第26倭 煩悩抱き高みを目指さんと直霊せん (中編)
其之参 ただ寄り添い抱き締めんと欲す想念
「……ごめん、スセリちゃん、ミヅチちゃん……」
増長天と敬愛乙女の、あまりに凄惨な過去に、言葉を喪い硬直していた二人を、ヤチホコは慈しみを籠めて優しく抱きしめる。
そして増長天へと向き直り、カンナを煌かせる。顕れるは直霊の女神瀬尾律。
顕れるや否や、彼女はヤチホコを背後から抱きすくめる。
その眼からは、止め処なく霊泉より溢れる滴の様な、煌めく透き通った涙を流す。
「ごめんなさいカンナさん……お願いします……!」
今度は……真なる神威の憤怒の獄炎。
瀬尾律に顕現したカンナは、引き留めたくて堪らない決死の慟哭を、涙と共に呑みこんで頷く。
観る間に真輝銀の長髪は茶色味がかった黒髪に、紅玉の神瞳は薄茶色に、民衆、竜輝に直霊されていく。
この煉獄において己が権能をすべて脱ぎ捨てると言う、「狂気の沙汰」……。
その末を観じ卒倒するミヅチ。
倒れゆく彼女を、自身もあまりの事に想いが崩壊しそうになりながらも、スセリは必死に、優しく支える。
「ヤ、ヤチ……。ボク、信じている……ヤチのその想念を……」
必死の想いで、スセリはそこまで辛うじて伝える。
溢れる涙を構いもせず、カンナは決死の原初乃八卦で加護を付与する。
ヤチホコは、一言も発さず、静かに、力強く頷く。
彼等に降りかかりし不幸。
それは、言葉などではとても顕せない凄惨な過去であった。
ヤチホコは、炎の遥か先にて咆哮を上げる増長天を静かに見つめる。
炎に向かい踵を返す。
足を貫かんばかりに鋭く弾け、爆散し炸裂する、「全てを断じる獄炎」。
爆ぜる絶対拒絶の獄炎の中、ヤチホコはとめどなく流れ落ちる涙と共に、身を裂かれ、天へ還されんばかりの激痛と共に歩きはじめる。
「近寄るでない、無礼者がぁっ!」
焔渦の剣閃が襲い掛かる!
カンナが全力の想いで「存在を断じる」。
寸での処で直撃は避けるも、遺された灼熱は容赦なくヤチホコを焼き焦がす。
閉口していて尚、瞬時に気管が焼き尽くされる激痛が走る。
一筋紅の滴を流すも、より一層の涙を流しながら再び歩み始める。
「何の研鑽もなしに、安易に得た権能なんぞに後れを取ると思うかぁっ!」
紅蓮の三日月の剣閃が、途轍もない迅さで飛翔してくる!
「――お願い! 少しでも上にぃっ!」
スセリの決死の大凬が辛うじて上空へと逸らす。
額から鮮血が噴き出すも、ヤチホコは構わず歩き続ける。
胸中には、敬愛乙女の悲しき真実。
響いてくるは……輪を廻らされた直後の出来事。
彷徨う敬愛乙女の魂に対する、道化師の誘惑。
「……観たかい? 綴られし『駒共』の醜悪さを。キミはあんな奴等の為に敬愛を貫き、その結果としてひどい目に遭い、輪を廻らされようとまでしている。
許せる訳ないよねぇ? あの侍女達がのうのうと生きているなんて、そんな狡い事許せないよねぇ? 『妬ましい』よねぇ?」
ジェスターの囁き。それは『偽りの共感』。
彼はさらに言葉を綴る。
「この衣装を纏い、『八大罪障』を受け入れれば……キミは最強の存在になれるのさ。……大好きな神威さまとの恋路だって、誰にも邪魔されないさ!」
続くは『独善なる慈悲』。
彼女は……「自分の惨状の原因」を知らぬまま、進んで、想いのままに、「嫉妬」を受け入れてゆく……。
紫煙燻る中、彼女の霊性乃身体は静かに翻り書き換えられていく……。
堕ちゆく境涯と裏腹に、莫大な権能が溢れて来る……。
「ヒヒッ! お次は現世で行動する為の身体の番だねぇ!」
業火の中、未だ『彼女だった存在』を抱きしめる増長天の腕の中、紫煙が立ち込めて渦巻き、彼女を包んでいく。
千切れた四肢が、音もなく浮かび上がり紫煙に吸い寄せられてゆく……。
因果が翻り、無理矢理に接続されてゆく音が鳴り響く。
浮かび上がるは、生前とほぼ変わらぬ彼女の肢体。
決定的に違うのは……透き通るほど美しく白かった艶やかな肌が、立ち込める紫煙、そして彼女が生前呑まされたあの毒と混じり合い、禍々しく昏く淀んだ菫色に変貌し、美しい稲穂の輝きを湛えた金色の髪が、冬に凩に舞う朽葉色に変貌している事である。
「おぉ……これは夢か幻か……? この肢体に宿るはまごう事なき其方の魂なり!」
全身から噴き出る紫煙が衣へと変わってゆく……。
それは禍々しき道化師の衣装。
彼女の横に顕れるのは……更に目に付く、艶やかさが不気味さをより一層引き立てる様な、あまりに不自然な取り合わせの、不快さを煽る衣装を纏った道化師。
「……初めまして、僕はジェスター。この輪廻世界の最上を統べる『お館様』の宮廷道化師さ。
可哀想な輪の廻り方をした魂を観じたから……手を貸したのさ。
どうだい?
彼女と僕と共に……これから恐れ多くもこの天界へと土足で足を踏み入れる、『ろくな努力もせず、キミを超えし統治之神威』とその一行、正式な試練などではなく、キミの其の……『怨念』を叩きつけてやってはくれまいかねぇ?
なぁに、彼女と協力して行えば容易いさ! 今の彼女は……『嫉妬』のインヴィディア。
だから、キミがアイツ等のような存在に対して観じる『不条理さ』を、彼女がすべて強さへと『書き換えてくれる』よ。
そして……彼女と一緒にいれる……形は変わっても……魂が誰かは変わらない。そうだよねぇ?
なら一緒に居られる幸せのために『その他の全てを棄てて』も良いとは思わないかい?」
熱烈な共感と共に、魂の奥底まで這い寄り憑りつく様な誘惑。
彼は……増長天は迷わなかった。
「敬愛乙女の魂と共にいられるなら、たとえ互いにどのような姿になろうとも……『神威から堕ちよう』とも……! 一切構わぬ! 彼女が斯様な姿になりし咎も我にあり……! 何より、世界と民衆の為に懸命に尽くしてきた彼女に斯様な仕打ちをする世界など……要らぬ! そこより我らが天界へ昇りくるものなど断じて許すまじ!!」
彼等には、「優しい」と映る笑みを浮かべ、ジェスターは言う。
「なら……彼女をその身に受け入れなよ! なぁに難しい事はないさ。今迄のように……お互いを『強く欲して契り交わせ』ば良いのだからねぇ!」
そこまで言うとジェスターは気を利かせたように、煙と共に虚空へと姿を消した。
「……よろしいのですか……増長天さま……?」
躊躇うインヴィディアと変貌した彼女に対し、増長天は、限りなく優しく、しかし力強く抱擁する。
「……そなたを喪う絶望より救いし存在ならば……たとえ相手が『六天の魔王』であろうと一向に構わぬ! この身が翻ろうと……そなたと共に歩むならば……それこそが我が望み也!!」
放たれる、禍々しくも美しく、切なく悲しき光……。
(……わたしの敬愛する神威さま……。自身が努力至らぬために、下らぬ『嫉妬』に身を任せる愚か者たち……。そして身に余る不釣り合いな権能を安直に授かりし全ての存在を……共に打ち砕いて参りましょう……! 『嫉妬』の苦しみと罪障の深さを叩きつけん為に!)
其之肆 身命を賭して想い研鑽せん
ヤチホコの胸に宿る緋色の糸を徹し、全員に流れ込む二柱の悲壮の決意。
「こんな……このふたりを止める事なんて……ボクには……」
ミヅチを抱えたままスセリは跪く。あまりに重すぎる覚悟。
その言葉にヤチホコは静かに振り返り、優しく頷いてから首を横に振る。
そして、一層の涙と共に、彼は獄炎の中、増長天へ向かい静かに、しかし確実に歩み寄ってゆく。
「これ以上我等を愚弄すると言うのかぁっ!!」
迸る紅蓮が獄炎の沖つ波となって襲い掛かる。
吹き飛ばされ、声帯が爆ぜ、声にならぬ絶叫を上げるヤチホコ。
「いや、いやぁっ! もうダメぇっ! お願いヤチやめてぇっ!」
スセリの絶叫に目を覚ましたミヅチも声を枯らさんばかりに叫ぶ。
「お、おにいさまぁーっ! それでは、それでは、身体は遺っても……魂が……おにいさまの『想い』が喪くなってしまいますのーっ!!」
ヤチホコはミヅチの絶叫に静かに振り向く。
そして、思わず駆け寄る彼女に対し恭しい微笑みを湛え、掌を翳し静止する。
不条理への慟哭と憤り……。己の本心を胸に歩を進め、とうとう増長天の前に立つ。
「……すべて、すべて……あなた方の想い、この魂にしかと……!」
ヤチホコは静かに抱拳の礼をする。
そして、自神も燃え盛る炎に包まれている増長天を、あらん限りの慈しみを以って抱擁する。
「ぶ、無礼なっ! ――貴様! その姿……神威はどうしたぁっ!?」
ただの一介の民として、この煉獄に足を踏み入れ、身体中を、そして気管を焼かれ、声にならない声でヤチホコは懸命に、涙ながらに応える。
「僕は……あなたへ想いを伝えたい、ただ、それだけです!
かける言葉なんて見つかりません!
でも、でも、その、筆舌に尽くし難き辛さと想い……この胸に抱かせてもらったと……。
まったく同じ想いになんてなれません!
それでも、この、一蓮托生呪、そして、ミヅチが懸命に放った水鏡のおかげで、少なくとも『知る』事は出来ました……!
良いんです、『苦しい刻は苦しい』って言い続けても!
戒律よりも……想念の方が僕はずっとずっと大切だと思います!」
上辺だけではない。
それは『神威』を脱ぎ捨てて、民衆としてこの獄炎をここまで歩き徹した事でわかる。
「輪を廻らない」ではない。
「輪を廻る事すら許されない」中を歩んできたことを。
「……それでも想い燻るのでしたら、不服でしたら……天界の試練として、互いをぶつけ合い、比武いたしましょう……!」
技量は天と地の差、膂力や身体能力も全く自神には及ばない……。
そんな、単なる善男子が、満身創痍ながら想い煌かせ、威風堂々と武神たる己へと、比武を申し出る。
それは、決して向こう見ずな傲慢などではない。
眩しい位の、直向きで泥臭く純粋な想念。
知らずの内に増長天は戦慄を抱き、後ずさる。
その彼の耳元に届く囁き。
(今の彼には女神の御加護があるからねぇ。誰でも出来るに決まっているさ……!)
――違う。今眼前にいる存在は……。
喉を焼かれ、幾度も己の全てを焼き尽くされる程の獄炎に晒されて、なお歩み寄り此処に立つ。
それは、まさに『身命を賭して研鑽せん者』。
(――あの囁きとは、似ても似つかぬ……!)
『ろくな努力もせず、キミを超えし統治之神威』……。
目の前の彼が、真に言の葉の通りであれば、この、『存在すら断じられし獄炎』の中、確実に『想い』が折れ、加護を喪い輪を廻るはず。
増長天の胸中で、眼前の彼に対する『想いへの賞賛』と、『権能への羨望』が激しくぶつかり合う。
「……よかろう。少々侮っていた様である。実に素晴らしきはその想いである、か……! 参れ! いざ尋常に勝負いたそう!」
増長天の掛け声と共に、纏いし鎧が弾け飛ぶ。
観る間に獄炎が鎮まり還ってゆく。
遺されたのは……悠久の年月を練り上げし武人と、年端も行かない善男子。
其之伍 想い引継ぎ勇気を貰い曝け出す闇――ミチヒメ 壱――
結果は明白。しかし……ヤチホコは決してあきらめない。
「輪を廻る事すら許されない」為、気を喪う事も許されず、増長天の打撃の嵐に見舞われる。
吐き出す鮮血。あばらは何本か砕かれたであろうか……。
全身を貫く激痛と、幾度もの衝撃により齎される、割れんばかりの頭痛。
なおも襲い掛かる練り上げられし武の真髄。
しかしヤチホコは、その奥底に眠る慟哭のみをひたすら見据え、懸命に食らいつく。
刻が過ぎる毎に傷は癒されてゆくも、受けた痛みはすべて遺り続ける。
「……き、貴様本当に民衆であるか? およそ斯様な強靭なる想念持ちし存在など……」
「……力もない、技も……錬磨したつもりですが、増長天さまと比べれば赤子同然です……。ですが、この『想念』だけは……」
両の掌を膝につき、懸命に上体を起こそうとするヤチホコを支える二つの人影。
「……そうよね、こんな直向きな二柱が報われないなんて……そんなこと絶対あってはならない事だわ」
「……あぁ。オレもそう思う。オマエ達は絶対に救われるべきだ」
「ミ、ミチヒメ……さん、ミケヒコ……」
想いを受け止め、馳せ参じたのはミチヒメとミケヒコ。
深い慈しみを籠めた眼差しでヤチホコを見つめ、ミチヒメは腕と指を絡める。
慈愛の想いを籠めた快癒呪。
ヤチホコは呼吸が出来る様になり、息を荒げ、深々と一息つく。
その様子に安堵を顕し、ミチヒメは増長天、そしてその肩越しに背後に漂う「彼女」へと向き直る。
そして、意を決したように深く息を吐く。
二柱へ向けるは……憧憬と羨望を宿した眼差し……。
「尊い……。わたしはとても羨ましいわ。あなたと……あなたの愛する増長天さまとの関係が……」
インヴィディアが紫煙と共に顕れる。
「……何を! そんな誰にだって言えるこ……!」
言いかけたインヴィディアの言葉が詰まる。
一蓮托生呪を徹して流れてくるのは、ミチヒメが抱く想い。
それは、彼女が内に秘めた、淫靡で昏くも直向きな情欲。
「……どれほど、望んでいるか、そしてあまりに遠くにあるか……伝わるわよね? 『前』も、『今』も……」
ミチヒメは吐露する。
それは、英雄王への「兄を超えた想い」……。
「――清廉王女さまなんて助けなきゃよかった! そうしたらわたし、ずっとずっと英雄王さまと二人で旅ができたものっ!!」
それでも、「彼の望む幸せの為」、全てを賭して行った事。
「妹」でも……良い。「彼への想い」をこの胸に抱けるなら……そう決断した事。
「そのお兄さま直々のご推薦が……彼よ。観たわよね?
ヤチホコくんの『強さ』……。
泥臭くも直向きな『想念』。
観ての通り、彼の武なんて、権能なしじゃ……。
とてもじゃないけど増長天さまになんて……向かうだけ無駄……。
でもね、彼……諦めないのよ。
それも……『負けたくない』からじゃない。
その想い……伝わったわよね?
『誰かが不幸な事』が……『自分の事』よりも辛くて苦しいから……。
だからね、彼は……『悲しみを産み出すすべて』に抗おうとするの……」
ミチヒメは、想いのすべてを籠め、力尽きて座り込んでいるヤチホコを見つめる。
大きく息を吸い、意を決してインヴィディアへと向き直る。
「わたしは、そんな彼が……『すべてを捧げ一つになりたい』位に大好き!
わたしにときめいて欲しい、わたしと同じように、全てをかなぐり捨てて『貪るように愛して』欲しい!
そして……いつしか、あなた達の様に『聖なる契り』の高みまで……二人で昇りつめてみたい!
だから、本当にすごく、凄く羨ましいわ!
だってあなた達……『神威』と『神聖娼婦』……。
それこそわたしの望む究極の関係だもの!」
「……そう……。でも、そんな事、何の苦しみも知らないから言え――ッ! な、何よ! この陰惨な光景……!」
インヴィディアは、あまりの光景に言葉を喪う。
先程とは打って変わり、ミチヒメは全身を震わせて恐怖に怯えている。
腰が砕け跪くも、己を鼓舞する様に拳で胸を激しく叩く。
そして、指を固く編み合わせて閉眼し、ヤチホコへ縋る様に祈りを捧げる。
(――ヤチホコくん! わたしにあなたの『想いの強さ』をっ!!)
大きく息を吐き出す。
その後ミチヒメは、己の過去を曝け出す様に吐露し始める。
静かに、そして無常に、水鏡は彼女の過去を映し出してゆく……。
其之陸 想い引継ぎ勇気を貰い曝け出す闇――ミチヒメ 弐――
彼女は祝福されし『希望乃聖乙女』「で」あった……。
その身に宿る莫大な氣力。
彼女は知らなかったが、それは究極の『根源の氣力』。
付与されし霊力により、無限に氣力を放てる、まさに「天啓之贈与」。
その類稀なる権能を以って、上伽耶を護りし叔父、ウガヤフキアエズ七十一世の下、対となる国、下伽耶の守護神として奴國の北の地へと赴く。
東方最強の武人であるウガヤの下、武を極めんと彼女は修行に明け暮れる。
「困った刻はいつでも呼んで! 霊力さえ付与してくれれば、わたしはなんだってできるわ!」
絶対の自信を以って国を護るミチヒメ。
彼女は下伽耶の民の誇りであり、まさに希望の光、聖乙女であった。
「ヒヒッ! 光があれば必ず出来るのが影さ!」
それは、彼女が望まぬも、大国漢より授けられた「下伽耶大将軍」の称号を妬む先代将軍……。
その彼の耳元に囁かれる共感誘惑。
「あんな小娘に戦の何がわかると言うのかねぇ? 見る目がないよねぇ?」
囁くは、『最高の神威』の宮廷道化師と名乗る者。
「僕はジェスター。最高神の御使いさ。……驕り高ぶって、我がお館様の怒りに触れた小娘に天罰を下そうと思ってねぇ……」
「……口惜しいが、彼女は授かりし称号に対し、傲慢な想いなど一切抱かず、なおも一層の錬に励むような、まさに希望乃聖乙女故……我も静観せしなり」
紫煙が燻り、先代将軍を包み込んでゆく……。
「でも、彼女、『自分自身』じゃ何もできないよねぇ?
そんな『借り物の強さ』で、大将軍なんて、なって良いものかねぇ?
キミみたいに……自身の力で強くないとダメじゃないかなって思うんだよねぇ!」
そう、彼女は他者からの霊力付与無しには、単なるか弱き民衆の乙女。
「不慮の変に際し、誰も霊力を貸してくれなきゃ何にも出来ないなんて、本当に国の役に立つのかねぇ?」
将軍の不満と懸念はまさにそこである。
付与叶う他者なくば、如何ともし難き権能など……。
「『我が直向きに磨きし武に比ぶれば』。
ヒヒッ! 本当にそうだよねぇ?
それを実際に誰しもが眼にすれば……彼女の評判はがた落ちだよねぇ?」
まさに、そう。
彼はただ、『彼女の評判が落ちる程度の失態があれば』……そう想っただけであった……。
見据える先は、道化師が遺していった「一刻の間付与を断じる護符」……。
「なぁに、しばらくしたら元通りさ。『付与』を受けられない以外なんともないしねぇ」
外から響くのは、単騎でオロチ軍を退けたと言う、彼女を讃える大喝采。
日々耳にするのは、民達のもとへ、自ら駆けずり廻って齎す、ささやかな助けへの感謝。
「……些細な失態を眼にするだけでも、少々気は晴れるやもしれぬ、な」
安直な想いで彼女の肩当てへと護符を忍ばせる。
「よし、お義父さま、お義母さま、今日も集落の見回り、行ってくるわ!」
いつもの通り肩当て、脛当て、そして籠手を身に着け、ミチヒメは独り集落へ。
彼女が気付かぬように静かに音もなく、護符……いや、『呪符』は、彼女の身体を「書き換えて」ゆく……。
「任せて、あれね、付与を!」
ミチヒメの掛け声で、村長が付与霊呪を施す。
(――ッ! 氣力が……『目覚め』ない? くっ!)
全神経を集中する。
そして、ウガヤより授かりし武の身体操作を極限まで運用する。
脱力し、構えを整え、心、口、意、一つに合わせ、かけ声とともに爆発的に息を吐き出す!
すると、土手から脱輪した馬車が、大地から引き剥がされるようにゆっくりと持ち上がる。
「なっ!? ば、馬車が! ありがたや、さすが希望の聖乙女さま!」
ミチヒメは、いつもと違い大きく息を荒げるも、満面の笑みを浮かべる。
その後も彼女は、民衆の身で懸命に皆を助けてゆく。
「……これで最後、ね……啊啊啊啊啊啊っ!!」
暴れまわる潜土蛇竜の幼体。
その突進力を己が身に徹す。
ミチヒメは、弾き飛ばされた強烈な回転力、その全て乗せて空中から剣閃を放つ!
剣先が、一瞬音を置き去りにして観えざる刃を迸らせる。
「や、やった、わ……みんな無事、ね……」
安堵と共に張りつめていた想いが途切れ、ミチヒメはその場に崩れ落ちる。
(……奇怪なり! 最高の武人より伝承されし技故か! 忌々しき……!)
将軍は、付与されずともすべてを救ってみせたミチヒメに対し、拭い去り難い敗北感を味わう。
(くそ、くそ、くそっ!! あんな小娘など……『居なくなってしまえば良い!!』)
まさに『魔が差した』。
将軍は……湧き上がる嫉妬のまま、強く想い念じてしまったのだ。
途端、満身創痍の彼女から『昏き闇』が溢れ出す。
瞬く間に広がり辺りを侵蝕する様に包み込む。
その中より顕れしは……雪辱の「怨念」抱きしオロチ族の大軍。
率いるのは……彼等の住まう、神聖城国の王……ではない。
「我は最高神の御使いが一柱、神威をも超越せし『羅刹王』なり。
余のもとへ捧げよ、己が胸中に秘めし禍々しき想念を!」
その掛け声と共に放たれた絶望の呪法。
「究極之付与魔闘氣呪」。
放たれた魔闘氣に当てられる民達。
彼等は次々と、心の内に秘めし禍々しき想念を、増悪させられては溢れ出させてゆく。
「くっ! これは……? み、みんな!?――い、いやぁっ!!」
水鏡より響き渡るミチヒメの絶叫。
映し出された惨状を眼に、インヴィディアは絶叫を上げる。
「あ、あぁ、あぁぁぁあっ!! そん、な! 貴女……貴女も私の様に!」
ミチヒメの呼吸が引き攣る。
端正で愛らしい顔が蒼白になり、全身を恐怖で震わせる。
しかし、険しくも真寧な面持ちで、ミチヒメは彼女へと頷き、覚悟を顕す。
水鏡の中、ミチヒメからなおも噴き出る昏き闇。
その恩恵に預からんとばかりに、出現した大軍が襲い掛かる。
瞬く間に衣が引き裂かれ、地面へ這いつくばらされる。
彼女の意に反して止め処なく湧き上がり溢れ出る、「根源の気力が反転した昏き闇」……。
そこへ、蛇頭の昏餓鬼と変貌させられたオロチ族が、彼女を覆い尽くさんばかりに群がり、想いのままに貪り喰らう。
「う、美味い……う、飢えが満たされる様だ……!
もっと、もっとッ! モォォットォォォオオオッ!!」
最大の不幸は……『無限の氣力』……。
いくら喰らい尽くしても溢れ出て来る、彼女の想い、身体と繋がりし昏き闇を、心逝くまで、蜜に群がる蟻の如き大軍が貪り喰らい続ける。
まさに、筆舌に尽くし難き、『己が身を引き裂かれる激痛』。
いっそ蹂躙されて四散した方が如何程楽か……。
ミチヒメは半狂乱になり、声にならない絶叫を響かせ続ける。
「誰か、誰か……わたしに霊力……霊力を……!」
その懇願を聴き入れてくれる者は……最早存在しなかった……。
禍々しき想念に染まりきった民衆達が、まともに霊力を放つ事など叶うはずもなく、ましてや他者を慮る事などあり得るはずもない。
「あぁっ! お義父さま! お義母さま! わたしに……わたしに霊力をっ!!」
顕れた義父母がゆっくりと振り返る。顕すは絶望の狂笑。
彼等はすでに禍々しき想念に支配されていた。
そして彼等は内に秘めし想いを晴らすかのように、好き勝手に想うがままに振舞う。
「……『想い』果たしたりならば……こちらへ来るが良い」
一人、また一人と羅刹王に導かれるように近づいてゆく。
「満たされし禍々しき想念を、我等が『主なる神』へと捧げるが良い」
跪いて両の掌を捧げると、全身が悪想念の霧と化し、上空へと舞い上がり吸い込まれる様に消え去ってゆく……。
「あぁっ! み、みんな、が……!」
思わず眼を背けるミチヒメの顔が、昏餓鬼達に無理矢理抑えつけられる。
耐え兼ねて眼を閉じようとしても、意に反して微動だにしない。
「……すべて観せよ。それが余が受けし詔なり」
一糸纏わぬ姿で抗う事も許されず、自由を奪われ抑えつけられる恥辱と屈辱。
一方的に氣力を貪り喰らわれ続ける耐え難き激痛。
助ける事叶わず、眼前にて霧散して消えゆく民達……。
そして、その惨状に対して『完全に無力』な自分自身……。
最後の義父母が霧と化した刻……彼女の中の『自信と尊厳』も雲散霧消してしまった……。
惨状のすべてを物陰から観ていた将軍は、己が抱いた、『他愛もない嫉妬』の齎した最悪の結果に、発狂して笑い続けていた。
「キミはとてもいい仕事をしてくれたねぇ!
本来なら彼女の目の前で『花火』として打ち上げる処だけど……。
特別に我が軍へ登用してあげよう!
最高に強力な昏餓鬼としてねぇ! ヒャハハハハ!」
狂笑する道化師が、虚空に文字を書き殴る。
すると、虚空に浮かぶ真輝金に輝く城より、確認の声明が流れて来る。
『……詩片入力完了。高速演算化……完了。
具象化します……!』
昏き稲妻が元将軍を強烈に撃ち抜く。
凄まじい激痛と共に、観る間に筋肉が異常に隆起して身体が膨れ上る。
口が裂け、爪と牙が鋭く異形に伸び、頭部からは長く禍々しい角が生える。
「ヒヒッ! 民衆の想いを棄てたキミにぴったりな姿だねぇ!
さぁ羅刹王くんに付き従い、一緒にあの城へ還ろうじゃないか!」
大軍を浮遊させ、天に舞う巨大な城へと還る際、ジェスターは地上を一瞥する。
「……お館様の懸念も、これできれいに消えたねぇ。小娘如きには過ぎた舞台……目障りだからこの国ごと消えちゃぇっ! ヒャハハハハ!」
上空の城が一瞬煌めいたかと思った瞬間迸る、辺り一面を覆い尽くし埋め尽くさんばかりの絶望。
それは、虚空の天蓋を縦横無尽に駆け廻る昏き稲妻!
すべての音を置き去りに閃光が翔け抜けて逝く。
後に遺るは……完全なる焦土と化した下伽耶であった大地……。
(……わ、た、し……? 輪を……廻って……い、な、い……?)
何故か解らないが……この地に存在する自分以外のすべてが喪われた中、彼女は消滅を免れていた。
しかし……生命と身体ありしも……最早遺るのはそれだけであった……。
(……国……民衆……お義父さま、お義母さま……。すべて……喪った、わ……。何にも、出来ず、に……)
最早悲しむ事すらできない程の喪失感。
いや、「悲しみの想い」すら奪われてしまったかの如き真の虚無……。
水鏡に映し暴かれる、ミチヒメに遺る記憶と想念。
その惨状を、ありありと叩きつけられ、一蓮托生呪を徹し流れ込んでくる激痛と絶望の慟哭。
ヤチホコは、異体同心で共に奈落へと堕ちてゆく。
ただただ絶望の慟哭だけが、彼の心中に絶え間なく吹き荒れていた……。




