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檸檬の叫びが聞こえるか  作者: 高冨さご
ふたかじりめ

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2-10① 予期しない恋文

 放課後。僕はすぐさま約束の場所へと向かうつもりだった。塾は唯一の休みの日だ。日が暮れるまでそこにいるつもりでいた。それがギリギリに手紙を投函した、僕なりの償いのような気がしていた。


 机の中に鎮座している教科書たちを引っ張り出す。鞄の中へと押し込むように移動させている最中、何かがぽとりと床へと落ちた。プリントの端くれが落ちたのかと足元を確認すると、そこには何も書かれていない真っ白な封筒が一枚だけ転がっている。僕は咄嗟にそれを拾い上げて、慌てて鞄の中へと押し込んだ。冷静を保ちつつ、落ち着いて背後を振り返る。今まで放置されていた参考書と仲良くにらめっこをしている黒瀬には、気づかれていないようだった。


 僕は荷物をまとめると、黒瀬に軽い挨拶をしてから教室を出た。大きなカバンを大切に抱えたまま、僕はまっすぐに歩いて行った。下駄箱を目の前に、僕はそこを素通りした。一秒でも早く目的地に行かなければならないのに、僕の頭の中は疑問符だらけだったのだ。


 なぜ彼女に出した手紙が、真っ白になって戻って来たのだろうか。すべてを洗い去ってくれるあの清涼感溢れる絵柄は、一体どこへ消えてしまったのか。この学校に来なくなった彼女と、何か関係があるとでも言うのだろうか。


 そう、僕は冷静を装いつつも、何一つ的確な判断が出来ない状態にあったのだ。落ち着いて考えれば別物であると分別が着く。なのにこの時の僕は、僕が出した手紙とこの白い封筒が全く同一のものであると疑いもしなかったのである。


 下駄箱を抜けた先には、ほとんど生徒が使用することのない、こじんまりとしたトイレがあった。僕はそこに入り込むと、周りに誰もいないことを確認しさらに個室の中に行って鍵を閉めた。鞄を便器の蓋の上に置くや否や、僕は鞄のチャックを全開にして先ほどの手紙を引っ張り上げた。何度も繰り返し確認するも、はやりそこに檸檬の名残はない。本当にすべてがなくなってしまったというのだろうか。


 いや、そうではない。僕は確かに今朝、超おんぼろアパートであの手紙を出したのだ。そして確かに受け取られた。扉の向こうの何者かに。あの臨場感さえ嘘だったというのだろうか。そんなはずはない。

そこでようやく、僕は誰もが当たり前に行くつくであろう答えにたどり着く。


 ――誰からの手紙だろう。


 そう、それは僕が彼女に当てた手紙ではなく、誰かが僕へと宛てた手紙であったのだ。封筒には何一つ文字が書かれていない。自分が開けてもいいものなのか分からないが、このままにしておくのもいけない気がして、勇気を出して封を開いてみることにした。万が一僕宛てでなかったのだとしたら、開かれていないように丁寧に封を戻して渡すべき人間の元に届けてやろう。そう思って僕は丁寧に封筒を開いた。


 端から破れない様にゆっくりとめくってみるが、思ったよりも頑丈に糊が付いているものだからなかなか剝がれない。どれほど丁寧にしても、上蓋は破れ皴になってしまう。


 ええい、ままよ! 僕はちまちま捲っているのに我慢ならず、勢いよく破って封を開いた。僕宛てじゃなかったとしたならば、間違えた方が悪いのだ。先ほどとは打って変わって突然強気になった僕は、破いた封筒の中から一枚の便箋を取り出した。これまた真っ白な紙で、隅がずれることもなく丁寧に二つ折りされている。


 昔に流行った不幸の手紙だったらどうしよう、なんて考えながら大した心構えもせずに手紙を開いた。おかげで書いてある内容が、何一つ理解できずにいた。内容が不可解だったわけではない。知らない言語で書かれていた訳でもない。僕の読める文字で、きちんと伝わるように書かれていた。僕の怪奇文とは訳が違う。()()()、なのだ。意味が分かってしまうから、僕は余計に混乱した。なぜならそこに書かれていたのは、愛の告白だったのだから。


『青野君へ ずっと前から好きでした。もしよかったらお返事ください。 木村柚季』


 読みやすい丁寧な文字で書かれたその便箋を握りしめたまま、僕は用もないトイレの個室で数十分は過ごしたであろう。自らの使命を忘れ、たったその一枚の真っ白な紙に足止めを喰らっていたのである。


 我に返ったのは、誰かがトイレの扉を開いた時だった。めったと人が来ないことが悪い方向へと作用してしまったらしい。僕は慌てて手紙を封筒の中へと戻すと、鞄の端へと滑り込ませた。そして何度も中にあることを確認しチャックを閉める。個室から出る時にも数回にわたり周囲を確認した。床にへばりついているトイレットペーパーを手紙に見間違うほどに、僕の頭の中はパニック状態であった。


 一つ深呼吸をして、僕はようやくトイレの扉を開いた。用を済ませた別学年の生徒がそこにはいて、顔も名前も知らない人におどおどしながら僕は手洗いを済ませる。そして教室を出た時同様に、僕はすまし顔をしてトイレの扉を開くのであった。


 木村さんとは一年生の時から同じクラスだった。元々影の薄い人間を気取っている僕は、女子と話すことなど人生で数回しか経験していない。彼女と会話をしたのは、クラスで分担した委員会でのことであった。


 委員会を決める当日。偶然にも休んでいた僕と木村さんは、余りものの美化委員に配属された。なぜ美化委員がそんなに人気がないかというと、毎月一度、掃除用具入れの点検に周らなければならないからである。当時から塾でお勉強部であった僕は放課後に用事などなく、ただ掃除用具を覗き込むことで解決するのであれば何ら苦ではない仕事であった。


 木村さんは、大人しくあまり会話をしない子だった。と、全く同じ印象を抱かれるであろう僕に言われたくもないだろうが、それほどに彼女と僕は雰囲気が似ていたのだ。それ故に一緒に作業をすることが気楽だった。意識して会話をする必要もないし、必要な言葉を一つ二つ発するだけで作業は終わっていく。そんな日々を過ごしていた時だった。


 半年ほど経ったある日、同じように掃除用具まで歩く道筋の最中、彼女が突発的に言ったのだ。


「青野くんって、かっこいい名前だよね」


 初めて言われた言葉だった。女子からかっこいいなどと言われた記憶は、今まで生きてきた中で一度もない。僕はそのセリフに目をしばしばさせ、吃音をあげながら返事をした。


「あ、あり、ありがと」


 挙動不審過ぎて、きちんと伝わったのかは分からない。


 だがその一言からお互い距離感が縮まり、三学期最後の委員会の仕事を一緒にすることが苦ではなくなっていた。次のクラスからは委員会での仕事がなくなったこともあり、ほとんど会話することはなくなっていた。ただ同じクラスで過ごしているので日々顔を合わせるくらいはしていた。挨拶も交わさない、そんな距離感だった。


 僕は心臓を跳ねまわしながら下駄箱へと向かう。この興奮をどこへ押しやればいいのか分からないままだったが、必死に冷静を装っていた。自分がどこへと向かっているのかも理解できないままだったが、今までの経験を体が覚えているのか自然と流れに乗れていた。だが入り口に視線を向けた時だった。


 偶然にも手紙をくれた彼女がそこに立っていたのだ。黒髪のつややかなショートカットの髪が外から吹き込む風に揺れていた。檸檬よりもどこか柔らかな丸みを帯びている優し気なその雰囲気に癒しを求める人も少なくはないだろう。


 どうやら待ち伏せされていた訳ではなさそうだ。彼女は部活で使うであろう、小柄な姿とは不釣り合いな巨大なチューバという楽器を必死に運んでいる最中であった。


「あ……」


 か細い声が聞こえた。僕も動けずにその場に立ち尽くしていたものだから、ばっちりと彼女と視線が合った。彼女もその場に立ち止まりこちらを見ている。お互い何も言わずに見つめあっていたが、あいにく僕から話しかける勇気などあるはずがなかった。すると突然彼女が深々と頭を下げたのだ。


「ごめんなさい」


 なぜ謝っているのだろう。僕は彼女から困るようなことをされた覚えはなかった。顔を上げた彼女の頬は、少しだけ赤く染まっていた。


「手紙のこと……」


 僕は必死に耳を澄ませて、彼女の声を救い上げた。おそらくそのチューバが鳴り響いていたならば、確実に聞き逃していたことだろう。僕は大げさだと思われるほどに、大きく首を振って彼女の言葉を否定した。


「ううん。その……。あ、あり、ありがと」


 この言葉を言うのは二度目かもしれない。全く同じどもり方をして返事をすると、彼女は片手で前髪を梳きながら下手くそな笑顔を作って見せた。


「ごめんね、急に。その……無視していいから」


 木村さんの言葉が嘘だとは、勘の悪い僕でも気が付いていた。手紙を送っておいて無視されて嬉しいはずがない。お互いを繋ぎとめる唯一の方法に、必死に縋っていた僕が言うのだから間違いない。僕は少しだけ、返事に時間を置いた。それは返事の内容を考えていたからではない。声を出すことにいささか覚悟を決める時間が必要だったからだ。


「返事、書くよ」

「え……あ、あり、ありがと」


 彼女は僕の真似をしているのではないかと思うような口調で、お礼の言葉を言いながらお辞儀をした。照れた表情で何度も前髪を整え直す彼女の姿を、僕は何も言わずに見つめていた。彼女は小さく手を振ると、今一度チューバを担ぎ直して前へと足を進める。少しずつ離れ行く彼女の背中が見えなくなるまで、僕は静かにその場に立ち尽くしたままでいた。

 

 僕は彼女を見送ると、ゆっくりと校門をくぐった。頭の中は彼女から貰った手紙のことで一杯だ。なんて返事を書こうか。思いは伝えてくれたが、友達以上の関係を望んでいる内容ではなかった。感謝の気持ちは伝えよう。こんな僕のことを、好きだと言ってくれたのだから。ならばその先はなんて書く? これからもよろしくお願いします? 彼女が求めている答えとはなんだろう。


 そんなことを考えながら、僕の足は着実に帰宅経路へと進んでいた。変わらない日常とは恐ろしいものだ。僕はすっかりやるべきことを忘れ、着実にバスに乗ろうとしていたのである。


「あ」


 それに気が付いたのは、目の前にバスが到着した時であった。目の前で扉が開いて、僕を帰り道へと誘っている。今までの僕であったのなら、おそらく人目を気にして何もなかったふりをして乗り込んでいただろう。だが僕はその場にいる全員に聞こえる大きな声を張り上げていたのだ。


「すみません! 乗りません!」


 同じ時間帯にバスを待っていた客も、驚いた顔で僕の方を見ている。そりゃそうだ。今の今まで、大人しく順番待ちをしていた陰気な学生が突然声をあげて走り出したのだから。だいたい同じ時間に乗る乗客も運転手も、変わることはないだろう。明日からあのバスに乗ることが怖くなってきた。なぜこんなことをしているのだろう。自分でもよく分からない。


 でも、こうしなければいけない。じゃないと一生後悔する。誰しもが忘れかけている彼女のことを、僕だけは忘れてはいけない。そんな使命感に駆られていたのだ。

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