第10話 初めての仲間
冒険者になって五日目の朝、グランベルの街には、夜の冷たさをわずかに残した風が吹いていた。
東の空から昇り始めた太陽が石造りの建物の屋根を照らし、通りの両側では商人たちが店を開く準備を進めている。荷車の車輪が石畳を軋ませ、パン屋の煙突からは白い煙が細く立ち上っていた。焼きたてのパンの香りに、どこかの家で焚かれている薪の匂いが混じり、街全体がゆっくりと目を覚ましていくようだった。
俺はそんな朝の通りを歩きながら、昨日のギルドでの出来事を思い返していた。
角兎三体の討伐を終えて戻った俺に、酒場の先輩冒険者たちが声をかけてくれたのだ。
グレイウルフを一人で倒したことには驚かれたものの、角兎の討伐については、冒険者なら当然経験する仕事の一つとして受け止められていた。
その反応が、少し嬉しかった。
王宮では、何かができれば王族として当然だと言われ、できなければ王族にふさわしくないと判断された。
剣術の腕を磨いても、それが自分自身の評価につながっているのか、王家の第三王子という立場に向けられたものなのか、よく分からないことがあった。
けれど、昨日の冒険者たちは違った。俺がどこの誰なのかも知らず、ただ一人の新人冒険者として話しかけてくれた。
『最初からちょっと戦える奴が、一番危ねえんだ』
最後に言われた忠告も、今になって思えばありがたかった。
自分の腕を過信するなという言葉には、実際に魔物と戦い、生き残ってきた人間の重みがあった。
腰に下げた剣の柄へ軽く触れながら、俺は冒険者ギルドへ向かう角を曲がった。
今日は何をしようか。
薬草採取なら、もう一人でも問題なくこなせるだろう。
角兎の討伐も、昨日の経験を生かせば、以前より落ち着いて対応できるはずだ。
ただ、それだけでは、昨日と同じことの繰り返しになってしまう気もした。
まだ知らない魔物もいるし、闇魔法の使い方にも、試してみたいことがいくつもある。
何より、昨日見かけた冒険者たちの姿が気になっていた。
仲間と地図を広げ、依頼について相談し、装備を確かめ合ってから出発していく者たち。
彼らは俺と同じ冒険者でありながら、まるで違う世界を知っているように見えた。
ああいう仕事の仕方も、いつか覚えなければならないのだろう。
そんなことを考えながら、俺はギルドの扉を押し開けた。
◇
朝の冒険者ギルドは、すでに大勢の人々で賑わっていた。
受付前には依頼を受けようとする冒険者たちが列を作り、酒場の一角では、朝食を取りながら地図を囲んでいる一団がいる。革鎧の留め具を締め直す金属音や、木の杯が卓上へ置かれる音があちこちから聞こえ、厨房から漂う温かなスープの匂いが、外の冷えた空気を忘れさせてくれた。
俺は掲示板へ近づき、空いている場所から依頼書を眺め始めた。
薬草採取、荷運び、街道周辺の警戒、低級魔物の討伐。
見慣れた依頼が並ぶ中、中央付近に新しく張り出された一枚の羊皮紙が目に留まった。
《東部森林・ゴブリン討伐》。
以前見かけた時には、東部森林でのゴブリンの生息状況を確認する調査依頼だったはずだ。
どうやら、その後の調査で複数の個体が確認され、正式な討伐依頼へ切り替わったらしい。
推奨ランクはE級以上。
俺はまだF級なので、通常なら受けられない依頼だったが、下の方に追記があることに気づいた。
《F級冒険者も参加可能。ただし、E級以上を含む複数人で行動すること》
その一文を読み返しながら、俺は以前、ギルドで聞いたゴブリンの話を思い出した。
人型の魔物で、粗末ながら武器を扱い、複数で行動することもあるという。
草原を一直線に突進してくる角兎とも、獣の本能に従って襲いかかってきたグレイウルフとも違い、こちらの動きを見て、隙を狙ってくる相手らしい。
剣術の訓練では、人間を相手にした戦いを何度も経験してきた。
もちろん、木剣を使った模擬戦と実際の魔物との戦闘が同じでないことは、すでに身をもって知っている。
それでも、武器を持つ相手との間合いや、攻撃の起こりを読むことについては、これまでの経験が役立つかもしれない。
それに、昨日ようやく形になり始めた《ダーク》の使い方も試してみたかった。
相手の視界だけを小さな闇で覆い、その隙に剣で仕留める。
角兎相手には一定の手応えがあったが、武器を使う魔物にも通用するのだろうか。
そう考えてから、俺はもう一度、依頼書の追記へ視線を戻した。
複数人で行動すること。
問題は、一緒に行動してくれる相手がいないことだ。
周囲を見渡すと、掲示板の前では三人組の冒険者が相談しながら依頼書を選んでいる。少し離れた場所では、弓を背負った女性が仲間を呼び、受付へ向かって歩き始めていた。
今の俺には、声をかけられるような知り合いがほとんどいない。
けれど、いつまでも一人で依頼を受け続けるわけにもいかないだろう。
俺は少し考えてから依頼書を剥がし、受付へ向かった。
「駄目です」
エレナは、俺が受付台の前に立つなり、そう言った。
「……まだ何も言ってません」
「言わなくても分かります」
銀縁の眼鏡の奥で、蜂蜜色の瞳がわずかに細められる。
栗色の髪を後ろでまとめ、白いブラウスに濃紺のベストを合わせた彼女は、今日もきちんとした身なりをしていた。受付台へ身を乗り出すと、柔らかな胸元に沿ってベストの生地がわずかに張り、俺は不意に目のやり場に困って、慌てて手元の依頼書へ視線を戻した。
昨日、冒険者証を受け取った時に指先が触れてしまったことまで思い出してしまう。
ほんの一瞬だったのに、なぜこんなことまで覚えているのだろう。
「アルクさん?」
「あ、はい」
「聞いていますか?」
「もちろんです」
エレナは少し疑わしそうな顔をしたが、それ以上は追及せず、俺の手にある依頼書へ視線を落とした。
「その依頼はE級以上が推奨ですよ」
「でも、ここにF級も参加可能と書いてあります」
「条件がありますよね?」
「E級以上を含む複数人で行動すること、です」
「では、一緒に行動するパーティーは決まっているんですか?」
「……まだです」
「それでは受けられません」
あまりにも迷いのない返事だった。
「募集すれば、誰か見つかるかもしれませんし……」
「今日初めて会った人たちと、そのままゴブリンのいる森へ入るつもりですか?」
「それは……やっぱり危ないですか?」
エレナはすぐには答えず、依頼書を受付台へ置いた。
彼女の指先が羊皮紙の端を押さえ、少し考えるように目が伏せられる。眼鏡の奥へ長い睫毛の影が落ち、先ほどまでのきっぱりとした表情が、どこか思案深いものへ変わった。
周囲では、冒険者たちが次々と依頼を選び、受付へやって来ている。隣の窓口からは報酬について相談する声が聞こえ、酒場の方では、誰かが朝から景気よく笑っていた。
そんな賑わいの中で、エレナはしばらく黙っていた。
「……アルクさん」
やがて、彼女が顔を上げた。
「どうして、そんなに急いで強くなろうとするんですか?」
思いがけない質問だった。
俺は答えようとして口を開いたが、すぐには言葉が出てこなかった。
王宮を追放されたから。
闇魔法士という適性を理由に、父から王家に必要のない存在だと判断されたから。
そんな答えが頭の中に浮かんだが、今の俺が毎朝ギルドへ通い、新しい依頼を探している理由は、それだけではない気がした。
受付台の上に置かれた依頼書へ目を向ける。
その向こうでは、依頼を受け終えた冒険者たちが仲間を呼び、笑いながら出口へ向かっていた。彼らは自分たちで仕事を選び、そのために必要な準備をして、街の外へ向かおうとしている。
俺も、そうなりたかった。
「……自分で生きていけるようになりたいんです」
口にしてみると、それが一番しっくりくる答えだった。
エレナは何も言わず、続きを待っている。
「今までは、必要なものを何でも誰かに用意してもらっていました。食事も、服も、剣も……自分で考えなくても、次に何をすればいいのか決まっていたんです」
王族だったことは言えないので、言葉を選びながら続けた。
「でも、今は違います。どんな仕事をするのかも、何を買うのかも、全部自分で決めなきゃいけない。剣には自信がありますけど、それだけじゃ冒険者としてやっていけないことも、少しずつ分かってきました」
昨日の草原で、角兎の動きを追いながら《ダーク》を使った時のことが蘇る。
剣の腕前だけなら、相手に遅れを取るつもりはなかったが、魔法を使うという新しい行動が加わった途端、いつもどおりに剣を振るうことさえ難しくなった。
「魔法の使い方も、魔物との戦い方も、まだ知らないことばかりです。だから、自分に何ができて、何ができないのかを知りたいんです」
話し終えると、エレナはしばらく俺を見つめていた。
眼鏡の奥の瞳には、先ほどまでの厳しさが残っていたが、その表情は少し柔らかくなっている。
やがて、彼女は小さく息を吐いた。
「……分かりました」
「いいんですか?」
「ただし、条件があります」
エレナは受付台の下から帳簿を取り出した。何枚かページをめくると、目的の場所をすぐに見つけたらしく、指先が一か所で止まる。
「こちらでパーティーを紹介します。ちょうど、今回の討伐依頼に協力してくださる方たちがいるんです」
「そんなこともしているんですか?」
「はい。新人冒険者と経験者の仲介も、ギルドの仕事の一つですから」
エレナは何でもないことのように答えたが、帳簿の開かれたページには、小さな紙片が挟まれていた。
「……ずいぶん、すぐに見つかるんですね」
「そうですか?」
彼女は一度だけ俺の顔を見て、すぐに帳簿へ視線を戻した。
「ちょうど、紹介できる方たちがいてよかったです」
その口調はいつもどおり落ち着いていたが、なぜか少しだけ話を急いでいるようにも聞こえた。
もっとも、朝のギルドは忙しい。俺一人にいつまでも時間をかけてはいられないのだろう。
「リーダーのガレスさんはC級冒険者です。経験豊富で、特にパーティーの安全管理に優れた方ですね。剣士のリックさんはD級、斥候のフィナさんはE級です。三人とも普段から一緒に活動されているので、連携もしっかりしていますよ」
「……C級ですか?」
思わず聞き返してしまった。
C級といえば、俺に魔法を教えてくれたロイドさんと同じランクだ。
冒険者になってまだ数日しか経っていない俺にとっては、ずいぶん遠い存在に思える。
「でも、どうしてC級の方がE級の討伐依頼を?」
「今回は、ギルドから協力をお願いしているんです」
エレナはそう言って、依頼書の内容を確かめるように視線を落とした。
「東部森林では、調査によって複数のゴブリンが確認されています。討伐そのものはE級相当ですが、森の中で複数の魔物を相手にする以上、経験の浅い冒険者だけでは不測の事態に対応できないこともありますから」
なるほど、と俺は頷いた。
依頼の難度がE級でも、実際の戦闘では予想外のことが起きるかもしれない。
そうした時に経験豊富な冒険者がいれば、判断を誤る危険も減るのだろう。
「ガレスさんには、討伐への協力と、経験の浅い冒険者が同行する場合の指導をお願いしています。ただし、アルクさんを受け入れるかどうかは、最終的にガレスさんの判断になります」
「それでも、ぜひお願いします」
俺がそう答えると、エレナは小さく頷いた。
「分かりました。でも、これだけは約束してください。リーダーの指示には必ず従うこと。それから、魔法を使う時には、仲間の位置をよく考えること」
「はい」
「昨日みたいに、思いついたことをそのまま試すのは駄目ですよ?」
「……やっぱり、昨日のことは怒ってますか?」
「怒っているというより、心配しているんです」
その言葉が、思いのほか胸に残った。
エレナは少し困ったように微笑み、受付台の上で両手を重ねた。
「アルクさんは、剣の腕前に自信があるんでしょう? でも、今回は一人ではないんです。自分の判断が、仲間の危険につながることもあるんですよ」
俺はその言葉を、少し考えてから頷いた。
昨日、自分の視界を失わないように《ダーク》の大きさを調整した時、
考えていたのは自分と魔物の位置関係だけだった。けれど、もし隣に仲間がいたら、同じようにはいかないのだろう。
「……分かりました。気をつけます」
「はい。それから、もう一つ」
エレナはそこで少しだけ声を和らげた。
「ちゃんと帰ってくること」
俺は思わず顔を上げた。
彼女は真剣な表情のまま、こちらを見つめている。
「それも条件ですか?」
「一番大事な条件です」
冗談を言っている様子はなかった。
その眼差しを受け止めながら、俺は静かに頷いた。
「……はい。必ず帰ってきます」
そう答えると、エレナの口元に、ようやく小さな笑みが浮かんだ。
いつもの受付嬢らしい丁寧な笑顔より、少しだけ温かく見える。
「それでは、皆さんをご紹介しますね」
彼女は帳簿を閉じ、受付台の奥から立ち上がった。
俺はその後ろについて、ギルド酒場の方へ歩き始めた。
◇
紹介された三人は、ギルド酒場の奥にある丸テーブルを囲んでいた。
朝食を終えたところなのだろう。卓上には空になった木皿と飲みかけの水差しが置かれ、その脇には東部森林の周辺を描いた地図が広げられている。
近づいていくと、赤毛の青年が地図の一か所を指さしながら、何やら楽しそうに話している声が聞こえてきた。
「だからさ、こっちから回った方が早いだろ? 森の中を真っすぐ抜ければ、半刻くらいは短縮できるって」
「その道、前にぬかるみで足を取られたの、誰だったっけ?」
向かいに座る金髪の女性が、からかうように言った。
「……あれは雨の後だったからだろ」
「今回も昨日の夜に少し降ったよね?」
「お前、そういうことばっかり覚えてるな」
「斥候だからね。覚えておくのも仕事なの」
女性が得意そうに笑うと、テーブルの奥に座る大柄な男が、地図の上へ太い指を置いた。
「余計なことを言ってないで、こっちを通るぞ。森へ入る前に地面の状態を確かめられるし、何かあっても街道へ戻りやすい」
「へいへい。分かりましたよ、リーダー」
赤毛の青年が肩をすくめると、女性が小さく吹き出した。
三人のやり取りには、長く一緒に行動してきた者同士の気安さがあった。
俺は少し離れたところで足を緩め、その様子を眺めた。
王宮の騎士たちも、訓練の合間には冗談を交わすことがあった。
けれど、目の前の三人は、それよりもずっと遠慮がないように見える。
そんな時、エレナが声をかけた。
「ガレスさん」
エレナが声をかけると、大柄な男が地図から顔を上げた。
「おう、エレナ。……例の新人か?」
「はい。F級のアルクさんです」
ガレスと呼ばれた男は、俺の姿を見てから、ゆっくりと視線を下げた。
三十歳を少し過ぎたくらいだろうか。短く刈り込まれた焦げ茶色の髪に、無精髭の残る精悍な顔立ち。日焼けした肌には細かな傷痕があり、広い肩と分厚い胸板を覆う革鎧には、金属製の補強板が重ねられていた。
椅子の横には使い込まれた円盾が立てかけられ、腰には片手斧が下がっている。どちらも数多くの傷が残っていたが、革紐や金具には緩みがなく、丁寧に手入れされていることが分かった。
ガレスの視線は、俺の顔から肩、腰の剣、足元へと順番に動いた。
その見方には覚えがある。
王宮の剣術教官たちが、訓練前に俺の立ち姿を確かめる時と、よく似ていた。
「……なるほどな。お前さんが気にしてたのは、こいつか」
「ガレスさん」
エレナが小さく咎めるように名前を呼ぶと、ガレスは口元を緩めた。
「分かってる。まずは話を聞くだけだ」
エレナはいつもと変わらない表情で、俺の方へ向き直った。
「アルクさん、こちらがガレスさんです。今回の討伐依頼では、パーティーの指揮を執ってくださいます」
「アルクです。よろしくお願いします」
俺が頭を下げると、ガレスは軽く頷き、向かいの椅子を指さした。
「まあ、座れ。十五歳の闇魔法士、だったな」
「はい」
「……まったく。エレナ、お前さんはいつも面倒な新人を連れてくるな」
「ガレスさんなら、安心してお任せできますから」
「そう言われると断りづらいだろうが」
ガレスは呆れたように息を吐いたが、エレナは涼しい顔で微笑んでいる。
「まず聞くが、お前は何ができる?」
「剣術と、闇魔法です」
「……闇魔法士なのに、剣を使うのか?」
「はい。剣術は十年ほど習っていました」
その答えに、向かいに座っていた赤毛の青年が、面白そうに声を上げた。
「ははっ、なんだそりゃ。面白え新人が来たな」
青年は二十歳を少し過ぎたくらいで、俺より一回り大きな身体に革鎧をまとっている。やや長めの赤毛が額にかかり、笑うと人懐っこい雰囲気が強くなった。
腰には使い込まれた長剣を下げており、柄の革巻きは何度も握られたらしく、ところどころ色が濃くなっていた。
「俺はリック。D級の剣士だ。よろしくな」
「アルクです。よろしくお願いします」
「おう。堅苦しいのはなしでいいぜ」
リックは気さくに笑い、空いている椅子を顎で示した。
その隣では、短い金髪の女性が、俺たちのやり取りを興味深そうに眺めていた。
年齢は俺より少し上だろうか。軽装の革鎧に短い外套を羽織り、椅子の背には弓が掛けられている。身体つきは細身だが、弓を扱うために鍛えられた肩や腕には、無駄のないしなやかさが感じられた。
短く整えられた金色の髪が頬の辺りで軽く揺れ、彼女が笑うと、明るい青緑色の瞳がいたずらっぽく細められる。
座った姿勢から少し身を乗り出すと、革鎧の下にある引き締まった腰の線が外套の隙間から覗いた。動きやすさを優先した装備なのだろうが、軽やかな身のこなしには、年頃の女性らしい柔らかさも感じられる。
「私はフィナ。弓と索敵が担当だよ。森のことなら、少しは頼りにしてくれていいからね。よろしく、アルク!」
「よろしくお願いします」
俺が頭を下げると、フィナは明るく笑った。
「そんなに緊張しなくていいよ。ガレスは顔が怖いだけだから」
「……聞こえてるぞ、フィナ」
「聞こえるように言ったんだもん」
フィナが平然と答えると、リックが声を上げて笑った。
ガレスは呆れたように鼻を鳴らしたが、本気で怒っている様子はない。
俺もつられて笑ってしまった。
初めて会ったばかりの冒険者たちだったが、彼らの間にある気安い雰囲気は、思っていたよりずっと居心地がよかった。
「さて、アルクだったな」
ガレスが改めてこちらを向いた。
「剣を使うと言ったが、どれくらいの経験がある?」
「十年ほどです」
「……十年?」
リックが思わず身を乗り出した。
「お前、いくつだよ?」
「十五です」
「五歳から剣を振ってたのか? どんな家だよ」
昨日も同じことを聞かれた気がする。
「……ちょっと厳しい家だったので」
俺がそう答えると、リックは目を丸くしたあと、楽しそうに笑った。
「そりゃ、ずいぶん厳しいな」
ガレスはそれ以上、家のことを尋ねてこなかった。
代わりに、俺の腰へ視線を落とす。
「剣は抜かなくていい。柄に手を置いてみろ」
「こうですか?」
俺は椅子から立ち上がり、いつものように右手を剣の柄へ添えた。
剣を抜くつもりはなかったが、身体は自然に動きやすい位置へ収まる。
右足をわずかに引き、腰を落ち着かせると、肩から余計な力が抜けていった。
ガレスは俺の手元を見たあと、足元へ視線を移した。
さらに、剣の鞘と身体の距離を確かめるように、少し角度を変えて眺めている。
「……なるほどな」
「何か分かるんですか?」
「少なくとも、昨日今日で剣を覚えた奴の立ち方じゃねえな」
ガレスはそう言ってから、顎を軽く撫でた。
「抜く時に邪魔にならない位置へ自然に足を置いてるし、柄へ手を伸ばしても肩が上がらねえ。剣を振ること自体は、相当身体に染みついてるようだ」
その言葉を聞いて、リックも俺の立ち姿を改めて眺めた。
「へえ。見た目よりずっとやるのかもしれねえな」
「見た目より、って何ですか?」
「いや、十五歳の魔法士が剣を下げてるって聞いたら、普通は飾りだと思うだろ?」
「……またそれですか」
思わずため息をつくと、フィナが楽しそうに笑った。
「気にしないで。リックは自分と同じ剣士が増えて嬉しいんだよ」
「おい、勝手に決めるなよ」
「違うの?」
「……まあ、少しはな」
リックが頭を掻き、俺もつられて笑ってしまった。
けれど、ガレスはすぐに表情を引き締めた。
「剣が使えるなら、それはそれでいい。だが、森ではこっちを基準に見る」
そう言って、彼は俺の腰から下がる冒険者の木札を指さした。
そこには、F級を示す文字が刻まれている。
「剣が上手いことと、冒険者として経験があることは別だ。剣で勝てても、森で死ぬ奴はいくらでもいる」
低く落ち着いた声だった。
昨日、先輩冒険者から聞いた忠告が蘇る。
最初から少し戦える者ほど、自分にできることとできないことの境目を見誤りやすい。
「……分かりました」
「ならいい。今回の依頼では、俺の指示を優先してもらう。勝手に前へ出たり、仲間から離れたりするな」
「はい」
「それから、魔法を使う時もだ。何ができるのか、事前に俺たちへ伝えておけ」
俺は少し考えてから答えた。
「今使えるのは《ダーク》です。小さな範囲に闇を作って、相手の視界を妨げることができます。ただ、動かせる距離はまだ短くて、剣を振りながら同時に操ることもできません」
ガレスは頷きながら聞いていた。
「なるほど。つまり、魔法を使ってる間は剣が遅れるってことか」
「……はい。切り替える時にも、少し時間がかかります」
「なら、無理に両方使おうとするな。森で実際にどう動くかは、相手を見てから決める」
ガレスの言葉は簡潔だった。
自分の魔法を過大評価せず、今できることだけを伝える。
ガレスも、それを聞いたうえで、無理のない使い方を考えてくれている。
一人で戦っていた時には、こうして誰かと自分の能力について相談することなどなかった。
「分かりました」
「よし。出発は明朝だ。東門へ、日の出から半刻後に集合。遅れるなよ」
「はい」
ガレスは卓上の地図を畳み、続けて俺の装備へ視線を向けた。
「今日は準備をしておけ。水、保存食、包帯、火口箱、解体用ナイフ、予備の布……その辺りは持ってるか?」
「水はあります」
「他は?」
「……解体用の小刀も」
「それ以外は?」
「ありません」
ガレスはしばらく黙って俺を見つめた。
それから、ゆっくりとエレナの方へ顔を向ける。
「……本当にこいつを連れていくのか?」
「ですから、経験のあるガレスさんにお願いしているんです」
エレナは落ち着いた声で答えた。
「教育係まで依頼内容に入ってねえぞ」
「今回は新人冒険者の実戦指導もお願いしていますよ」
「……そうだったな」
ガレスが苦々しげに頷くと、フィナが吹き出した。
「大丈夫だよ、アルク。リックだって、この前、水筒を忘れてきたんだから」
「おい、あれは出発前に気づいただろ」
「私が気づいたんだけどね」
フィナが得意そうに笑うと、リックは返す言葉を失い、ガレスが呆れたように首を振った。
「お前らまで余計なことを言うな。話が進まねえだろうが」
その声に、三人が揃って笑う。
俺も思わず口元を緩めた。
初めて会ったばかりの冒険者たちだったが、彼らの間にある気安い雰囲気は、思っていたよりずっと居心地がよかった。
ガレスが地図をしまい終えると、改めて俺を見た。
「アルク、明日は初めてのパーティー行動だ。剣の腕を見せようなんて考えなくていい。まずは俺たちがどう動くか、よく見ておけ」
「……はい」
「それと、分からないことがあれば聞け。森へ入ってから黙ってられる方が困る」
その言葉に、俺は素直に頷いた。
ガレスは見た目こそ厳ついが、話してみると、こちらの未熟さをきちんと理解したうえで接してくれていることが分かる。
リックもフィナも、俺を特別扱いすることなく、自然に会話へ迎え入れてくれた。
明日から、この人たちと一緒に戦うのだ。
まだ少し実感は湧かなかったが、胸の奥には、これまでとは違う期待が静かに膨らみ始めていた。
◇
ギルドを出た頃には、太陽が街の屋根を越え、石畳の通りへ明るい光を落としていた。
俺はガレスから教えてもらった品物を忘れないよう、紙に書き留めてから商業区へ向かった。
朝の市場は、昼へ近づくにつれてますます賑わいを増していた。野菜を積んだ荷車が店先へ止まり、魚屋では氷を敷いた木箱の上に銀色の魚が並べられている。道端では布を売る商人が客へ声をかけ、その向こうからは、焼いた肉と香辛料の匂いが風に乗って流れてきた。
俺はその人混みを避けながら、まず道具屋へ入った。
店内には大小さまざまな水筒や革袋が吊るされ、棚には火口箱や包帯、丈夫な布などが整然と並んでいる。
王宮では、こうした品々を自分で選ぶ機会などほとんどなかった。
必要なものは、いつの間にか用意されていたからだ。
俺は棚に並ぶ水筒を手に取り、革の厚みや口の締まり具合を確かめた。
「兄ちゃん、それなら森へ持っていくには少し大きいぞ」
店主らしい中年の男が、奥から声をかけてきた。
「そうなんですか?」
「日帰りなら、こっちで十分だ。大きいのは水がたくさん入るが、その分重くなる」
言われてみれば、そのとおりだった。
俺は勧められた水筒を持ち上げ、肩から下げた時の重さを確かめてから購入することにした。
続いて包帯と予備の布を選び、火口箱については、店主に使い方を教えてもらった。
店主が火打ち石を打ち合わせると、乾いた音とともに小さな火花が散った。
俺はその動きを目で追い、同じように試してみたが、最初は思うように火花が飛ばなかった。
「力任せにやるんじゃない。角度だよ、角度」
そう言われて何度か試すうちに、ようやく火花が散った。
剣なら、身体の使い方を意識するまでもなく動ける。
けれど、火口箱一つ扱うにも、初めてのことには慣れが必要だった。
俺は思わず苦笑しながら、買った道具を鞄へ収めた。
保存食は、別の店で買い揃えた。
硬く焼いたパン、乾燥させた肉、塩漬けの野菜。日持ちのするものを選んでいると、昨日、メルが昼食に持たせてくれた干し果物のことを思い出した。
あの小さな甘さは、草原で一人休んでいた時、思っていた以上に嬉しかった。
店先に並ぶ干し果物へ少しだけ目を向けたが、今回は必要なものを優先することにした。
買い物を終えて革袋の中身を確かめると、朝よりも硬貨が減っている。
銀貨や銅貨を支払うたび、生活に必要なものが少しずつ揃っていく一方で、手元に残る金は確実に少なくなっていた。
王宮にいた頃、金銭について学ぶ機会はあった。
穀物の値段が上がれば民の生活が苦しくなることも、税が人々の暮らしへ与える影響も、知識としては教わってきた。
けれど、目の前の水筒を買うか、別の道具を優先するかという選択は、そうした授業とはまるで違っていた。
俺は革袋の口を締め直し、最後に武器屋へ向かった。
◇
商業区の一角に、その店はあった。
軒先には鉄製の看板が吊るされ、槌と炎を組み合わせた意匠が刻まれている。
《鉄火の槌》。
通りに面した扉は厚い木で作られており、開けると金具が小さく鳴った。
店内へ足を踏み入れた途端、鉄と油、それに微かな炭の匂いが鼻へ届く。
壁には剣や槍、斧が並び、棚には砥石や手入れ油、革紐、予備の柄などが所狭しと置かれていた。窓から差し込む光が磨かれた刃へ反射し、薄暗い店内のあちこちで小さく輝いている。
王宮の武器庫とは、ずいぶん違う場所だった。
あちらに並んでいた武器は、どれもよく磨かれ、傷一つない状態に整えられていた。けれど、この店には、刃に細かな傷の残った中古剣や、柄だけ新しく巻き直された短剣、何度も修理された跡のある盾まで並んでいる。
どれも実際に使われ、傷つき、それでも再び戦うために手入れされてきたものなのだろう。
俺が壁の剣を眺めていると、店の奥から低い声が響いた。
「坊主、何がいる」
振り返ると、厚い革の前掛けを着けた大男が立っていた。
禿頭の頭には汗が光り、露出した太い腕には古い火傷の痕がいくつも残っている。無骨な手には細かな傷が刻まれ、指先には黒い油が染みついていた。
「剣の手入れ用の油と布を探しているんです」
「剣を見せろ」
「……え?」
「手入れするんだろ。剣を見なきゃ、何を売るか決められん」
そう言われて、俺は少し驚いた。
剣の手入れ油なら、どれも同じようなものだと思っていたからだ。
けれど、男は当然のことのように手を差し出している。
俺は腰から剣を外し、鞘ごと渡した。
男は受け取ると、慣れた手つきで剣を抜いた。
最初は何気なく刃を眺めていたが、すぐにその表情が変わった。
窓から差し込む光へ剣をかざし、角度を変えながら刃の表面を確かめる。続いて峰へ指を添え、鍔の作りを調べ、柄を握って重心を確かめるように軽く動かした。
その動作には、剣を扱う者とは少し違う、職人らしい慎重さがあった。
「……妙なもん持ってるな、坊主」
「妙ですか?」
「物はいい。かなりいい」
男はそう言いながら、もう一度刃を光へかざした。
「鍛えも丁寧だし、鋼もいい。重心も、人間相手なら扱いやすいところに置いてある。だが……」
男は刃の幅を指先で示した。
「冒険者向きじゃねえな」
その言葉に、胸の奥がわずかにざわついた。
俺は男の手の中にある剣を見つめた。
磨かれた刃が窓の光を受け、細い銀色の線を描いている。
その輝きを見た瞬間、十歳の誕生日の朝のことが、ふと蘇った。
あの日、自室の窓からは柔らかな朝の光が差し込み、机の上には見覚えのない剣が置かれていた。
侍従は、それが父から与えられたものだと教えてくれた。
父から直接手渡されたわけではない。誕生日を祝う言葉をもらった記憶もなかった。
それでも、あの時の俺は嬉しかった。父が、自分のために剣を用意してくれたのだと思ったからだ。
それから五年間、俺はその剣とともに訓練を続けてきた。
王宮を出る時にも、わずかな金とともに、持ち出すことを許された数少ないものの一つだった。
「……どうして、冒険者向きじゃないんですか?」
「細身すぎる」
男は刃を軽く傾け、幅を示した。
「人間を相手にするなら、いい剣だ。速いし、取り回しもいい。急所を狙うにも向いてる。だが、魔物は人間みたいな身体をした奴ばかりじゃねえ」
そう言って、壁に掛けられた幅広の剣へ顎を向けた。
「分厚い皮を持つ奴もいれば、硬い甲殻に覆われた奴もいる。骨そのものが馬鹿みたいに太い奴だってな。そういう相手を何度も叩き斬れば、こいつじゃ刃の方が先に参っちまう」
俺は男の手の中にある剣を見つめた。
王宮では、人間を相手にする剣術を学び、訓練用の剣で教官と打ち合い、間合いを測り、相手の動きを読み、正確に急所を捉えることを繰り返してきた。
けれど、魔物には人間とは異なる身体を持つものがいる。
剣術の技量がどれほど高くても、武器そのものが相手に適していなければ、十分に力を発揮できないのかもしれない。
「……じゃあ、買い替えた方がいいですか?」
「今すぐはいらん」
意外な答えだった。
武器屋なのだから、新しい剣を勧めるものだと思っていた。
男はそんな俺の表情を見て、鼻を鳴らした。
「今のお前が相手にする魔物なら、まだ十分使える。手入れしながら使え。本当に足りなくなった時に、買い替えりゃいい」
「……売らないんですね」
「必要ねえ奴に売りつけてどうする」
男は剣を鞘へ戻し、こちらへ差し出した。
「剣が駄目になる前に客が死んだら、次の商売にならん」
「……なるほど」
ずいぶん現実的な理由だった。
けれど、その言葉には妙な説得力があった。
「俺はドラン。《鉄火の槌》の店主だ。刃が欠けたら持ってこい」
「アルクです。よろしくお願いします」
「おう。覚えとく」
ドランは棚から小瓶と布を取り出し、作業台の上へ置いた。
「この剣なら、油はこいつでいい。使った後は汚れを落として、薄く塗っておけ。つけすぎる必要はねえ」
俺は教えられた手順を頭に入れ、代金を支払った。
買ったばかりの油と布を鞄へしまい、剣を腰へ戻す。
その時、ドランがもう一度、俺の剣へ目を向けた。
「アルク」
「はい?」
「その剣、大事にしろよ」
俺は思わず足を止めた。
「いい鍛冶師が打ってる。持ち主が雑に扱わなきゃ、まだしばらくは応えてくれる」
ドランの声は、先ほどまでと変わらず無骨だった。
けれど、その言葉は不思議と胸に残った。
「……はい。大事にします」
俺がそう答えると、ドランは満足そうに頷き、再び作業台の方へ戻っていった。
◇
《鉄火の槌》を出ると、商業区には午後の穏やかな光が差し込んでいた。
午前中には人で溢れていた市場も、少しずつ落ち着きを取り戻し始めている。店先では売れ残った品を片づける商人たちが声をかけ合い、通りの向こうからは、荷車を引く馬の蹄の音が規則正しく響いてきた。
俺は買い揃えた道具の入った鞄を肩へ掛け直し、宿へ向かった。
歩くたびに、鞄の中で水筒や火口箱が小さく触れ合う。
腰には、いつもの剣があった。
父から与えられ、王宮から持ち出した、数少ないものの一つ。
ドランの言葉を思い出し、俺は腰の剣へちらりと目を落とした。
今まで、この剣の手入れは城の者に任せきりだった。
買ったばかりの油と布が、鞄の底に収まっている。
今夜は、教わったとおりに手入れしてみよう。
そう考えながら歩いているうちに、《跳ね鹿亭》の看板が見えてきた。
◇
宿へ戻った頃には、食堂の窓から差し込む光が、少しずつ夕方の色へ変わり始めていた。
厨房からは煮込み料理の匂いが漂い、奥では食器を重ねる音が聞こえている。メルの明るい声も時折混じっていたが、どうやら夕食の準備で忙しいらしい。
俺は邪魔をしないように階段を上がり、自分の部屋へ戻った。
窓を開けると、夕暮れの風が室内へ流れ込み、通りを行き交う人々の声を運んできた。
俺は鞄を寝台の上へ置き、今日買ってきた道具を一つずつ取り出した。
水筒、保存食、火口箱、予備の布。
それから包帯を入れようとして、ふと手が止まった。
道具屋で買った包帯は二巻きある。
一つあれば、自分が怪我をした時には足りるだろう。
けれど、明日は一人で森へ行くわけではない。
俺は少し考えてから、二巻きとも鞄へ入れた。
続いて剣を鞘から抜き、机の上へ広げた布で刃を拭う。
ドランから教わったとおり、汚れを落としてから薄く油を塗ると、窓から差し込む夕陽が磨き終えた刃の上を静かに滑っていった。
刃の表面を確かめ、剣を鞘へ戻す。
これで、ひととおりの準備は整った。
俺は鞄の口を締め、寝台の脇へ置いた。
階下からは食堂の賑わいが聞こえてくる。客へ明るく声をかけるメルの声に、誰かの笑い声が重なり、煮込み料理の香りが床板の隙間から微かに漂ってきた。
そろそろ夕食の時間だろう。
窓から吹き込んだ夕風が机の上の布の端を揺らしている。遠くで夕刻を告げる鐘が鳴り、街の喧騒が少しずつ夜のものへ変わっていく。
俺は窓を閉め、部屋を出ようとして、寝台の脇に置いた鞄へもう一度目を向けた。
明日の朝、あれを持って東門へ行く。
ガレス、リック、フィナ。
三人の顔が順番に浮かび、俺は何となく鞄の口をもう一度確かめた。
これで準備は整ったはずなのに、なぜかすぐには鞄から手を離せなかった。
明日の朝が来るのが、こんなに待ち遠しいなんて。
俺は鞄をもう一度だけ眺め、賑やかな声の聞こえる階下へ向かった。
第10話までお読みいただき、ありがとうございます。
アルクにも、ようやく一緒に冒険する仲間ができました。
ここからは、仲間との冒険や新しい出会いを通じて、彼の世界がさらに広がっていきます。
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