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第14話 強い剣、未熟な冒険者

 四匹のゴブリンを倒したあとも、俺たちはすぐには森を歩き始めなかった。


 先ほどまで剣戟と怒号が響いていた場所には、再び鳥の声が戻り始めていた。木々の間を抜ける風が枝葉を揺らし、踏み荒らされた落ち葉の上では、細かな木漏れ日がゆっくりと形を変えている。けれど、そんな穏やかな景色とは裏腹に、鼻の奥にはまだ血の匂いが残っていた。


 ガレスは盾を背中へ戻すと、周囲の茂みや木々の間を改めて確かめ始めた。


 フィナも弓を手放さず、少し離れた木の根元にしゃがみ込んでは、落ち葉の乱れや地面に残された足跡を調べている。


 俺にはもう戦いが終わったように思えていたが、二人の様子を見る限り、まだ安心してよいわけではないらしい。


「アルク、こっちは任せていいぞ。リックと魔石を回収してくれ」


「分かりました」


 ガレスに頷き、俺は腰の鞄から解体用のナイフを取り出した。


 目の前には、先ほど自分が斬った槍持ちのゴブリンが倒れている。


 戦っている最中は武器の動きと相手の間合いばかりを見ていたせいか、こうして近づくと、汚れた爪や粗末な腰布、痩せた手足まで妙にはっきりと目に入った。


 角兎を解体したときとは、ずいぶん違う。


 小さな魔物とはいえ、ゴブリンの身体は人によく似ている。


 剣を振るう瞬間には迷わなかったのに、動かなくなった相手へ自分から刃を入れようとすると、どうしても手が鈍った。


 ナイフの柄を握り直していると、隣から覗き込んできたリックが、俺の手元を見て笑った。


「お前、剣はあんなに使えるのに、そっちは苦手なんだな」


「……まだ慣れていなくて。魔石を取り出したのも、三日前が初めてです」


「三日前? そりゃ仕方ねえな。ちょっと見てろよ」


 リックは気軽にそう言うと、隣のゴブリンの前へ膝をつき、使い込まれたナイフを抜いた。


 刃を当てる位置を確かめる動作は短く、迷いがない。


 必要なところだけを切り開き、手早く魔石を探り当てると、周囲を余計に傷つけることもなく取り出してしまった。


 戦闘中の剣さばきとはまた違う、何度も同じ作業を繰り返してきた者の手つきだった。


「ほら、こんな感じだ。無理に深く切らなくていい。魔物によって位置も違うから、その辺は少しずつ覚えりゃいいさ」


「……すごいですね」


「おいおい、これくらいで感心してたら、この先いくらでも驚くぞ」


 リックは笑いながら魔石を布で拭い、小さな革袋へ放り込んだ。


 俺も教わった位置へナイフを当ててみる。


 先ほどよりは手順が分かったものの、刃を進めるたびに余計なところを傷つけそうで、思うように手が動かない。


 ようやく魔石を取り出せた頃には、リックはもう次のゴブリンを確認し終えていた。


「お、できたじゃねえか」


「リックさんの半分も速くできませんでしたけど」


「最初から同じようにできたら、俺の立場がねえだろ」


 そう言って笑うリックの手には、まだ乾ききっていない血がついていた。


 彼はそれを慣れた様子で布へ拭い取ると、取り出した魔石を俺のものと並べ、傷の有無まで確かめてくれた。


 王宮で剣を学んでいた頃、相手の手首を狙う角度や踏み込みの速さについてなら、何時間でも教わった。


 けれど、倒した魔物から素材を傷つけずに魔石を取り出す方法など、考えたことさえなかった。


 今、俺はナイフ一本を扱うリックの手元から、目を離せずにいる。


「よし、これで四つだな。あとはガレスに見せりゃいい」


 リックが立ち上がり、膝についた土を払った。


 俺もそれに倣って腰を上げると、少し離れたところからフィナの声が飛んできた。


「そっち、終わったー?」


「ああ。アルクもちゃんと一つ取れたぞ」


「えっ、ほんと? やるじゃん、アルク!」


 振り向いたフィナが、嬉しそうに片手を上げた。短い金髪が木漏れ日を受けて明るく輝き、肩に掛けた弓がその動きに合わせて小さく揺れる。


「リックに教えてもらいながらです」


「最初なんだから当たり前でしょ。私だって初めてのときは散々だったんだから!」


「お前の場合、最初の獲物を見て騒いでただけだろ」


「ちょっと、リック! 余計なこと言わないでよ!」


 フィナが頬を膨らませると、リックは楽しそうに肩を揺らした。


 先ほどまでの血の匂いも、二人のやり取りを聞いているうちに、少しだけ遠くなった気がした。


     ◇


 それからしばらく森を歩き、木々の間に陽の差し込む場所を見つけたところで、ガレスが休憩を告げた。


 足元には乾いた落ち葉が積もり、近くの倒木には柔らかな苔が広がっている。枝葉の隙間から落ちる光は朝よりも強くなっていたが、森の空気はひんやりとしていて、歩き続けた身体には心地よかった。


 背負い袋を下ろすと、肩に掛かっていた重さが急になくなり、思わず息が漏れた。


 朝には気にならなかった荷物も、森の中を何時間も歩いたあとでは、肩紐の当たる場所がじんわりと痛む。


 俺は倒木へ腰を下ろし、水筒の水を飲んでから、保存食の干し肉を取り出した。


 朝、メルが持たせてくれたパンは街道を歩いている間に食べてしまった。


 宿を出るときの彼女の明るい声を思い出しながら、少し固くなった干し肉を噛む。


 その隣へ、リックがどっかりと腰を下ろした。


「なあ、アルク。一つ聞いていいか?」


「何ですか?」


「さっきの槍持ちのことなんだけどよ」


 リックは足元に落ちていた細い枝を拾い、土の上へ二本の線を引いた。


「こっちから槍が来て、お前はこう避けただろ?」


「はい」


「そのあと、槍を持ってた手首を斬ってから首を狙ったよな。あれ、最初から首へ行くこともできたんじゃねえか?」


 リックは枝を動かしながら、先ほどの戦いを確かめるように俺を見た。


 言われてみれば、確かに首を狙う間合いへ入ることもできたかもしれない。


 けれど、相手は槍を持っていた。こちらの斬撃を避けられた場合、そのまま穂先を返される危険がある。


「槍が残っていると危ないので、先に武器を使えなくした方が確実だと思ったんです」


「……なるほどなあ」


 リックは枝を持ったまま、しばらく俺の顔を眺めていた。


「何かおかしかったですか?」


「いや、逆だよ。お前、よくあの一瞬でそこまで考えられるな」


「訓練で、何度も同じような場面をやったので」


「訓練ねえ……。お前の師匠って、どんな人なんだ?」


 思わず返事に詰まった。


 五歳の頃から王宮で剣を学び、近衛騎士団の教官や王家付きの指南役を相手に、毎日のように木剣を振っていた。そんな話を、そのまま伝えられるはずもない。


「……かなり厳しい人でした」


「へえ。騎士か何かか?」


「まあ、そんな感じです」


「ふうん。そいつは相当な腕だったんだろうな」


 リックはそれ以上追及せず、手にしていた枝を軽く振った。


「なあ、ちょっとやってみねえか?」


「何をです?」


「剣だよ、剣。軽く一本、付き合ってくれ」


 そう言いながら、足元からもう一本枝を拾い、こちらへ差し出してくる。


 受け取った枝は普段の剣より短く、重さも重心もまるで違っていた。


 握ると表面の小さな節が掌に当たるが、間合いを測る程度なら問題はなさそうだ。


「いいですよ」


「よし、そうこなくちゃな!」


 リックが勢いよく立ち上がったところで、少し離れた場所からフィナが顔を向けた。


「えっ、何? 二人で何するの?」


「ちょっと剣を合わせてみるだけだよ」


「面白そう! 私も見る!」


 フィナは食べかけの保存食を片づけると、弓を抱えてこちらへ歩いてきた。


 軽やかな足取りで倒木の脇へ回り込み、見やすい場所を選んで腰を下ろす。


 身体に合った革の装備は動きやすそうで、立ち上がるときも、しゃがむときも、彼女の動作には無駄がなかった。弓を扱うために鍛えられたしなやかな腕や、軽快に伸びる脚の動きが、森の中ではとても自然に見える。


「アルク、頑張ってね!」


「あ、はい」


「おい、俺の応援は?」


「リックはいつも見てるもん。今日はアルクがどれくらい強いのか気になる!」


「ひでえな、お前!」


 リックが大げさに肩を落とし、フィナが声を上げて笑った。


 その様子を見ていると、つい俺も笑ってしまう。


 こんなふうに仲間と冗談を交わしながら剣を合わせるのは、王宮ではあまりなかったことだ。


 訓練場で木剣を持つときは、いつも誰かが姿勢を正し、相手も必要以上に礼儀正しく振る舞っていた。


 今、目の前にいるリックは、そんなことを少しも気にしていない。


「じゃあ、行くぞ」


 リックが枝を中段に構えた。


 足の開き方も重心の置き方も安定していて、先ほどのゴブリンとの戦いで見たとおり、実戦を重ねた剣士らしい構えだった。


 こちらの出方をうかがいながらも、踏み込む機会があれば迷わず攻めてくるだろう。


 俺も枝先を相手へ向け、軽く腰を落とした。


 先に動いたのはリックだった。


 右上から振り下ろされた枝は思っていたより速く、乾いた風切り音を残して迫ってきた。


 けれど、踏み込みに合わせて肩が動いた時点で軌道は読めていたので、俺は受け止めず、半歩だけ後ろへ下がった。


 枝先が鼻先を通り過ぎる。


 リックの身体がわずかに前へ流れたのを見て、俺はすぐに間合いを詰め、胸元へ枝を突き出した。


「うおっ!」


 リックは身体を捻ってそれを避けると、勢いを殺さずに横薙ぎを返してきた。


 なかなかいい反応だ。


 俺は足を止めたまま枝を立て、相手の打ち込みに軽く触れる。


 力で受け止めるのではなく、振られてくる方向へ合わせて外へ流すと、抵抗を失ったリックの腕が開いた。


 その隙間へ一歩踏み込み、枝先を喉元へ向ける。


 そこで、動きを止めた。


「……参った」


 リックは自分の喉元にある枝を見つめ、それから大きく息を吐いた。


「いや、ちょっと待て。今の、何がどうなったんだ?」


「最後の横薙ぎを、少し外へ流しただけですよ」


「だけって、お前なあ……」


 リックが呆れたように笑ったところで、背後からフィナの声が弾けた。


「うわっ、アルク、強っ!」


 振り返ると、フィナが倒木から身を乗り出していた。


「ねえ、今のすごくない? リック、二回目の攻撃まではよかったのに、あっという間だったじゃん!」


「おい、そこまで言わなくてもいいだろ!」


「あはは、ごめんごめん! でも、本当にすごかったよ。アルク、あんなに綺麗に動けるんだね!」


 フィナは楽しそうに笑いながら立ち上がり、俺の方へ歩いてきた。


 短い金髪が頬の横で揺れ、明るい緑の瞳がまっすぐこちらを向く。何のためらいもなく褒めてくれるので、かえってどう返せばいいのか分からなくなってしまった。


「ありがとうございます。でも、枝ですから。本当の剣とは勝手が違いますし……」


「またそういうこと言う! 強いんだから、普通に喜べばいいのに」


 そう言って笑うフィナの顔が思ったより近くにあり、俺は少し慌てて視線を戻した。


「……嬉しいですよ」


「ならよし!」


 彼女は満足そうに頷くと、今度はリックの肩を軽く叩いた。


「リックもお疲れ!」


「なんだよ、その慰めるみたいな言い方は」


「えー、だって負けちゃったし?」


「お前、絶対楽しんでるだろ!」


 二人のやり取りに笑いをこらえていると、少し離れたところから低い声が聞こえた。


「ずいぶん賑やかだな」


 振り向くと、ガレスがこちらへ戻ってくるところだった。


 休憩場所の周囲を確認していたらしく、肩に掛けた盾の縁には小さな葉が一枚引っかかっている。ガレスはそれを指で払い落としながら、リックの手にある枝と、俺が持っている枝を見比べた。


「模擬戦か?」


「ああ。ちょっと相手してもらったんだけどよ、こいつ、とんでもねえぞ」


「最後のところは見てたよ。あれじゃ、リックも手が出せんな」


「だろ? こっちは何が起きたかも分からなかったぜ」


 リックが笑いながら枝を肩へ担ぐと、ガレスも口元をわずかに緩めた。


「アルクの剣は、やっぱり相当なもんだな」


 ガレスの視線が、俺の手にした枝へ落ちる。


 その目には、初めて森へ入ったときのような探る色はなかった。


 リックとの短いやり取りを思い返しているのか、枝先から俺の足元へゆっくり視線を移し、それから小さく頷いた。


「ありがとうございます」


 そう答えると、胸の奥が少し温かくなった。


 剣を褒められたことなら、これまでにも何度もある。


 王宮の訓練場では、近衛騎士や指南役から腕前を認められることもあった。


 けれど、そこでは俺が王子であることを誰もが知っていた。


 今、目の前にいるガレスは、俺の生まれも身分も知らない。


 昨日まで何をしていたのかさえ、詳しくは知らないはずだ。


 そんな相手から、剣の腕を認めてもらえる。


 王宮で褒められたときとは少し違う嬉しさが、胸の奥に残った。


「そういえば、アルク」


 ガレスは倒木の端へ腰を下ろし、水筒を取り出しながら俺を見た。


「さっきの槍持ちを倒したあと、お前は何をしてたか覚えてるか?」


「……倒したあと、ですか?」


「ああ」


 問いかけられて、森の中での戦いを思い返した。


 槍の穂先をかわし、相手の手首を斬り、首へ剣を走らせた。


 そこまでは、今でも一つ一つの動きをはっきりと思い出せる。


 けれど、そのあと。


 剣から伝わってきた感触と、落ち葉の上に倒れたゴブリンの姿が浮かんだ。


「……倒れたゴブリンを見ていました」


「そうだな。そのとき、残りの一体がどこにいたか分かってたか?」


 俺は首を横に振った。


「いえ。ガレスさんに声をかけられるまで、気づいていませんでした」


「そうか」


 ガレスは短く頷いた。


 叱るような口調ではなかった。


 ただ、先ほどの戦いを確かめるように、落ち着いた声で話している。


「今日のお前は、剣を振ってる間だけは強かった」


 その言葉に、俺は顔を上げた。


「槍持ちとの戦いは見事だったよ。あの動きなら、同じくらいの魔物が相手でもそう簡単には負けんだろう」


 ガレスはそこで少しだけ間を置き、森の奥へ視線を向けた。


「だが、剣を振る前と、振った後が弱い」


 木々の間を抜けた風が、足元の落ち葉をかすかに揺らした。


 俺は手にしていた枝へ目を落とす。


 剣を振る前。


 森へ入ってから、最初にゴブリンの気配を見つけたのはフィナだった。


 足跡も、折れた枝も、俺にはほとんど見分けられなかった。


 そして、剣を振った後。


 槍持ちを倒したところで、俺の意識は目の前の一体に留まってしまった。


「リックはな、お前ほど綺麗には斬れん」


「おい、ガレス。そこはもう分かったって」


 リックが苦笑すると、ガレスも少し笑った。


「だが、一体倒したらすぐ次を見る。俺やフィナがどこにいるか、自分がどこへ動けばいいか、そういうことを考えながら戦ってるんだ」


 俺は隣に立つリックへ目を向けた。


 先ほどの模擬戦では、確かに俺の方が速く動けた。


 剣の間合いを読むことにも、相手の攻撃を受け流すことにも、自信はある。


 けれど、森の中で四匹のゴブリンを相手にしたとき、リックは自分の敵を倒したあとも周囲を見ていた。


 ガレスが前に出て敵を引きつけ、フィナが弓を構える位置を確かめ、その間を埋めるように動いていた。


 俺には、そこまで見えていなかった。


「剣術の試合なら、目の前の相手に勝てばいい。だが、森じゃそうはいかんからな」


 ガレスはそう言って、近くの茂みへ顎を向けた。


「相手が一体とは限らんし、倒したと思っても別の奴が飛び出してくることだってある。仲間が危ないときに、自分の相手だけ見てたんじゃ間に合わん」


「……はい」


 先ほどのフィナの姿が脳裏に浮かんだ。


 最後のゴブリンが棍棒を振り上げ、彼女へ向かって駆け出したとき、俺は剣では届かない場所にいた。


 《ダーク》が間に合ったからよかったものの、ガレスの声がなければ、そもそも気づくことさえできなかったかもしれない。


 そのことを考えると、自然と左手に力が入った。


 剣を振るうことには、慣れている。


 相手の呼吸を読み、踏み込みを見極め、刃を交わす。王宮で繰り返した訓練のおかげで、そこには迷いがない。


 けれど、森の中で仲間と戦うことは、剣術の試合とはまるで違っていた。


 もしフィナが最初のゴブリンを見つけていなかったら。


 もしガレスが敵を引きつけてくれなかったら。


 俺は、同じように剣を振るえていただろうか。


 考え始めると、先ほどまで自分の剣だけを見ていたような気がしてきた。


 俺が黙っていると、ガレスは少し声を和らげた。


「まあ、最初から全部できる奴なんていねえさ。お前は今日が初めてのパーティー戦闘なんだろ?」


「はい」


「だったら、これから覚えりゃいい。剣の腕は十分あるんだからな」


 ガレスはそう言って立ち上がり、腰の装備を確かめた。


 俺はすぐには返事をせず、手にした枝を見つめていた。


 王宮で十年間、剣を振り続けてきた。


 その時間が無駄だったとは思わない。


 むしろ、今日の戦いでは、積み重ねてきたものが確かに自分を支えてくれた。


 ただ、それだけでは届かないものがある。


 目の前の敵を倒すことと、仲間とともに戦い抜くことは、同じではないのだ。


 ふと顔を上げると、フィナが少し離れた場所で弓の弦を確かめていた。


 リックは魔石を入れた革袋を荷物へしまい、ガレスは次に進む方角を見定めている。


 どれも、ごく当たり前の動作に見えた。


 けれど、今朝の俺なら、その一つ一つに目を留めることさえなかったかもしれない。


 剣を抜けば、俺にもできることは多い。


 でも、冒険者としては、まだ知らないことの方がずっと多いのだろう。


 そう思うと、不思議と胸が軽くなった。


 王宮での十年間は、剣を上達させるための日々だった。


 昨日より速く、昨日より正確に、昨日より強く。


 その繰り返しの中で、少しずつ自分の技術を磨いてきた。


 けれど、ここには剣以外にも学ぶべきことがある。


 それを教えてくれる人たちが、すぐ近くにいる。


「アルク!」


 フィナの声に振り向くと、彼女が弓を肩へ掛けながらこちらへ手を振っていた。


「そろそろ出発だって! 置いてっちゃうよー!」


「あ、はい! 今行きます!」


 慌てて立ち上がると、リックが笑いながら俺の背負い袋を指さした。


「おい、荷物忘れてるぞ」


「……すみません」


「ははっ! 剣はすげえのに、そういうところは新人だな!」


 リックの笑い声に、フィナも声を上げて笑った。


 俺は少し照れくさくなりながら背負い袋を肩へ掛け直し、二人の後を追った。


 歩き始めると、足元の落ち葉が乾いた音を立てた。木々の間を抜ける風は涼しく、頭上では小鳥が枝を渡っている。見慣れない森の景色は相変わらずどこまでも続いていたが、さっきまで何となく眺めていたものが、少しだけ違って見えた。


 木の根元に残る小さな窪み。茂みの奥へ続く獣道。風に揺れる枝葉の向こう側。


 それらが何を意味しているのか、まだ俺にはよく分からない。


 少し前を歩くフィナは、ときおり足元へ目を向け、何かを確かめるように歩幅を変えている。


 リックはその後ろで周囲を見渡し、ガレスは全員の歩調を確かめながら進んでいた。


 俺は三人の動きを見つめ、それからもう一度、足元の落ち葉へ目を向けた。


 先ほどまで、ただの森の景色だと思っていた。


 けれど、フィナには何が見えているのだろう。


 そう考えながら歩いていると、少し前を行く彼女が振り返った。


「アルク、何見てるの?」


「いえ、フィナさんは歩きながら、どんなところを見ているのかなと思って」


「えっ、そんなこと?」


 フィナは一瞬きょとんとしたあと、ぱっと笑った。


「じゃあ、次は足跡の見つけ方も教えてあげる! 慣れると結構面白いんだよ」


「本当ですか?」


「もちろん! でも、ちゃんとついてきてね。森の中じゃ、足元ばっかり見てても危ないから!」


 そう言って、フィナは軽い足取りで前を向いた。


 俺もその後を追いながら、足元の落ち葉へ目を向けた。


 木の根元には小さな窪みがあり、湿った土の上には、何かが通ったような跡も残っている。


 けれど、それが獣の足跡なのか、ただの地面の凹凸なのか、今の俺には見分けがつかなかった。


 少し先で、フィナが倒木を軽やかに越えた。


 俺も続こうとして、ふと足を止める。


 倒木の脇で、落ち葉が一方向へ押し寄せられていた。


 その下には浅い窪みがあり、少し離れた場所にも、よく似た跡が残っている。


「アルクー! 早くおいでよ!」


「あ、はい!」


 フィナの声に顔を上げ、俺は再び歩き始めた。


 森の中には、まだ知らないことがいくらでもある。


 俺は仲間たちの後を追いながら、もう一度だけ、倒木の脇へ目を向けた。


 二つの浅い窪みは、揺れる木漏れ日の下で、すでに落ち葉の陰に隠れかけていた。

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