第19話 冒険者と迷宮
この日、ファズオラ冒険者ギルド南第一支部は、朝から普段とは比べ物にならないほどの喧騒に包まれていた。
併設された酒場では、まだ朝だというのに多くの冒険者が集まり、酒を片手に声を潜めたり、逆に興奮を隠しきれず大声で話したりしている。
「スラムでダンジョンが発生したって!?」
「ああ。炊き出しに出ていた教会関係者が最初に見つけたらしい」
「街の中にダンジョンだと? そんな話、聞いたことねぇぞ」
「俺だって聞いたことねぇよ。だからこそ、こんな騒ぎになってるんだろ」
冒険者達の話題は、どこへ行っても同じだった。
ファズオラのスラム街。
普段から治安が悪く、犯罪や貧困といった問題を抱えている場所ではあるが、それでもそこは人々が暮らす街の一部でしかない。
そんな場所に、突如としてダンジョンが出現した。
それだけでも前代未聞の事態だというのに、事態はさらに悪化していた。
最初に現場へ向かったのは、ファズオラの治安維持部隊だった。
しかし、治安維持部隊とは本来、街中で発生する犯罪や揉め事、盗賊などの人間を相手にするための組織だ。魔物との戦闘を専門とする冒険者と比べれば、どうしても戦闘能力には差がある。
それでも、街の内部に突然発生したダンジョンを放置するわけにもいかず、スラム街を調査するため十人ほどの人員を投入した。
結果、スラムから戻ってきたのは、四人だった。
しかも、そのうち二人はスラム街を出たところで力尽き、そのまま死亡。
残った二人も、もはや無事とは呼べない状態だった。
精神に異常をきたし、最初はまともに会話する事も不可能だった。
当然、そんな報告を受けた治安維持部隊だけで再度の突入などできるはずもない。
そして持ち帰られた情報を整理した結果、ギルドへダンジョンの調査、討伐として正式に依頼されたのだ。
その際治安維持部隊から伝えられた内容は、冒険者達をざわつかせるものだった。
曰く──悍ましい化け物が徘徊している。
曰く──長時間内部に滞在すると、精神に異常をきたす者が出る。
そして最後に──
曰く、ダンジョンの奥には天使がいた。
「天使って……なんだよ、それ」
「さあな。迷い込んだ奴がそう言ってたらしいぜ」
「自警団の生き残りじゃなく?」
「ああ、そいつらは遠目で見て直ぐに逃げてきたから助かったって話だ」
「なんだそりゃ……」
酒場に困惑した空気が広がる。
しかし、少なくとも一つだけ確かなことがあった。
この事件は、もはや自警団の手に負えるものではない。
そこでギルドへと、お鉢が回ってきたのである。
依頼難易度は、最低でも金級以上。
現在、ギルドではどのパーティへ依頼を回すべきか、職員達が緊急の協議を行っている最中だった。
冒険者のランクは、特殊なものを除けば鉄級から始まり、銅級、銀級、金級、白金級、聖銀級、そして最高位の神鋼級へと上がっていく。
それとは別に、極めて特殊な功績や実力を持つ者へ与えられる緋金級や黒金剛級なども存在するが、そんなものは一般の冒険者にとって雲の上の話だ。
今回の依頼に求められているのは、少なくとも金級以上。
つまり、南部でも指折りの実力者達が対象となる。
「よっと、情報仕入れて来たぜ」
そんな酒場の二階。
一番奥の席に座っていた男女の前へ、小さな人影が現れた。
人影は軽い調子で声をかけると、そのまま空いていた椅子へ腰を下ろす。
「なんだか結構な規模の自警団が壊滅したらしいぜ。まあ、自警団なんて中央以外は有象無象の集まりみたいなもんだからな。だから冒険者ギルドとしては、少数精鋭で金級以上のパーティを送り込んでダンジョンボスを討伐する方針らしい」
小さな男だった。
ただし、それは身体が小さいという、そのままの意味である。
人間の子供ほどの背丈しかないが、彼はれっきとした成人男性だった。
草原小人族──プラート。
手先が器用で音楽を愛する、基本的には牧歌的な種族である。
しかし、その優れた手先の器用さと小柄な身体を活かし、盗賊や斥候、吟遊詩人などになる者も少なくない。
そして彼、ロッツもまた、その例に漏れず斥候を務めている。
「いま南部で一番ランクが高いのは、エースの白金級『グラディアス』かにゃ?」
向かいに座っていた猫耳の少女が、ピコピコと耳を動かしながら尋ねた。
ミコ・リース。
オレンジ色の長い髪を編み込んでサイドに下ろしている。軽装に身を包んだ彼女は、その腰に一本のエストックを帯びている。
長い尻尾が椅子の背後でゆらゆらと揺れていた。
「そうですね。その次に金級『プロミネンス』、そして我々『レースガーデン』ですね」
続いて口を開いたのは、がっしりとした体躯の熊人種だった。
クロッグ。
このパーティではタンクを務めており、身体を覆う重厚なフルプレートアーマーには、黒い熊耳だけがちょこんと覗いている。
短く刈り上げた濃いブロンドの髪と同色の瞳は知性的な光を宿しており、見た目だけで判断すれば粗暴な戦士という印象とは程遠い。
「そうだな。きっとオレらにも依頼が回ってくるぜ? どうする?」
ロッツが二人を見回す。
「んー、値段次第かにゃあ?」
ミコは腕を組みながら、猫耳をぴこぴこと動かした。
「情報が不足しているので、あまり乗り気ではありませんが……リーダーに従いますよ」
クロッグも頷く。
「オーケーだ。まっもちろん金次第だが、俺はやってもいいと思ってる」
ロッツはそう答えると、酒場の下へ視線を向けた。
そこでは、今回の騒ぎについて話す冒険者達が今も絶えず出入りしている。
「でも、ナディアが帰ってきたらナディアにも聞いてみよう」
「そうだにゃ」
「ええ、それがいいでしょう」
三人の意見はそこでまとまった。
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
ファズオラの街を、一人の女が歩いていた。
黒い外套を身に纏った、二十代半ばほどの女性だ。
ファズオラの街は、中心部から伸びる四本の大通りを骨格として、そこから無数の路地が枝分かれするように広がっている。
大通りは馬車が何台も並んで走れるほど広く、石畳も綺麗に整えられている一方で、一歩路地へ入ればその様相は大きく変わる。
大通りに負けないほど広々とした道もあれば、人一人が通るのがやっとという細い路地もあり、建物と建物の隙間を縫うようにして伸びるそれらの道は、ファズオラに住み慣れた者でさえ時折迷うほど複雑に入り組んでいた。
そんな街並みを、女は慣れた足取りで進んでいく。
薄緑色の髪は緩くウェーブがかかり、肩口で揺れている。スラリとした肢体に切れ長の瞳と気の強そうな顔立ちは、一見すると近寄り難い印象を与えるが、その実、困っている人間を放っておけない面倒見の良い性格をしていた。
黒い外套の下には、これまた黒いローブ。
腰には短いワンドを差し、魔法の収納袋と小振りなナイフも身に着けている。
見る者が見れば、彼女が魔術師であることは一目で分かるだろう。
女の名は、ナディア・ブラフォード。
ファズオラを拠点に活動する冒険者であり、金級パーティ『レースガーデン』の魔術師だ。
ナディアがファズオラで冒険者として活動するようになったのは、王立魔法学院を卒業してからのことだ。
幼い頃から魔術師としての才能を開花させた彼女は、学院でも優秀な成績を収めていた。
とはいえ、魔法学院に通うには決して安くない金が必要になる。
ナディアの実家は決して裕福ではなかった。
それでも両親は娘の才能を信じ、無理をしてでも学院へ通わせてくれた。
だからこそ、ナディアは冒険者として稼いだ金の一部を、定期的に故郷の両親へ送っている。
自分を学院まで通わせてくれた両親への恩返し。
そして、家に残してきた幼い妹のためでもある。
まだまだ返し終えたとは思っていない。
学院の学費だけでも相当な金額だったし、これから妹が成長すれば、彼女も学院へ通わせてやりたい。
そのためには、もっと稼がなければならない。
ナディアにとって冒険者という仕事は、単に夢や憧れだけで続けているものではなかった。
家族の生活を支えるための、大切な仕事だった。
故郷には両親と幼い妹がいる。
二歳下の弟もいた。
……もっとも、弟は数年前に冒険者になると言って家を飛び出してしまったが。
「まったく……あいつ、今頃どこで何してんのよ」
弟のことを思い出し、ナディアは小さくため息を吐く。
怒っているわけではない。
むしろ心配している。
だが、本人が自分の意思で飛び出した以上、姉である自分にできることなど限られている。
それよりも今は、自分自身がしっかり稼いで家族を支えなければならない。
送金し残った金額を確認すると、ナディアは小さく息を吐いた。
送金額を増やした分、自分の手元に残る金は少なくなった。
しかし、それでも構わない。
両親も妹も、自分からの仕送りを頼りにしている。
「妹が学院に行くなら……今の倍くらいは稼がないと駄目ね」
自分が学院に通っていた頃を思い出せば、必要になる金額は容易に想像できる。
そう考えると、自然と歩く速度が上がった。
次の依頼を受けなければ。
幸い、ナディアの所属する『デミレースガーデン』は金級の実力を持つパーティだ。
危険な依頼をこなせば、それだけ大きな報酬も得られる。
だからこそ、多少の危険は覚悟しなければならない。
「……急がないと」
ナディアは黒い外套を翻し、冒険者ギルドへ向かって足早に歩き始めた。
今日はパーティメンバーが集まる日だ。
そして彼らが集まっているということは、おそらく次の依頼について話し合っている頃だろう。




