第2話 退屈な迷宮 2
第一階層は静まり返っていた。
神代には無数の挑戦者で賑わったこの場所も、今では魔物たちが気まぐれに徘徊するだけの空間となっている。
薄暗い石畳の上を、七色の光が静かに進んでいく。
迷宮核──ラビリントスである。
その後ろを、ポヨンポヨンと音を立てながらグラが跳ねていた。
「こっちッス!」
やがてグラが動きを止める。
その先には、一人の少女が倒れていた。
黒く長い髪は泥と血に汚れ、上等そうな衣服もところどころ裂けてしまっている。
細い身体には生気など微塵も残っておらず、その顔にはまだ幼さが色濃く残っていた。
年の頃は十二、三ほどだろう。
「ふむ……」
ラビリントスは少女を見下ろした。
致命傷は頭部への打撃か。 少女の頭部から赤黒い血の跡があった。
この階層の魔獣によるものか……どうか。
この少女は生前はどのような人生を歩んできたのだろうか。
服装を見ればただの冒険者でない事は一目瞭然だ。 シンプルながら質の高い服にエナメルの靴。 王族、貴族、豪商の娘……少なくとも農民や平民の娘ではないだろう。
けれど、そんなことは知ったことではない。
迷宮とは平等である。 勇者であろうと王であろうと、貴族だろうとただの村娘であろうとだ。
侵入し挑んだ以上は等しく試練を与える。
それだけのことだった。
「死因はゴブかコボルトッスかね?」
グラが少女の近くの壁へと移動する。
そこにはべったりと血糊の付いた棍棒が落ちていた。
「第一階層の魔物で武器を使うのはゴブリンかコボルトッスからね」
グラの言葉にラビリントスは小さく息を吐く。
「今の人間は、そこまで弱くなったのか」
神代を知るラビリントスにとって、それは信じ難い光景だった。
かつての英雄達ならばもちろんの事、神代に生きた者は子供達ですらゴブリン程度に負けたりしなかった。
「……まぁよい」
ラビリントスの声音が静かに変わる。
「この身体、我が有効に使うとしよう」
七色の迷宮核がゆっくりと浮かび上がる。
眩い輝きが少女の胸元へ吸い込まれ、七色の魔力が静かに流れ込んでいく。
ゴトリ。
光を失った迷宮核が石畳へ落ちた。
すると次の瞬間、少女の胸が、大きく上下する。
止まっていた心臓が鼓動を刻み始める。
冷え切っていた肌にわずかな血色が戻り、硬直していた指先がぴくりと震えた。
「お、おおッス……ラビリントス様!」
グラが身体を震わせる。
少女の瞼がゆっくりと開く。そこに宿る瞳は、もはや人間のものではなかった。
深淵のような漆黒の瞳の奥で、虹色の魔力が静かに揺らめいている。
少女はゆっくりと上体を起こす。
そして、まるで初めて見る玩具のように、自らの手をじっと見つめた。
細い指、白く柔らかな肌。
迷宮核だった頃には存在しなかった温もり。
ゆっくりと手を握り、また開く。
「ほぅ……これが、人間の肉体か」
その声は、まだ幼さの残る少女のものだった。
しかし、その口調だけは神代から変わらぬ迷宮主そのものである。
ラビリントスが立ち上がろうとするが──
ふらり、と身体が傾いた。
「ぬ……」
バランスを崩し、そのまま尻もちをつく。
「ラ、ラビリントス様っ!」
グラが慌てて飛び寄る。
「大丈夫ッスかぁ!?」
「ふむ。問題ない」
そう答えながらも、ラビリントスは困惑した表情で自らの足を見つめていた。
「これは……不便じゃな」
ラビリントスは難しい顔で頷いた。
「なるほど。 今まで浮いていた我からすると人間とは存外、不自由な生き物なのだな」
今度はゆっくりと体重を前へ移す。
一歩。 また一歩。
ぎこちないながらも、少女の身体は確かに歩き始めた。
足裏へ伝わる石畳の感触。
肺へ流れ込む冷たい空気。
鼓動を打つ心臓。
どれもラビリントスにとって初めての感覚だ。
「しかし……死体に憑依したつもりだったのだが、鮮度が良かったせいか? 生者と変わらぬようだが……」
ラビリントスは自らの身体をまさぐると、襟元から服の中へ潜り込んでいたネックレス型のタリスマンを見つける。
「なるほど、これのせいか……」
古代語で書かれた術式と聖力が込められたペンダントトップの魔石はどうやら自動回復の効果があるようだ。
身体の損傷は治せても一度離れた魂までは呼び戻せなかったようだが。
やがて漆黒の瞳がゆっくりと前を見据え、その口元には獰猛な笑みが浮かんでいた。
「くくくっ、待っておれ……我はもう、待たぬ」
少女は迷宮の出口へ向かって歩き始める。
その足取りは力強く、既に人体の構造を把握したようだ。
光が差し込む迷宮の入り口……輝く世界へラビリントスが声高に叫ぶ──
「まだ見ぬ現代の勇者、英雄、英傑どもよ! 我こそは最凶であり最強、原初の迷宮ラビリントスじゃ!!」




