第26倭 煩悩抱き高みを目指さんと直霊せん (後編)
其之漆 無自覚な原罪 奈落より救いあげる王
昏く沈み光を喪った瞳。自然と、とめどない涙がミチヒメの頬を伝い流れ落ちる。
己の拳に信念を籠め、英雄王と共にすべてを救済していても、今なお抱える深い闇。
その、己の闇が縋る、『希望』と言う名の、直向きな一筋の輝きを見つめ、再度、想い顕す勇気を貰う。
濁流となり流れ込んでいた絶望の慟哭。
それが、ミチヒメが静かに顔を上げヤチホコを見つめた後、静かに、しかし力強く、魂の底から湧き上がる勇気に染まり、浮かび直霊していくのを、彼は共に沸き立ち鼓舞される様な想いとして観じていた。
「……呆然自失で彷徨う流浪の果て……砂の海への入り口で出逢ったのが師匠達……四獣王の精霊神にされた姿。
その後……まさに血の滲む錬の中、絹の道を進み、辿り着いたのが王子授乳せし大地……。
そこで純陀さまに出逢い、この衣を『生命之法具』として……師匠達を宿して頂いたの」
砂の海を歩む中、出くわす魔物や盗賊などを相手に、四獣王達の霊力の特性を遣いこなしてゆく。
辿り着いた聖塔に待ち受けていたのは……良く焼けた褐色の肌、同色のうねるの髪を冠布で包み、紺碧の瞳を湛えた青年。
「そう、あの刻の英雄王さまは、すべてにおいて神威ならぬ民衆の身で、禁忌の……『鎮呪乃神呪』を、無理筋を徹して放ち……絶望を希望へと詠い直霊したの……。
わたしは、そこで力尽きたから覚えていないけど……うまくいったこと。
そして、それでも……あの城だけは取り戻せなかった事を、あの彷徨える湖で聞かせてもらったわ」
そこまで言い切ると、ミチヒメは両掌をついて蹲る。
静かに、しかし力強く包み込む様に肩を掴む逞しい掌。ミケヒコ。
「……かける言葉が見つからん……。ただ、これだけは言える。良く、打ち明けてくれたな。……その覚悟と勇気、借りるぞ」
いつもの勇猛果敢な彼と違い、ミケヒコは静かに、内に秘める、かつて己を常に焼き尽くさんと猛り狂っていた闇を吐露していく。
「……増長天さま。アンタはまだ良い。最愛の者を掌にかけていないからな。だが……オレ、オレは……ッ!」
水鏡に映し出されるは……産気づいた身重の女性。
息子と思しき禰宜が、懸命に神呪を唱えている。
「タカヒコお兄さま!? じゃぁこれはミケヒコくん達の……!」
顔を上げ、水鏡を観てミチヒメが驚く。
映し出された中、予断を許さぬ緊迫した気配が立ち込めている。
「ははうえ! しかと想いを!」
「タギリ、想い強く保ち産み直霊するのです……!」
タカヒコと向津日霊女が見守る中、タギリは恐らく、胎内に二人いるであろう胎児を、生ある世界の赤子へと、まさに産み直霊せんとしていた。
彼女が全力で力を籠めた後……一瞬の静寂が訪れる。
一人……また一人……無事に現世に産まれ直霊叶った、その瞬間。
途轍もない爆炎が噴き上がる!
それは、瞬く間に、共に産まれし己の半身たる妹を焼き尽くす。
「――なんだって!? このややこが! たれぞ水のつかい手は!」
幼いタカヒコが必死に己の地の権能で炎を塞ごうとするも、断ずる処か、瞬く間に大地の楯は焼き尽くされて灰燼と化し霧散する。
猛り狂う暴威の炎は、己の生みの親であるタギリに襲い掛かる。
それは、流転を超える啓示を執り行いし因果の帰結。
「は、ははうえぇぇぇぇっ! うぅ、ま、まだだっ! あきらめるもんか!」
涙で視界がふさがるも諦めずタカヒコが絶唱する。
健気な幼子の両肩に置かれる、力強くも暖かく大きな掌。
絶大な大地の氣力を滾らせ、彼の父、意宇之國貴が紅蓮の前に立つ。
「――良くぞ! 流石は我が愛すべき息子なり! ぬぅん!」
瞬時に形成された天蓋は、完璧に暴れ狂う炎を封じ、断じた。
「……あ、あた、しは……良い……から……あの、子を……」
「……タギリ……。よくぞ、成し遂げしなり……。む!? この赤子は未だ輪を廻ってはおらぬ! 実に素晴らしき霊力故なりか……! タカヒコ、あれを!」
父に言われ必死に涙をぬぐい、タカヒコが持ってきたのは……『法衣纏いし彫像』。
「――向津日霊女殿、必要な氣力はわしが身命を賭して放たん! 儀を!」
向津日霊女はすぐさま算木を揮いはじめる。
それは、今の彼女の限界を遥かに超えし禁忌の神呪、神威降臨乃儀の応用。
神威ならぬ赤子の、宙に彷徨いし霊性乃身体を、輪を廻らせぬために彫像へ降臨させ宿らせる。
普段豊饒祈願の為殆どの氣力を捧げていた、意宇之國貴の莫大な大地の氣力。
それが、山吹の怒涛となって巨大な咢を開き、全てを呑み込まんと向津日霊女へと注ぎ込まれてゆく。
常軌を逸した氣力の集束に、彼女は稲妻に撃たれた様に激しく仰け反り吐血するも、構わず神呪を続ける。
「……我が前乃世の調和魂、ミケヌイリヒメよ、今ここにわたくしを直霊とし、荒魂たるミケヌイリヒコの紅蓮と掌を取り合い、顕し直霊し給え! 発動、神威降臨乃儀!!」
輝く雷光が彫像に降り注ぎ、取り囲むように燻っていた炎も吸い込まれてゆく。
木彫りの彫像が仄かに霊性の光を帯びてゆく……。
静かに、歯車が軋むような音を立て、絡繰りの眼が開く。
動かぬ唇より響く産声。
「……魂と想念は救われリ……。しかし……タギリは……」
遺るのは……産み直霊した子供達の無事を祈る様に、両の掌を合わせたままの焦がし尽くされた漆黒の遺炭であった……。
「……輪が廻りし刻には間に合いませぬか……」
龍神と化した鏡水顕導神の別御魂を駆り、幼子を抱え舞い降りたクシイネダは、惨状を目にするや否や、己が胸に幼子の顔を埋めて視界を塞ぎ、無念を露わにする。
「ま、まだです! タギリ、『聴こえ』ますね? 九姿異祢沱乃日霊女! その子の『根源の氣力』あるならば間に合います! 鏡水顕導神をあなたの姿へ!」
察したクシイネダは、龍神の前で跪いて祈りを捧げる。
すると観る間に水へと還り、せり上がって形造るは麗しき乙女、クシイネダの姿。
「我が娘タギリよ、今ここに、我が前乃世の、根源の氣力を秘めしあなたの娘ミチヒメを荒魂とし、大海の巫女、九姿異祢沱乃日霊女を調和魂に、鏡水神女を憑代に、己自身を顕し直霊し給え! 発動、神威降臨乃儀!!」
クシイネダに抱かれし幼子から、莫大な氣力が放出される!
それをすべて鏡水神女と化した龍神が受け入れ、そこにクシイネダがあらん限りの霊力を注ぎ込む。
(……これなら……一刻の間、宿れる……お母さまありがとう……)
「……礼には及びません、ここからが真の黄泉還り直霊の儀です! ウガヤ!」
意を決した面持ちで禊を済ませた巨躯が前に出る。タギリの兄であり、東方最強の武人、ウガヤ。
「よもや斯様な事になりしとは……! しからばこのウガヤ、タギリを救わんが為、謹んで儀の完遂此処に誓わん!」
「……タギリを、頼み申したであるぞ、ウガヤよ……!」
タギリの夫、意宇之國貴の真寧な懇願。
「……この身命に代えても……!」
深々と長揖をしてウガヤは応える。
「……ではウガヤ、参りましょう。『御陰之目合』により、日向に代々伝わる神威の称号、『木花開耶』継承の儀、今まさに此処にて執り行わん!」
息を荒げながらも眼光は一切翳りを観せず、向津日霊女が裂帛の気合で、「大いなる真理」へ宣誓する。
水鏡に映る、山桜の花吹雪渦巻く中、まさに咲き誇らんばかりに凛然と立つ、清廉にして妖艶な、豊饒と生命の息吹を顕す女神。
こちらへと向き直る彼女の姿が映される。
それは、水鏡の外なる世界にいるミケヒコを、慈しみを籠めた眼差しで見つめているようであった……。
「……父上の覚悟で執り行いし儀により、母上は輪を廻らず、木花開耶として今なお息災だ……だが……」
ミケヒコは、過去に想い廻らせ、大きく息を吸い込んでから続ける。
「……犯した罪は消えぬ。
ヒメが、何故彫像姿なのかも知らず浴びせた暴言……。
『想い痛む』度に輪を廻る臣下たち……。
本来一柱たる、同質の氣力を持つ、双子の父上との御陰之目合でしか神威之色身体を保てぬ母上……。
正直、堕天するか輪を廻った方がずっと楽だった……」
自嘲気味に、しかし率直な想いで、ミケヒコは己の罪障を吐露する。
「そんなオレを……反対に焼き尽くす事によって、『産まれ直霊』させてくれた奴がいる。
まさに我が軌跡を認められる程容赦なく。
その、身命を賭して、自分の事の如く直向きに足掻いてくれた奴こそ……最強の武神がその胸に抱く慟哭、その苦しみに寄り添いて分かつが為生身で啖呵切る、無謀にも程があるが、最高に熱い想いを秘めた我らが王だ!
拳交えたなら通じただろう? コイツの真寧なる悲しみの祈りが……」
静かに歩み寄るヒメを見遣り、ミケヒコは再度増長天へ向き直る。
「このヒメこそ、オレが産まれた際、我が業火で焼き尽くし、彫像に宿っていた乙女だ!
オマエ達と違い、ヒメは……我等が王を助く為、究極之付与快癒呪を遣い……魂まで焼き尽くされていた。
だが、観るがいい! 今のヒメのこの姿こそ、オレ達の想いと歩みの軌跡だ!」
「……ミケヒコ……。真に強く成りし事、ワラワもこの上ない幸福と存じ上げます……!」
ヒメの歓喜と共に、彼女の肢体から七絃の瑞光が迸る。
その眩く、可憐でいながら静謐な輝きに、インヴィディアは思わず見惚れる。
「……きれい……。そんな風になれる道も……あったのね……でも、もう私達は……」
「――遅く、ありま、せん……! どんな状態でも……『想い顕し幾度も産まれ直霊』叶うのが……この世界、です!」
増長天との比武で、完膚なきまでに叩きのめされ、満身創痍の中、己が想いだけで立ち上がろうとする、ただの民衆の善男子。
「――ヤチホコくん! 無茶しな……ううん、わたしは信じる。あなたの『想い』の強さ、見せてあげて!」
ミチヒメの、絶対の信頼からの真寧な祈り。
ヤチホコ……いや、竜輝は深く頷き、あらん限り両脚に力を籠め、膝に掌をついて上体を起こす。
緩やかに治りつつあるも、至る処にある打撲痕と骨折。
そして、受けた痛みは、再び神威を纏うまで決して消えず、積み重なり続けている。
それでもなお、ヤチホコは、涙と慈愛の微笑を湛え、真っすぐに増長天を見据える。
ただの民の身体に宿る、万物の父神たる絶大な慈しみの想い。
そして、ただただ凄絶さに打ちひしがれ、共に悲しみを分かち合いたいだけの、一人の善男子の直向きで純粋な想い。
相反し、矛盾する想いを抱えた神威ならぬ民衆……。
まさに、「極限を超えた弛まぬ『想いの努力』の体現者」。
「あれだけ打ち据えしも、立つで、あるか……!」
今、増長天の胸中に宿るは……圧倒的な敗北感。
込み上げてくるは、魂の錬磨と覚悟の差を痛感する想い。
そう、腕力でも権能でもない、努力とは諦めず精進する想い、心そのものの歩み。
静かに遥かなる上空、他化自在天を仰ぐ。
取り返しのつかない選択をしてしまった事に、魂の奥底から気付く。
「……それでも……今からでも改め直霊叶うと言うのであるか、善男子よ……?」
激痛の中、痛みをこらえて力強い笑みを竜輝は浮かべる。
「――っ! も、もちろん、です……! 過ちを犯し、惑い、苦しむ中で、なお『善かれ』との想いで歩まんとする者……それこそが真に素晴らしき存在……僕は……そう、想い、ま、……」
まさに、身体を超えた想いのみで動いていた竜輝が、限界を超えて崩れ落ちる。
「ヤチホ――あぁっ!」
崩れ落ちるヤチホコを、ミチヒメの掌より先に支えたのは……増長天とインヴィディア……。
「……此度の比武、我の完膚なきまでの敗北なり……! 実に素晴らしきは類稀に錬り上がりし、自他ともに救わん断固たる想念……。まさにそれこそが真に生長させるべき肝要なり!」
昏き闇と、消えぬ業火を纏いながらも増長天は感嘆を顕し笑みを浮かべる。
「……うん、良いわ……。私も、あなた方を信じてみる気になったわ。ミチヒメ……貴女と……このか弱くも最高に強き善男子に……。私も……私の『嫉妬』も、『抱えて』ゆけるのか……託してみたくなったわ」
紫煙燻る中に浮かぶインヴィディアも、昏き闇から紫電を散り付かせながらも静かに頷く。
「……あなた方の……目の前で、偽りなき真理であると……まさに顕してみせます! 僕はこの、民衆のまま、あなた方を……『詠い直霊』いたします!」
一瞬刻と思考が凍り付き、言葉を喪う二柱に、竜輝はこれまでにない位の満面の笑みと絶対の自信を浮かべて叫ぶ。
「――我が業は我が為すに非ず! 想い重なり集いし緋の神威に連なる徒よ! 今ここに真寧なる、弛まぬ努力積み上げし素晴らしき魂を詠い直霊せんが為、我に権能を貸し与え給え! 詠います! スセリちゃん!!」
其之捌 我が儘貫き神呪を詠う民衆
「わかったよ! ボクに……ううん、『私』に……いいえ、此度は真なる神威の直霊。『わたくし』にお任せ頂くと宜しいですわ! 参りますわよ善男子! 大凬よ、最愛なる我が背の直霊の想い、叶えん権能注ぎ込み給えぇっ!!」
スセリは、栗色を抑え湧き上がる深紅の原初の女神となって叫んだ。
「ナ、ナミ!?――ぐ、途轍も……な……。きま、したっ……! 虚空が……く、喰らい尽くされ……ません! 共に掌を取り合い……一蓮托生に!」
「――絶対にさせないわ! 受け取って、わたしのすべて、この想い! 啊啊啊啊啊啊っ!!!」
莫大な氣力の奔流が、深紅に蝕まれ猛り狂いそうな竜輝の虚空へ飛び込んでゆく。
「ぐ、ぐぁあああっ! う、受け止め……ます! 全ての苦しみも……悲しみも……!」
「まかせて! ゼッタイ壊させない、アタシが抱きしめて必ず護ってみせるわ!」
その凄まじいまでの抱擁、噴き上げられた溶岩が、完全に焼成されたかの如き盤石の大地。
「す、凄まじい強さ!――ぐっ! 重すぎ……ません! 抱えます!」
「信じていますの! おにいさまっ! ミヅチの想い、そのすべてを籠めますのっ!」
深紅を根源で輝かせ、兆重を抱きかかえ、それを器に大海を受け入れる。
「我が王よ! 絶大なる信頼の元、我がすべてを賭け、究極の大焔を捧げん。 ぅうぉおっ! 炎神之竜巻!!」
それは、増長天に勝るとも劣らない、神焔の旋風。
肌を焦がし気管を焼かれながらも、声ならぬ魂の絶唱の下に受け入れてゆく。
炎を無事受け入れ切ったのを確認して、ヒメが静かに歩み寄る。
そして優しく竜輝を抱擁して眼差しを交歓し、己の境涯を最大限に高めて放つ。
「参ります! 兜率天の高みまで極まりて神威となれ! 煌めき給え、至高の七絃!!」
決死の覚悟ですべてを抱え込む竜輝の胸中に、絶望的な七絃の爆雷の霊光が、天地を揺るがす那由他の法雨となり、竜輝の存在全てを無尽蔵に撃ち抜いてゆく。
「っがぁぁああっ!! 一滴も漏らす……漏らすもんかぁっ!」
猛り狂う五大と、根源の権能の暴風を、己が虚空にてすべて受け入れてゆく。
今、民衆である『竜輝』の身で、己の身命を賭した想い顕し、必死に五大の氣力を纏め上げてゆく……。
「さぁ、我が愛すべき主ヤチホコ様。あなた様の想いで私を揮い下さいませ! そして見事詠い直霊し給えッ!」
それは、真輝銀のアメノオハバリを携えた女神。
彼女は竜輝にアメノオハバリを託す。
とてもではないが、一介の民衆に揮える重さではない真輝銀の神剣。
竜輝は今、彼の刻の向津日霊女の如き、完全なる身体操作で全身の有りっ丈を籠めて神剣を天へ翳す。
「……今のままで、良いん、です……! その、苦しみも、闇も、全て抱えて一蓮托生に……僕は今まさにそう願います!」
全員の想いを重ねた暴威の権能を、在るが儘、まさに「我が儘なる想い」で竜輝は揮い放つ!
「弛まぬ生長志す 二柱を先世の彼方へと! 『想愛開闢呪』!!」
互いを認め理解し共有する神呪を、ヤチホコならぬ竜輝が、絶対に諦めぬ想いで無理筋を徹す。
「……煩悩を断ぜずとも……民衆のままであろうとも……高みを目指す事叶う……である、の、か……?」
呆然としながら、朱金の瑞光に包まれゆく増長天が、信じられないとばかりに言葉を漏らす。
今まさに、己が悲嘆の深淵にて抱えし、心の闇たる真紅の獄炎が、そのまま自神へ宿り、融け合い直霊されてゆく……。
「……そう、なの、ね……憎い刻も、いやな刻も……あるのが……私達……。
だからこその「過ちを認め、『善かれ』と詠い直霊すため」の錬、それによる生長……。
そう、なのね……。誰かを羨ましく想うも……緋徒、なの、ね……」
インヴィディアも己の紫煙を抱きしまま、静かに溶け合い直霊されてゆく。
緩やかに瑞光が鎮まり還ってゆく……。
顕れしは、諦める「弱き想い」を断じ、真なる生長を願う想いを、艶やかで色めき立つ、朱色の炎として燃え上がらせる真紅の武神。
そして、透き通る程の白い艶やかな肌へと、翻り直霊した敬愛乙女。
ただ、彼女には決定的に違う処が一つ。
「……そなたの肌に咲くならば、昏き菫もまさに至高の蓮華なり!」
増長天が感嘆と共に、彼女の肌に咲きし華に見惚れる。
それは、先の紫煙、そして呑まされた毒の結晶。
昏き菫の池より、その毒をも喰らって必死に咲かんとする、薄紫の、力強くも清廉な蓮華の紋様。
見事に咲き誇るその華は、乙女への破邪の呪法其之参、右膝に宿る「秘」より、其之伍の左肩に宿りし「神」へと翔け抜けて、刻まれ直霊していた。
「こ、これは……! 『内に「秘」めたる昏き闇も、己が想いで「神」となる』……そう、そう言う事であったか……!」
増長天の眼に浮かぶは、随喜の涙。
そして、彼の背部に浮かび上がるは、彼女と同様の、善男子への破邪の呪法。
左膝から右肩にかけて立ち昇る、火焔を纏った黒蓮華。
「……我が敬愛……いいえ、『全てを欲さん程に愛しき神威』様……。あなた様のそのお姿……まさに『燃え上がる情愛』の炎のようでもあり……妖艶なる神々しさを燃え上がらせておりますわ」
崇敬する神威の艶姿に、嫉妬の罪障を抱えたまま、敬愛乙女へと還った彼女も恍惚の面持ちで微笑む。
付与されし罪障も、自神より湧き上がりし昏き闇も、「泥中の蓮華」の如く、すべて己が生長の糧にせよ、そう言わんばかりの二柱の直霊されし姿であった。
増長天はひとしきり喜びを顕した後、神妙な面持ちで、竜輝の方へ跪く。
「統治之神威……いや、民衆竜輝よ。
その方の、まさに『直向きに研鑽せし想念』、見事なり!
ここに神威として、筋を通し言の葉を献上し奉る。
我、増長天、永久なる伴侶、神聖娼婦たる敬愛乙女を救い賜りし事、ここに魂の根底よりの感謝を以って、その有難き事を伝え奉る!
有難き……実に、有難、き……!」
神話に名を轟かせる真なる武神の感涙に、ヤチホコは動揺するも、己の想いを素直に顕す。
「……僕はただ……『誰よりも努力しているあなた方が、報われないなんて事は絶対ない、あってはならない』……。
ただ、あの、言葉になんてとても言い表し切れない過去を、共に観じさせて頂いてそう思った、それだけです。
前とは違うかもしれませんが……僕は、今の増長天さまの方が素敵だと思います……!」
ミケヒコは同感だとばかりに深々と頷く。
そして力強く赫の瞳を輝かせ、優しく二柱を見つめる。
「……オレも同感だ。
過ちなど誰もがしてしまう。已む無き事もあろう。
だが、きっと其れでいい。
痛みと罪と弱さを認めて抱えてこそ、誰かを導ける神威と成れるんじゃないか? オレは、オレ『も』……今ならそう想えるぞ! そして……」
祈る様に両の掌を合わせ、潤ませた瞳で微笑みを湛え、ミチヒメは確信を以って伝える。
「……どんなに辛くても……分かち合える相手がいれば……きっと、共に抱えて乗り超えて征ける……わたしは、わたし『も』……今はそう……想えるわ。
さっきよりも……ずっとずっとあなた達の関係、渇望するほどに羨ましいわ」
そう言いながら見つめる先は……満身創痍の身体で、想いだけで神呪を成し得てしまった最高に泥臭く素敵な善男子。
「……そうなのね……。貴女はまだ……そして彼はまだまだ……」
ミチヒメは苦笑して、静かにグラティアの唇に指を立てる。
「……言わないでよ敬愛乙女。
わたしが一番分かっているわ、まだずぅっと刻がかかるのなんて。
でもね、わたしは『諦める事を諦めた』の。
だからね、さっきのように伝え続けるの。
あれがわたしの素直な想い……ヤチホコくんが気付くかどうかは……おいておいても、ね!」
目配せをして軽く握り拳を造り、ミチヒメは頬を染め、力強く笑みを浮かべる。
その直向きな想いに、グラティアは愛おしさと崇敬を籠めてミチヒメの拳を優しく包み込み、真寧なる祈りを捧げる。
「……神聖娼婦として……貴女の想いの成就を、ここに大いなる真理へと祈祷せん」
薄紫の蓮華から、優しく艶やかな情愛の想念が伝わってくる。
「ありがとう……こういう想い、いつか一緒に持てると……諦めずに頑張るわ……!」




