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檸檬の叫びが聞こえるか  作者: 高冨さご
さんかじりめ

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3-2 残した檸檬

 それから数日間、僕は毎日あの神社へと通った。金網を抜けることはやめて、正面から堂々と入るようになった。というよりも、最初からそうすべきだったのだ。無礼なお参りで毎度申し訳なかったと反省している。


 いつ何時訪れてもそこにあるのは小柄な社だけで、他に参る人影すら見当たらなかった。僕は毎日のように、社の前にレモンケーキをお供えする。塾に行く前に空腹を満たす菓子パンのお駄賃であったが、不思議とあれほどに欲していた食への執着心はすっかりと消え失せていた。万が一彼女がここに来てくれたのなら、きっと気が付いてくれると思ったのだ。真新しいレモンケーキをお供えするため、僕が毎日ここにきているということに。だからと言って会ってくれるとは限らないが、なぜか会える。そんな根拠なき自信があった。


 手紙を入れてから約一週間が経った。夏休みも始まり、僕は毎日夏期講習のため塾へと通っている。母の弁当に加えて小腹が空いた時のためにと、以前同様菓子パン用のお駄賃は別にポケットに忍ばせていた。


 その日もまた、いつものコンビニへと向かった。最近になって気が付いたのだが、レジ前に並べられていたレモンケーキはなくなったのでなくて、場所が替えられているだけであった。そのため和菓子などが並ぶスイーツの棚を慎重に探すと、いとも簡単に再会できた。僕以外に購入する人がいるのかは分からないが、毎日のように買う人がいるのだ。きっと僕のためにまた入荷してくれるに違いない。そんなわずかな期待も込めて、僕はひたすらこのケーキを買い続けた。


 ここで一つ、不思議なことが起きている。お供えしているレモンケーキが、毎日姿を消すのだ。中身だけが食べられている様子もなく、ただ忽然と、姿を消す。誰かが持ち帰っているのかもしれないが、一体誰だというのだろう。しばらくここへと参っているが、自分と彼女以外に人が入るところを見たことがない。と言っても神様が祀られているのだろうから、管理している人がきっといるはずだ。なぜこの真夏の炎天下、生菓子などを備えているのかと僕以上に不思議がられているかもしれない。


 この夏の間だけだ。僕にとっての最後の夏。僕は自分自身にも言い聞かせるような言い訳を胸に、毎日社にお供えをした。



 その日は塾の帰り道であった。いつも神社に行く時間よりも随分と遅くなってしまった。日課ともなっている日常に特に深く考えることなく、いつもの足取りで社の前へと出向く。今日も今日とて、お供えしたレモンケーキはそこにない。塾へ行く前に購入しておいた新しいケーキを取り出そうと、ポケットをまさぐった時であった。


「――っ!」


 僕は思わずその場にしゃがみ込んだ。なぜかと言うと、僕の視界の端で何かが動いたように見えたからだ。姿、色、形。何一つ確認は出来なかった。けれど木陰の間に逃げ込んでいくその姿に、僕は心を躍らせた。まさか、彼女が――。


 そんな期待を込め、僕は忍び足でその場所へと近づいて行く。確かにいたのだ。こちらへと逃げ込んだはずだ。そう、そこに抜け道があることを知っているのは、僕たち二人だけだから。身を屈めながら、意を決して木陰の中を覗き込んだ。そこには――一匹の野良犬がいた。


 どうやって袋を破いたのか、器用に開いた中身を美味しそうに舐めとっている。よほど腹が空いていたのだろう、その身体はやせ細っているように見えた。茶色の毛、少し折れ曲がった耳、右足だけ靴下を履いているような白い足。その特徴は、以前学校に入り込み大問題となった野良犬の風貌と完全に一致していた。僕はその姿を見て、なぜか至極安心した。


「お前、無事だったのか」


 この数か月間共に歩んできたような親近感を勝手に抱いていた僕は、思わずその犬に声をかけていた。当たり前だが犬の方は皆目見当もつかずで、随分と驚いたのかその場に飛び上がっていた。そして一目散に僕の前から立ち去って行く。食べかけのレモンケーキをそこに残したままで。あの破れ金網は、どうやら彼の出入り口であったらしい。


「食事中だったのに、悪い事しちゃったな」


 犬の身体には少し甘すぎるかもしれない。次はドッグフードでも用意した方がいいかな。そんなことを考えながら、食べかけのレモンケーキへと近づいた時だった。あからさまに不自然だと感じたのは、ケーキの方ではない。袋の破り方の方だった。犬が噛みちぎったにしては随分と綺麗だった。涎一つ、ついていない。そう、それはまるで――人の手で開いたかのような……。


「やっぱり、君だったか」

「――っ!」


 僕は本日二度目となる声にならない声をあげて、大急ぎで後ろを振り返った。そこにいたのは正真正銘、『檸檬のおばけ』だ。レモンケーキを粗末にしてしまったことが、御怒りに触れたのかもしれない。


「日付も時間も書いてないから、困っちゃったよ。もう来てくれないかと思って」

「こっちの台詞ですよ」


 思わず悪態をついてしまったが、彼女は満足そうに笑っていた。以前のように身を固めていた制服姿ではなく、今日は動きやすそうなデニムのオーバーオールを着ていた。ポニーテールでまとめられた鮮やかな髪の毛が光を反射して、僕は思わず目を細めた。


 手紙を入れた翌日から、僕は毎日レモンケーキを備え続けた。その度になくなっていたのだから、この仕業が彼女のものだとすると、僕たちは随分とすれ違いをしていたらしい。夏休みの影響で僕の来る時間帯が代わってしまっただけで、彼女は今まで通り夕方にこの神社を訪れていたのかもしれない。


 僕はお菓子の袋だけゴミになってはいけないと思い、拾い上げてポケットの中へと押し込んだ。レモンケーキはもしかするとまた犬が戻ってくる可能性があるため、少しの間そのままにしておくこととする。


 彼女に誘われるように木陰から離れると、また以前のように社の前へと戻って来た。彼女は青々と茂った木々を嬉しそうに眺めている。以前巣を張っていたジョロウグモは姿を消し、その代わりに数羽の燕が飛び交っていた。


「あの犬、君のところの?」


 そんな訳はないと分かっていた。飼い犬だとしたらみすぼらしすぎる。だが話しのきっかけをどうひねり出せばいいのか、未だに絶賛コミュニティ障害に陥っている僕には分からなかったのだ。咄嗟に出た言葉は、自分でもびっくりするほど理解不能な言葉だった。


 彼女はそれに対して大きな目を丸くした後、表の路地にまで反響しそうな笑い声をあげた。あまりにも大きいので不信に感じた人が覗きに来てはいまいかと周囲を見渡したが、やはりここへ訪れる人は僕たち以外にいないようだった。


「残念ながら! 私と一緒で、野良の子なのさ」

「野良……」


 そう呟いた後で、そうじゃないだろと心の中で自分にツッコミを入れた。今のは後半の言葉ではなく、前半に遠慮がちに言われた『私と一緒』を拾うべきであった。


――何を言っているんだ、そんなことはないだろう。


 言えなかった言葉を頭で何度も復唱しているうちに、彼女の方から話を切り替えられた。


「それで、今日は何のお勉強?」

「え……」

「随分と重そうなお荷物をお持ちだから、とっておきの授業をしてくれるんでしょう?」


 そう言われて背負われている黄色のバックを思わず振り返る。確かに僕の鞄の中には大量の教科書が入っている訳だが、あいにくながら勉強を教えに来たつもりなどさらさらない。彼女の方を見ると、今まで肌身離さず持ち歩いていた穴あき鞄は手元にはないようであった。


「えっと今日は……」


 僕が言いあぐねていると、彼女は口端を少しだけ釣り上げて笑っているように見えた。キツネにでもつままれた気分だ。ここはお稲荷さんの神社であっただろうか。


「アハハ! ごめん、ごめん」


 ニタニタと笑う彼女をじとっと睨みつけると、心のこもっていない謝罪が返って来た。そんなに深い謝罪を求めていた訳ではないが、からかわれるのはあまり得意ではない。


「答えを教えてあげる。今日はね、私が先生よ」


 彼女はそう言って天高く掲げた人差し指を、僕の目の前へと向けてきた。一体何の事だろうかと首をひねっていると、またしてもクスクス笑われる。


「最初で最後。君に届ける、人生がテーマの授業よ。心して聞くがいい」


 僕は鞄からペンとノートでも出した方がいいのか迷ったが、ひとまず大人しく座っておくだけに留めて置いた。彼女はそれ以上を求めて来なかったので、ノートでも持ち出していたらもっと大きな笑い声をあげられていたのかもしれない。


 僕が無言で彼女を見つめていると、彼女は少しだけ恥ずかしくなったのかキイチゴの様な小さな鼻を掻きながらポケットから教材を取り出した。それは一枚のノートの切れ端。以前僕が切り取って渡した紙だった。彼女がA4用紙を持っていると、なんだか最初にポストに押し込んだお使いのことを思い出す。


 彼女はその紙を丁寧に三角形に折ると、残った長方形の部分を器用に破って取り除いた。その手元では、綺麗な正方形が出来上がる。確かあの時にも、これと同じような四角い枠が縁取られていたっけ。


 僕は人から与えられた未来を描いただけの額縁であったが、果たして彼女はあそこになどんな未来を綴っていたのだろう。本当の気持ちを覆い隠す、諦めの言葉だったのかもしれない。そんなことを考えながら見つめていると、彼女はそれを開いて僕に表と裏を用心深く見せつけてきた。まるで種も仕掛けもありませんと示しているようだ。紙の中央付近には、僕の書いた嘘の公式が刻まれている。


「これは、白い折り紙です。とっても綺麗な正方形は今、まっすぐな一本の線によって三角形になることが出来ました。このまま降り進めれば鶴になることも、朝顔になることも出来るでしょう。さて。――この美しい折り紙は、君だよ。ライム君」


 彼女は優しい笑顔と共に、補足程度の言葉を入れた。僕は少しだけ首をかしげながら、まじまじとその紙を見つめる。


「僕?」

「そう。とても綺麗な姿をしている。そしてこれが、私――」


 彼女はそう言うと、持っていた紙をぐちゃぐちゃに丸めた。硬い玉になるほどに力を込めて押し込んだ紙を、今度はゆっくりと広げていく。


「ほら、たくさん皴が出来たでしょう? 色んな折り目が出来て、一体どこを折ればいいのか皆目見当もつきません。この紙で鶴を折ろうと思ったら……。そうね、いつかは完成するだろうけれど、もしかすると羽根がへたっていたり、折り曲げ過ぎた個所に穴が空いたりするかもしれないね。ちなみにこの皴は何かというと、君たちが知る必要のないものです。親が親でなかったり、悲しい方法でお金を稼いだり、当たり前にある生活や食事がなかったり。知らなくても立派な羽根を得ることが出来るのに、問答無用に織り込まれた紙はボロボロで、今にも投げ捨てられてしまいそう。そう、間違えたページを丸めてゴミ箱に投げ込むように」


 彼女が持っている紙は無作為に折りたたまれた結果、無数の線がいびつに刻まれている。広げる時に引っかかってしまったのか、角は少し破れていた。


「一度ついた皴は、もう二度と元には戻らない。綺麗な鶴にはなれないの」


 そう言い終わると、彼女はその紙をもう一度ぐしゃぐしゃに丸めた。そしてもう片方の手で、僕の手を握りしめた。


「っ――!」


 突然触れられた手の感覚に言葉にならない声を漏らしていると、彼女は僕の手の上に丸めた紙くずを乗せる。


「これ、あげる」

「これって……」

「そうよ、ただのゴミ。そのレモンケーキの袋も、公園のゴミ箱に捨てて帰るんでしょう? じゃあ丁度良かったじゃない。後始末、よろしくね」


 彼女はそう言うと、風のように鳥居の方へと走っていく。


「あ、待って……!」


 鳥居だけが照らされるように隙間から差し込む夕日の明かりで、紅い鳥居がより一層燃え上がっているように見えた。振り返った彼女の表情は見えないが、なんとなく、笑っているような気がした。


「君は、こっちに来ちゃダメだよ」


 レモンの残した最後の言葉は、あまりにも苦く、あまりにも甘ったるいものだった。

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