第十八話ー痛みと喜び
――どこから漏れたのだろう。後宮にもカッサンドラ侯爵の手の者が潜んでいたということだ。
(……穏やかに、静かに暮らしたい)
しかしその願いをオリヴィエが叶えるのは難しいことだった。後宮の温室でのアルフォンスとのお茶会。そこで発した、”婚約者にはなりたくない”という意味合いの発言が、カッサンドラ侯爵に漏れていた。その意図をアルフォンスが理解し、「善処しよう」と答えたことまで詳細に、カッサンドラ侯爵の耳に届いたようだった。
お茶会の次の日、激高した侯爵にムチ打たれ、オリヴィエは本邸の地下室へ三日間幽閉された。最低限の食事しか与えられず、むち打ちの傷も治療されていなかったため、高熱を出しぐったりとした状態でアネッサに助け出された。
アネッサは別邸のメイドから、戻ってこないオリヴィエの事を聞かされていた。邸宅を見回っていたことろ、たまたま地下室の世話をしていたメイドの会話を聞いたのだ。
『さすがに可哀そうだ』『死んでしまうかもしれない』と。
アネッサはオリヴィエを別邸へ連れて行き、すぐに街医者を呼びに行き裏門から引き入れた。別邸の使用人たちも、目立たない部屋へオリヴィエを移動させ看病することにした。
カッサンドラ侯爵は三日間罰を与えて落ち着いたのか、執事の「本人自ら別邸に戻ったようです」との報告を聞き、「そうか」とだけ発したそうだ。
その後、アネッサは執事に別邸の調理場への異動届を出した。
◇
――ああ。嫌だわ。また夢を見ている。
オリヴィエはそう思ったが、夢から覚めることも出来ない。過ぎていく情景をただ眺めていた。
『その格好で行くのか?』
『もちろん着替えるさ。何か貸してくれ。退屈で抜けてきたんだ』
『何もこんな日に』
『何だよ。せっかく誘いに来てやったのに。お前は行かないのか?』
『行くけど……』
アレスターと、友人のジークハント・エステルギアの会話だった。
いつも派手な服装をしているジークハントが、妙に黒を基調とした落ち着いた礼服でいるのが気になった。
(いつ聞いたものかしら?覚えてないわ。ずっと昔……?)
目が覚めると、見知らぬ天井だった。けれど、部屋のにおいと、天井の板の色で別邸の中だと分かり安堵する。起き上がろうとすると、背中に引きつるような痛みが走った。
「いたっ……?」
ベッド脇の椅子に腰かけていたエマがすぐに支えてくれた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「エマ……私いつ戻ってきたの?」
カッサンドラ侯爵にムチ打たれ、地下室へ閉じ込められた事も覚えている。なるべく背中を動かさないように身体を起こす。
「アネッサさんが助けてくれたのです。アネッサさんも、今は別邸にいますよ」
「アネッサが……」
本当は自分が別邸に来た時にアネッサも誘いたかった。迷惑になる気がして、伝えられなかったのだ。
「そうなの……悪い事をしてしまったわ」
「悪い事なんてありませんよ」
アネッサが部屋に入って来た。
「申し訳ありません。もう少し早くお助けできればよかったのですが……」
辛そうに言うアネッサを見て、オリヴィエの瞳から涙がこぼれた。
「お嬢様……?」
エマとアネッサはオリヴィエを覗き込み、エマが心配そうに言った。
「背中が痛むのですよね?まだ熱もありますし、もう少ししたらお医者様が来られます」
オリヴィエは首を振る。振ると背中が痛んだが、心が温かくなっているのでそこまで辛くなかった。
「違う。ありがとう……」
それしか言えなかった。他になんて言えばいいのか分からない。エマも、アネッサも、オリヴィエを救けて得なんてないはずだ。
(それなのに……)
オリヴィエの事を心配してくれる人が近くにいることが、何より嬉しかった。
オリヴィエの、本邸での11歳になる誕生日パーティ―は開かれなかった。
侯爵が何という理由をつけて中止したのかは、別邸にいるオリヴィエには知るすべがない。
別邸に移って数日間は高熱で苦しみ、熱が下がって三日後。別邸でささやかなオリヴィエの誕生日パーティーが開かれた。アネッサがケーキを焼き、使用人たちみんなで食べた。エマの庭で摘んだ花束も貰えた。オリヴィエにとって、今までで一番嬉しい誕生日パーティーになった。
背中の痛みも薄らいできた頃、オリヴィエはまた唐突に思い出した。
先日みた夢の中で、ジークハント・エステルギアが黒い服を着ていた理由を。
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