第11倭 島を覆う昏き狂宴
「な、何? この昏く淀んだ気配……?」
絶望の壁を超えて足を踏み入れた瞬間、ランカー中に立ち込める異様な気配。
其処彼処から聴こえてくる、愛執の嬌声……。
それは、人目も憚ることなく、性差を超えて媾う民衆達。
「はっははぁっ! イイぜイイぜイイぜっ!
そうだ、もっともっと想うが儘、この『経典』の通り、想うが儘に振舞いやがれっ!」
荒い口調ながら、泥濘の蒼穹に響き渡るは、在ろう事か「神威之啓示」。
「コイツ……羅刹王じゃない……。
一体誰なの?」
戦慄きながら天を仰ぐミチヒメ。
ラーヴァナでもなく、あの刻故郷を滅ぼした嘲笑の主でもない。
観ると、ラーマもハヌマーンも拳を握り締め戦慄いている。
「……こ奴こそ、羅刹王と『掌を取り合いし者』でござりまする……!」
敗走の無念を胸に滾らせてハヌマーンが応える。
「そして、余を遥かに超越せん、虚空の遣い手なり……!」
額より一筋冷たい滴を伝わらせ、ラーマも頷く。
「お兄さまを……超越する程の……。
確かにこの氣力……生半可じゃないわ……!」
ミチヒメも神眼を輝かせて戦慄する。
その暴力的な氣力の強大さは、あのラーヴァナをも超えるかもしれない。
そして、在り得ぬ事に、彼の氣力から観じ取れる絶対的神性……。
「こんな粗暴な存在、普通ならあり得ないけど……。
彼の境涯ってまさか……神威?」
圧倒的な神性を齎している声の主に対し、信じられない面持ちでミチヒメはふたりに尋ねる。
躊躇い、重苦しく開くハヌマーンの口。
「ミチヒメ殿。
我等が刻、聖塔の塔主様不在である事、ご存じでありましょう。
何ゆえか。
その理由こそ……彼奴でござりまする……!」
ミチヒメは青ざめて戦慄く。
「ま、まさか、まさか……!
じゃぁこの声の主が、この刻における梵天王之代行者……さまなの!?」
毅然とした物言いのハヌマーンの反論。
「あやつは断じて代行者様などではありませぬ!
彼奴等の背後に控えしこの世界の絶対存在……。
『管理者』の神威により『書き換えられ』て顕現せし、『梵天王幻者』でござりまする!」
「はっははぁっ! 色、暴力、食欲……。
すべての禍々しき想念に、てめえらのすべてを委ねやがれっ!
なぁに、『輪を廻らせ』はしねえから……安心して励むと良いぜ」
一瞬挟まれる、不可解な民を慮る想い。
「まあよ、それこそが、この『陥落経典』に書かれている、敬虔な信徒と言うもんらしいぜ……!」
気怠い隠微なる宴の奥……。
其処に観えて来るのは……まさに地獄絵図。
建物を破壊しまくる者。
その隙に金品をを強奪する者。
嘔吐するまで貪り喰らう者。
様々なものを奪われ、絶望を憂う者。
「大いなる真理」を敬うこと忘れ、何もかも棄てて堕ちゆく者……。
「――みんな!
ダメよ、そんなの!
目を覚まして……快癒呪!」
「なりませぬミチヒメ殿!
今此処で権能揮えば……!」
惨状に耐え兼ねて、ハヌマーンの制止を振り切りミチヒメが放つ癒しの波動。
だが、彼等に届く前に、その清廉なる紺碧は雲散霧消してしまう。
「うん? なんだぁ? 今の波動は……?
ほう……。
おい、おめえら、喜びやがれ!
どうやら……『お客さん』が来たようだぜ!
丁重に持て成すってヤツ、遣ってやりやがれえっ! はっははぁっ!」
「見つかったでござりまする!」
焦燥露わにするハヌマーン。
隠れようとする彼の肩を優しく叩く巨大な掌。
「なんも、心配する事ないべさ。
あの先の方さ観える、城さ目指して『のんびり歩いて』征けば良いべさ!」
ハヌマーンの狼狽を他所に、鼻歌混じりに歩き出すオーディン。
「待って、チュンダ……いえ、探求之神威さま?
無策に進んで大丈夫なの?」
オーディンは、最高に不敵な笑顔を浮かべる。
「ないだって、この一行で、一番あいつらが恐れる『想念』さ、なんまら持ってるミチヒメちゃんらしくないべさ。
良っく観じてみると良いべさ、この気配……。
何の為だか……きっともって解るべさ!」
オーディンの力強い言葉に想い廻らし、霧が晴れた様な面持ちでラーマが振り向く。
「オーディン……。
悟りしなり……!
これはまさに『彼の森』と同様なり!」
その言の葉が響いた途端、周囲の気配がうねるように蠢く。
静かに迷いなく歩み出すラーマ。
昏き気配は、ラーマが近寄ると、無念そうに静かに退いてゆく。
「余達の想いに迷いさえなくば、恐るるに足らず」
ラーマは力強く掌を掲げ、前方へと振り翳す。
「参ろう! 目指すは島の最奥に座す彼の城なり!」
オーディンとハヌマーンが歩み出す中、ミチヒメはただ独り躊躇する。
「でも、この魔の島の民達をこのままにしていくなんて……」
その刻、オーディンが紅蓮の義眼を輝かせて周囲を照らす。
「観るべさミチヒメちゃん。
みんな、『輪さ廻ってない』っしょ?。
して、あの立ち昇り逝く禍々しき想念……。
あれこそ、目指す城の、そして『管理者』達の力さなっているべさ!
輪さ廻らさったらあそこまでの『想い』、出せないっしょ?
したっけ、歯痒いけんど、皆は大丈夫……だべさ!」
「左様。
故に民衆共は輪を廻らせぬ。
だが、其の方等は別なり!」
突如聴こえる武人の物言い。
目の前に顕れる、禍々しく反り上がった一本角を持つ巨躯の鬼。
率いるは、彼の刻にミチヒメと、彼女の祖国下伽耶を襲った、蛇頭の魔人、「昏餓鬼」と化したオロチ族。
「――おまえ達!」
一瞬過去の陰惨な記憶が廻るも、すぐさまに白虎の宿る氣力帯紐が、彼女を支える様に煌く。
「我は昏餓鬼の長、『懊悩焔者』なり。
よくもあの『天罰』から逃げ遂せたものなり!
返す返すも忌々しき乙女よ」
先頭の鬼は、ミチヒメを眼にして忌々しげに吐き捨てる。
その言葉に、彼女の記憶が走馬灯のように廻り、導かれし解。
「……ま、まさか……!
先代の、将軍……さまですか?
あの惨状で良くぞご無事で……。
でも、一体何故そのようなお姿に!」
将軍であった「ドゥー・ラム」は、想い還し戦慄きながら喰いしばる。。
「其方さえいなくば……。
我のみが、下伽耶の将軍として君臨し続ける事叶いしなり!
実に忌々しき……『元』聖乙女よ……。
……こ奴等の『贄』となりし刻のさまは……凄惨なるも胸の空く想いであったぞ!」
その言葉に、血の気が引き、全身を震わせ、自身を抱きしめて蹲るミチヒメ。
その様を観て響き渡る、およそ将軍の刻にはあり得ない下卑た嘲笑。
「その薄汚い穴、『輪さ廻りたくない』なら閉じると良いべさ」
突如吹き荒れる、身を斬り裂き突き刺す様な、鋭く怒気の籠った氣力。
「本当の事である。
あれだけ穢されて『聖乙女』であろう筈が――はぐぅっ!」
地面へと滴り落ちる紅い滴。
乾いた音を立てて転がる数本の牙。
「閉じろって言ってるべや」
観ると、ドゥー・ラムの頭部を上下から挟みつぶす様に、オーディンが押さえ込み、有無を言わさず閉口させている。
あまりの迅さに驚愕するも、力まかせに振り解いて彼は叫ぶ。
「流石の迅さ、見事なり。
だが……『本当の姿』ならばどうであるかな?
『虚飾』の罪障よ、彼奴等の真なる姿を、我の前に顕せ!」
彼の全身から放出される紫煙の霧。
「あれは……! まずいべさ! みんな避けれっ!」
紅蓮を輝かせて戦慄くオーディンの咆哮。
一斉に散開するも、彼等より迅く霧は辺り一帯に蔓延してしまう。
「ふははははっ!
霧よ、借り物の権能なぞ、全て剥ぎ取ってしまうが良い!」
暫くして霧が晴れゆき、鬼の前に立つのは……。
「チュンダさま!? 戻ってしまっているわ!」
大地之石鍛冶の乙女を観て、驚愕するミチヒメ。
「……やられちまったべさ……。
ミチヒメちゃん達は、大丈夫かい?」
力無く片膝落とし振り向くチュンダ。
横にラクダが一頭……。
「八脚神馬!?
あなたあの修練場の泉のほとりに繋がれていた……あの子だったの!」
チュンダの工房から少し離れた、泉湧く沢のほとりの小屋。
いつも悠々と昼寝をしている駱駝が、確かにいた。
チュンダは心配して辺りを見渡す……。
どうやら他の者達は、皆先程のままである。
「純陀殿……。
余は既に純然たる民衆故、変わりよう無きなり」
「某もでござりまする。
すでに『管理者』に貶められしこの姿。
如何な権能と言えども、これ以上は変えようも無きでござりまする」
「きっとわたしもよ。
誰かに霊力もらえなければ氣力を遣えない、ただの民衆だもの」
ハヌマーンがチュンダに肩を貸し、一同元将軍であった昏餓鬼を見据える。
「全くもって忌々しきなり……!
良い。
授かりし権能の加護など無くとも、其方等程度、纏めて屠ってみせよう!」
全員ドゥー・ラムに対して身構える。
静かに歩み出すのは……。
「ここはわしゃに任せるべさ!
こいつぁ……。
ミチヒメちゃんをさんざん侮辱したっけ、絶対に許せないべさ!」




