第10倭 氷上の邂逅、現実の痛感
天之鳥船『雷鳥』の船内は静寂に包まれている。
『選別反転』によって機体は世界の「叙事詩」から外れ、行間に吹く風と化して北上している。
「……音すら観じられない、でもすごい迅さで進んでいるって。本当にボク達、世界を駆け抜ける風になっているんだね」
スセリが不思議そうに、しかし風の囁きから納得した様である。
「ですので到着までは心配いりませんのでゆっくりして下さいね」
ヤチホコは、白銀の髪を揺らし優しく微笑んでスセリに伝えた刻に、ふと、過ぎった想いが、胸の奥を鋭く穿ち走り抜ける。
「……ミチヒメさん、一つ気になる事が。『神託啓示ノ國』のタカヒコさんから、その後連絡などありましたか?」
右側の座にて、秘めたる情熱を顕すような紅く燃える髪を揺らし、観るともなく外の景色を眺めていたミチヒメが少し驚いたように振り向く。
「おにいさま? いいえ、一つ前の刻、ミカヅチ……ミカツヒメさんの贖罪を受け入れて……二人でチカラ合わせ国の復興に励んでいるって聞いているけど、どうしたの急に?」
「いえ……。ふと思い出したのですが、あの凍れる刻からの去り際、ジェスターが何か蠢いたような……それこそ僕らの想念の外側で何かした気がしたのです」
ミチヒメの顔から血の気が引き険しくなる。護れなかった自分の国「下伽耶」。兄は同様に半壊させられながらも、己が先陣を切り復興へと民衆を導き見事成し得た。それを片刻も離れず献身的に支えたミカツヒメ。二人の背中は己が夢であり支えであった。
「ジェスターはこの先もきっと『綴って』いるでしょう。スセリちゃん、向かう先の風は、どう囁いていますか?」
スセリは瞳を閉じて風の囁きに想いを重ねると、震える声で応えた。
「……凍り付く絶望の想念……。こんな冷たさ……一体あの国で何が起きてるの?」
(……観えない敵も想定内……そしてジェスターなら!)
ヤチホコは大きく息を吸い込み、静かに告げる。
「ミチヒメさん、もしかしたら最悪の形での再会が用意されているかもしれません……。ジェスター(アイツ)が出てきていたら――お願いします!」
「……何か観じているのね。任せて、今度こそ逃がさないわ!」
「スセリちゃんは常に周囲の風の囁きに耳を傾けておいて下さい」
「うん、わかったよ!」
「……降りましょう! 雷鳥! 神聖城国の門へ降下して下さい!」
(……了解しました。これより降下開始、着陸準備願います……)
船から降り立ち眼前に広がる光景に思わず三人は息を呑んだ。かつての強国は異様に変貌していた。至る処にジェスターの紋章が目に付き、まるでわざわざ造ったかのような氷の平原が不自然に広がり、進む先には巨大な氷橋が架けられ、本来建てられていた「国内城」とは似ても似つかぬ、悪趣味に極彩色と黄金の装飾が施され、虚栄に満ちた城が聳え立っている。
「あ、あんな気味悪い城じゃなかったはずだわ。ジェスターめ!」
不快感を煽る色彩で着飾る、氷に閉ざされた街並みを一行は進んでいく。すると城へと続く巨大な氷橋の前に、行く手を阻む様に立ちはだかる人影が観えてきた……。
「嘘……おにいさま? 何故ここに……」
そこで構えるは、精霊神を宿し、大地の鎧を纏った『神託啓示ノ國』の王タカヒコその緋徒であった……。
「ミチヒメ……みんな戻れ。ミカツヒメを救う為已む無き故……!」
深い悲しみを携えた目で、タカヒコは己が拳を振り下ろす。凍れる大地を叩き割り爆風と共に岩石が飛び交う! あまりの事にその場から動けなくなったミチヒメを抱きかかえ、ヤチホコは全力で飛び退く。
「ミチヒメさん、僕はジェスターならと……先程より考えていました! 任せて下さい!」
ヤチホコはそう言い放った後、ミチヒメを優しく降ろしてタカヒコの方へ一足飛びに向かい、左手の四指を伸ばしたまま右手の握り拳に合わせ、「抱拳の礼」をして剣を構える。
「むっ……!」
タカヒコもヤチホコに倣うように返し、すぐさま凄まじい勢いで突進して掌底を連撃で放つ!
「くっ!――タカヒコさん、彼女は何処に?」
ミチヒメのともまた違う掌底を、連撃で繰り出すタカヒコに紙一重で躱しながらヤチホコは叫ぶ。
「……城の通用門から入った横にある石段を降りた地下牢だ」
ヤチホコの意図を理解し、タカヒコは約束組手の様に合わせて撃を放ち応える。
(雷鳥! スセリちゃんへ『選別反転』を!)
(……了解しました……『選別反転』発動……完了。彼女はこれより行間に吹く一陣の風となります……)
ヤチホコは想いを受け取った瞬間、スセリがいたであろう方角を見遣り城へと促す。
(……今スセリちゃんに、隠密で助けに向かわせました。 もうしばらくこのまま……!)
(……すまぬ! 恩に着る!)
剣と拳で押し合いながらひそかに言葉を交わす。
(……そろそろ通用門へたどり着いたろうか?)
先程一瞬確認した通り、タカヒコが出てきた後も未だ通用門は開かれている。幾度目かの剣を交えた刻、上空に裂け目が入り、あの不快な高笑いが平原に響き渡る。
「ヒヒ、ヒャハハハハ! 僕に内緒で筋書き変えられちゃ困るんだよねぇ!」
城の尖塔より放出された雷撃がタカヒコに直撃し、秘められた過去の傷、ミカヅチに国を半壊させられた際の、絶望と憤りの『禍々しき想念』が際限なく暴走させられていく。
「うがぁっ! ぁあ、アア……ガァアアアアッ!!」
昏き闇が吹き上がり、精霊神たちが弾き飛ばされ、大地の顕現たる美しい褐色は、観る間に黒ずんで闇に穢されていく……! 限界を超え、蝕み憑りつき入り込んだ闇は、タカヒコの逞しい身体を異常に膨張させ、禍々しき想念が寄り集まった巨大な角を携えた、闇闘鬼へと変貌させた。
正気を喪い「闇闘鬼」と化したタカヒコが……立ちすくむミチヒメを強襲する! はっと我に還り間一髪交わし、変わり果てた兄を観てミチヒメが怒りを露わにする。
「おにいさま!――ひどい! 許さないわよジェスターッ!」
ミチヒメは音を立てて拳を握り締め、爆発的に氣力を放出する。
「そのままジェスターを! 僕は……タカヒコさんを戻します!」
襲い掛かる拳撃を躱しながら、ヤチホコはミチヒメに伝える。
「任せたわ! スザク! はぁっ! 朱炎蹴撃爪!」
紅の翼を背に飛翔するミチヒメが、空を穿つ蹴撃を見舞う!
「ヒヒッ! 『絶望の輪』! 廻れ廻れヒャハハハハ!」
ジェスターの手にいきなり顕われた奇妙な輪にミチヒメを潜らせる。
「あぁっ!」
突如ヤチホコの背後よりミチヒメの強烈な蹴りが!
「水よ!」
辛うじて水の権能で相殺するも、かなりの衝撃が疾り吹きとばされる!
「ヒヒッ! 『器』がもう少しで割れちゃう処だったねぇ!」
(ワームホール!? あんなの物理法則を完全に……なんてデタラメ――『書き換え』か! あの一瞬で!)
感情や勢いでは抗いきれないモノを観じ、ヤチホコの背には冷たい滴が流れ落ちる。
「――ごめん! 今度こそ、はぁっ! ビャッコ! 風でアイツを封じて!」
ミチヒメの叫びと共に顕れた旋風がジェスターを封じようと取り囲む!
「今っ! 朱炎旋風打!」
ミチヒメは跳び上がり、炎を纏った拳を激しく回転させ、焔渦と化して突撃する!
「ヒャハハハハ! 残念、サヨナラ! 『絶望の輪』!」
またしても眼前にあの『輪』が出現した!
「二度はない! ゲンブ! 空に地を! 『虚空移動』!」
叫びと共に虚空に顕れた岩達を足蹴に身を躱す!
「――弐っ!――参っ!――はぁっ!」
宙を飛び交い炎の旋風纏いし拳をジェスターの背後から放った! ジェスターは、城の通用門付近まで弾き飛ばされ、一瞬辺りを見回すも、すぐさま体勢を立て直す。
(――んっ! あ、危ない! 声出したら見つかっちゃう……!)
今まさに門から入ろうとしたスセリが、眼前に飛ばされてきたジェスターに肝を冷やす。
「ぎゃっ! キサマなんてことを! この『バグ』共め……んん? 今妙な風が……。まぁ良いや、次はもっと楽しいからねぇ、ヒャハハ!」
自慢の悪趣味な衣装を焦がされたジェスターは、棄て台詞を吐きながら爪で宙を切り裂き、裂け目より消え去ってしまった。
「――逃げられた!」
眼下を見遣ると、ヤチホコがタカヒコの猛攻を必死で躱している。
「思い出して下さい……義兄さん! ミカツヒメさんの過去を慈しみ、共に償うと誓ったあの日の想念を!」
ヤチホコは封環を解放し、鏡水顕導神の「水」を極限まで高め、闇闘鬼の胸元へ掌を当てた。 「浄化之神水……!!」
清らかな紺碧の光が闇闘鬼と化したタカヒコを優しく包み込み、禍々しき想念を洗い流してゆく……。
「今です! あの刻の愛の想念を強く念じて!」
(愛……ミカツヒメ……赦し……償い……共に……!)
闇の鎧に亀裂が走り、内側から清浄な氣力が吹き上がる。苦しみ呻くような声を上げ、昏き闇は霧散していった……。
「……かたじけない、もうおれは二度と惑いはせん! いざ我らも城の中へ!」
「義兄さん、良かった……しかしお待ち下さい。僕等ではヤツの『眼』を欺けません。……待ちましょう」
(スセリちゃん、どうか無事で……そして、頼みます!)
祈りを籠め、ヤチホコも城を見遣った。
(もうだいぶ深く降りてきて……っ! 観じる、微かな、でも凛とした氣力――ミカツヒメさん!)
門横の石段の最深部、氷壁に閉ざされた牢獄に彼女は繋がれていた。
(あぁ! ミカツヒメさん……!)
「武神」を名乗るほどの彼女は、呪縛されし鎖よりすべてを吸い上げられ、精気を喪い雪の様に白く凍てついていた……。
首を横に振り、「最悪」を払拭しスセリは実体化する。
「……今助けます! 待ってて!」
風の刃で鎖を断ち切ろうと触れた瞬間、仕込まれた罠が発動し、スセリの精神が蝕まれていく。
(無駄無駄! その子はとっくに『輪を廻って』いるからねぇ! ヒャハハ!)
粟立つ様な感触で纏わりつき、胸中に渦巻き湧き上がってくる禍々しき想念。そこら中から「諦めろ」との囁きが木霊する。
「うぅ……ううん! ボクには聴こえるよ……風が教えてくれるの。ミカツヒメさんの……愛の炎は消えていないって! 風よ!」
極限まで集中させた風を指先から放つ! ピキィンッ! 手首を縛る鎖が切れる。
「――吹き抜けて! 自由なる風!!」
反対の手首、そして彼女の愛剣の呪縛も断ち切る。力尽きてスセリはがっくりと跪く。
「はぁっはぁっ……ミカツヒメさんは?」
(……ワタシは……穢され、己が快楽の元に数多のモノを屠りし、救いなど許されぬ乙女……愛するタカヒコさまでさえこの毒牙に……)
風がミカツヒメの想いをスセリに囁く。
よろめきながらもスセリは、ミカツヒメを必死で抱きしめる。
「許されないなんて……そんな事無いよ! 間違えても、それに気づいて、新しく『償いの詩』を詠う為に、ボク達は今を生きている! ヤチならきっとこう言うもの!」
(ヤチ……そう、あのお方は……常々理の外からワタシを……ワタシ達の事を……)
スセリの溢れる涙が、抱きしめるミカツヒメの瞳を濡らす。閉ざされた氷の仮面の奥から、応える様に熱い滴が流れ落ちる。
(風の乙女よ、その慈愛……忝き。その想いあれば、叶わぬ事など何一つ無き! 目覚めよ我が愛弟子よ!)
封印を解かれた剣の声がスセリの頭に響き渡る!
「この声! あぁ、ま、まさか、『剣之神威』……!」
驚きを隠せないスセリを横に、剣より放たれた氣力が落雷の様にミカツヒメを撃つ! 直後、受けし落雷以上の強大なチカラがミカツヒメより吹き上がる!
「……スセリさん。あなたの「想い』……筆舌に代え難き感謝ですわ。……後はお任せくださいませ! 変成男子……『猛リシ御雷』! そして神威を顕せ! 『剣之神威』よ!」
呪縛の氷を焼き切って藍緑の稲妻が翔け上がる。艶やかな黒髪が天に舞い、瞬く間に鬟を形造る。それは、内に秘めし乙女の「和魂」で、「荒魂」を御しきる真なる武神の姿。意思持つ両刃の大剣を、大上段に構えて裂帛の気合を籠めて叫ぶ。
「……美しい……これがミカツヒメさんの本当の……」
完全に力尽きて気を喪ったスセリを、優しく寝かせ武神が叫ぶ!
「水よ! 風よ! 雷雲となりて我が剣に集い給え! 『雷神ノ剣』!!」
乾いた破裂音を纏いし剣が振り下ろされ、凄まじき雷光が、地下牢の氷壁を突き破り城外まで迸った!
「ぎゃっ! だ、誰だ! 僕の『電池』を引っぺがしたの――あの風の小娘めぇ……!」
城内で独り叫ぶジェスターをよそに、スセリを抱いたミカツヒメは、ヤチホコ達の元へ駆けつける。
「ヤチホコさん、ミチヒメさん、恩に切ります! ……タカヒコさま……」
「ミカツヒメ、すまぬ……おれの弱さゆえに……!」
タカヒコはミカツヒメを後ろから優しく抱いて応えた。
ミチヒメは静かに、しかし燃えるような瞳で三人を凝視している。憔悴して気を喪っているスセリを抱くミカツヒメの、両手首より滴る血、変成男子してさえも痩せ細った身体、蒼白な面持ち……。以前、ジェスターに魅入られ「屠る喜び」を植え付けられてオロチ族と共に国を強襲し、ジェスターに棄てられてた後、罪滅ぼしにと己の命と自身の権能を捧げたミカヅチことミカツヒメ、その罪を、王として共に償う事を誓い歩んできたタカヒコ。その兄を、ミカツヒメを、そして今共に歩む仲間を……。
「おにいさま、ミカツヒメさん、スセリちゃん……良かった。――わたしの大切なみんなを……夢を……ジェスターッ! ゼッタイに許せない! みんな!」
三人を観て激昂したミチヒメが叫ぶ! 四獣王の幻影がミチヒメの背後に浮かびあがり、全解放した、「四大」すべての強大な氣力が集束されていく。
「――迅き事白虎の如く! 神妙なる事青龍の如く! 勇敢なる事朱雀の如く! 完璧なる事玄武の如し! 悪しきを打ち抜け! わたしの想念! 啊啊啊啊啊啊っ! 『獣王究極発勁』!」
莫大な氣力の奔流が唸りを上げ、悪の城目掛け炸裂する! 激しい衝突音と共に爆風が吹き荒れる! 砂塵が晴れ、目に映るは……。
「ヒヒ、ヒャハハハハ! 僕の城にごちそうを済まないねぇ! 仲間? 家族? 『愛の詩』なんて興ざめだね! この舞台はこれで閉幕さ! お次はもっと西でステキな『筋書き』を用意してあげるよ!」
「あれは、『天超飛翔神威之城(カンナ=カムイ・チャシ)』! 何故こんな処に!」
ミチヒメが驚きを隠せない面持ちで無念そうに叫ぶ。それは、あの刻、ラーマと共に手を尽くしながらも、制御権も、「大切なモノ(師匠達の神体)」も奪還し切れなかった、忌まわしき「絶望の象徴」……。
(な、何だ、あれは!? 完全に物理法則を無視して……あぁ! ミチヒメのチカラをも! アレだけ巨大なモノを動かす『想い』を、ジェスターは持っているのですか……! いえ、あれは僕達とは違う。『記述』だけで理を弄ぶ、心無き『虚構』だ!)
見据えるヤチホコを置き去りに、轟音と共に空が引き裂かれ、不愉快な笑い声が遠ざかる。後に残されたのは、無残に削り取られた大地の窪みと、滔々と降り注ぐ、美しくも残酷な冷たく囁く雪の音……。
(……『管理者制限対象不可侵存在』は、西方へ飛翔中、突然消失しました……)
(雷鳥? あれは……『唱える事憚られしモノ』なのですか……?)
(……その問いへの回答権限は雷鳥にはありません……)
已む無く視線を戻すと、ジェスターに狂信的な恭順を示していたオロチ族達は、我に還り項垂れて言う。
「家族の「食」の為、已む無く……あの方は……我らに飢えない『明日』を綴って下さると仰っていたのだ……。何卒、我らをも『輪を廻る』事めされるな……」
彼等の足元に転がるは、不自然な黄金色の果実の殻。ジェスターの暴挙の背後に潜みしは、綺麗事では救えない切実な飢えであった。敵を倒そうとも、退けようとも、民の生活は救われない……。厳しい現実がヤチホコに圧し掛かり、難を退けた想いが打ち砕かれる。
「飢え、か……」
神聖城国の春はまだ遠く、ジェスターの遺した食料もいつまで持つか……。美しくも冷酷な純白の雪原を見つめ、ヤチホコは己の中の「外なる智慧」を廻らせていた……。そっと雪を手にヤチホコは応える。
「……神威だけでは飢えは満たせません。でも、僕の智慧、そしてみなさんの力を合わせれば、この地に命を芽吹かせられるかもしれません」
静かに雪が止んでゆく。ジェスターに彩られた街並みが幻のように消えてゆく。
「わたし達の『絆』は護れたわ。……きっと、『為せば成る』わ!」
その刻、ミカツヒメの腕の中のスセリが目覚めた。
「……やっぱりヤチ、流石。うまくいったみたい、ね」
「……スセリちゃんやみんなの頑張りのおかげです。まずは身体を休め、体制を整えましょう」
(今は……出来た事だけを数え、前へ。雪を踏みしめる足音を、希望の旋律に変えて。進み続けるうちに、いつか必ず『成る』)
己に言い聞かせたヤチホコは、凍える大地を踏みしめ、雲間から慈しむ様に覗く月光を、静かに見上げた。




