第7倭 鏡水顕導神(ヤィ=モ=トーヤ)との邂逅
「あそこが『宍追いし道』だって!? まさか、こんな聖域まで……」
ヤチホコが愕然として戦慄く景色の最奥、辛うじて原形を留め観える湖。
同行するオオトシの、余りの変貌に思わず漏れる動揺。
「比武の前、審神者の完遂を祈る為訪れた刻……葦が美しき碧さを誇りて生い茂り、湖に住まう四氣王の加護にて、踏み心地の良い柔らかく肥沃な大地続く道でありましたが……」
「『滅び』は、既に世界中に広がって……くそっ!」
神威住まう清浄な湖へ続く、自然の参道ともいえる聖地。
その、『宍追いし道』でさえも、そこかしこにあの不自然な亀裂が蔓延り、地面の至る処をすり鉢状に削られてしまっている。
まるで黄泉へと誘うように、口を大きく開けた様な虚ろで昏き洞。
それは、観ているだけで絶望が湧き上がる。
『破滅の砂音』を耳元で奏で、無残にも崩れ落ちてゆく……。
「何ですと? ヤチホコそれは真なる事でしょうか?」
ヤチホコの言葉を受け、『観之眼』を以って辺りを見回してオオトシは驚愕する。
「な、何という事でしょうか!
私はこれに気付かず歩いていたのですか!」
普段の冷静さを掻き乱され、狼狽と憤慨を露わに、いつになくオオトシが思わず吐露する怒声。
「無理もありませんオオトシ兄。
向津日霊女さまでさえ、気付かぬ間に『喪いし想い』ありと、申していたじゃないですか」
(対して僕には、嘲笑う様にこれ見よがしに……! いや!)
思わず拳を握り締める。
逡巡などいらない。
今世の母、向津日霊女の言葉を信じ歩むのみ。
それが今自分がする事だと、再び己の「想い」を奮い立たせる。
「……そうよ。わたし達が立ち止まればその間にも世界は喪われるわ。
その想いよヤチホコくん!
あなたに足りないのは、氣力の量じゃないわ。
放つ際の強い想い……『想念』よ。
かつてわたしが一緒に旅したラーマさまは、絶望的な神威を前にしても、己が一撃が未来を齎すと一豪も疑わなかったわ。
『真なる英雄』とは……。
皆を想う強さを以って立ち上がり、『すべてを護り希望を齎す者』よ!
あなたの『左の掌』は、想いを力に変えるわ。
『護りたいもの』を強く念じるなさい!
さぁ、進みましょう!」
「想いが伝わった」のか、ミチヒメのヤチホコを認め先へと促す指南。
「ミチヒメさんの言う通りですヤチホコ。
我らが父『始祖須佐の王』が伝えし『緋徒乃詩』。
それは、この大地掌にしようと欲す者達から、過ちを重ねながらも直向きに生きる民衆を護る神呪として受け継がれしものです。
そして、父神同様、『空』遣いしあなたが揮う刻こそ、恐らくは真なる力が呼び起こされ、想いは力となり、願いが叶うでしょう」
「オオトシ兄……わかりました、ありがとうございます!」
オオトシは優しく微笑んで頷く。
「この先にてその『滅び』を喰い止めし、この地の鎮護に想い捧げて行いし巫女こそ、私の母上。
鏡水顕導神を祀り、『八乙女』を率いる『九姿異祢沱乃日霊女』です」
(それであそこの湖は大丈夫なのか!
そして、九つの、姿異なる父神祀りて……涙流す巫女……?
九人だからか? 彼女って神話では……『稲の神威』じゃ……?
それに水の四氣王は陽数の極みのはず……?
あぁ! それを一頭賜ったと言うのが……)
ヤチホコがオオトシの言葉を耳にして廻らす考察。
それに続いて聴こえてくる、懐かしそうな乙女の挨拶。
「オオ兄様、ヤチホコ、スセリ、そしてミチヒメも……よく来たわね」
「みんなようこそですの。
かあさまの祈りを受けて鎮護の権能顕す四氣王。
『鏡水顕導神』さまに護られし湖、『宍追いし道』へ」
少々幼くも、丁寧に迎える乙女の案内。
「キクリ姉、ミヅチちゃんお出迎えありがとう」
スセリは、出迎えてくれた、金色の髪を二つに束ね、立派な狐耳を携えた女性キクリと、淡い灰色の髪と縦長の瞳を携えた、子龍の幼き乙女ミヅチに掌を振る。
キクリは微笑んで軽く頷く。
「母様は類稀なる水の巫女。
八大龍王が第三女にして、最も強く血を引き継いでいるわ。
そのおかげでこの湖周辺は辛うじて平静を保てているけど、一体外で何が起きてるの?」
眺めると視界に跳び込んできてしまう『外』の不可解な惨状に対し、流石のキクリも動揺を隠せない。
「お待ちしておりました……次代の統治之神威。
そして、綴られし詩を『詠い直霊す者』。
かつて、我が背スサノヲと向津日霊女さまが、『彼等の父神』を助く為、その身命を賭して形造りし『希望之神器』ヤチホコよ」
「それは昨日の向津日霊女さまの!
そして、ふ、父神を、身命を賭しての、『器』――ま、まさか!」
クシイネダの言葉にヤチホコが息を呑む。
今自分が宿る身体が、この世界での父母の想いと犠牲によって造られたと言う、残酷な、しかし愛に満ちた真実。
(スサノヲとヒルメの父神と言えば――創世の国生みを担う『イザナギ』しかいないじゃないか!
まさか、僕が……)
「……あなたが今ここに在る。
それこそがすなわち新たなる『詩』を詠う事ですわ。
さぁ『息吹』、『導き手』もこちらへ」
九姿異祢沱乃日霊女は、八人の巫女を従え先導する。
耳の横で櫛を挿して纏めてある、足元まで届く絹糸のような御髪。
透けるほど白い肌。
観る者が思わず息を呑む、清廉で静謐な美しさ。
そして、二人の娘同様、彼女も縦長の紺碧に輝く瞳を湛えている。
そして、紅く縁どられた、彼女の肌同様、光を透す美しい純白の衣を身に纏っている。
およそ乙女にしか観えない、清楚で可憐な佇まいの彼女が入り口を示す。
(……僕は、自分の想念でここにいるんじゃ……ないの、でしょうか……?)
困惑と狼狽を露わにしながら、ヤチホコはついてゆく。
すると、ヤチホコへ振り返り、クシイネダが笑みを湛え首を横に振り齎す海容。
(……あなたが此処に居る事はあなたの想いです……)
不意に想いを読み取られたかの如く、頭の内に響く言葉に対するヤチホコの狼狽。
静かに見据えてクシイネダは言葉を続ける。
「……現状、長たる向津日霊女さま、木花開耶の権能を得たタギリ、そして、鏡水顕導神の『神威之巫女』たるアタクシの間で行いし、『想念共鳴』でのみ可能でございますわ。
ただ、『易き事』でございましたら、どなたの想いし事でも、斯様に読み取る事叶いますわ」
(さっきのは……彼女?
僕の……想い……そう認めてくれた……?
そしてテレパシーの様な……そんなことも……!
嘘はつけない、か。
しかし、闘いの刻なら物凄く役に立つ能力じゃないでしょうか?)
天然の鍾乳石か、はたまた金属か、そのどちらでもない――あの『詩片刻まれし石版』のような、光沢の壁面が織りなす洞窟を進んでいく。
奥へ行く程に壁面の輝きは増していく。
「……来たる刻、斯様に権能揮う事こそ、アタクシの真のあり方ですわ。
さぁ着きました、こちらでございますわ」
「来たる刻? 今の惨状でもはまだその刻じゃないと?」
「……左様でございますわ。
『その様な刻』など……来なければ良いのですが……」
(これ以上に切迫した事態だなんて、一体どんな事だと言うのか……)
とてもではないが、今起きつつある世界の崩壊以上の事態など、ヤチホコには全く想像がつかない。
今ここに在る想いを認められはしたが、彼を揺るがし心を埋め尽くしているのは、先程彼女に告げられた真実。
――選ばれし救世主なんかではない。
自分は、かつての「子神」達が、絶望の流転を断ち切らんと、己を省みず、管理の支配及ばぬ「外」から呼び込まんと、禁忌を犯し造り上げた「器」に宿る、究極の「希望」なのだと言う事。
「こ、これは、見渡す限り鏡のようね……」
ミチヒメの辺りを見回して応える「驚き《ピリマ》」。
「すごくきれいだけど……なんでかな、少しだけ怖いかも」
何かを観じて構えるスセリの警戒。
「鏡水顕導神の水鏡の権能により、あらゆるモノを跳ね返せるのですわ。
しかし、それもいつまで持つか……流石に解りかねますわ」
それは、「そこに在るすべて」が、水晶や鏡のように煌いて輝きを跳ね返し合う静謐な空間。
「泉の中央に座す存在こそ鏡水顕導神。
ヤチホコや……。
あなたが今最も強く抱く想念を以って鏡水顕導神へ語りかけなさい」
クシイネダが掌を伸ばして翳す。
すると、泉の水面が急激に渦巻いて隆起する。
それは、周囲の空間同様透き通り、流水の如く揺らめき、周囲の光と景色を鏡の様に映し返す。
八頭の鎌首を擡げる巨大な龍。
「な、何あれ!
今と……何か違う『刻』が揺れ動くように映っている?」
スセリの驚愕に一瞥した、龍神が齎す「神威之啓示」。
「――『詠い手』よ。
汝が宿りしは、始祖王の不屈と日霊女の慈愛に『産み直霊』されし、全てを包み創り出す空間、『希望之神器』。
宿りし魂に眠るは、世界を統べる『根源神威』。
その上で敢えて問おう。
そこに今を生くる『ヤチホコ』はあるか?
神話に伝承されし『眞なる神威』か、遠き刻より迷い込んだ『偽なる民衆』か!
応えられぬならばその『器』、我が水にて無へ還さん!」
龍神の咆哮と同時に、激しい水流がヤチホコを呑み込む。
幾重にも鏡像の重なり合う水牢の中、様々に映り変わりながらヤチホコの姿が徐々に薄れていく……。
「ヤ、ヤチが、透けていく……! ヤチィッ!」
スセリが風を纏い反射的に掌を伸ばすも、「猛る水流」に阻まれて弾かれる。
それは「風《自由》」を奪い「火《活動》」を滅す「水」の猛り。
誤ればすべて無に還される。
そして……眼前で観る間に透け逝くヤチホコの姿。
(……沈んでいく……深淵……て言えばいいの……でしょうか……とても……深い……)
眼に映るのは湖底と思しき光景。
しかしすべての色が喪われた世界……。
そこに顕れた巨大な水鏡に、様々な刻の情景と誰かが映し出されている。
銀髪をなびかせ威厳に満ちたまさに神威たる存在。
制服を纏い所在無げに立ち尽くし「元の自分」だと認識する、楓に掌を引かれ歩く「綴詩 竜輝」。
そして管理者のシナリオ通りに演じていると想う「救世主」……。
(……ここに、僕の想念は……なかった……のですか……?
これは……僕の『自由意思』による行動じゃ……なかったのでしょうか……)
「母様、一体何されているの? ヤチホコが消えてしまうわ!」
キクリがクシイネダに詰め寄る。
だが、彼女は印を結んだまま碧き瞳を閉じ続ける。
そして静かに、しかし厳しい表情で応える状況。
「鏡水顕導神は対象の矛盾を暴く神威。
『詠い手』は……今在る『ヤチホコ』を、現実と認め難き揺らぎに見舞われております。
もしも彼が『眞か偽か』、易きに己を求めしならば……。
彼はこの刻に要らぬものと見做され、消し去られてしまいますわ」
「そんなの……あんまりだわ。
ヤチホコくんは、この世界を救う為に懸命に抗っているのに!」
ミチヒメは音を立てて拳を握り締める。
今彼女に出来る事はヤチホコを信じこの場を護り抜く事。
――いや違う。
彼女の放つ、透き通り消えゆくヤチホコの背中への、断固たる想いを籠めた凛とした清冽。
「ヤチホコくん! 迷わないで!
あなたが包んでくれたわたしの涙も、スセリちゃんと分け合った温もりも、無情な理に綴れる『筋書き』なんかじゃないわ!
あなたのくれた『想い』は本物よ、だから自分を信じて!」
熱い滴が両眼から溢れそうになるも、ミチヒメは毅然として、優しく、そして力強くスセリの掌を握り、水牢を見つめ続ける。
(ミチヒメ、さん……? 僕が……本物……?)
虚ろな身体に辛うじて縋る「ヤチホコ」は、「想い」に微かに応える。
その刻、目の前に誰かが顕れる。
(楓ちゃん……いつもの制服の……悲しそう……?
あぁ、そうか。この崩れ逝く砂を観て……)
「……器たり得ぬ『想念』の持ち主であったか……」
先程とは打って変わり、無念を露わに悲し気に俯く「鏡水顕導神」。
「……違いますの!
鏡水顕導神さまも観じているでしょ?
ミヅチの中の『水龍』は、ヤチホコさんの中に、温かな輝きを観じていますの……!
あの方は過去の『統治之神威』でも、『遠い刻の誰か』でもない!
ミヅチ達といっしょに、『今を歩む緋徒』ですの!」
(……ミヅチちゃん……清く優しい想念……。
緋徒……。
僕は……神威でも民衆でもない……。
『緋の神威に連なる徒』……!)
ミヅチの魂の奥底に、覚えていなくても確かに息衝く「九頭龍」の慈悲。
その想い籠めた叫びは、消え逝くヤチホコの内に眠る空に響き、彼の魂を震わせる。
徐に自分の左手を観る。
そこにあるのは、昨日抱き寄せたスセリの、確かな「温もり」の余情。
(……眞か偽か。誰が想う眞? 偽? ――関係ありません!
僕は、僕への愛で『器』をくれたスサノヲ達も、この手に残るスセリちゃんの体温も、あの学校での刻も、全て抱えて『ヤチホコ』としてここに在るんだ!)
不意にオオトシから授かった『緋徒乃詩』が、黄金の旋律となり脳内に響き渡る。
「……定義などいりません。
僕は竜輝でヤチホコ、そして……根源神威です!
幾重にも重なりし世界に、全ての矛盾をはらみ今ここに立つ……。
この『歪み (バグ)』こそが僕だ!」
消えかけていた右足がありありと顕れ、ヤチホコは力強く踏み出す。
「どちらかを選ぶなんて、『誰か 《管理者》』が勝手に決めた『論理 《ルール》』でしょう?
僕は……綴られし詩を直霊す……『詠い手』。
それならば……新しい『詩片』を僕が今、ここで――そうか!
あの詩は……『管理権限への入り口』だったんだ!
――詠います!
『緋徒よ 此処の蓋・ 十六夜の・ 緋徒よ ・緋徒よ』!
この詩に秘められし権能を以って、我は今、理を『詠い直霊』せん!」
左腕の封環が、幾星霜の刻を超えて煌く銀河の如き閃光を放つ。
ヤチホコの姿が鮮明に顕れる。
彼は幾重にも重なり飛び交う世界の境界、その「歪み」そのものを掴み取り、そのまま高く左拳を突き上げる。
「安寧喪いし事 恐れんが故に猛りし『水』よ。
今ここに安らぎを与えんと誓う!
清き流れに還り自由に『風』を羽ばたかせよ!」
幾重にも揺れ動いて乱れていた像が、一つになって重なり合う。
その瞬間、優しく厳かで力強き光が周囲に染み渡るに照らしてゆく。
それは、すべてを包む慈愛の波動。
暴れ狂う渦巻は、輝く水晶の様に透き通りて鎮まりゆく……。
湖面は、波一つなくまさに鏡面の静寂へと還る。
程無く水牢は緩やかに湖面へと還りゆく。
その内よりヤチホコが静かに、しかし力強く歩んで顕れる。
(……まさか、あの受け継がれし『詩』に斯様な意味があったとは……!)
オオトシの、無事に帰還を果たしたヤチホコを見据えた、あからさまに顕す驚愕。
「良くぞ……還られましたね、ヤチホコや……!」
クシイネダが安堵と共に微笑む。
その背後から、巨大な水龍が緩やかにうねり齎す賞賛。
「見事なり……。
これが、かつて我らを導きし『根源』の光にして、未来を切り開く為に今を生くる『希望』であるか……。
スサノヲが己が神体をも差し出した所以、しかと観たり」
鏡水顕導神は嬉しそうに、八頭すべてを深々と下げる。
すると、静かに一柱の美しい女神へと変貌してゆく。
「……クシイネダさまにそっくり!」
「左様。鏡水の権能にて受け取りし姿なり」
穏やかな佇まいでヤチホコへと近寄ると、封環に唇を押し当てる。
すると、清廉な紺碧の輝きが周囲を照らす。
戸惑いながら見つめていると、やがて周囲を照らす光が封環に吸い込まれてゆく。
観るとそこには紺碧の宝珠が輝いている。
その刻ヤチホコを蝕む、世界が崩れ逝く「破滅の砂音」が、一瞬だけだが和らぐ。
ヤチホコは、自分を呼ぶスセリの元へと、肩で息をしつつも力強く歩み寄る。
スセリを見つめるヤチホコの眼差し。
そこには最早、自分が何者かと逡巡する迷いなどない。
今の彼の瞳に宿るのは、遥かな刻を超え紡がれし想い。
そして、自身を一つに束ね上げられた強き意思。
「良かった、ヤチィ……え?
な、何か氣力の気配が物凄く変わっ――あっ! その髪、眼の色も!」
スセリは安堵の想いで抱きつく。
そして彼の胸に頭を預けたあとに見上げて漏らす驚き。
観ると、竜輝同様茶色がかった黒髪は、しなやかに長く伸び、末端から一部、輝く白銀へと変わっている。
その瞳は、深みと高貴さを漂わせる紫色に変貌している。
そして光を反射すると、透き通る真紅の輝きを放つ。
「きっとこれが……いいえ、これも僕ですよスセリちゃん」
応える声色も変貌する。
それは、今迄の年頃の善男子ではなく、清廉で凛とした、水辺で高らかに詠い上げるくろとり《イソヒヨドリ》のようでもあり、神威留まる鈴の音にも通ずる高く透き通る声。
(……まさに神威! あれが、あれこそが、我が父、そして日霊女様よりすべてを受け継ぎし姿……)
オオトシは知らずの内に跪いてしまう。
「……信じていたわ! 流石『ラーマさまと同じ』空の遣い手ね」
余程心配していたのか、ミチヒメは彼女らしからぬ勢いで、ヤチホコに飛びついて抱きしめる。
「ミチヒメさん……あなたの声も聞こえました。
おかげで自分自身を『本物』として信じられました……。
ありがとうございます!」
くろとりの美しい調べに合わせ、鈴が音色を奏で詠う声でヤチホコは感謝を顕す。
その、あまりに純粋で凛然とした声色に、一瞬たじろぐも力強く頷く。
「これも……貸しておくわ。……ちゃんと返して、ね」
「……はい。――みなさん、本当にありがとうございます!」
「『希望』よ、さぁお行きなさい。
そして、自由なる空の翼、『天之鳥船』を呼び覚ますのです」
微笑みを湛えたクシイネダの啓示。
ヤチホコは、彼が知る「異国の言葉の組み合わせ」の名称を反芻する。
「天……之鳥船?」
「意宇之國貴を訪ねるが良い」
優しく微笑む鏡水顕導神からの助言。
深く頷いてヤチホコは二柱へと長揖する。
そして己の左手を見つめる。
彼の掌に宿るもの。
それは、両親がくれた愛の温もり。
そして、彼が詠い直霊していくべき、「自由な未来」への重みであった。
ヤチホコは、感謝の想いを籠めてミヅチへ微笑む。
「ありがとうミヅチちゃん。
キミの想念がなかったら……。
僕はきっと『自分』になれなかったと思います」
すると、口伝に流れる言葉は、言霊の如く静かな波動を放つ。
その波動は感謝の想いと共にミヅチを優しく包み込む。
「そ、そんな……。
ミヅチはただ、ヤチホコさんはヤチホコですのって想いを――あぁ、身体が!?
か、軽いですの! いつも苦しかったのに」
ミヅチは不思議そうに自分の身体を見回す。
「大丈夫です、そのうちもっと軽くして見せます!
観ていて下さい……!」
ヤチホコはミヅチの傍に目線を合わせて屈み、優しく頭を撫でる。
陽光を受け紅に輝く瞳の眩しさに、ミヅチは思わず見惚れ、頬を薄桃色に染める。
「もぅ、あなたのその無自覚な慈愛、節操無さ過ぎだわ! エパタイ!」
呆れるミチヒメに対して、まったく理解が及ばないヤチホコが浮かべる苦笑。
「そこもきっとそう……。
『根源神威』としてのみんなへの愛……。
そうなのかなって、ボクは思うよ」
そっとヤチホコの掌を握り締め、ミチヒメへと伝えるスセリの心響。
「参りましょう、スセリちゃん、みなさん!」
凛とした声が響き、夕日が優しく帰路を照らす。
眼前に広がるは……先程とはまるで違う穏やかな光景。
「あ、あの崩壊が……!」
「さっきのあの権能のおかげで、この辺り一帯は元に戻ったようね」
驚くスセリに対し、ミチヒメの当然の事としての理解。
(ミチヒメさんは驚かないんだ……あのヤチのチカラ……。
ボクは追いつきたいよ……。
ヤチを護れる、ヤチだけの『風』になりたい……!)
ヤチホコの圧倒的な覚醒を間近で観たスセリ。
自分の内に宿る風が、かつてないほど渦巻くのを彼女も観じる。
見上げる空を、西から吹き抜けてゆく一陣の疾風。
スセリは吹き抜け征く力強き風を見つめ、蒲公英色の髪をなびかせて、己の更なる錬磨を誓っていた。




