第十六話ー助けてくれた男の子
「衛兵!いないか!」
よく通る声で男の子が叫ぶと、門の方角から騎士が駆け付けた。
駆け付けた騎士に男の子が指示している様子を、放心状態で眺めていた。
(誰かしら…大人みたいな子ね)
男の子は唐突に振り向き、オリヴィエに怒鳴った。
「――無謀だ!」
その瞳には、焦りと怒りの色が見えた。
自分の手に握られたフライパンは、まだ手が震えるので離せない。怒鳴られた衝撃か、目からぽろぽろと涙が落ちてきた。
(……っ。――怖かった。私だって無謀だと思うけれど、だって、前はもっと小さなナイフだったんだもの)
助けてくれた男の子にお礼を言わねばと思うも、涙が止まらず、ついにはしゃくりあげてしまい、言葉が出てこない。
目の前に立つ男の子が、狼狽え始めた時、後ろからアルフォンスが現れた。
「こら!いくら何でも女の子を泣かせるな」
(違うわ。その子は悪くない……)
涙はすぐに止まらず、オリヴィエは使用人に連れられ、邸宅へ戻された。
◇
オリヴィエはベッドでうずくまっていた。
(あの助けてくれた金髪の男の子……ルカディウス・エステルギアだわ……)
オリヴィエの二番目の兄、アレスターの悪友ジークハント・エステルギアの弟。回帰前の幼い頃にも、何度か顔を合わせた事がある。社交デビュー前も、デビューしてからも、会うことがなかったので顔も覚えていなかった。
(ジークハント公子の方は顔を覚えているけど、どうしてルカディウス公子とは会う機会がなかったのかしら)
思い出してみれば、ジークハントと顔を合わせたのも、邸宅だ。彼がアレスターに会いに邸宅を訪れていたからに他ならない。
(なるほど……)
腑に落ちて、オリヴィエは目を閉じた。フライパンは部屋まで持ってきてしまったのだが、握りしめると落ち着いた。
(きれいな色だったな)
脳裏に浮かぶ淡い蜂蜜の色に、オリヴィエは心が温まるのを感じながら眠りについた。
◇
前回問題を起こした時同様、今回もオリヴィエは部屋から出ることを許されなかった。数日間の軟禁の末、父に言われたのは「一年間邸宅から出ることを禁ずる」とのことだった。
社交界デビューを済ませていないにも関わらず、二年続けて社交界の話題に上がってしまった。それも、どちらも醜聞に近いものだ。しばらく公の場には出ず、噂がなくなるまで静かに過ごすよう言い渡された。更には本邸から別邸に移された。
表向きには、誕生パーティーのショックで療養していることになっているらしい。二度も騒動を起こしているのにも関わらず、婚約者の候補からは外されない。オリヴィエは諦めのようなものを感じていた。
◇
「お嬢様、おはようございます」
「おはよう。エマ」
季節が巡って1年が過ぎた。オリヴィエはもう少しで11歳になる。
「どうぞ」
エマが洗顔用のお湯を渡してくれた。別邸に移ってから一年。最初はとまどったものの、別邸の使用人は皆オリヴィエを冷遇しなかった。侯爵や兄たちの目が届かないからだろう。メロディも訪れることはなく、平和な日々を過ごしていた。
「お嬢様、今日はどう過ごされますか?」
「そうね。午前中は勉強をするわ天気がいいから、奥の庭でしようかしら」
「いいですね。では後ほど、庭の方へお茶をお持ちします」
「ありがとう」
エマは商家の娘で、兄弟がなんと八人もいるらしい。一番上の兄と、二番目の兄は商家を継ぐが、他の兄は教師をしたり、エマのようにメイドとして貴族の家に奉公したり、それぞれ働いているそうだ。エマのおかげで、オリヴィエの世界は広がった。婚約者候補から外されなくても、成人したら家を出ればいいのだ。多少強引な家出になろうとも、あのような想いをするよりずっと良い。
オリヴィエは外国語が出来る。帝国では外国語が出来る淑女は珍しく、重宝される。
(身分を偽って裕福な商家の家庭教師になるのもいいし、計算も得意だもの。どこかに雇ってもらえるはずだわ)
本邸では冷遇されていたので、身の回りの事は大抵自分で出来る。市井に降りても暮らせるはずだ。
奥の庭は狭く、鬱蒼としているが、緑が多くてオリヴィエは好きだった。葉のそよぐ音と、ページのめくる音。
(ああ。ここでの暮らしが長く続けばいいな。あの人たちに会うことなく、静かに過ごせたらどんなにいいかしら)
ここ半年、父にも会っていない。
(もしかして、もう婚約者候補からは外されていて、お父様も私を見限ってくれたんじゃないかしら)
本に挟まり、栞代わりにしている封筒を眺めた。やさしい蜂蜜色の封筒だ。パーティーの事件後、一度だけルカディウス・エステルギア公子との手紙のやりとりを父は許可した。助けてもらっておきながら、感謝もしないとなると外聞が悪い。しかも今やルカディウス・エステルギアは皇太子の最側近である。
手紙も父の監視が入るので、「この度は助けていただき、ありがとうございました」と当たり障りのない事しか書けなかったが、それでもルカディウスは返事をくれた。「怪我はしませんでしたか?体調はどうですか?」色々と質問の多い手紙だったので返信したかったが、父が許したのは一度だけだった。
オリヴィエはその手紙を眺めながら、ルカディウスの蜂蜜色の髪を思い出す。そして、にこにこと笑うのが日課になっていた。
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