第16話 スラムの花と迷宮 2
「ふふんふ〜ん」
ラビリントスが珍しく機嫌良さそうに窓際に置かれた鉢植えへと移し替えられた花に水をあげている。
大きな紫色の花弁を広げたその花は、先日エリゼが持って来たものだ。
どうやらエリゼはあの時出会った少女に何度か会いに行っており、その都度花を買ってきていた。
「ふむ、これが花を愛でるという感覚か。 人間がどうして花を飾るのか理解不能だったが、なかなかどうして、良いのではないか?」
何万年もの間、殺風景な迷宮の深部にいたラビリントスにとって色とりどりな花は縁遠い存在だった。
ラビリントスの原初の迷宮には幾つもの階層があり、緑溢れ様々な草花が咲き乱れる階層もある。
しかし、その階層を攻略しにくる探索者を無機質な部屋で水晶を通して見るだけの日々、実際に花に触れる事などなかったのだ。
「そういえばエリゼがこの花を持ってきた童をここに住まわせて欲しいなどと言っていたな。 連れて来たら専属の花係にしてやろうかの……おや?」
微笑みながら花を眺める姿だけならば深窓の令嬢にも見える──
「蝶か……」
ラビリントスは大きく開け放たれた窓からヒラヒラと飛んできた蝶を見る。
デルフィニアの甘い香りに誘われたのか花弁に止まろうとする蝶……ラビリントスは不意に蝶を掴むと握りつぶし鉢植えへと落とす。
「自らやってくる養分とはな、殊勝な奴じゃ」
次は庭に花壇でも作ろうかなどとニヤニヤと想像していると部屋に控えめなノックの音が響く。
「ラ、ラビリントス様?」
「ニーアか、どうした?」
ゆっくりとドアを開き控えめに入室してくるのはいつもの喪服の様なドレスを着たニーアだった。
「あ、あの……ラビリントス様が最近甘いものが好きだと聞いて……クッキー焼いて来たんですけど……」
決して目を合わせようとはせず、左手はドレスに皺が残りそうな程に力強くスカートを握っている。
右手には大きめな皿に綺麗に並べられたクッキーが並び焼きたての良い匂いを放っていた。
「ほぅ、ニーアが焼いたのか? 中々美味そうじゃないか」
人間の身体になってから食への欲求が出て来たラビリントスだが、どういう訳か甘い菓子類へと欲求が特に強く出ていた。
「よよよ、良かったらクッキーを食べながら、私と一緒にお茶でも……」
ニーアが緊張した面持ちでクッキーを乗せた皿を差し出す。 廊下には既に、ティーセットを積んだワゴンを持ちヴァンスが待機していた。
しかし、そこへ大きく息を切らせたエリゼが飛び込んでくる。
「ラビちゃん!! イムちゃんがっ!」
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
「これは手遅れじゃな」
スラム街の深部、一際悪臭のキツいゴミ捨て場のような一画にソレはあった。
かろうじて人の姿を留めている程に腫れ上がった顔や身体……手足は壊れた人形の様にあらぬ方向へと曲がっていた。
「イムちゃん……」
いつものようにスラムの入り口付近でイムを待っていたエリゼはいつまでも顔を見せないイムに不安を覚え、スラムの中まで探しに行ったのだ。 そしてこの場所で既に冷たくなっていたイムを見つけた。
「きっと、私がお金をあげたせいだ……」
「ん、まぁ。それはそうじゃろうな」
弱者と貧者、飢えと渇き、悪意と欺瞞の吹き溜まりのようなこの場所で幼い子供が金を持てばどうなるかは予見出来た事かも知れない。
けれど、知識では知っていてもそこで生まれ育った訳では無く、更にどこまでもお人好しで人の善意を信じたいエリゼは、そんな人間の醜い部分を認めたくなかったのだ。
「ラビちゃん……」
エリゼがラビリントスに縋るような目をむける。
イムを発見した時に真っ先に治療院や自警団などを頼らず、ラビリントスの下へ急いだのは心の底では手遅れだと気付いていながらも、もしかしたらラビリントスならばどうにか出来るんじゃないかと考えたからだ。
けれど、仄かな期待を持って見たラビリントスは眉一つ動かさず手遅れだと言い放った。
「まぁしかし、その童の花は気に入っておる」
ラビリントスは虚空に手を入れると青色の液体の入った小瓶を取り出す。
「人間とは脆いものじゃからの……これは冥府の蜜酒じゃ」
「イムちゃんを助けられるの!?」
「助けるの定義が曖昧じゃが、生き返るのかと言われれば違う。 生物は一度死んでしまえば二度と生き返りはしない」
「そう……だよね……」
ラビリントスの持つアイテムの奇跡の様な効果を体験した事のあるエリゼは期待に目を見開くが、ラビリントスの無慈悲な答えにエリゼは肩を落とす。
ラビリントスは青色の液体をイムの口に流し込むと嚥下せずとも自然に吸収されていく。
「生き返らすのではなく、生まれ変わらす……これは冥府に落ちた魂を呼び戻す物じゃ。そしてこれが新しい魂の核になる宝玉じゃ」
そう言って拳大の純白の宝石を取り出し一言二言、神代の言葉を呟く。するとイムの身体に溶けるように宝石が吸い込まれる。
少しして激しい光を放つとイムの身体はつるりとした質感の白い卵の殻のような物で覆われていた。
「さて、どう産まれてくるかは童次第じゃ。 大して変化しない場合もあれば、直視出来ないような姿になる時もある。 まぁ核に使う宝玉によって傾向はあるがの。 あの宝玉は……なんだったかの?」
ピシリッ──
白い殻にヒビが入ると少しずつ割れて崩れていく。
パキッ──
崩れ落ちた外殻は煌めきながら光となって消えていく。
「童……いや我が新たな眷属イムよ──」
白い殻の内側で影が動く……
「今こそ産声を上げよ!」




