第22倭 完結編(前編) 想い顕し直霊せん 穢土即浄土
最後の牢獄の扉を開けたヤチホコは、あまりの凄絶さに絶句した。
「――熱い! そしてこの凄まじい雷ノ神威……」
辺り一面焦げ付くような灼熱と、天より激しく降り注ぐ夥しい雷光の中、此処にいるであろうヒメを探していた。
「あ、あれは! ヒメさ……!」
天空より凄まじい雷光が幾重にも迸りて降り注ぐ!
それは、かつて破壊の女神へと堕ちた彼女が纏いし雷神。
「大雷、火之雷、黒雷!――若雷、土雷、鳴雷、伏雷! そして、そして、最も罪深き……咲雷ぃっ!!」
本来ならば、想いを受け止め咲かせる処を、無残に引き裂かん勢いで雷光を撃ち落とす。
灼熱の蒸気で気管を焼き尽くされ、雷光に声帯を爆ぜられてなお、声に成らぬ絶叫を繰り返し、雷神達を絶唱す。幾度も幾度も繰り返し、輪を廻らんとすれば自神の究極之付与快癒呪を施す。
「輪を、廻るなど……言語道断……! 斯様な逃げなど――許すまじ!」
それは、断罪の裁きの雷を、幾度となく浴び続けるヒメの姿。
周囲には焦げ臭さが充満し、あまりの熱で彼女の如意宝珠で出来た身体からは水蒸気が噴き上がっていた。
瞬間、かつて破壊の女神と化した彼女との、天地振るわし、星々の海を翔び回り、剣を交えたあの記憶が一瞬脳裏を翳めた。
「ナミ……。水よ極まりて大海となれ! 降らせ慈愛の法雨!」
ミヅチの氣力を遣い、ヤチホコが必死で叫ぶも、まさに「焼け石に水」であった。
法雨はヒメへ近づいた瞬間蒸発し霧散する。
「ヒメさん! 自分をそんなに傷つけないで下さい!――今参ります!」
ヤチホコは意を決し、煉獄の溶岩と化したヒメを抱きしめて止めようとする。
「――がぁあああっ!! や、やめましょうヒメさん!」
瞬間、急激に手ごたえが無くなりヤチホコの掌は宙を抱く。
「ヤチホコ殿に斯様に振舞うものなど――断じて許せませぬ!」
虚空に浮かんだ姫ヒメの元へ、巨大な銅鐸が出現する。
二つに割れたその中は、夥しい巨大な棘が立ち並ぶ剣山。
ヒメは、その針の筵に入り込んだかと思うと、強烈な勢いで銅鐸を閉じた。
「悔い改めよ、外道! ――っぁあっ!!」
今や、命ある乙女となったヒメの身体を、躊躇せず喰らった銅鐸。
あまりの惨事に思わず眼を背けたヤチホコの上に、夥しい量の贖罪の紅雨が降り注ぐ。
拭ってその紅の贖罪を掌に取る。
「くっ――カンナ!」
詠い直霊せんと、カンナを呼ぶも、アメノオハバリは顕現しない。
「どうして? あのままじゃヒメさんが!」
静かに、昏い声で響くカンナの囁き。
「我が愛すべき主よ……。私も……きっと同じ事をするでしょう。愛すべき、護るべき、崇拝すべき主に対し……呪縛の果ての姦淫など、輪を廻る事すら生ぬるい!」
「でもそれは、ルクスリアの造り出した幻像……」
「いいえ違います! 彼女達が弄んだのは……彼女達自身が造り上げた欲望の捌け口なのです……!」
ヤチホコの言葉を遮るように強くカンナが言う。そう、すべてのヤチホコの幻像は、彼女達の「昏き欲望」の権化であった。
「……あの刻に十地まで高まった神威が故に、誰よりも理解している彼女程、己の所業を許せないでしょう」
重なり直霊て、同じ境涯まで高まった事のあるカンナは断言する。
「全てを消し去らんと……私の権能揮うしか……」
唇の端を噛み締め、カンナは苦渋の決断を告げる。
「絶対にそんな事はさせません――僕が、そう決めました!」
ヤチホコは、虚空に浮かぶ狂気の懺悔の檻を睨みつける。
檻の周囲は、八大雷神が飛び交い、銅鐸を激しく打ち据えて鳴り響かせている。
「カンナ! お願いです……僕を……民衆へと……きみの法理で詠い直霊してください!」
ヤチホコのその申し出に、カンナは一瞬卒倒しかける。
「おやめください、我が愛すべき主! それでは貴方が……輪を廻る処か消滅して仕舞います!!」
度重なる雷光を浴びせられ、灼熱の煉獄焔をも噴き上げる断罪の牢獄。
近づくだけで焦がされ、触れれば身体が溶け逝くであろう灼熱地獄。
「……統治之神威が命じます……カンナ、我が身を民衆へ直霊し給え!」
ヤチホコは、高々とカンナを突き上げ、朗々と詠い上げる。
見る間に煌く真輝銀の長髪は輝きを喪い、茶色味がかった黒髪へと直霊されてゆく。
万象を見抜く紅玉の神瞳は、少し色素の薄めな茶目に還る。
「……はは、今はもう懐かしいですね、この姿。カンナ……最後に君の力であそこまで僕を飛ばしてくれませんか?」
今はとてもじゃないが、重くて所持しきれないカンナを背から降ろし、ヤチホコは頼む。
すると、この迸り吹き荒ぶ神威を受け、直霊の女神、瀬尾律へと変貌する。
「……やはりその姿……とても美しいですね。もう一度良く観させ……カ、カンナ、さん!?」
言葉を遮る様に、ヤチホコの事をカンナはきつく抱きしめる。
「我が……愛すべき主、いいえ、私の想念の中でだけの我が背。私は、逝かせたくありません!」
常に、冷静で理知的な瞳を湛える瀬尾律が、溢れんばかりに涙ながらに想いを吐露する。
「……大丈夫です。きっと……きみと僕の想った通りにさせてみせます!」
その言葉を聴き、跪いて拝礼を捧げる。
そして帯を抜き、衣を静かに緩めはじめ一糸纏わぬ姿となる。
「カ、カンナさん!? こ、衣を元へ!」
そのまま静かに近づいて祝詞を上げ始める。
「阿那迩夜志、哀盧迀袁 阿那迩夜志、哀郎女袁……」
カンナは、真剣な眼差しで抱擁し、見つめ合う。するとカンナが想い描いた事が映像となって流れ込んでくる。
「……そうか、あの神話の通り……。わかりました、それでヒメさんを助けられるなら――参ります! お願いしますカンナさん!」
静かに、しかし離れがたそうに、悲しみの微笑を湛えてカンナは離れる。そして衣を纏い直し、あらん限りの神威を以ってヤチホコ……いや竜輝を護り直霊し、彼を虚空へと飛翔させる。
「我が業は我が為すに非ず! 天地神明の通力よ 八卦の理に従いてここに集え! 邪を祓い、場を清め、随神にしてすべてを護り、幸いを顕し給え! 乾! 兌! 離! 震! 巽! 坎! 艮! 坤! いざ舞い上がらん、我が統治之神威!!』
」
すでに近づくだけで肌を焦がされる程の、まさに煉獄の惨状へヤチホコは舞い上がる。
「ぐっがぁぁっ! ヒメさぁん!」
至高の法理の顕現神、瀬尾律の渾身の直霊でさえ、ヒメの自己嫌悪の灼熱地獄に引き剥がされてゆく。
やっとの想いで銅鐸を掴み、下部の空洞より、「断罪之母胎」へ侵入していく。
(あ、熱い! 痛い……! こんな中でヒメさんは……!)
口を開けた途端、肺を焼き尽くされる程の灼熱。それでもヤチホコは、カンナの加護の下、生身の身体で胎内を昇ってゆく。
一歩上がるごとに激烈に温度が上昇してゆく。最早自分の消滅を免れているだけで、周囲に吹き荒れる、すべてを断じる糾弾の獄炎は、容赦なく躊躇なく身勝手にヤチホコを焼き焦がす。
「は、離すもん、かぁっ! がぁあっ!」
糾弾の呪檻の中、吹き荒れる獄炎の爆音に混じり、誰かの叫びが聞こえてくる。
「……ま、まさか、もしや……いけませぬ、此処に来るなど! 此の地に吹き荒れしは、如何様な者でさえ輪を廻らせんとする絶望の獄炎! ましてや霊力乏しきヤチホコ殿では……違い、ます……霊力が、いえ、氣力すら観じ得ませぬ……! なんて事を!」
意識を取り戻したヒメは、ヤチホコの狂気の覚悟に青ざめる。
「――くぅっ! 最早止まる事叶いませぬ……。このままでは、真なるヤチホコ殿が……我が斎祀りし神威が……!」
「……こ、此処でした、か……。さぁ外……へ……」
そこまで言いかけた刻、ヤチホコを包んでいたカンナの加護が消え失せてしまう。
瞬時にヤチホコから煙が上がり、瞬く間に炎を吹き上げ燃え上がる。
「ヤチホコ殿ぉ!」
ヒメは、血塗れの裸体でヤチホコを抱きしめ、地面目掛け、煉獄の呪檻――「断罪之母胎」より急降下する。
衝突直前で急激に減速し、ふわりと地面に降り立ち、最上の配慮を以ってヤチホコを抱え降ろし横たわらせる。
ほんの数瞬であったが、神威を喪ったヤチホコはその間に全焼し、物言わぬ消し炭と化していた。
「我が崇め奉りし神威よ――断じて、逝かせませぬ! 『究極乃付与快癒呪』!!」
瞬く間に虚空に浮かぶ呪檻も、雷神も灼熱の獄炎さえも、「ヤチホコを黄泉還らせる権能」へと吸収され、ヒメの如意宝珠の身体を徹して放たれる。
沈黙し煙るを上げるヤチホコが、刻を遡る様に詠い直霊されてゆく。
「……ぷはぁっ! はぁっはぁっ……。おかえりなさい、ヒメさん……」
ヒメは即座に、最大の拝礼である五体投地をした。
「許されざるモノとは、まさにこのワラワの事でございます。ヤチホコ殿黄泉還りし今、何卒その御掌で、ワラワに厳格なる裁きを!」
地面に頭を擦り付けヒメは懇願する。
「……いいえ、僕自身の想いの『我が儘』を……聞いてもらいます! ヒメさん、僕と契り交わして下さい!」
「ヤ、ヤチホコ殿? 一体何を? あまりに熱き故のご乱心でございましょうか? スセリ殿やミチヒメは? 一体如何なされ……」
あまりに想定外で唐突な発言に、ヒメは普段観られない程の狼狽を露呈させられる。
しかし、その真剣な……神威ではない、一介の単なる民衆と化している善男子のヤチホコの眼差しに、ヒメは真意を悟る。
しかしヒメの想いを顕す様に、如意宝珠に形造られた美しくしなやかな乳白色の肢体は、まさにヤチホコの紅玉の神瞳の様に自然に紅潮して輝く。
おずおずと、しかしはっきりと応える。
「……う、承りました。謹んでこの身、我が統治之神威へと……いいえ、ただの善男子たるヤチホコ殿へ……捧げます」
「――私が天之御柱となりましょう。この泉の至純之水で禊ぎ、儀を……成し遂げて下さい」
瀬尾律はそう言うと、泉を湧き上がらせて剣の姿となり、そのまま水を纏って柱と化した。
(……さぁ、これで『御陰之目合』……契りの儀、叶います……)
カンナの囁きに誘われ、二神、いや二人は静かに柱に近づいて、ヤチホコは左回りに、ヒメは右回りに回り始める。再び顔を合わせた刻、ヤチホコから声をかける。
「――阿那迩夜志、哀盧迀袁」
ヤチホコは、朗々と祝詞を詠い上げる。続いてヒメも、一糸纏わぬまま、先程の輝きを納め、仄かに頬だけは薄紅色を遺し、穏やかに詠う。
「阿那迩夜志、哀郎女袁……」
静かに、ゆっくりとだが二人の距離が近づいてゆき、やがて二人の間に空は存在せず、唯、互いの温もりと、早鐘の様な胸の高鳴りだけが、二人のすべてとなった。
ヤチホコは、はじめに今までのヒメの献身、自己犠牲、万象を見抜く悟性を想い描く。そして……凛として自分を呼ぶ声、粥を食べ、味と温度に驚くさま、ミチヒメを優しく揶揄いお道化るさまを想い直霊する。
ヒメも……崇高なる斎祀りし統治之神威ではなく、泥臭くも必死で懸命に、誰かの為に駆けずり回った善男子を、言葉では言い尽くせない感謝と慈しみ、そして一人の異性への……「伝えたくても伝えきれなかった想い」を溢れさせる。
静かに、慈しみを、想いを籠めて抱擁したまま見つめ合う。
永遠と観じる刻の中、二人が互いを想い合う程、ヒメの魂は境涯を昇り詰めてゆく……。
「……ヒメさん……あなたの『其れ』は、自分を裂く為の雷なんかじゃありません。想い咲かせる咲雷です……!」
ヤチホコの想いの籠った言葉が、ヒメの咲雷落ちし処へ入り込んでゆく。
そして緩やかに天へ昇る様に上昇し翔け上がってゆく。
(……こ、これは……? 『あの』刻、いいえ、斯様な所業など遥かに超越した恍惚……。何もかもが……魂の奥底より満たされ溢れ昇りつめて……)
「あぁっ……。真なる契りが……斯様な官能の感応を享受されし世界とは……」
ヒメは……真なる随喜の涙を流し、身も心も魂も、すべてを満たされた禅定の「咲み」を浮かべ、静かに安らかに夢路に誘われていった……。
その想いを祝い斎祀るかの如く、降り注ぎし雷は、春を告げる春雷の様に心地良く響き、灼熱の煉獄が、閉ざされ凍り付いた冬を溶かす春の陽光の温もりへと直霊され、世界すべてが二人の想いの交歓を祝福していた。
「……ヒメさん……その、満たされたの……でしょうか……?」
民衆と化していたヤチホコは、恥ずかしさと嬉しさと切なさとが交錯し、心臓が破裂寸前であった。
「……ええ。我が主は……民衆のままでしたが、ヒメ……彼女は、己が想いを昇華仕切り、一瞬ですが六欲天を突き抜けて、『色究竟天』、解しやすい言葉でならば、『有頂天』へ極まれし後、禅定なる満足を得、六欲天の中庸、『足るを知る処』と言うべき『兜率天』の境涯に至り安寧の恍惚に身を委ねています……」
ヤチホコには良く理解できなかったが、ヒメは確かにとても心地良さそうにしている。それを確認するや否や、素早くしかし最上の注意を払い、静かにヒメを横たわらせた。
「ふぅ。カンナさん……正直に言いますと、僕は微笑みを保ち続ける事が……物凄く大変でしたよ!」
瀬尾律に顕現したカンナは、少しだけ悪戯っぽく微笑んで、「愛すべき我が主」を抱きすくめた。
「本当に……今世の我が主は、愛おしくて素敵な存在です。ですから、一緒に官能を享受させない様にしちゃいました。ごめんなさい、私の我が儘……でした」
そう言って、カンナは微笑みながら桜色の髪を揺らして少しだけ舌を出す。
その甘やかな想い籠った仕草に、ヤチホコは今までにない胸の高鳴りを観じた。
「あ、あの、カンナさん……素敵です……僕、とっても……」
想いを伝えようとしたヤチホコは、恥ずかしさのあまり声が小さくなり、最後の方は吹き抜ける「大凬」の音に「掻き消されて」しまった。
「ふふ、良きです。我が想いは……根源神威之妹様に続く、『二番目』に永きものですからね!」
今度は明るく目配せをして微笑む。控えめに振舞いつつも鮮烈で清廉な眩しさ。
ヤチホコは、先程の突風に気付いて納得して自問する。
どうしてこの女神の素敵さを気付かなかったのだろう、今まで何故、みんなの想いが解らなかったのだろうと……今、ヤチホコは、己の想いの「幼さ」を改めて痛感していた。
「……それで良いのです。ヤチホコ殿のその無垢なる想念……離れ難し『崇高なる耽溺』を、これからも振りまいて下さいまし。その穢土即浄土なる魅惑こそ……ワラワの真に求めし崇拝の対象だと、魂の奥底より観じました……」
ヒメは、いつもと違い口元を隠さず、ヤチホコを真っすぐに見据えて自分の想いを素直に伝えた。
「ヒメさんも……本当に……。す、すみません! これ!」
ヤチホコは、山桜の実の様に頬を染め、目を瞑りながら手探りで彼女の法衣を纏わせた。
「……『あの刻』は……ワラワの身体の心配で心頭していましたが、今のヤチホコ殿の狼狽えっぷりの方が、ワラワは不思議と好ましく想えます……! そう、この『想い』、無理に秘匿せずとも良い、そう安心させられます」
ヤチホコは安心して、微笑みを湛えるヒメを見つめて伝えようとした。
しかし、その確信を得、充実した爽やかさを湛えて虹色の瞳を輝かせるヒメの眼は、深淵に吸い込まれそうな魅力を放ち、とてもではないが直視出来なかった。
そのヤチホコの状態を観抜き、ヒメは嬉しそうに笑みを浮かべる。その笑顔に再び想いをを乱されるも、辛うじて気を取り直す。
「……僕は、統治之神威としての権能は得ましたが、想念はまだまだ成人には程遠いみたいです……。ですので、これからも、一緒に研鑽していきましょうヒメさん!」
「是非もなく、まさに望みのままに。永久に付き従わせて頂きたく存じます」
そう言うと、ヒメは意を決し、自ら両手を差し伸べてヤチホコを求めた。
ヤチホコは、今度は慈しみを以って優しく抱擁を重ねる。
「……さっきも、以前も、僕はヒメさんの神威が無ければ……とっくに輪を廻っています! これからも、頼るべき『先征く者』として、そして、今魅せている様な、素直で一途な乙女として、共に歩んで参りましょう!」
そのヤチホコの想いの籠った言の葉に、ヤチホコの腕の中でヒメは随喜の涙を溢れんばかりに流し、安寧なる恍惚の笑みを浮かべた。
「「「還りましょう、みんなの処へ一緒に!」」」
ヒメの牢獄が崩れ去った刻……聴こえたのはルクスリアの微かな囁き。
「……良かったのね、この『想い』抱いたままでも……」




