第二十三話ーカッサンドラ侯爵の焦り
カッサンドラ侯爵家の馬車が城に着いたのは、皇太子の成人を祝う式典が始まる少し前だった。上位貴族ほど遅く登城するのが、この国の慣例だ。
帝国に二つしかない公爵家の一つ。エステルギア公爵家は別件があり、だいぶ前に入城している。カッサンドラ侯爵は、もう一つの公爵家、アドラー公爵の前に入城できるよう入念に準備していた。
数ある侯爵家の中でも、最も古い歴史を持つカッサンドラ。その権威を誇示するように侯爵は胸を張って馬車を降りた。
会場のホールへ向かう途中、声をかけられた。
「カッサンドラ侯爵」
後ろから声をかけたのはアドラー公爵だ。
「アドラー公。お久しぶりでございます」
「ああ。何かあったのか?ずいぶんゆっくりな登城だったな。抜かしてしまうところだったよ」
アドラー公爵は今は引退しているが、皇室騎士団の元団長である。齢60を過ぎているとは思えない体躯でカッサンドラ侯爵を見下ろして言った。
侯爵の眉尻がぴくりと動く。
「申し訳ない。本日は娘の晴れ日になりますのでね。支度に時間がかかり過ぎたのです」
侯爵の後ろに控えていたオリヴィエは簡単なカーテシーをとった。
「アドラー公爵。お久しぶりでございます」
「ほう……そなた、長女の方だったな?随分と雰囲気が変わったな」
アドラー公爵と会うのは幼い時以来だ。むしろ覚えられていたことにオリヴィエは驚いた。
「ふむ。そうか。侯爵の娘ももう成人を迎える歳か」
顎下の短い髭をさすりながら公爵は言った。
「んん?しかし今日は皇太子殿下の式典ではないか。君の娘も、エステルギアの倅のように何か表彰されることがあるのか?」
「めっそうもございません」
公爵の問いにオリヴィエは慌てて否定した。
「そうではありません。本日は皇太子殿下が成人される日、婚約者をお決めになる日でもありますので」
歪んだ表情で言うカッサンドラ侯爵に、アドラー公爵は憐憫の眼を向けた。
「なるほど……ふむ。それにしてはご令嬢は浮かない表情をしているが……」
びくりとオリヴィエの身体が跳ねる。
「……いや、緊張しているのであろうな」
オリヴィエは下を向いた。これ以上何か言われてはたまらない。
「いらぬ世話をした。私は陛下に謁見してから向かう。候爵は先に行かれるといい」
アドラー公爵はカッサンドラ侯爵に冷ややかな視線を向けた。そしてマントを翻し、ホールとは違う方へ去って行った。
「ふん……!老いぼれが。後継者もおらぬくせに。偉そうに出来るのもあと数年だ」
アドラー公爵の後継は先の大きな戦で皆亡くなってしまった。回帰前は、血縁こそなかったものの、騎士団の実力者が継いでいた。
しかしそれも今となっては分からない。回帰前の出来事とあまりに差が出来てしまっている。
カッサンドラ侯爵は昨日の夜から機嫌がすこぶる悪い。
(あまりお父様を刺激しないでいただきたいわ……)
一瞬アドラー公爵に不満を感じてしまい、オリヴィエは申し訳ない気持ちになった。
確かにカッサンドラ侯爵は、アドラー公爵の前に登城するつもりだったようだが、それにしては出立が遅かった。
オリヴィエが支度を終え、本邸の執務室へ様子を見に行くと、慌てている侯爵と使用人たちが目に入った。
何か書類を探し、紛失したものはないか確認していた。昨日、誰かが訪ねて来てから、父の様子がおかしい。
エマに確認すると、「エステルギア公爵家の家紋の馬車が来ていた」と本邸のメイドが言っていたそうだが……
(エステルギア公爵と父は交流はあまりないはず)
ルカディウスでは……とも思ったが、彼の方がもっと父に用はないだろう。
いらいらとアドラー公爵の悪態をついている父に、オリヴィエは声をかけた。
「お父様、何か問題がありましたか……?」
放っておきたいが、皇城の使用人に聞かれてしまう。どこに耳があるか分からないと言うのに。
侯爵はじろりとオリヴィエを見て、不機嫌な声のまま言った。
「いや。問題などない。お前は粛々と立っていればいい。殿下の婚約者になる令嬢はお前くらいしかおらん」
「伯爵家の娘達など話にならん……!しかし……!エステルギアの若造めが……!」
ぼそぼそと呟く声は最後までは聞こえなかった。
◇
「エーノック・カッサンドラ侯爵閣下、オリヴィエ・カッサンドラ侯爵令嬢のご入場です」
会場に響く声に、オリヴィエは背筋を伸ばした。
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