詩片の狭間 癒し直霊す聖者の乙女の泉
静寂の夜空、その最上に昇りつめた月光が、遥か遠くの高き雪嶺を青白く優しく照らす。
岩間から湧き出る熱き泉。
古より伝わりし、「予言聖者の乙女の泉」。
その聖なる熱き湯は、如何なる病も傷も癒し直霊してくれると言う。
泉を以って正しき回復を計る為、ミチヒメは師匠達四獣王を法具から解放して具現化していた。
頬を撫でる心地良い風に身を任せ、ミチヒメは、禊を終えて湯に浸かる。
「そうですミチヒメ。
静かに浸かり、緩やかに自身の氣力を廻らせる様に放って下さい」
久々に法具から解放され、湯の中を心地良さそうに泳ぎながら伝える、子亀姿になった玄武からの指示。
「すると不思議な事に自身の氣力が癒し直霊され、廻る自分の氣力が勝手に快癒呪の効果を齎すのですわ」
白鳥……と言うよりは雀の水浴びの様に水面に波紋を描く、小鳥姿の朱雀からの解説。
「はい! あぁ、本当だわ……!
すごい……観る間に傷も疲れも癒し直霊されていくわ……!」
錬の間に出来た細かな傷すらも、忽ちの内に赤子の無垢な肌の如き滑らかさへと癒し直霊されてゆく。
「……でも、なんでセイリュウとビャッコ、外で見張りなの?」
軽く湯当たりし、彼女の頭へと避難してきた玄武への、ミチヒメの素朴な疑問。
「ふぅ……風が心地良いです……。
はっ! ええ、至極当然です。
彼等は神威なれど成人男性です」
正気に還り玄武は応える。
そして辺りを見回す。
周囲を覆うは一面の夜、そして闇。
「日隠れ闇憚る夜」。
それは、聖なる存在から、魔なる者へと、世界の支配権が変わる刻。
宵闇を跋扈する魔物達は、あの「昏き闇」の如く、音もなく忍び寄り、静かに侵蝕してくる。
「この『泉』、そして『湯浴み場』は、聖なる結界があります。
ですが、この外……今は『日隠れ闇憚る夜』です。
それは、息もしにくく、魔なる者の昏き霊氣支配する刻。
いかに聖地とは言え油断は出来ません。
それに、いえ、それよりもミチヒメ、貴女は『うら若き乙女』です。
彼等を一緒にいれる訳には……」
ミチヒメを慮っての玄武の配慮らしい。
その想いに感謝しながらもミチヒメは苦笑する。
「ありがとうゲンブ。
でもね、あなた達の『いつもの姿』なら何にも思わないし……あの『本当の姿』も……。
『神々しさ』の方が先立って、恥ずかしさもときめきも無いわよ?」
自身も泉のほとりの岩に腰を下ろし、風にあたりながらミチヒメは応える。
「ホラみろ言った通りじゃねぇか!
オレ様達だけ『務め』させやがって!」
外から聞こえるのは、門番をさせられている白虎の愚痴。
「あは、ごめんねビャッコ。
良いわよ、みんなで入りましょ。
セイリュウ師匠、ふたりともこっち来て?」
「よしっ! この地に来て此処「予言聖者の乙女の泉」に入れねぇなんて辛すぎたぜ!
そりゃっ!
あぁぁぁぁ……! やっぱ最高だぜ!
しかも今この『身体』だからよっく解るぜ心地良さ!」
禊を手早く済ませ勢いよく飛び込んできたのは……。
純白の足元まで伸びる、山嵐の様な鬣を有した善男子であった。
「もう、ビャッコ!
今の『その姿』のあなたが勢いつけて入ってきたら、泉の湯がすべて吹き飛んじゃうわ!」
呆れる様に湯の心配をするミチヒメ。
「っとすまんすまん! 『錬』以外で『元の姿』、久々なんでな!」
豪快に笑いながら謝る純白の虎人……いや虎神。
足元まであるざんばらの鬣、短く仕舞える鋭い鍵爪、純白の毛に覆われ漆黒の縞模様の入った身体、湯船の中漂う様に動かしている尾……。
「此処は神聖なる禊と癒し直霊の場。
四獣王の名折れとなる様な軽率さは控えてもらいたいものであるな」
まるで湯に染み入る様に、手刀で音もなく斬り裂く様に入る存在。
それは、長身巨躯に龍の角と背に鱗を湛えた、武人姿の青龍。
「もしかしたら、ウガヤおじさまよりも上背あるかもしれないわね」
ミチヒメが青龍の背の高さに感心する。
「……以前測りし刻は……玖尺少々であったと覚えがあるな……」
どの位前の刻なのか、青龍は暫し想い還す仕草のまま思案を廻らし、応える。
「……たしか玖尺と弐寸でしたわ青龍。
わたくしめもせっかくですのでこの姿にて楽しませてもらいますわ」
朱雀は、朱華色の髪を巻き上げて固め、豊満な肢体を前腕に湛えた羽毛で覆い、静かに湯に入る。
「……やっぱり成人女性と言ったらこうよね……。
朱雀は良いわね……本当にきれいだわ。まるでおかあさまみたいよ」
ミチヒメは、同性ながら余りの妖艶さと神々しさに思わず見惚れてしまう。
「そう言う物差しで考慮するならば、ワタクシなどミチヒメ、貴女以下です」
最後に静かに入ってきたのは……ミチヒメよりも幼く観える乙女姿の玄武。
尼削ぎ位の切り揃えた暗緑色の髪、なだらかで未成熟な肢体。
鳩尾より下腹部迄は甲羅に覆われ、掌には僅かに水掻きがある。
「こうしていると、みんな普通の神威さまのようだわ、とても素敵よみんな」
そう。神威ゆえの完璧な容姿。
その四柱の尋常ならざる美しさを眼にして、ミチヒメは悦に入る。
「忝き。しかし、いざ氣力目覚めさしならば……。
先の様に半神半獣、もしくは完全なる獣神となりし事が必定なり」
そう、彼の「至高の技」揮いし刻……。
あの刻青龍は、槍を揮いし刹那、竜頭の魔人と化していた。
「まぁなぁ。あの位氣力猛らせたら……やっぱり『還っちまう』よな」
白虎も思い出して頷く。
「……ずっとこのままでいられたら……いいわね……。
それが出来たら……本当の家族みたいよねわたし達」
途端子猫に戻ったビャッコが前足で小突く。
「エパタイ! 姿形じゃねぇだろ?
オレ様たちゃ……普通の家族なんかよりも、よほど深い『絆』で結ばれてんだ。それこそなぁ」
白虎が意を決して言わんとする言葉を玄武がさらう。
「魂の家族とも言うべき関係です。
ミチヒメ、あなたとワタクシ達は、最早、彼の『禁呪』に次ぐほどの近しき仲なのです」
「オマエ、横取りするんじゃねぇ!
あぁそうだ、玄武の言う通りだぜミチヒメ!
何度でも言ってやる!
オレ様達は、何処までもオマエと一緒だ!」
ミチヒメは、二本足で立って胸を張る子猫を、潰さんばかりに抱きしめる。
際限なく指に力が籠ってゆく……息遣いも荒く瞳から光が喪われる。
「ちょっ! オマ……ッ! つ、潰れるだろうが!」
白虎の決死の悲鳴。
その声に劈かれ、ミチヒメは我に還る。
自身の掌につく朱の滴に、己の掌に抱く恐怖。
「ごめんビャッコ! 何でこんなことを……!
でもね……なぜか……本当に『潰しちゃいたい位』想いが溢れてしまったの……。
ううん、今の無し! 本当、嬉しかったわ。
ありがとうビャッコ、みんな……!」
一瞬視線を交わし合う四柱。
彼女の心に刻まれた凄惨な傷跡……。
刻に情熱、闘志、純粋に怒りと直霊しながらも、昏き闇の底は深く、未だ拭いきれぬものを四獣王達は観じ取る。
(……待ちましょう。『あの方』ならきっとミチヒメの心の救いとなってくれます……)
玄武から獣王にだけ静かに伝わる囁き。
(……ああそうだな。あの方は……全てのモノの『希望之閃光』そのものだからな!)
頷く白虎の囁きに一同頷く。
深い宵闇に星々が煌く空を見上げる。
この自神達にとって、もはや娘以上に大切な存在に、此処までの傷を負わした羅刹王。
そして、彼を操りし黒幕への激しい怒りを、四獣王達は燃え滾る闘志へと直霊して猛らせていた。




