第5倭 未来を覆う昏き闇
「此度の比武、これまで!
皆の者、素晴らしき想念の元、良く競い合った!
参加せし闘士達は、盟主との契約を許す!」
意宇之國貴が宣言し、掌を翳したその刻、突如空間が歪み視界が大きく揺らぐ。
死角から顕れた、すべてを掻き消す砂嵐によって、世界から色彩が喪われる。
吐息さえも凍り付くような静寂。
翳された掌と共に、意宇之國貴は刻を止め沈黙している。
ヤチホコが辺りを見回すと、彼以外のほぼすべての存在が、「凍れる刻」の中、その営みごと全てを禁じられている。
「な、なんだ? みんな固まって――あれは!」
空に輝く太陽さえも『刻を喪った』かの如く、届けようとしていた波打つ光の波動もそのままに、営みを完全に阻まれている。
その真円の中心から、『昏き闇』が溢れ、光を覆いつくしていく。
広がる闇の中から、一筋、黄金の光が差し込んで大地に降り注ぐ。
その光の階梯より緩やかに降臨し、圧倒的存在力を放つ一柱の影。
全てが刻を止められた中、影は、唯一滑らかに、彼の周囲で踊りながら囃し立てる従者を引き連れてヤチホコの頭上に浮かぶ。
「またもや『歪み (バグ)』顕れしか。
『神威之啓示』は絶対。
『詩片』の書き換えは許されぬ大罪。
――我は『管理者』の権能を顕さん。
発動せよ、『終焉 (デバッグ)の儀』!」
宙に浮かびし存在が、人差し指を軽く水平に動かす。
観る間にヤチホコの掌にした石版の啓示が、昏き闇に蝕まれていく。
代わりに、冷たく輝く金細工が浮かび上がる。
それは、玻璃の玉が上下に連なる中、鮮血を思わせる、真紅の流砂を湛えた砂時計。
「……浮かび上がりし砂時計の、『過ちを顕す流砂』がすべて落ちし刻、世界は再び終焉を迎え、正しき世界へ『廻る』であろう。
今はヤチホコよ。
貴様が真に世界之王――この世を統べる『統治之神威』の器であると言い張るならば……。
この『予定されし正しき未来』をも覆してみせるが良い……!
我が従者、後は任せたぞ……」
影は、後を従者に任せ、虚空にて踵を返す。
「お任せを!」
「ま、待てっ! お前は? 一体何を言っている?
僕が『世界之王』? シュ、シュメール……う、うがぁあ!」
突如胸を穿ち抜く鋭い痛み。
破裂せんばかりに早鐘が彼の胸を揺るがして鳴り響く。
後頭部を強打されたような激しい頭痛。
その激痛に見舞われると同時に、世界が大きく傾げて揺らぐ。
遠くから「あの夢」の、世界を呑み込む『終焉の風の音』が、流れ落ちていく砂の音と共に聴こえる。
その「破滅の砂音」は……ゆっくりと、しかし確実に忍び寄る。
「あ、熱っ、な、なんだこれは?
これが……ヤツの言う『終焉の砂時計』?」
胸中で熱くなった石版を取り出して漏らす、ヤチホコの驚き。
「ヤチ!」
スセリが慌てて駆け寄って来る。
(スセリちゃんも動けるのか? 他には……!)
「逃がさないわ、スザク! わたしに翼を!」
声と共に翔け上がる朱華の閃光。
それは、とらえきれない迅さの燃え盛る翼。
「はぁっ! 朱炎蹴撃爪!」
昏き闇に浮かぶ一柱の影は、凄まじい炎を纏う蹴撃を片手で難なくいなす。
そして興味も示さず静かに背を向け、闇に吸い込まれ消え去ってゆく。
「ヒヒッ! 『主なる神』より賜った城で待っているよ。
次の演目では、絶望の淵に立たされながら、もっと面白い『歪み』を見せてくれよ!
足掻け足掻け! ヒャハハハハ!」
後に残る従者は、耳障りな嘲笑を遺して踊るように去ろうとする。
「待ちなさい! はぁっ!」
虚空で瞬時に弾けて翻り、燃える翼は従者へと跳び掛かる。
その刻、光と闇が交錯し、揺らいで照らされ姿が垣間観える。
それは、艶やかな光沢が不気味さをより一層引き立てる、この世界の草木には存在しない、極彩色の不快極まる道化師の衣装を纏う存在。
蜃気楼のように揺らめいた瞬間、彼の姿も虚空へと消え去り、炎は虚しく虚空を突き抜けてゆく。
(あれは……トランプのジョーカー? な、なんだ、この音は……?)
空を眺めるヤチホコの耳元に、纏わりつく様に鳴り響く「砂音」。
それは、石版に浮かび上がった、終焉の砂時計の、「破滅の砂音」。
「あの帽子――っジェスター!
逃げられた! 届く間合いだったのに!」
闇の晴れた空中より、軽やかに飛び降りてきた声の主の「戦慄き」。
(――ミチヒメさん! あの炎は彼女だったのか!)
「……まがりなりにも空を遣うだけの事はあるわね。
『あの刻』の中、動けるのだから」
ミチヒメの、『動けるだけ』だったヤチホコへ告げる評価。
「――くそっ! 砂は流れ落ちているって言うのに!」
握り締める拳。
ヤチホコからは、先ほどの勝利の充実感など跡形もなく消し飛ぶ。
「あなた、この世界の悲鳴が聴こえている……のね。」
ミチヒメのヤチホコに対する、僅かながら顕した感心。
(この『破滅の砂音』、聴こえているのは……僕だけなのか)
「……ヤチホコ、スセリ、そしてミチヒメ。
神威豊穣祭終わりましたら、わたくしの元へ来て下さい」
向津日霊女が、壇上から立ち上がり静かに告げる。
(なんだ? あの表情、まさか、あの凍れる刻の中、何が起きたか解って……?)
「……わかりました、後ほどお伺いいたします」
何事もなかったかの様に、意宇之國貴より比武の終了が告げられる。
歓声と共に元々の本題である、神威豊穣祭の準備が手際よく行われていく。
中央に大きく空間を取り、周辺に台に載せられた料理が並んで行く。
支度が整うと、息を合わせたかのように静寂が訪れる。
夜の帳が降り、日隠れ闇憚る夜に覆われる。
広場の周囲、忍び寄る闇を祓うように松明の明かりが燈る。
炎を揺らして低く厳かに響き渡る、比武の合図だった銅鐸の音色。
先ほどとは全く別の旋律を、太鼓の拍子に合わせ奏で始める。
音が最高潮に高まると、開闢けた空間に静かに顕れる女性。
それは、美しく光沢のある透き通るような薄衣を纏い、色とりどりに輝く装身具を身に着け、魅惑的な墨を施した、巫女。
彼女から放たれるのは……民とは隔絶された妖艶ながら清廉で静謐な神威。
「『わぁ……きれい、どんな宝石や金属より』も!
あんな神威さま、うちの國に坐したのね……。
そして……あの闘士の緋徒もとっても……。
ううん、なんでもない!」
(い、今なんて? いや……違う。年頃の乙女なら当然か)
思わず漏らしたスセリの言葉。
それは遥かな刻の星霜、「竜輝」の魂の奥底に抱く「彼女」との面影と折り重なり、彼は耳を疑う。
だが、彼女に浮かぶのは、憧憬を隠すような「面映ゆさ」。
ヤチホコは静かに息を吐き、浮かんだ可能性を今は打ち消す。
「ねぇキクリおねえさま、あの女神さまとってもきれいですの」
「そうねミヅチ。残念だけど……アタシの負けだわ」
子龍の少女と狐耳の女性が感心している。
ミヅチとキクリ、比武の参加者である。
(あの二人、『相生』なだけあって結構頑張っていましたが、相手が悪かったですね)
「……流石、あの『称号』を受け継ぐだけはあるわ。
そしてその対となるあの闘士……」
ミチヒメが見つめる先……。
巫女装束の女神と背を合わせ、祭祀用の巨大な剣を携えたしなやかな長身の闘士が、彼女の肢体を支える様に悠然と聳つ。
「あらゆる魔を退け 神威よ来たれ! 破魔神反呪!」
神呪を受けて闘士の持つ大剣へ、世界に遍く力が集束していく。
「地! 水! 火! 風!
――今よヤチホコ! 『あたし』に貴方の空を!」
(『あたし』――まさかあの巫女装束の女神……タ、タギリ姉ですか……!)
清廉ながら妖艶な装いを纏い、隔絶した神々しさを放つ女神。
それは、咲き誇る山桜の如く美しい、この世界でのヤチホコの実姉、託祇理の本来の姿。
「わかりました、タギリ姉、行きます! 氣力解放、空! 付与生氣呪!」
タギリは、煌く衣装を翻して舞い踊り、ヤチホコが放った「空」の氣力も闘士の大剣へと注ぎ込んでゆく。
「世界に遍く精霊神よ!
私に霊力与え、ここに神威之力顕現せしめ給え!
除災神来武!」
権能を受け取った闘士の、勇猛かつ清廉な想いで唱える神呪の絶唱。
「……『あの刻』の英雄王さまのよう……。
オオトシさま、流石ね……」
荘厳な美しい光に見惚れて、思わず漏らすミチヒメの感嘆。
五色に輝く眩い光は、オオトシの大剣の一振りごとに放たれていく。
紅蓮の「火」、深緑の「風」、紺碧の「水」、山吹の「地」。
そして……ヤチホコより受け取った透明に輝く「空」。
大地へ、空へと吸い込まれてゆく……。
最後の「空」放った刻、意宇之國中を、輝く強固な結界が包みこむ。
(凄い……!
そうか、だからさっきの奴等は『これ』の前に……!
かなり狡猾な奴、と言う訳か……!
しかし……これがまさに彼我の差……ですね……!)
神呪を放つ二人との、あまりの差を眼にして、封環をさすり歯噛みしながらヤチホコの胸中に湧き上がる痛感。
「この結界が張られていたら、さっきの『アイツ』、入ってこれなかったのにね!」
スセリが漏らす感心と悔しさの吐露。
「ミチヒメさん……が、『ジェスター』と呼んでいましたね」
「きっと向津日霊女さまは何かご存じなのね。そろそろ行きましょう、ヤチ」
輝きに護られた中で続く楽しげな宴をよそに、二人は彼女の待つ神殿へと向き直る。
見上げた空には秋を彩る星々が瞬いている。
(星座は『前』と変わらない。秋の大四辺形だってあそこに観え……な、無い!)
昨日までは確かに確認出来た。昨日以上に空は清く澄んでいる。
(この結界でさえ、『終焉の流砂』は止められない……!
猶予は――ありません!)
ヤチホコは石版に映し出された砂時計を睨む。
重くも、決意に満ちた足取り。
ヤチホコは、今はまだ星々が煌く宵闇の中、神殿へと向かっていった。




