1-5 『檸檬のおばけ』に憑りつかれた
翌日。僕は教室で授業を受けながら、ふと昨日の出来事を思い出していた。コンビニで見かけた、あの光のことだ。何か他に思い当たる節はないかと、頭を悩ましていた。
例えば、誰かが懐中電灯を持って歩いていたとか。夕暮れ時だし、夜に備えてランニングをする人が備えていたとしても何ら不思議なことはない。しかし問題なのは、あまりにも不可思議なあの動き方だ。まるで出口を探しているかのように右往左往して、最後には店の奥へと姿を消した。最後まで確かめていなかったので完全に消え去ったかどうかまで判別は付けられないが、僕の視界からは消えたことに違いはなかった。
よく夜空で動き回る原因不明な光をUFOだと言う人がいるが、あながち間違っていないような気がする。あの不規則な動き方、ただものじゃないぞ! そう思わざるを得ない。
だとすれば、やはりあれは僕の知る『檸檬のおばけ』だったのかもしれない。
ところで『檸檬のおばけ』って何なんだとツッコミが入りそうなところ、先に弁明しておく。正直なところ、僕自身分かっていない。あの時坂ですれ違った黄色い閃光が、すべてを洗い流すような爽快感だけを置いていなくなった。人間は昔から知識だけで説明できない未知の物体に対して、物の怪であると意味づけをしてきた。それと同様だ。まずこの世界に『檸檬のおばけ』という存在がいるのかどうかさえ、僕は知らない。
この答え合わせをするためには、その物体を実際に目の当たりにするのが一番だ。やはり周りの目など気にせず、真相を突き止めれば良かったと思う反面、立ち入ってはいけないような気持ちが未だ僕の心を支配していた。そう、その感覚はあの超おんぼろアパートに入った時の感覚に似ている。知らぬが仏ということわざもあるように、世の中には分からずにいた時の方が幸せだったりすることもあるのだ。だからもういい加減、テストで出題されるであろう化学式を覚えることに集中した方がいいのである。
僕はしぶしぶ右手に握りしめていたシャープペンシルを赤ペンに持ち帰ると、正しい化学式をノートへと書き込んだ。
忘れることは簡単だった。なぜなら、考えなければいいのだ。そう言えども、気になっている間は頭からこびりついて離れないもの。ならば、いつになったら忘れられるのか。そう、現実で出会わなければ、記憶というのはいとも簡単に塗り替えられていくものである。なかなかあんな不可思議な現象にしょっちゅう出くわすなんてことはないだろうと、高を括っていた。
だが摩訶不思議なことというのは、一度に降りかかってくることもあるのである。
それはなんと、もう忘れてしまおうと心に決めた化学の授業が終わった直後のことであった。教室移動のわずかな休憩時間、僕は何の気なしに廊下から駐輪場を見下ろした。そこはうちのクラスの自転車置き場で、自転車通学をしている人だけが利用するところであった。普段から気にして見ている訳ではないので、なぜこの時に限って見下ろしたのかも分からない。まさにこれこそ、『誘われている』ということなのかもしれない。
チカチカ。
何かが光ったような気がした。まさかと思い、注意深く駐輪場を覗き込んだ。黄色く反射する光が、すりガラスになっている屋根の下で反射するのが見えたのだ。
出た! 『檸檬のおばけ』だ!
屋根に遮られ全体像は見えないが、確かに黄色い物体がうごめいている。あれが人であったならば、いつまでもそこに居座っていることはないであろうし、もし何か理由があっているとしたのならば、僕が駆けつければ出会えるはずだ。なぜならそこへの出入り口は二つだけ。一方は学校へ入る扉、もう一方は校門へと向かう一本道だ。ここからダッシュで向かえば、あの光が校門から出ていくまでの間にたどり着くことが出来る。それに今の時間帯、校門は厳重に閉められている。一応勝手口代わりの小さな門から出入りは出来るものの、人がいるならば気が付くはずだ。あんなにも目立つ黄色い光を発しているのだ。否が応でも目に付くだろう。正体を解き明かすことで、僕の日常が平凡なものに逆戻りしてくれるかもしれない。
そこまで考えると、もういても立ってもいられなかった。僕は教室移動の僅か数分の時間を、不思議な物体のために使うことに決めた。
相手に逃げられる前に今まで出したこともないようなスピードで階段を駆け下り、駐輪場へとつながる出口から外へと飛び出した。途中すれ違いざまにジュースを買いに行っていたであろう野球部数人にいぶかしげに見られたが、もう後戻りはできない。とてつもない重要な案件で行かねばならぬのです、といった風貌で僕は彼らとすれ違った。
数分も立たぬうちに駐輪場の入り口へとたどり着く。廊下から光が見えたであろう場所を確認し、そこからはゆっくりと忍び足で近づいた。覗き込む一歩手前で立ち止まり、今一度自分が立っている場所から教室の位置を確認した。よし、間違いない。ここだ。僕は光が見えた場所を注視しながら、思いきってその場所へ飛び込んで行った。
僕を跳ね返すほどの閃光がその場に瞬く、そんなファンタジー要素満載の結末を用意していた僕は、いとも簡単に毒気を抜かれた。
――何もいないのだ。あの光は消えていた。忽然と。
周囲を確認するも、光を発していそうなものもない。反射板の影響ではないかと勘繰ってみたが、あれほどの光を発する原因となるようなものはないように見えた。
見間違いだったというのだろうか。否、そうではない。そうではないという確証があった。
なぜなら、檸檬のわずかな香りが、まだそこに残っていたからだ。
近くにいるのかもしれない。そうだ、校門の方。僕は後を追うように校門へと続く道を進んで行った。そこからの一本道は開けており、周りの景色も確認しやすい。生徒の出入りがほとんどないこの時間帯、もし動くものがあるとすればすぐに気が付いていただろう。
だが見渡す限り前方には、何もないように見えた。近くに隠れてはいまいかと探索を繰り返してみたが、僕を誘う光はどこにもない。
そこで僕は、突然我に返った。誰もいない校門周囲でキョロキョロしている自分があまりにも滑稽であると、窓ガラスに映った自分が教えてくれたからだ。授業の合間にわざわざこんなところまでやってきて、一体なにをやっていたのであろうか。全身から冷たい汗が噴き出してきて、おそらく真っ赤であろう顔を隠すようにしてうつむいたまま踵を返した。
「なんだよ、呼び出しておいて失敬な」
ぶつけられないもどかしさが心の中でぐるぐる渦を巻いて、当てつけとも捉えられる独り言をこぼした。こんな姿を見られたら一巻の割だ。周りに人がいないことを願うばかりである。
あのおばけのせいで、僕が僕らしくなくなっていることをひしひしと感じていた。授業に集中できないのも、こんな所にまで足を運んだのも。全部、全部。『檸檬のおばけ』のせいだ!
僕は口を尖らせて、少しだけ指先で廊下の壁をひっかいた。なぜならまた、出会うような気がしていたからだ。あの光は、確実に僕を追いかけている。そう思わざるを得ない。
僕は憑りつかれてしまったのだ。おそらく、あの超おんぼろアパートに踏み込んだ時から。
案の定、僕の予測は当たっていた。それから数日後の帰宅中、またしても黄色い光を見かけた。だがその時はあいにくバスに乗っていて、即座に後を追うことは出来なかった。
バスの後方に座っていた僕は、窓から黄色い閃光が人ごみに紛れ駆け抜けていくを見た。人間の走る速度じゃない。ものすごいスピードであった。
やはりあれは、物の怪の類。もしくは地球外生命体というのだろうか。なぜ檸檬の香りがするのかは不明だが、黄色いことから考え得るに、檸檬への執念が具現化したものではなかろうか。
「いや、檸檬への執念ってなんだよ」
またしても窓ガラスに映る自分の顔を見て、思わずツッコミを入れてしまった。度重なる不可解な事象のせいで、心の声は抑えきれなくなり口からすんなり飛び出していた。バスの中は学生でざわついていたが、突如吐き出された意味不明な言葉に隣のオジサンは怯えているかもしれない。それよりもさらに怯えた僕は、気持ちを紛らわすためにも外の風景から視線を外せなかった。流れるだけの街並みを見つめながら、僕の意識は未だ檸檬の中にいた。
レモンの執念。いるだろうか、そんな怨霊が。檸檬とはおおよそ捨てられてしまうものだ。彩りなんかで添えられて、結局口にもしてもらえず廃棄の運命。そういった今まで捨てられてきた檸檬の念が、集まって生まれた光の塊。それがどうしてあの超おんぼろアパートにいて僕に付きまとうことになったのかは分からないが、もしかすると以前は檸檬農家の人が住んでいて、何か事件にでも巻き込まれたのかもしれない。
あくまでもこれは僕の憶測であって、真実ではない。だからと言えど、調べようとはさらさら思わない。ここまできておいて、結局単なる空想論じゃないかと言われるとそこまでかもしれないが、僕はこれ以上、立ち入ってはいけないのだ。具体的な理由は分からない。けれど、もう二度とあの超おんぼろアパートに関わってはいけないと言われている。これも『檸檬のおばけ』からのメッセージなのかもしれない。ならばなぜ追いかけまわされなくてはならないのかは不明であるが、幽霊の考えることは生身の人間には理解しがたい。
バスと黄色い光との間にかなりの距離が出来てしまい、完全に姿を見失ってしまった。バスの停車中に追いついては来ないかと期待したが、もう姿を現すことはなかった。
僕はいつも降りるバス停に降り立ち、ふとこんなことを思いついた。もしあのおばけが超おんぼろアパートに住み着いているのだとしたら、その前で待ち伏せしていればやってくるのではないかと。立ち入ってはいけないとは分かっているが、遠くから眺めるのはセーフな気がする。これまた完全なる、僕の主観だ。
とことん妄想癖が過ぎると思われても仕方がないが、僕はどうしても、あの時の感覚をもう一度味わいたかったのだ。坂道ですれ違ったあのわずかな時間に、僕の心のもやもやを一掃した爽やかな香り。スーパーで手に入れた檸檬とは違う、取れたて新鮮な湧き上がる高揚感。脇役が主役になる瞬間だ。今なら檸檬の丸かじりでも出来るような気がする。
だがあいにく今日は塾があるので、『張り込み調査本部』にはなり切れない。どうせ塾へと向かうコンビニに、また現れるんだろうな。
そう期待して黄色いリュックを背負い、例のコンビニへと向かった。しかし、いると思った日には案外いないものだ。もうあの超おんぼろアパートへと、帰ってしまったのだろうか。
僕は塾帰りに超おんぼろアパート前で立ち止まると、アパートから漏れ出す灯りを確認した。確かに人が住んでいるようで、数軒部屋の電気がついている。しかし僕が訪れた『清田』の家には灯りがついていないようだった。
僕は勝手に『清田』の家にあの幽霊がいるような気がして、帰っていないのなら仕方がないとその日はおとなしく家路についた。




