第4倭 神に挑む二人
美しく朱に染まって優しく揺れる紅葉、賑やかな喧噪、立ち並ぶ露店、身体を揺らす太鼓の音。
そして、厳かに凛として響く銅鐸。
意宇之國、いや、奴国をあげての祭祀、『神威豊穣祭』が行われる。
いつもと違うのは、今回は特別に『神前比武』が開催される事である。
(……極限の連続、でしたね、あの錬)
銅鐸の荘厳ながらも心地良い音色の響きに身を委ね、日向での錬を振り返る。
霊力の比武については、各々の錬の段階に応じた試練を与えられた為、辛うじて通過できた。
(問題は本番の比武です)
神威豊穣祭の熱気と賑わいを制すように、厳かな神呪と共に開催された比武もすでに中盤。
(あの相手を一撃だって!? しかもあの体捌き――道理で錬に来ないはずです!)
痛烈な一撃で相手を仕留めた、意宇之國貴の実の娘、ミチヒメ。
静かに佇む彼女の背後に、巨躯の老師が重なる様に浮かび上がる。
(ヒメヒコ制で良かったです……。
対となるアビヒコの霊力が、彼女の技についていけず尽きてしまい棄権になったのは――僥倖です!
あとは……僕等さえ『あの相手』を乗り越えられれば!)
「最後の組! ヤチホコ・スセリの組と、ミケヌイリヒコ・ミケヌイリヒメの組、比武台へ!」
(――来た! あの方法を遣ってでも絶対に!)
「ボク達の番だね! あ、ヤチ、ちょっと待って……」
スセリは優しく微笑んで、ヤチホコの両の掌をしっかり握り、腕や背中を撫でる。
「もしもの刻は、『あの通り』に、ね!」
「――ああ! ありがとうスセリちゃん。入れ込み過ぎていました!」
「ボクのヤチなら、大丈夫! きっとあの『神威之啓示』だって……」
「ごめん、スセリちゃん。そうです、僕に任せて下さい!」
スセリは自分も強張っていたことに気づく。
そして微笑みから溢れるスセリの安心。
二人は互いに軽く拳を合わせ、力強く比武台へ上がる。
(何度も検証しました……ここで必ず覆してみせます!)
一際大きな祭祀用の銅鐸より、重い金属音が響き渡る。
開始の合図。
聞くや否やミケヒコはヒメの付与を受け、業火の如く突撃してくる。
(――迅い、が、これなら!)
ミケヒコは肩に担いだ剣を、体幹の捻りと共に振り下ろす。
ヤチホコは上体を捻り、半歩後ずさりして躱すも、切っ先が衣を掠める。
瞬く間に剣に纏いし炎が彼を蝕む。
「風よ! 水清め火を鎮めたまえ!」
スセリは咄嗟に、横に広がる森の入り口の池の水を巻き上げて鎮火する。
「良かった! 平気?」
「はい、ありがとうスセリちゃん!」
「やっぱりミケヒコくんは――強い!」
向き直る二人の背筋に冷たい滴が流れ落ちる。
「どうした? 躱してばかりでは勝てぬぞ! ぅおぉっ! 炎神之竜巻!」
渦巻き暴れる炎がヤチホコに襲い掛かる。
「間に合って! 風之神威守護盾!」
ヤチホコの周囲を、激しく渦巻く風が取り囲み護る。
「猪口才な! ヒメ、次撃!」
「かしこまりました。
付与霊呪! 剣よ神威となりて敵を討ち祓え!」
ヒメより真輝銀に輝く霊力が溢れ、ミケヒコの剣に注ぎ込まれる。
すると紅蓮に輝く炎が、ミケヒコの剣より渦巻き猛る。
「――とどめだ! 喰らいやがれぇ!」
二つ目の火焔の渦が、ヤチホコ達目掛け襲い掛かる。
轟音の中、微かに疾る乾いた金属音。
瞬間、世界を斬り裂くような金切り音が鳴り響く。
暴れる火焔の双渦は、力ずくで理不尽に押さえつけられ、周囲の空間ごと空中で圧し潰される。
暴威の焔渦は、熱や音を遺したまま、虚空の渦へと吸い込まれ、跡形もなく消え去ってしまう。
「なっ……オレの火が、喰われた、だと……!?」
驚愕したミケヒコが、目を見開く先……。
そこにいるのは、絶対的な虚無を顕現させたヤチホコ。
肩で息するも、静かに左の掌を翳し無傷で立つ。
「さすが! あれを封じるなんて」
スセリが近寄ってきて感嘆を顕す。
「ええ……しかし、次はもうありません。あの『眠り』に見舞われます」
「……じゃぁ、『あの通り』にね!」
「はい!」
「付与生氣呪!」
打ち合わせの通り、スセリはヤチホコへ氣力を付与する。
そしてミケヒコ達の動きを封じようと、自身でも突風を吹き付ける。
ヤチホコはその氣力を遣い、数多の風へ呼びかける。
「海、川、滝、湖……すべての水に近しき風よ、この地に集い給え!」
湿り気を多く含んだ大気が充満する中、なおもスセリはミケヒコの吹き上げる火に対し、ひたすら風を吹き続ける。
「あれは、――雲!
いつの間にこんなに立ち込めたんだ?
む、滴となり落ちて来たか。
しかしこの程度の『水』でどうとなるオレの『火』ではない!」
「今だ! 『風は竜巻となりて無を宿し 無より眞なる神威之力生ず』!
出でよ! 雷ノ神威!!」
ヤチホコが想い籠めて神呪を唱えると、雲間より閃光が迸る。
「なんだと、ま、まさか貴様!」
ヤチホコが叫ぶと同時に、掌中の剣目掛け、轟音と共に天降りて雷神が宿る。
鋭く乾いた破裂音を響かせてミケヒコを見据える。
猛り輝く剣を、ヤチホコは迷わず大上段より振り下ろす。
「喰らえ! 雷神之剣閃!!」
稲光が、地を這う龍の如くミケヒコの足元に炸裂する。
瞬間、遥か上空の鈍色の雲間から、地の龍に応えるのは、目も眩むばかりの輝く天の龍。
天龍と化した雷光は、暴れ狂いながらミケヒコに降り注ぐ。
轟音と共に噴き上がる爆炎。
ミケヒコは、全身を激しく痙攣させ、声ならぬ声をあげる。
一頻り炸裂した後、比武台から音が完全に消え去る。
静寂の中立ち込める煙に阻まれて、彼の様子は観えない……。
(……おかしい、です……?
全く……動く気配を……観じません……?)
天地之龍去り、煙を風が吹き祓う……。
蹲り息も絶え絶えのヤチホコが、違和感を観じ静かにミケヒコを見遣る。
眼に映るは……煙吹く消し炭と化した「ミケヒコ」であった存在……。
「う、ああぁっ! そ、そんなつもりじゃ――タ、タギリ姉!」
立ち込める異臭。
焼いてはならざる存在の、嗅いではならぬ臭い。
それは、誰しもが心の奥底から拒絶したくなるもの。
断じて虚構などではない。
つい今しがたまで剣を切り結んでいた存在が、物言わぬ炭と成り果てた現実。
その痛烈さにヤチホコは耐え兼ね、狼狽え、堪らなくなり、母に重ね合わせた姉の名を呼ぶ。
(そんなそんなそんなぁっ! ぅぐっ……い、いやだぁ!
こんな事……僕は全く望んでなんか……!
誰か、母さん……『楓ちゃん』……助けて!)
ヤチホコ、いや竜輝は、惨状を目の当たりに半狂乱になる。
込み上げてくる吐瀉物を堪えて心中で助けを求める。
「いけませぬ! ミケヒコ! 今すぐに!」
ミケヒコの元へなりふり構わず駈け寄ったヒメは、すぐさま法衣を脱ぎ捨てる。
そして黒くひび割れたミケヒコを、己の肌が燻る炭で焼けるのも構わずに、強く抱きしめて神呪を唱える。
「根源たる至高の神威よ 『大いなる真理』をここに顕わし給え!
付与快癒呪!」
世界中から、ざわめきと共に氣力が集束されていく。
ヒメはその全てを、彫像の己が身で受け入れようとする。
だが、莫大な氣力の奔流は容赦なく彼女を苛む。
木彫りの肢体の至る処から、小枝を踏みしめる刻の乾いた音を立てて亀裂が走る。
しかしそれでも構わずヒメは呪を行使し続ける。
動かぬ彼女の瞳から、木漏れ日の様に輝く滴が伝い落ちる……。
一瞬、万象の音が鎮まり還り、静寂が訪れる。
風に舞い踊る山桜の花弁の様な、清廉かつ力強い霊光がヒメより溢れ出る。
其の清らかな波動は、ミケヒコを優しく包み込んでいく……。
「観て! ミケヒコくんの身体!」
「え、な、何ですって!? そんなことまで……!
解っていたつもりですが、信じられません……」
スセリの言葉にミケヒコを見つめる。
信じ難い現象が、己が眼前にて繰り広げられている。
だが、それはあまりに彼の理解の範疇から乖離し過ぎており、ヤチホコは目の当たりにしながらも、暫く現状を受け入れられずにいる。
(……とりあえずは、良かった、のか……?
今更だけど、『前』の常識なんて――全くと言って良いほど、通用しません!)
驚愕露わに辺りを見回すと、恐ろしい事に、ここまで狼狽しているのはヤチホコただ独り……。
(信じがたいですが……聞いていた通り、ですね。
タギリ姉も同様の技を遣える。
『輪を廻る』前ならば、何とかなる……。
そう言う事、か――強くなる訳です!
無傷とは言い難いですが……こんな絶望的な深手をも治せるヒメを連れての錬ならば……!
しかし、今はそれで本当に良かった……良かったです……)
暫くすると炭と化した肌が剥がれ落ちる。
まさに蛹の殻を脱ぎ捨て翅開く蝶の様に、ミケヒコは大きく伸びあがり目覚める。
「くはぁっ! こ、これは……?
――ヒメっ! まさか、アレを遣ったのか?
そこまでの手傷をオレが負わされた、そう言う事か! くそっ!」
「……ミケヒコ……。
故、こたびの、比武、ここまで、で……ござい……ます」
ヒメの消え入りそうな声。
だが、魂の底から振り絞るような囁き。
辛うじて、ヒメはそれだけを告げた。
伝え終えて崩れ落ちるヒメを、ミケヒコは素早く抱きかかえる。
その小さく、あまりに軽い――木彫りの彫像の身体から立ち込める痛ましい焦げ香。
それが、絶大なる自信を以って挑んだミケヒコに、死の淵から手繰り寄せた生の実感と、九死に一生を得た凄絶な現実となって圧し掛かる。
「ミケヒコ! 本当に……良かった! そしてヒメさん!
乙女がその身を灼き、肌を晒してまで……!
本当にありがとう。おかげで僕は……」
ヤチホコから溢れる、狼狽と安堵が入り混じった想い《ピリマ》……。
観じとったスセリは、不思議そうに小首を傾げる。
しかし気を取り直し、その背を優しく、軽く押す。
意を決したヤチホコは、法衣の埃を丁寧にはらい、ミケヒコの腕の中のヒメへと歩み寄る。
そして、その痛ましい身体を慈しむ様に、優しく、包みこむように羽織らせる。
(コイツ……この彫像を、一個の存在として……)
「かたじけのう……ござい……ます。
ですが、ワラワは……『法衣纏いし彫像』。
曝して、恥ずべき価値など……ございませぬ故……」
途切れ途切れに、ヒメが辛うじて伝える自嘲。
ヤチホコは優しく遮る。
そして静かに首を横に振り、深く敬愛の想いを籠めた眼差しを湛える。
己のヒコたるミケヒコを、全てを賭して護らんと欲す『想念』。
そこに宿りし魂は、まごう事なき、尊き一人の乙女……。
ヒメさん、あなたの『想い』は、僕の魂にしかと届いています」
(――乙女として慮ってくれると、言うのか……)
ヤチホコが紡いだ慈愛の言葉は、如何なる刃よりも鋭くミケヒコの胸を穿つ。
ミケヒコは、大きく長く息をつき、喉の奥に凝り固まった淀んだ蟠りを吐き出す。
「――くそぉっ! オレの、『総てを滅ぼす紅蓮』の因果か!
ヤチホコ、オレの……いや、『オレ達』の……完全な負けだ」
動かぬヒメの顔が、穏やかに綻んだ様に観える。
ミケヒコが己を認め発した宣言。
その声が、静寂の中観衆が見守る比武台に響き渡る。
「勝者、ヤチホコ、スセリ。――実に、素晴らしき比武でした」
審神者を務めるオオトシの声が、静寂を切り開く様に穏やかに響き渡る。
刹那、比武台を呑み込むほどの大歓声が巻き起こる。
地を揺るがし、天を震わせる熱狂。
絶対的な格上とされたミケヒコ達との比武。
それは、石板に浮かび上がっていた絶望の「詩片」。
今、名もなき若き兄妹が「掌を取り合いて」打ち破ったのである。
絶望を希望へと詠い直霊した二人を眼にして、観衆は総立ちとなる。
そして彼等へと降り注がれる、惜しみない賞賛。
(……変えた。変えられたんだ、僕たちの手で)
ヤチホコはよろめきながらも、震える掌で『守護封環』を拾いあげ、鈍色の輝き見つめる。
啓示は絶対ではなかった。
己を磨き、「想念」を尽くせば、定められた絶望さえも塗り替えられる。
「ヤチ! やった、やったわね!」
スセリが飛びついてヤチホコの腕を掴む。
その瞳に宿るのは、懐かしき「姉」が「弟」の勝利を祝う刻と同じ、眩いばかりの輝き。
「姉さ……いえ、スセリちゃんのおかげです! あ、熱っ……?」
互いの無事と勝利を確かめ合う中、ヤチホコは、懐の石版が熱を帯びていることに気づく。
静かに取り出して覗き込む。
そこにあった、『肆 破れ望み叶わなし』という不吉な文字列が、一陣の風に吹かれ崩れ去る。
代わりに刻まれて浮かび上がるのは、紅みを帯びた黄金の光を放つ、新たなる一節。
『肆 比武の果て 得られし盟約携えて 天翔龍は地に降りて 開く神聖城の門』
(予言が、――詠い直霊された……!)
同時に、天を覆っていた暗雲が嘘のように晴れ渡る。
一筋降り注ぐ陽光。
その光はヤチホコとスセリを真っ直ぐに照らし出す。
輝きの中喜びを露わにするスセリを観る。
確かに彼女は「楓」ではない。
しかし、今すべてを賭けて共に歩む「仲間」であり、共に生きる「家族」である……。
これだけは間違いない。
(……大切に想うのに、これ以上の理由なんて必要ない……!
今は、出来た事を……『最高の相棒』と分かち合う……。
それが出来るだけで、文句なしに幸せじゃないですか……!)
蟠りを払拭出来た想い、そして歓声に応える様に、ヤチホコは左手を力強く突き上げる。
一瞬、部活の大会優勝の刻の光景が脳裏に浮かび、翔け抜けてゆく。
その刻、ヤチホコの掌より、彼も気付かない程の、細く、透明に輝いて目視出来ない「縁の糸」が幾本も放たれる。
高揚する彼の胸の高鳴りに呼応して波打つそれは、幾重にも絡まる糸達の間を、縫うように伸びてゆき結び目を密かに作る。
興奮は最高潮に高まってゆく。
大地を揺らす程の喝采の中、糸にそっと紡がれる様に、乙女達の視線は比武台に立つ彼へと引き寄せられる。
「ふぅん、ヤチホコ。……よくやったわ……!」
キクリは扇の陰で唇を綻ばせ、嬉しそうに目を細める。
知らずに糸を指で絡め捕るように動かして戯れる。
「ヤチホコ……おにいさま……?
何故でしょう、はじめてお目にかかるのに……。
なぜだか懐かしく観じますの……?」
幼きミヅチの、胸の奥で疼く得体の知れない郷愁。
戸惑いながらも、掛け替えなき存在を見つめるかの如く、彼の姿を瞳に焼き付けている。
郷愁抱く胸中より、静かに伸びる細い糸。
「……甘いわね。あの程度で狼狽えるなんて。
あれで……空?
『あの方』には遠く及ばないわ」
次代を担うミチヒメの厳しく言い捨てる評価。
彼女はその瞳を冷徹に輝かせる。
そして、かつて観た「絶対的な虚空」の幻像と、彼の「芽生えたての空」を重ね合わせ見定めている。
握りしめた拳から伸びるは、力強く鋭い糸。
そして――。
「ヤチホコ殿……。この想いの御恩……『魂』にしかと刻み付けさせて頂きます……」
ミケヒコに抱かれたまま、震える声で発するヒメの誓願。
生身ならぬ自分の事を、己が肌を焼いてまでミケヒコを救った、「まごう事なき尊き乙女」。
そう、己の全てを認めてくれた「善男子」。
はじめて芽生えた未知なる胸の高鳴り……。
まさに「毒」に当てられたかの様に、恩義か敬意か、それとも別の想いなのか……。
ヒメ自身すら判別できぬまま、彼女の魂は知らぬ内に、逃れられぬ強靭な縁の糸に絡まり捕らわれる。
降り注ぐ陽光の先、観覧席の最上段で、日向を治める向津日霊女が静かに立ち上がる。
「あのミケヒコに対し、ヤチホコ、スセリ、見事でした。わたくしも誇らしく思います」
「母上、いえ向津日霊女さま、御言の葉ありがたく賜ります」
「おかあさま、日向での錬のおかげよ、ありがとうございます」
それぞれに応える二人に対し、彼女は微笑みと共に両拳を内に向け抱え、『土揖』の礼を行う。
二人はすぐさま『長揖』の礼を丁重に返す。
その様子を彼女の横、壇上で観覧していた義父王が感心して、面に浮かべる神託の如き確信。
「空をここまで御せるか。
我等が神威……始祖須佐の王殿よ。
そなた等の御子が、希望ある未知なる先への礎を顕したであるぞ」
意宇之國貴の掌を取り、大きく安堵の息を漏らす託祇理。
彼の刻より誘われし「竜輝」は、今まさに希望の体現者として歩み始める。
「……祈りましょう。
あの子がすべてを救う、『希望之神器』たらん事を」




