第26倭 煩悩抱き高みを目指さんと直霊せん (前編)
其之壱 絶望に抗う希望 覚悟の想念
(努力に無駄な事なんてあるもんか! どんなことだって、苦しさも辛さも、過ちでさえ、受け入れ認めた上で共に歩んでいくならば、それらすべて『生長の礎』です! 増長天さま、どうか気付いて下さい……!)
ヤチホコは、歯を喰いしばり、全力で増長天の下へと疾走する。
追従するは新緑と紺碧の輝き。
「……ボクも、ううん、ボクが行く! だって、解るもん、解り過ぎるくらいにその気持ち……!」
独り孤高の極みへと邁進してゆくヤチホコの背中を見つめ、決死の想いで喰らい付いてきた自分を認め、褒め湛えてスセリは前を向く。
「ですの……! ミヅチ……本当は、ここに昇ってくる刻、とっても迷ったですの……。おにいさまの楯になれるならって……。でも、やっぱりダメでしたの。この『はじめての想い』棄てるくらいなら、『弱いまま頑張る』そう想ったですの! まいりましょう、おにいさまぁっ!」
己の弱さゆえ最愛の彼を何度も窮地に立たせてもなお、いや、だからこそ棄てられない大切な想いを抱え、足元の波を滑らせるように滑走して、ミヅチは必死に着いてゆく。
「流石統治之神威、良い御身分である、なぁっ!!」
着くや否や、詰りと同時に爆炎の刃がヤチホコ達に襲い掛かる。
「――上へッ!」
ヤチホコに増幅してもらった大凬で、スセリは辛うじて上空へといなす。
「……重い……! ボクが四氣王じゃなかったら一撃で輪を廻っていた……!」
あまりの衝撃にスセリは青ざめて戦慄く。
「当然の帰結! 弱さや甘さを棄て切らぬ貴様らに勝ち目など……あってたまるかぁっ!」
激昂と共に増長天は己の剣を鋭く捻じり込んで突き出す。
爆炎が渦巻く、『焔渦の剣閃』となり、凄まじい迅さで一直線にミヅチを強襲する!
「ミヅチちゃぁんッ!」
無我夢中で飛び込む姿。
(……あぁ……、やっぱりミヅチは……おにいさまの足手まといですの……)
迫りくる焔渦に対し為す術もない自身の弱さに、ミヅチは心が折れかけ、自責と自嘲が慟哭として湧き上がる。
「――水猛りし刻 火勢い断じられて生命喪わん!! ミヅチちゃん僕へ君の大海を!!」
「笑止! 未熟な、『甘さすら捨てきれぬ』、畜生道の小娘如きの大海など、まさに『焼け石に水』也っ!!」
「――ならば刮目して受けてみよ! ミヅチちゃん! 僕の掌を!!」
いつになく強い口調。
ヤチホコは、怒りすら観じさせる想いで叫び、ミヅチへ掌を差し伸べる。
「は、はいぃっ! おにいさまぁっ!!」
「……彼女の内に眠りし鏡水顕導神よ、今ここに目覚め、真なる権能を呼び覚ませっ!! 行きます! 一緒に!!」
ミヅチは、ヤチホコの強い叫びに必死に喰らい付いて共に詠う。
握りしめられた掌から、眩く煌く朱金之光。
「は、はいぃっ!! 『水龍神瀑布』!!」
(……ませんの……負けません、のぉっ!! ミヅチはずっとずっとおにいさまと一緒に居たいですのーっ!)
自分の『想いの源泉』を改めて観じとり、ミヅチの魂が叫ぶ。
その姿を横目に見遣り、ヤチホコは力強く笑みを浮かべる。
瞬く間に、四大王天すら呑み込まんばかりの龍神が、途方もなく巨大な咢を大きく開いて咆哮する。
響き渡る唸りと共に、眼前を覆い尽くさんばかりの水鏡が産まれ直霊す。
襲い掛かる焔渦の剣閃が水鏡に映った瞬間、音もなく消え去る様に呑み込まれてしまった。
鏡面の中、藻掻き暴れ狂う爆炎。
暫くして、映り顕されたのは……炎に籠められし増長天の想いであった……。
其之弐 研鑽と戒律 護るが故に手にした絶望
「――ぬぅん! 『淫欲皆已断 純一変化生』!!」
裂帛の気合で慧剣を揮う。眼前には跪いて敬虔な祈りを捧げる、夥しい数の民衆達。
増長天が揮いし剣の放つ『浄化の炎』が、彼等の穢れを悉く晴らしてゆく……。
「……善男子、善女子等よ……。善く煩悩を断じ真なる智慧を求めるが良い……!」
真実の眼、その第一歩を開闢された民衆は、深々と丁重に長揖し、感謝の神呪を捧げる。
「……お疲れ様でございます、増長天さま」
背後から、静かに手布と至純之水を携えた乙女が歩み寄る。
「……敬愛乙女よ、いつも忝き」
彼女は恭しく首を横に振り、優しい眼差しで彼を見つめて微笑む。
「何をおっしゃられます、あなた様のおかげで、どれだけの方が真実を見つめる『善なる心』を開かれた事か。あなた様のような、素晴らしき神威に仕えられる事……身に余る光栄でございます……!」
敬愛乙女は、跪いて両の掌を合わせ、真寧に祈りを捧げる。
「……皆の善なる想念を芽生え、育て、育む事こそ我が使命故、当然なり」
グラティアは、静かに立ち上がり、再度深々と長揖し、緩やかに近づき、まさに敬愛と感謝を籠めて増長天を抱擁する。
「我が神威……あなた様は私の誇りでございます……!」
増長天は、穏やかな微笑みを湛えて応える。
「……我もそなたの様な敬虔なる乙女に斯様に想われし事、まさに歓喜に値せん」
一柱と一人の乙女の想いが天を翔け、眼差しのみで交歓し合う程に昇りつめる。
「……斯様な幸福の享受……我が名に恥じぬようこれからもあなた様の下、『善根』を以って感謝を忘れぬ様、皆様を代表する巫女として努めてまいります……!」
悲しきは人の性……。
皆の為、努めて清廉であろうとする程に、磨かれる程に溢れ返る嫉妬の渦。
「アイツ……生意気だわ! ちょっと顔立ちが良くて神威さまに見初められたからって!」
「本当よ! 『神聖娼婦』なんて言いながら、所詮ただの売女じゃないっ!」
「くやしいぃっ! 機会さえあったらアタイの方が絶対……!」
神殿の清掃をしながら沸き立つ嫉妬と愚痴。
『ヒヒ! 彼女がいなくなったら……キミ達が舞台に上がる番が廻ってくるかもねぇ! ヒャハハハハ!』
脳裏に響き渡る誘惑。
(ヒッ! だ、誰……?)
一枚の遊戯札が翻る。
乾いた破裂音と煙が噴き出し、誰かが顕れた。
それは、艶やかさが不気味さをより一層引き立てる様な、あまりに不自然な取り合わせの、不快さを煽る衣装を纏った道化師……。
「僕はジェスター、『さる高貴な神威』に仕える道化師さ。キミ達の望み、叶えてあげても良いと思ったのさ。さぁてご覧あれ、此処に取り出したるは……」
巧みな手つきで空の瓶を虚空より出す。布を被せ捲ると……。
「これは、呑んだ者が『向けられた嫉妬の分だけ苦しむ』不思議な薬さ! ただし、あまりに向けられた嫉妬がひどい場合は、『輪を廻っちゃう』から……そこだけは気を付けて欲しいけどねぇ! ヒャハハハハ!」
そこまで言うと、薬瓶を遺しジェスターは遊戯札に翻り、そのままひらひらと消え去ってしまった……。
遺されし薬瓶を見つめる侍女達……。
『彼女が腹痛でも起こし、自分達が神威の世話をする機会が出来れば』
侍女達の、その浅はかな考えと裏腹に、痛烈な悲劇は引き起こされる。
想いの強さ、その秘めし闇の側面が最大限に発揮されてしまったのである。
信者からの供物だと渡され、丁重に残さず飲み干した瞬間、まず襲い掛かるは侍女達の陰湿な嫉妬の囁き。
怨嗟の囁きに苛まされ、控えの間に蹲る。
「敬愛乙女、本日は具合が思わしくなく、アタイが変わりを務めさせていただくわ。よろしくね神威さまぁ……!」
『キミ達はこれを呑んでおくとイイさ。これで憧れの神威さまは逆らえないよ!』
それは、呑んだ者の境涯を一時的に過剰に上昇させる秘薬。
絶対的な格差を前に、増長天は彼女たちの言いなりにされてしまう。
「な、何ゆえにそなた等……何の行もせずにその境涯……。それこそ、其の高み……我を遥か超越せん世界の頂点、「他化自在天」なるぞ!?」
六欲天最上の使徒達の命。それは輪廻世界の絶対。
遵守出来なくば『輪を廻る』処か、『堕天』しかねない……。
(この気配……敬愛乙女!!)
飛び出したい衝動に駆られるも、眼前の、『努力もせずに己を超えし侍女』達に阻まれる。
握りしめた拳から鮮血が噴き出るも、悪鬼の如く憤怒の形相となるも……戒律と使命の前に……増長天は踏み留まってしまった……。
「――ッ! な、なんて……!!」
水鏡に映し出されゆく光景に、ヤチホコは言葉を喪い、戦慄き、拳を握り締め、絶望への怒りを滾らせる。
両の眼を覆いたくなる惨状を前に、断固たる想いを胸に抱き直霊し、しかと水鏡を見据える。
ヤチホコが怒りを滾らせ、増長天が愕然とした気配の正体……。
それは、控えの間にて、罵倒と侮蔑の囁きに苛まされる敬愛乙女へ向けられし「嫉妬の想い」が、耐え難い痛みとして次々と具現化してゆく光景。
「見目麗しさへの嫉妬」が、突如顔面を殴打されたかの如く、彼女の端正な顔を凄惨に腫らしてゆく。
あまりの痛みにのた打ち回る中……「売女」と罵った想いが具現化させたのは……闇闘鬼の群。
瞬く間に衣を引き千切られ、蹂躙と凌辱の宴が開かれてゆく。
幾度も尊厳を踏み躙られ、最後は四肢を喰い千切られ、輪を廻らされてしまった……。
後悔と無念は血の涙と化し、増長天の頬を、全身を深紅に染め上げてゆく。
「ヒヒッ! キミ達、実にイイ芝居を見せてくれたねぇ! 褒美は祝福の花火さ! 綺麗な華を咲かせなよ、ヒャハハハハ!」
彼の想いなど露知らず、浮かれて増長天の周りに侍る侍女達。
その想いの通り、本当に彼女達は浮かび上がりはじめる……。
「え? な、ナニコレ? き、聞いていない……ぎゃぁぁああっ!!」
侍女達は、天蓋を突き破り上空まで吹き飛んだかと思うと、激しく爆散し、深紅の大輪の華を次々に咲かせてゆく。
まさに今の増長天の『怨念顕し直霊す』が如く。
正気に還り、増長天は控えの間に疾走する。
彼を待ち受けしは……眼にした事を永劫に後悔する陰惨な光景。
瞬時に闇闘鬼を、悉く憤怒の紅蓮で焼き尽くす。
最後に遺りしは……最早原形すらとどめていない、彼女の成れの果てであった……。
声にならぬ慟哭。
あまりの怒りに、神殿全てを焼き尽くす程の業火の旋風が吹き荒れる。
紅蓮の中、深紅に染まりし彼女だった存在を、その遺された一部を抱きしめて蹲る。
(……おかしい? 彼女の魂は? 霊性乃身体は?)
身体を喪いし今、当然存在するはずの彼女自身が見当たらない。
探そうにも、込み上げては噴き上がる怒りと自責に想いの全てが埋め尽くされ、集中出来ず、増長天はただただ想いのまま、絶望の深淵で泣き叫んでいた。




