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檸檬の叫びが聞こえるか  作者: 高冨さご
ふたかじりめ

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12/15

2-4 逢瀬って大変ですね①

 あれから一ヶ月程が経過した。彼女はやはり、学校には一度も来なかった。否、学校には来ているのかもしれない。体育館に忍び込むほどだ。人目を忍んで登校していても何らおかしいことはない。だが、教室の隅の机に、彼女が座る気配は全くなさそうだった。


 僕はいつまで経っても温もりを覚えない彼女の席を見つめながら、席の主に思いをはせた。彼女の手元に、きちんと手紙は届いたであろうか。あのプリントが届いていたくらいだ。きっと彼女は僕の物をきちんと見つけて、意味を理解してくれただろう。正直暗号文とも思われても仕方のないような内容だった。けれど、彼女なら見つけてくれる気がしていた。


 いつまで経っても不安が消えることはない。約束の日が来るまで、僕のミッションが正しく達成されたのかは不明のままだ。それもそれで、面白い。そう思えられればいいものの、僕はカレンダーにバツの字をつける程に気が気ではなくなっていた。まるでセンター試験前の学生そのものだ。試験日のためにあと何日かを数えている訳ではないが、やっていることは一緒である。刻まれている数字が減っていくにつれて、僕の心は変な緊張感に憑りつかれていた。


 そして、ついにやってきた。約束の日だ。いつも憂鬱で仕方のない日直当番の日、僕は用もないのに一番乗りで教室へとやって来た。早く来たところで彼女は教室に来ることはないのに、もしかしたら、なんて浮ついた気持ちで一人席に座っていた。座っていてもやることはない。ぼーっと天井を見上げていてもいいのだが、そうしていると嫌なことばかりが脳裏に浮かぶ。確か今日は英語の小テストがあったよな、と思い出し、英単語帳を開いてみた。覚えられるはずなどないのだが、気を紛らわすためにも無理やり意識を集中させる。


 しばらくすると、教室に一人の女子生徒が入って来た。僕が勢いよく振り返った視線の先には、真っ黒な髪の毛をサイドで一つくくりにしている、背の高い女性が立っていた。


 いつもバスの時間の都合という理由で、一番乗りで教室に来ている行広さんだ。だが今日はなぜか、先客がいた。まさか人がいるとは思わなかったのだろう。さらには、ものすごいスピードで自分の方を振り返って来たのだ。異様な空気に、入って早々小さめの悲鳴を上げていた。


 対する僕も彼女の声に同時に肩を震わせていた。お互いを驚かせ合うヘンテコな挨拶を交わすと、僕は謝罪の代わりに小さく頭を下げてみせた。


 行広さんはしばらく教室の隅で僕の様子を伺っている様子だったが、僕が勉強をしていると勘違いしたのだろう。(いや、決して間違ってはいないのだが)彼女は足早に自分の席へと着いて荷物を机の中へとしまい始めた。


 教室の後ろの席から、やけに視線を感じた。二人きりでいるこの時間があまりにも長く感じられて、こういう時小粋なトークでも出来ればいいのだが、と自己嫌悪に襲われた。あいにく僕にそんなスキルは持ち合わせていない。かたくなに英単語帳から視線を外さずにいると、突如後方から声がかけられた。


「君も、『お勉強組』?」


 彼女の言葉に、僕は思わず顔をあげた。『お勉強組』とは、最近できた言葉だ。朝も昼も夕方も、休憩時間の間もずっと受験勉強に励むクラスメイトをそう呼んでいる。受験生なのだからなんらおかしな光景ではないのだが、『お勉強組』に入ると極端に遊びの誘いが減っていくのだ。それは単なる嫌がらせではなく、努力の邪魔はしたくないという無言のエールなのである。だからあえて彼女も僕が『お勉強組』に入ったかどうかを聞いて来たのだろう。


 残念ながら、僕の頭の中はお勉強というより、『お弁当』の方があっている気がする。唐揚げの隣に添えられている黄色い果実はどこへ向かうのか、そんなことが気になっているのだから。


 あえてその話に乗っかっておいてもいいのだが、後々面倒なことになりそうな気がしたのでそこは否定をしておいた。


「いや、今日は、ちょっと。用事で」

「青野くんって真面目だよね」


 僕の適当な返答に、彼女もまた興味なさそうにそう答えた。彼女は鞄の中から広辞苑と見間違えるほどの分厚い本を取り出すと、可愛らしい青い鳥が刺繍されている栞を外す。そしてすぐに本の世界へと飛び立って行ってしまった。僕が彼女の些細な動きでさえ見落とさないようにするほど凝視している姿にも、気が付いていない様子だ。すぐにのめり込める驚異的な集中力に感服しながら、今ここで隕石が落ちてきたら助からないだろうなあ、といらぬ心配をするのであった。


 その後僕はどうあがいても英単語を一つたりとも覚えられそうになかったので、勉強をしているふりをして教科書とノートを机の上に広げた。やっていたのは単なるペン回しであったが、この時期勉強に明け暮れているところを馬鹿にするやつが少ないことは、唯一の救いだ。


 ただ遅刻ギリギリに来た黒瀬がそれをマジだと思い込んで、クラス中に響き渡る声で騒ぎ立て始めたのだけは予想外であった。


「『お勉強組』に入ったんなら、俺も誘えよー! 抜け駆けなんか、ずるいで!」


 そらみたことか。行広さんに断っておいて良かった。黒瀬にはするつもりはなかった、今日は不手際で学校についた。とよくわからない理由を述べておいた。全く理由になってないのだが、自分を置いて勉強に身を注ぎ始めた訳ではないことに安心したのか、それ以降は特に何も言われることはなくその話は終息した。


 その日は随分と授業時間が長く感じられた。朝早く来てしまったことも相まって、こんなにこの椅子にお尻をつけたことはないと思う程である。そろそろ椅子の形にお尻が固まってしまいそうだった。


 そしてついに、待ち望んでいた約束の時間がやって来た。昼休憩特に用事はないのでいつも遅くまでダラダラと食事をとっているのであるが、今日はやたらと急いだ昼食であった。味の濃い生姜焼きの入った愛情弁当であったのだが、その味も分からなくなるほどに緊張しているらしい。


 僕は早々に食事を済ませると、足早に廊下へと出て行った。体育までの時間はまだ三十分以上ある。そんなに急ぐ必要もなかったのだが、もしも『檸檬のおばけ』が誰かによって退治されていたら――。なんてろくでもないことを考えてしまっていた。


 彼女を良く思っていないクラスメイトは多い。実際彼女の陰口はあちこちで聞いて来た。おそらくだが、彼女自身それを知っていて、コソコソ学校に来ているのだろう。


 今日僕は、彼女にどうしても渡したいものがあった。先に断っておくが、愛の告白ではない。そのなもののためにと思われるかもしれないが、僕にとってはとても重要なことだった。


 職員室に入ると、体育館の鍵を借りるため一直線に鍵置き場へと向かった。鍵置き場は入り口のすぐ近くで、扉越しでも確認できる。いつも通りに受け取り出ていくだけ。そのつもりだった。


 だが僕はその扉を開いた瞬間、血の気が引いた。駆け足で鍵置き場へと駆け寄る。いつもは大きな束になっている鍵がそこにぶら下がっているのだが、どれだけ目を凝らそうと目的のものは忽然と姿を消している。思わず三度見して、ありとあらゆる角度から確認したが、確かにそこに鍵はなかったのだ。おかしい。僕以外に体育館に用事がある奴なんていないはずなのに。鍵自体が神隠しにでもあってしまったのだろうか。


 なんだかとてつもなく、嫌な予感がした。ちらりと担任の方を振り向くと、不思議そうな顔をしてこちらを見ているのに気が付いた。なんだかバツが悪くなってきた。僕は勝手に納得した素振りを見せて、何食わぬ顔で職員室を出て行った。


 扉を閉めた次の瞬間、僕の足は体育館へと走り出していた。まだ人通りの少ない廊下を駆け抜け、階段を駆け下りる。二、三度階段からずり落ちそうになりながら、なんとか手すりにしがみ付いて事なきを得た。九十度のカーブをオーバーターンで周り、体育館へ続く渡り廊下を全力でダッシュした。普段影の薄い男が、目の色を変えて学校中を走り回っているのだ。それはそれは、ビックニュースになるだろう。学校新聞に載るかもしれない。だがこの時の僕は後に何を言われるかよりも、今ここでこの行動をしない方が確実に後悔すると思ったのだ。


 渡り廊下からは既に体育館の様子が見て取れる。遠目から見ても分かった。既に体育館の扉は、開いていた。僕は体育館の前にたどり着くと、扉を目の前にして一度立ち止まった。そしてここまでで使い切った酸素を補給するため、その場で大きな呼吸を繰り返した。きっと、大丈夫だ。彼女はそこにいる。捨てられていることなんて、あり得ない。


 僕は呼吸を整えるとゆっくり体育館の扉へと歩み寄り、恐る恐る中の様子を伺った。体育館の中に、檸檬はいなかった。その代わりに、多くの青いジャージが溢れかえっていた。そう、明日行われる球技大会のために、気合十分のバレー部員によってネットが張られていたのである。僕は愕然とした。そして猛烈に、寂しくなった。なぜだか分からないが、いらなくなった檸檬が三角ネットの中に入れられているような、何とも言えない疎外感を抱いていた。ここに、彼女の居場所はない。そう言われているような気分だった。


 僕はまだ近くに彼女がいるかもしれないと、体育館の周りをあえて遠回りして教室に戻ることにした。今の時期最も嫌煙されているバレー部員から、何してんだアイツ、という目で見られているような視線を感じた。僕はいかにも探し物をしていますという雰囲気であたりを見渡しながら、反対側の階段からグラウンドへと降りる道へと進んで行く。これでごまかせたのかは不明であるが、どうせ明日になればそれどころじゃなくなるだろう。というより、既にどうだっていいと思われているかもしれない。


 僕は名前も知らないバレー部員と顔を合わせないように立ち去ると、グラウンドに足を踏み入れた。さすがにそこには誰も居ないようであった。しばらく諦めきれなくてその周囲をぐるぐる周ったりしてみたが、すれ違うのはとことんバレー部員ばかりだったので、もう諦めて教室へ戻ることにした。これ以上長居すると、野良犬よりも懸念される存在になりかねない。


 教室がある棟へ続く渡り廊下を進みながら、僕は彼女との約束を果たせなかったことにひどく落胆した。ふくらみの残るポケットに手を突っ込むと、その中に潜めていたものに指先が触れた。一緒に食べようと思ってポケットに潜めていた、コンビニのレモンケーキだ。随分と浮かれていた自分に嫌気がさして、強く包み紙の上から握りつぶした。馬鹿みたいだ。一人ではしゃいでしまって。


 第一、彼女は本当にここに来たのだろうか。あんなことを言って、もしかして僕を笑いものにするつもりだったのではないか。そうやって思わないと、心の平穏が保たれなくなりそうだった。


 その後の体育ではバレー部員にコート内でのお叱りを受け、いつもと変わらないその日が終わった。人生で初めて書いた恋文は、見事に破り捨てられてしまったという訳だ。ここまで来てしまったら、もうあとは自分の使命を全うする他ない。帰ろう。僕は帰宅部員だ。鞄を手にすると、逃げるようにすぐさま教室を後にした。


 とてもじゃないが、塾になんて行く気分ではなかった。だが失恋によって塾を休むだなんて言えるはずがないじゃないか。何もなかった。そうだ、何もなかったのだ。周りから見れば、僕に変わったところは一つもないだろう。いや、行広さんとバレー部員には多少怖がられているかもしれないが、それも今日だけだ。


 ――だから言ったじゃないか。僕は最初から檸檬なんか好きじゃなかったんだって。


 そう言い聞かせて、バス停へと向かっている最中だった。


「ライム、ライム。応答せよ」

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