第7倭 開闢(ひら)かれ顕る古代國
「こ、ここは……?
ここに在るのは……さっきの聖塔じゃない……?」
沈みゆく陽光が最後の煌きを湛え、静かに乾いた風が吹く大地。
しかし……神威の気配が殆ど観じられない。
眼前に聳える聖塔は、変わらぬ巨大さを誇るものの、凍り付いた様に沈黙している。
「……ようこそ、『我が刻』へ。
此処より南に行きし処こそ、余の治めし豊饒乃大地なり」
ミチヒメは、己の刻と似て非なるこの刻の有様に動揺を隠せない。
「ラ、ラーマさま……? これは一体……?
豊饒乃大地……? 摩訶陀じゃなく……?
あの聖塔……おんなじものに観えるけど……。
まったく気配が違うわ……?」
「天地を貫きし叡智の聖塔」は、固く扉が閉ざされており、何をしても応じない。
観ると、無念を露わにラーマは拳を握り締めている。
「そ、そうなのね……!
聖塔もこちらの刻では……『奪われている』……!」
ミチヒメは悔しそうに拳を握り締める。
「左様……。
故、こちらから跳ぶ刻、敬虔転輪聖王の神威なくば叶わなかったであろう……。
こちらの刻、そして其方の刻、双方のカニシカより授かりしこの金剛法輪にて、其方の刻の聖塔と感応し、刻を超えて参りしなり」
「理想之浄土の王で神威……カニシカさま……。
刻を超える法輪……。
待って! なんでわたしの刻では聖塔が無事なのですか?」
「それは我から話そう……。
これが彼の塔主、梵天王之代行者に聴かされし『神威之啓示』なり」
静かに「青龍乃籠手」から聴こえる青龍の助言。
「……塔主を打ち倒し、支配権を奪った羅刹王達。
だが、聖塔の真なる叡智……「悠久に紡がれし叡智」、「五大の直霊と増幅」を、己が禍々しき想念では理を解する事叶わず……。
「動きもせず攻めも出来ぬまさに無用の長物」と、羅刹王と『掌を取り合い使役せん存在』が切り捨てしなり」
ミチヒメとラーマは愕然とする。
ラーヴァナの他にまだ彼をも超え得る存在がいる事に。
「……彼の者達がが聖塔を御する理を手放した隙を突き、塔主さまは、真なる梵天王へと、『誓約の神呪』を捧げしなり。
『二度と、聖塔を手放さぬ』と。
故、聖塔を御する理を奪還する事叶いしなり。
しかし……いかな梵天王であっても、『神威の城』奪還す事叶わぬなり……」
ミチヒメは、あの城の放った絶望の漆黒の稲妻を想い還し、全身を激しく震わす。
静かに右の掌の「氣力帯紐《カエス=トゥス》」が煌き、彼女の恐怖を和らげる。
「……塔主の誓願……。
『五大を揮う神謡者たる者顕れるまで決して扉を開かぬ』と」
其処まで語った青龍の言葉を継いだラーマの発言。
「……シータが受けし啓示……。
それこそが、余と掌を取り合いて『神謡者』顕す其方の事でありしなり」
大いなる定めの因果を強烈に観じるミチヒメの眩暈。
確かに彼女の「刻」でも、聖塔の存在する「理想之浄土」を治めているのはカニシカである。
「理想之浄土を治めている神威さまが嵌めている法輪……。
それにそんな権能があったなんて……」
「……彼は平常は民の安寧の為に『刻を止め』しなり。
しばしの間、ふたつの刻の敬虔転輪聖王に頼み込み、法輪無しで行ってもらいしなり。故……」
ミチヒメは固唾を呑み込む。
「……刻は、限られているのですね……!」
「然り。
そして……余達を除き……仲間は……殆どおらぬ……」
憂いを露わ漏らすラーマの吐露。
「……え?
確か遺されし叙事詩では、弟君をはじめ、様々な方々がラーマさまと共に……?
あぁ、あの羅刹王……!
本当に叙事詩に遺るあの羅刹王……だったのね……」
ミチヒメは想い還し身震いする。
浮かび上がる凄惨な光景、折られし尊厳と絶望……。
静かに優しく、ラーマがミチヒメの掌を握り締める。
「弟……。
余には……兄弟などいない……。
それが今の余が解す事実なり……。
しかし……この『弓』を掌に……引き絞る度に……。
何ゆえか解り得ぬが、止め処なく熱き滴が頬を伝うなり……」
彼が背負いし弓。
弓はラーマに応える様に、微かに煌く。
しかし、今はそれ以上、弓が何かを顕す事はなかった……。
「……実に辛き道筋であったろう……。
彼奴等は何らかの権能により、刻すら自在なり。
霊性乃身体のみ故、跳ばんとしていたラーヴァナに、執念でしがみつきて四獣王達は其方の刻へと跳んでいったのだ……。
我が妻シータの授かりし、『神威之啓示』に縋りて……」
込み上げし、様々な無念露わのラーマの告白。
「……確か師匠達もそう言っていたわ。
ラーマさま、シータさまの『神威之啓示』って……」
ラーマの掌に、少し落ち着きを取り戻したミチヒメの問い掛け《ピリマ》。
「……『遥かなる先世に住まう乙女こそ 民の希望 聖乙女なり』……」
静かに、しかし熱い眼差しでミチヒメを見つめるラーマの口伝。
彼の想いが、ミチヒメの心に巣食う恐怖を、氣力帯紐と掌を取り合い、比武の歓喜へと塗り替え直霊する。
「――なら!
わたしが必ずや、羅刹王を打ち負かしてみせます!」
ミチヒメの迷い無き強い眼差し。
先程の震えていたか弱き乙女とはまるで別人。
「……実に頼もしきなり……!
然らば今宵は此処の近く、ダンダカの森にて夜を明かそう」
日隠れ闇憚る夜となり、昏き闇が世界を覆ってゆく。
ふたりは聖塔近く、ダンダカの森で夜明けを待つことにする。
「お口に合うか解りませんが……。
わたしの刻でこの辺りの民が食していた『乳粥』です。
どうぞ、英雄王……お兄さま」
ミチヒメは焚火で温めた粥を一杯差し出す。
その素朴な温もりに、ラーマが思わず漏らす溜息。
「こ、これは……実に優し気な……。
籠められし想いもありて、身も心も温まりしものなり」
青龍は感慨深く、子龍の姿に似つかわしくない、深淵を見つめる眼差しで二人を見つめる。
「……至高の王たりとも、一杯の乳粥の温もりには勝てぬであるな」
その様を観て小鳥の囀りが響く。
「わたくしめもお相伴に預かりたいですわ」
馨しさに耐え切れず、思わずついばみそうになる朱雀の羨望。
「しかし、なんだな……。
睦言のよう……い、いや、何も言ってないぞオレ様は!」
身の危険を観じ竹やぶに飛び込む白虎の退避。
「ミチヒメ……今だけは二人の刻として、安寧にゆだねると良いです」
静かにミチヒメに霊力を与え氣力を貰い、大地の天蓋を造る玄武の気遣い。
王都をラーヴァナの軍に襲われ、支配され、シータを奪われ、臣下達は輪を廻らされ、王都を棄てて、此処、逃げ伸びしダンダカの森に立つラーマ。
そこに差し出された、民衆達の営みの象徴。乳粥。
その、生命を紡ぐ慈愛の温もりに、山脈の氷河のように張りつめていた彼の想いが堰を切る。
「余、余は……誰も……救えなかった……!
剰え……『逃げてきた!』
全ての者たちが『希望之神器』の如く余を慮り、身命を賭して『逃がしてくれた』……。
夥しい供犠の上に立つのが今の余である……。
ミチヒメよ……。
こんな余を……余が……「王都」を救わんとする事など……。
戯言に等しき事であろうか……」
途端、音を立ててミチヒメは拳を握り締める。
眼に浮かべ溢れ出る熱い滴。
静かに差し出される拳……。
それはラーマの眼前でゆっくりと開かれ、彼の頭を優しく、何度も撫でて慰める。
そしてミチヒメは、悲しみに苛まされる孤独な王を、溢れる想いの儘、力の限り抱きしめる。
「……わたしも、わたしも!!
ラーマさまだけじゃない!
わたしも……護れなかったの……。
わたしなんて……。
國すら滅ぼされたわ……。
あの……天超飛翔神威之城に……。
良いの……。
お兄さま……『わたしがここで赦してあげる』……。
だって、その苦しみと辛さは……民と国を愛するからこそだもの!
……っ……っ……うぅ……!」
天蓋の中、あらん限り響き渡るふたりの慟哭……。
絶望的な相手へ立ち向かう恐怖、不安……。
責任への重圧……。
大切な存在を喪った悲しみと怒り……。
今、ふたりは異体同心で想いの限りを曝け出し合う。
いつしか、まさに泣きつかれ眠る幼子のように……。
ふたりは、抱き合ったまま静かに夢路に誘われてゆく……。
差し伸べる掌……差し伸べられる掌……。
届けたい……届かせたい……しかし届かない……届かなかった……。
「良いの……赦してあげる……」
静かに……優しく染み渡る囁き……。
齎される慈愛の掌……掴む事叶いし誰かの掌……。
「――こ、これ、は!?
そうか……其方の……」
眼を晴らすほど泣き疲れ、未だ赤子のように微睡む「聖乙女」。
「……此処まですべて晒しし存在など……其方が初めてなり……」
感謝と慈しみが溢れ、静かに、起こさないように、ラーマは己の腕で彼女を優しく包み込む。
「いとか弱く儚き民衆の乙女……。
まさに。
斯様に『華奢な細き肩』に國を担ぎしなり、か……」
およそ善男乃子であるならば、護ってやらねばならぬほどのか弱さ。
その身で彼女は健気にも、民と国の恨み晴らさんが為に「武」を修め、今まさに極めんとしている。
その想いは、年端もゆかぬ乙女のままに。
「負けてはおれぬ……!
其方の事でさえも……。
其方自身が、すべてを委ねられし存在にならんと、今此処に『豊饒乃大地の英雄王』として、『大いなる真理』に対し誓い奉らん……!」
ラーマの真寧なる祈祷……。
降り注ぐ真輝銀の法雨。
「こ、これは……!?
『この想いの儘歩め』……そう言う事であるか……!」
ラーマはもう一度天を仰ぎ、深々と拝礼する。
「う……ん……。
あ、おは……あぁっ!!
も、申し訳ありません!
わたしなんて事を……。
無礼千万、お許し下さ……ラ、ラーマ……お兄、さま……?」
頭ごと抱きすくめられ、言葉を遮られてしまう。
「……有難き……!
それ以外の言の葉では言い顕せぬ!
おかげで……余も想い晴れしなり。
観ているが良い。
今後の余の歩みの総てを……!」
瞬間、あの神呪を放った刻のように、ラーマの髪が真輝銀に輝く。
「あ、あの刻みたいです……。
ラーマお兄さま……とてもきれいだわ……!」
陽光に煌き白銀に輝く髪に、ミチヒメは思わず見惚れてしまう。
「……無理筋徹し空目覚めさし刻以外では……はじめてなり」
程無くいつもの髪へと戻ってゆく。
「……きっと完全に真輝銀に輝かせられたら……」
「あぁ! その刻こそ、『虚空』を我が物とせんが刻なり……!」
立ち上がり、想い籠めて力強くラーマの掌を握り締めるミチヒメの確信。
「頑張りましょう……『お兄さま』!
きっと、身に着けられると思いますわ!」




