体は可能だった。
炎が大きく揺らめき、周囲の魔力を探っていく。
だが、その間にも雨はどんどん強くなっていった。
そして、雨脚が強くなるのに比例するように、笑い声も増えていく。
最初は小さな囁きだった、それが少しずつ数を増やし、やがて辺り一面を埋め尽くすほどになっていく。
クスクスクスクス……
あはははは……
かわいそうに……
あらあら……
もはや囁きではない。
数え切れないほどの声が、二人を取り囲んでいた。
「うるせぇ……」
エドガーの顔から笑みが消える。
「どこだ! どこにいやがる!」
怒鳴りながら走り回るエドガーの横で、ルミアが魔炎探知を維持する。
そして、エドガーが廃屋の裏手へ回り込んだ時だった。
「見つけた!!」
そこに、黒い傘を差したメイド服の女性が立っていた。
「は?」
エドガーの足が止まる。
「お前……さっき燃やしたはずだろ?」
ウィスパーレインは何も答えなかった。
ただ、ゆっくりと振り返る。
炎に包まれ、焦げていたはずのメイド服は綺麗な状態に戻っている。淡い水色の髪にも焼けた跡など一切なく、その顔にはほんのわずかな笑みさえ浮かんでいた。
「クスクス……」
小さな笑い声が聞こえる。
それに続いて、周囲からも声が重なった。
キャハハハハッ……
甲高い声の嘲笑にエドガーの眉間に皺が寄る。
「ちっ……今すぐこのうるせぇ声を止めろ!」
怒りに任せてウィスパーレインへ近づいていく。
「テメーが術者だろう? 早く止めねぇと──」
その瞬間だった。
ウィスパーレインが傘を閉じた。
そして、手にした傘をそのまま槍のように突き出す。
「くっ!」
メイドとは思えない速度だった。
エドガーが咄嗟に顔を逸らしたことで直撃こそ避けたものの、傘の先端が頬を掠め、皮膚が浅く裂ける。
「……この女!」
エドガーの顔に怒りが浮かんだ。
「焔よ、収束し顕現せよ!」
周囲の炎が一気に集まっていく。
「灼炎剣!」
高温の炎が剣の形へと収束した。
エドガー自身が構築した新たな魔術。単純な炎を刃として形作り、その熱量によって触れたものを焼きながら斬り裂く、近接戦闘用の魔術だった。
「クククッ……」
エドガーが笑う。
「魔術師だから接近戦は出来ないとでも思ったか? バカが!」
「きゃあっ!」
灼炎剣が振り下ろされた。
ウィスパーレインの腕が、あっさりと斬り落とされる。
焼き切られた傷口からはほとんど血が流れない。傷口そのものが高熱によって焼かれ、塞がれているためだ。
黒い傘が、切断された腕とともに地面へ落ちた。
「おいっ! このうるせぇ声を止めろ!」
エドガーが剣を突きつける。
苦痛に歪むウィスパーレインの顔を見て口元が弛む。
「クククッ、お前ダルマにするぞ」
ウィスパーレインは答えない。
「ほら!」
一度。
灼炎剣が身体を貫く。
「ほら、ほら!」
もう一度。
さらにもう一度。
エドガーは、まるで壊れた玩具を弄ぶかのように、何度も何度も剣を突き立てていった。
「なんとか言ったらどうだ? あん?」
その瞳には、先ほどまでの苛立ちとは別の熱が宿っていた。
肉を刺す感触。
炎が身体を焼く感覚。
それらを確かめるたびに、エドガーの笑みは大きくなっていく。
「くはははははっ!」
四肢を切断され、転がるウィスパーレインに跨り何度も何度も剣を突き刺す。
ボロボロに焦げ、ところどころ破れたメイド服からは白い肌が覗いている。しかし、その白く滑らかだった肌も今では焼け爛れ、あちこちから煙が上がっていた。
人形のように整っていたその身体は見る影もなく損壊され、その瞳には、もはや何も映っていなかった……




