第15倭 数理の大陸、法理掌りし原初の女神
雲海から覗く紺碧が、突如として果てしなく続く黄土の平野に変わり、条理を刻む水路の網目が、乾いた大地を整然と支配する。その先に観えるのは、向津日霊女が「港ありし都」に施した呪法を極大化させた、長大な城壁に囲まれた都。角には、四神を抱き悠久を刻む、峻烈なる巨石の伽藍を配し、幾何学的に整えられた街並みであった。
「こ、これは、我が日向の『港ありし都』を遥かに超えた……!」
ミケヒコがその規模と完成度に驚嘆する。
「……おそらくは……彼奴等(管理者)の『記述』さえも、己が法の理として組み入れしと伺えます……!」
ヒメは観之眼を用い、より明確に戦慄を露わにしている。
ヤチホコも観之眼で見つめる。すると、二人の驚きの通り、都の上空まで格子状に組み上げられた「数理」が、呪法の様に張りめぐらされていた。
(……想念者、『選別反転』が解析されて『書き換え』られました……)
眼下には、ありえない存在を眼にした人々が集まってきている。程無く大国漢の、帝直属軍が集結する。
「ヤチホコ、書状をお貸し下さい」
緩やかにオオトシが雷鳥より降りて行く。
「私は奴国が一国、大倭乃国の王オオトシ。巫女王よりの書状を掌に、帝にお目通りに馳せ参じました。案内の程、頼み申します」
気負いも虚勢もなく、穏やかに宣誓して巻軸を広げる。
「……承知いたした。我が国はそなた等を歓迎いたす。こちらへ参られよ」
人だかりの中、将軍に案内され、都中央、最奥に聳える宮殿へと向かう。
「帝はこちらの宮殿に御座す。入られよ」
趣のある、雅やかな装飾の施された巨大な宮殿を、しばらく歩くと荘厳な扉が顕れた。
「班勇、ここに倭の奴国よりのお客人方、連れて参りました。ご開門くだされ」
「ご苦労。一同、入られよ」
幼い声色が響き、扉が開いていく。奥に座するは、まだ年端も行かぬ少年であった。
「良くぞ参られました、朕は順帝なり。どうぞお近くに。班勇を残し、皆下がられよ」
人払いがなされ、ヤチホコ達と順帝、そして班勇のみとなった。
「朕は……表向き、『帝』とされている者なり。この漢を、真に治めし者は朕に非ず」
順帝が玉座の後ろを指し示し、自ら席を立って先導する。長く続く直線を、暫く歩いた果てに、巨大な八卦図の描かれた扉が顕れる。
「朕はここまでしか近寄れぬ。真に統治せし存在はこの奥に。班勇、あとは任せる」
深々と帝へ長揖し、班勇は扉へ向き直る。
(……これより奥に参るならば、『五大』の理を顕せよ……)
声の主は、扉の奥からヤチホコの脳内へ、直接語りかけて来た。
「みなさん、扉へそれぞれの氣力を籠めて下さい!」
ヤチホコの掛け声で、一斉に扉へと氣力を付与すると、八卦図が煌いて静かに扉が開いていく。
御簾の奥に座す影が二つ。合図と共に御簾が上がり観えてきたのは……扇子を片手に、万象を定め見通すような、幾何学的な秩序を湛えた、峻烈で冷涼な双眸。彼が見つめる先は、虚空に浮かぶ青白く揺らめく八卦の図。人ならざる証左として、その腰下からは、瑞々しく煌く鱗を携え、蛇の優雅さと龍の威厳を携えた、長大な身体をうねらせていた。
そして、蘆笙を、嫋やかな仕草で火の揺らぎに翳す清廉な女性。しかし、その純白の衣の下からは、脈打つ様な生命の息吹を顕す、抗いがたい熱き妖艶さを溢れさせていた。
「ま、まさか、伏犠と女媧……さま?」
以前彼(竜輝)が読み漁った神話の記憶が呼び起こされ、ヤチホコの口から自然に神名が漏れる。直後、首飾りと、背に帯びた真輝銀の剣――カンナが強烈に震えていた。
「いかにも、余が伏犠である……。『五大』の氣力、見事なり。しかるに、八卦に聡き倭の向津日霊女が、まさかこれ程の異物を寄越すとは、な」
理知を超え、冷徹で揺るぎ無い眼差しを以って、鋭く刺す様に見つめる。
「……『器』に宿りしは、外へ跳びし『根源』と、峻烈なる慈愛の申し子の、二世の虚空……であるか」
隣の女性が静かに立ち上がって一歩近寄り、伏犠の洞察に驚くヤチホコと、彼に支えられたスセリを見つめる。
「妾は女媧。汝、魂を緋に焦がし、『愛』を以って怨嗟を分かつさま……。未完で未熟ながら、一蓮托生の覚悟、見事ですわ。しかし、実に危うき天秤かと……」
二人を、そして一瞬、一行のうちの一人を見つめ、微かに震える手を抑え、慈愛と憐憫を、女媧は「母なる想い」で包む。それはまさに、万物を産み落とし、慈しみ育む、大地の氣力。
(すべて観られています……! そしてこの気勢……『真なる神威』、か。ならば……)
「僕は過去のイザナギであり、外なる竜輝であるヤチホコです。委細省いて失礼します。この書状の通り、僕達に『四氣王』の住まう処をお教えください。彼女を救い、世界の終焉を止める為に!」
女媧は慮る想いを表情に浮かべる。
「……まずは陰と陽の理を成しておいでませ。今はヤチホコ。貴方の虚空は『陰』に寄り過ぎておりますわ。水で受けし怨嗟によりて。はじめに、今は砂の海となり果てし大地を進み、風か火を求めなさると良いですわ。ですが」
「其の『一蓮托生』の縛鎖を背負い、『数理』治めしこの国を歩む事、叶うか否か、管理の檻を壊す『災厄』か、新たなる『創世の筆』か、余が、此処にてその『想い』、見定めん!」
女媧の言葉を受けて伏犠が扇子を翻すと、世界が反転した。宮殿は消失し、ヤチホコ以外の存在がすべて消え去る。顕れたのは、上下左右の概念も喪われ、全方位が「数理」で編み上げられた空間であった。
(これは……高度な数式と構文の羅列……まさに論理記述! 流石にこれは全く読めません……。そうか、だから言葉に想い籠めて『詠い直霊』するんだ! )
気付いたヤチホコが詠い直そうとするも、縛鎖となりてヤチホコは言動を封じられ、侵蝕してきた「数理」が、彼の記憶と想念を、空白へと「完全抹消」し始めた。怨嗟で陰氣に傾いたヤチホコの虚空は、この冷徹な理の圧に耐え切れず、ひび割れて霧散する。
「……ぐっ、僕の『想い』が……ぼ、僕が……削ぎ落されていく……!」
呪痕が昏き朱色に脈打ち、耐え難い激痛が奔る。だが、其れすらも、「不要な数理」として即座に処理、排除されていく。
虚空から巨大な伏犠の貌が顕れる。
「愛、絆、怨嗟。倭の神威紡ぎしそれらなど、『数理』を著しく妨げる『歪み』に過ぎぬ。その『一蓮托生』など、まさに条理の乖離の極み。……理の深淵、『完全抹消』の記述に平伏せよ」
視界を埋め尽くすほどの膨大な「数理」が一斉に牙を剥き、「ヤチホコ」の存在を根底から抹消せんと肉薄する。虚無の空白に染まり、原初の海へ還されようとする、その瞬間。
「――痴れ者が。『理』の浅瀬で戯れし赤子の分際で、我が愛しき主の魂に、稚拙な『数理』で踏み入るなど……言語道断!」
瞬時に冷徹で鋭利な「法理乃刃」が顕れ、夥しく溢れ返る「完全抹消」の数理を、縦横無尽に斬り裂く。
「……熱っ――カ、カンナ!?」
背にした剣が、八卦の首飾りと激しく呼応する。凄まじい熱を放ち、見る間に輝く白銀の粒子と化して再構成されていく。煌きの中、一柱の女神が顕れた。白銀の衣を纏い、相反する真紅と純白が折り重なった和合を顕す、腰まで伸びた桜色の髪を携え、清冽な泉の如き気勢を放つ。その瞳には数理の極み、「法理」を律す「原初乃八卦」が煌く。祓戸大神・伊豆能売――真名、瀬織津。
更に、その女神の背後から、「数理」の及ばぬ熱い「想い」が吹き荒れる。
「『想い』を詠うすべての『希望』よ、この地に遺る熱き風をその翼に!」
班勇である。実体を置き去りに、霊体となってこの領域へ介入してきた。纏うのは、苛酷な砂の海で磨き上げられた、峻烈にして熱き陽の風。
女神・瀬尾律がその声に反応し視線を送る。ただそれだけで、数理で組み上げられた伏犠の因果の檻が、「はじめから存在していない」ものへと、「強制終了」させられていく。
その間に、班勇の放った「陽の風」が、ヤチホコを蝕む「怨嗟の陰」を和らげる。
(芯から氣力で熱くなる……身体が、軽い。班勇さん、そしてこれはスセリちゃん! 二人の『風の息吹』! 僕の虚空が……動ける!)
ヤチホコは、力強く立ち上がり巨大な伏犠を見据える。
呼応するかのように瀬尾律は、そのまま無造作に静かに指を弾く。すると、数理で組み上げられた巨大な伏犠が、「無か有か」の根源を掌る「法理」により、強制的に「無」へ還されていく。それは、切断でも詠い直しでもない、記述そのものを無効化する「絶対浄化」。
「な……余が『記述』を読めぬ!? それは、まさか、数理の極み、『法理』掌りし『原初』である、か……!」
「……我が愛しき主……! ……さぁ、共に『詠い直し』ましょう。私をその掌で抱きしめて下さいませ」
一瞥もせずヤチホコへ向き直る。そして、僅かに逡巡するも、優しく微笑んで己が主を、慈愛と敬愛を籠めて抱きしめる。
(……想いと共に交感されゆく……これが……『我が主』の温もり……)
しばし後、静かに煌く粒子となり、覚醒したアメノオハバリが顕れる。
「……向津日霊女さまは、この場面を予め観られていました。ですから、八卦を逆手に取り、私を顕現させる為、この首飾りを渡されたのです。……お役に立てて、そして……久方ぶりに『お逢い』でき、その掌に抱かれる幸せを……噛み締めさせて頂いております」
伝えられる限りの想いを籠めて、カンナは艶やかに煌いた。
「……本当に有難うカンナ。――詠いましょう!」
ヤチホコはカンナと共に、高らかに詠い上げる。
「理の縛鎖よ、ここに神謡者として『詠い直霊』す! 自由な想いの揺り籠となれ! 『天尾改斬神威之儀刀』!!」
熱い想いを秘めた静かな一閃が放たれる。穏やかに、しかし瞬く間に空間すべてが「詠い直霊」されていく。数理で紐解けない圧倒的な熱を帯びた想いに、伏犠の空間は、幾何学模様の玻璃の様に、美しく砕け散っていった。
途端に元居た宮殿の謁見の間に還る。ヤチホコも先程から全く動かず同じ処にいた。面を上げて玉座を見遣ると、伏犠は、想定外の不可思議に遭遇した面持ちで、愕然として固まっている。しばらく間をおいて、深く一息つき、一変して、ヤチホコのように目を輝かせて笑みを浮かべ、穏やかな表情でこちらを見つめ返す。
「とうとう顕れしなり、か……! 理の上書きのみならず、有無を言わさず『終焉を齎し』、剰え詠い直霊するとは。この伏犠、魂の底より恐れ入った! 流石は『原初』、そして……認めよう、其方は只の歪みに非ず。新世を綴りし創世の筆なり」
穏やかな微笑みを携え、班勇の霊体が還るのを、女媧は静かに見守る。
「熱き『想い』に揺り動かされましたね。班勇、其方の『風』を以って儀を妨げし事も、この子の資質。ですがヤチホコ、貴方の虚空の天秤は、未だ幼く危ういですわ」
我が子を見つめる様に、心配そうな眼差しでヤチホコを見つめ、女媧は、徐に蘆笙を鳴らしはじめる。すると、その切なくも情感溢れる旋律が、宙に地図を描いて映し出す。
「……此処より西、砂の海に風掌りし蛇神が。そして更なる先、火の咢開けし地に火封ず王が座しています。……将軍に倣い、陽の属性を求め共に征きなさい。旅の果て、天秤つり合いし刻、雒陽の理も貴方へ喜びて心開くでしょう」
静かに、しかし力強く班勇は頷き、先程よりも精気を取り戻したスセリへ視線を向ける。
「……スセリ殿、貴女の風は未だ惑いの嵐の中。だが案ぜぬとも、風の行方、この班勇も共に追いましょう」
班勇の言葉に、自分の胸の内にある「風の熱さ」を理解し、力強く頷く。
黙って女媧の言葉を聴いていたオオトシが、噛み締める様に言う。
「……成程。王とはただ力求むに非ず。集いし力に相応しき器へと、己を鋳直し打ち直せ……そう言う事でしたか」
「左様でございます。大倭乃国の若き王、そして新世を綴りし創世の筆たるヤチホコよ。我々は、此処に集いし者達が、理を超え詠い直霊叶う徒足り得んが事を、この都より『想い』籠めて見定めさせて頂きましょう」
オオトシは深く頷いて長揖する。ヤチホコは背後に控える仲間達を見回した。
火を纏うミケヒコ、風を孕むスセリ、そして、女媧にも似た、すべてを産み出す大地の氣力纏いしキクリ……。
「……しかとご覧下さい。まずは陽の氣力求め西へ。必ずや天秤正し舞い戻ります。そしてスセリちゃんを救い、世界の終焉を詠い直霊してみせます!」
ヤチホコは、逆手に剣先を地面に向け、自由を顕す左手を力強く突き出す。すると、 雒陽を護る格子状の数理が、迎合するかの様に煌いて応える。
「余も(妾)もこの旅の無事、数理(想い)と共に祈願いたそう(致しましょう)」
その瞬間、懐に観じる熱さと共に詩片が書き換わる。
『捌 縛鎖抱えし天 地と邂逅果たし 集う希望の七柱 征く末祝う 神威乃夫妻』
二神より祝福を受け、八卦の首飾りと背負うカンナが煌いて応える。
「皆さん参りましょう、西域に広がる砂の海へ」
班勇と言う新たな先導者を得、ヤチホコは雷鳥の翼を羽ばたかせた。
西天を彩る慈愛の紅が、果てなく続く光の道導を大地に描き出す。その白日の残照は、彼らの行く末を言祝ぐかのように、広大な黄土の荒野を柔らかな薄紅色に染め上げていた。
彼らを見送る東天には、深い群青の帳が音もなく下りはじめ、赤銅に輝いていた運河の網目が、再び昇りくる陽光に想いを馳せるように、静かに眠りについてゆくのが観えた。




