第17話 スラムの花と迷宮 3
「……っ……い……ご……なさ……」
ひび割れた器から漏れ出すような、か細い声。 ベッドの傍らで様子を伺っていたエリゼは、少女の指先がピクリと動いたのを見逃さなかった。
「おはようイムちゃん。 大丈夫かな? どこか痛い所とかなぁい?」
「んっ…………ふ、ふぇ!? あっ……お、おはよう……ござぃ……す……」
少女は弾かれたように身を起こし、辺りを見渡すとすぐに己の置かれた状況に戸惑い、その声は消え入るように小さくなった。
「目覚めたか童。気分はどうじゃ?」
部屋の隅、椅子に深々と腰掛けたラビリントスが声をかける。
その闇夜を束ねたような黒髪を見た瞬間、少女の瞳に光が宿った。
「あ、お花を買ってくれたおねいちゃんだ。 あれ? エリゼおねいちゃん?」
少女の目の前には、あの日いつもの様に空腹に耐えながら集めた花束を買い取ってくれた恩人達がいた。
あの地域に行われる教会の炊き出しは7日に1回だけ、それも野菜クズや廃棄間近の肉をいれたスープのみだ。 それでもその他にはまともな食事を取れないのだからスラムの住人はありがたがった。 イムも8歳という実年齢よりも幼く見えるほど痩せ細り栄養が足りてなかった。
だからこそ、花束を買ってくれる客はありがたかった。 スラム街はファズオラの南門に近く、所々崩れた抜け道もあったためスラムの子供達はユグの大森林へと行き、薬草などを採取して生計を立てていた。
イムはまだ幼く森に入るのは危険だったため、その手前の草原で綺麗な花を摘み、花束にして売っていた。 殆どの人は買ってくれないが稀にエリゼのように奇特な人物が買ってくれていた。 それでもエリゼの様に定期的に購入する者はいなかったが。
「良かったぁ!!」
エリゼがイムを抱きしめる。
ラビリントスによって生まれ変わったイムは髪の色素は白く抜け落ち、元の痩せ細った体躯から年相応に成長した健康的な肉付きをしている。
「ふむ。顔色も良くなっておるな。童、お主は産まれた後2日も眠りこけておったのじゃ」
生まれ変わりはしたが、元が幼過ぎたのかそれとも、直ぐには起きれない程の壮絶な最期を遂げたのかイムは卵から孵ったあと眠り続けていた。
「私何してたんだっけ……」
呆然とするイムの背中から純白の羽が2対、4枚がゆっくりと広がる。
「イムちゃん、羽だぁ! わぁ、天使みたい!」
エリゼが背中の羽に気付くとイムはパタパタと動かしてみる。
「わぁ!この羽、動かせるよ!!」
イムは自分の身体の変化を素直に受け入れると髪を触ったり羽を動かしたりしてはしゃいでいた。
その日の夜──
エリゼが夕食を盆に乗せて部屋に入ると、そこにはラビが一人、椅子に座り本を読んでいる。
開け放たれた大きな窓からは夜風が心地良く入ってくる。 窓際の紫の花が揺れた。
「ラビちゃんイムちゃん、夕飯の準備ができたよ。あれ、イムちゃんは?」
「イムなら、母親に会いに行ったぞ」
そう言って窓の外を見る。
「お母さんに? 大丈夫かな? でもやっぱりまだ子供なのね……あんなに変わって……可愛くなってたらお母さんも気付かないかも。 ふふっ、天使みたいだったし」
エリゼはイムの死因を知らない。 暴行された跡があったが金銭などを巡ってスラムの暴漢に襲われたのだろうと考えていた。
だから、イムを心配して待つ母親がいると……そこに優しい親子の再会を夢見て微笑んだ。
「天使のぅ……さて、我の迷宮から天使など生まれぬと思うが。 くくっ、まぁ天の使いというならばあながち間違いでもないのか……」
ラビリントスの不穏な言葉が花弁を散らす夜風に溶けた。
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
「ただいま、ママ」
スラム街の一角。すきま風の吹く荒屋のドアを、美しい少女が開けた。
白い肌に艶やかな白い髪。 シミ一つない白いワンピースを纏った姿は、汚泥と土埃にまみれたこの街では異様なほど神々しく映る。
「えっ!? だ、誰……ど、どちらのお嬢様です……でしょうか?」
母親は、突然来訪した目の前の「貴族令嬢」のような少女に怯え、揉み手で迎える。
だが、すぐにその顔立ちに既視感を覚え、息を呑んだ。
「も、もしかして……あんたイムかい?」
「そうだよ、ママ! 良かった! 私結構変わっちゃったからママが気づかなかったらどうしようかと……」
驚愕の表情を浮かべる母親を他所にイムはホッと胸を撫で下ろす。
「あ、あんた生きてたのかい!? て、てっきり死んだとばかり思ってたよ!」
「うん! ラビ様に助けてもらったの!」
「ラビ様? そうかい、その人に助けて貰ったんだね。 じゃあ今度お礼にいかなきゃねぇ」
(あはははっ! 私にも運が向いて来たかもねぇ! アレクのヤツが力任せに壊しちまうもんだから死んじまったと思ったが……イムを使ってそのラビ様とかいう奴に取り入るのも良いし、こんだけ上等になって帰ってきたんなら変態の貴族に売るのも良いねぇ!)
母親の情夫であるアレクが賭け事に負け、酒を呷っていた時。 いつもは辛気臭く部屋の隅に蹲っているだけのイムがやけに機嫌良くニコニコしているのが気に障り暴行を加えていた。
どうせいつもの事だろうとイムを助けようともせずにいた母親はアレクの「やっちまった」という言葉でイムの様子を伺うと、執拗に殴られた顔や庇った腕が紫色に腫れヒューヒューと浅い呼吸を繰り返していた。
医者に診せてもどうせ永くない、そもそも診せる金がない。 それならば捨て置くしかないと結論付けた2人はスラムのゴミ捨て場に放置してきたのだ。
アレクが言うには大事そうに持っている花を取り上げたかったが頑なに離さなかったからやり過ぎたらしい。
母親は酷い内出血で変色したイムを見ると、大事な花と同じになれたじゃないか、と呟いた。
「あんた1人で帰って来たのかい?」
「うん!」
母親はドアを開けて外を確認する。 そのラビ様とかいう奇特な人物がイムに護衛などの使いを付けているかと思ったからだ。
しかし、外には誰も居なかった。 風に吹かれよく分からない紙屑がガサガサと転がっているだけのいつものスラムだ。
「あんた……その羽は一体……」
振り返った母親はイムの背中から生えた4枚の羽を見て驚く。
「私ね……本当はあの家に居るの嫌だったんだ……おじさんもいつも怒って痛い事してくるし……」
「イ、イム……?」
母親の問いには答えず、イムは振り返ると深く頭を下げる。
「ごめんなさい! 私ね、ママのことも酷いと思ってたの…………でも、ママは私のことを考えてくれてたんだね。 私、自分のことしか考えてなかった……」
「そ、そうなんだよ!わかってくれたかい……」
イムのただならぬ雰囲気に母親は刺激しないように言葉を選ぶ。
「ママ、言ってたよね? この家は寒い……お腹が空いた……お前は役立たずだ……お前なんか産むんじゃなかった……邪魔だ……お前は役立たずだ……役立たずだ……」
「い、いや……あれは……ひぃっ!!」
顔を上げたイムの瞳は真っ黒に塗り潰され伽藍堂で虚無だった。
「うふふ、でもね私、気付いたの。 ママが私をぶったりするのは痛みで寒さや空腹を紛らわせてくれてたんだよね? おじさんが私に非道い事しても助けてくれなかったのは私に「強く」なって欲しかったから……役立たずだって言うのは、私が役に立てる人になれるよう躾だったんだって……きっとそれは、ママの『優しさ』だったんだって……」
「え、ええ……そう、そうよ……」
母親は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
(この子は……いや、コレは……もはや人間じゃない……)
「だからね、ママ。 今度は私がね…….ママが幸せになれるように躾てあげるね! えへへっ、上手くできるかわからないけど……わたし、頑張るね!」
「ひぃぃっ……いやっ! いえ、いいのよ……そんなことしなくて……」
「ママ、大丈夫。 もう寒さも、空腹も……痛みも感じなくて済むよ……」
「ひぃぃっ!! いや……やめてっ!! 来ないでっ!!」
夜のスラムに、短い悲鳴が響き渡る……だが、誰も窓を開けようとはしなかった。 スラムでは悲鳴など日常茶飯事だ。 いちいち面倒ごとに首を突っ込む奴はいない。
クチャリ、クチャリ──
肉を弄ぶような不気味な音が、暗い室内で響く。
「大丈夫だよ、ママ。 私が『直して』あげるから。 でも、やっぱりママをぶつなんて……心が痛むなぁ……えへ、うふっ、ウフフフフフッ!」
暗闇の中、純白の羽を血に染めた少女が、物言わぬ肉の塊に話しかけていた。
イム/眷属名:クロケル(天使の姿をした悪魔)
能力:無垢なる遊戯




