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檸檬の叫びが聞こえるか  作者: 高冨さご
ふたかじりめ

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11/13

2-3 これは恋文ですか?

 あれから一週間が経過した。日直の周期というものは案外早いもので、来週またしても僕の名前が黒板の端へと刻まれる。


 未だ教室で彼女の姿をとらえたことはない。あいにく席が窓際でないこともあって、授業中に逐一彼女の行動範囲を確認することも出来ない。休憩中に体育館付近をぶらついてみたことはあるが、周りの女子から変な目で見られただけで彼女に出会うことは出来なかった。


 彼女から託されたのは、二つのこと。一つ目、手紙を彼女宛てに送ること。二つ目。進路の紙を、担任に渡すことだ。


 一つ目のインパクトが大きすぎて、ほとんど忘れかけていた。僕は彼女から預かった二つ折りの紙を、受け取った状態のまま担任へと渡した。封筒に入れられている訳でもない。中を見られても文句は言えない状態であったが、僕はあえて見ないようにした。知ってしまったならば後戻りは出来ない。内容を知らないことが、彼女と出会うための必須条件のような気がしていた。


 担任に自分から声をかけるだなんて金輪際ないだろうと思いながら、僕は勇気を振り絞り職員室へと出向いた。朝礼の後でも良かったのだが、後から黒瀬になんだったのかと問われれば、明らかに挙動不審になってしまっていたからだ。ただの提出物だとごまかせばいいものを、なんだか全てを正したい自分がいた。


 職員室に入ると、担任が座っている席を確認した。落ち着いて周囲を確認してみると、案外他のクラスの教員は僕のことなど興味がない様に机に張り付いているままだ。何をこんなにも自意識過剰に怯えていたのだろうか。些細なことで自信がみなぎりだした僕は、堂々と担任の所へと歩いて行った。


 しかしいざ目の前にすると、何と声をかけて良いのか分からない。なぜなら、僕は今まで自分から声をかけるということを一度もしてこなかったからだ。担任の背後でまごまごしている僕に気が付いたのか、大きな背中がぐるりと扉を開くように横開きになった。


「どうした、青野」


 お仕事中すみません、失礼します。だの、気の利いた言葉は出てこない。相手もそこまで望んではいないのかもしれないが、あと数年で成人を迎える人間がこんなことで大丈夫かと心配されるほどの挙動であった。


「あの、これ…」


 僕は多くを語ることなく、彼女から託された紙を突き出した。担任はかなり訝し気な顔をして僕と差し出された白い紙を交互に見ている。


 しばらく無言の時間が続き、彼は紙を受け取ってすぐさま中を確認した。担任が紙を開いた瞬間、中央の額縁の中に黒い文字が羅列されているのが見えた。僕は咄嗟に顔を逸らし、その文字を追わない様に気を付ける。担任はその文字を見て小さなため息をついた後、椅子を揺らして立ち上がった。


「ありがとな」


 担任は簡単な礼を言うと、その紙を片手にぶら下げたまま僕の前を立ち去って行った。離れ行く進路の紙。僕はその姿が見えなくなるまで、その場から動けずにいた。


 本当は知りたかったんだ。その中に彩られている世界を。彼女が見ていた、檸檬の未来を。



 約束のうち、一つは完全にやり遂げた。次はもう一つの約束を果たさなければならない。


 僕は約束通り、彼女に手紙を書くことにした。単なる日直の日付報告だけなので、破ったルーズリーフの切れ端でも充分だったところ、僕は律義に便箋と封筒を買いに行った。しかも文房部店に置かれているちょっと高級なものを。別に伝えられたら何だっていいはずなのに、僕は『あの時の言葉』が脳裏を離れず、四六時中渦を巻いていたのだ。


 昔ながらの文房具屋だったが案外商品の入れ替わりが速いのか、割と真新しいものがずらりと並んでいた。ちょっと黄ばんだ便箋も覚悟の上だったのだが、随分と失礼な解釈だったらしい。それに関しては、この文房具店に謝らなければならない。


 店の奥では、小柄なおじいさんが一人座っているのが見えた。ずっと開いたままになっている新聞片手に、テレビを見ている。どっちのニュースを見ているのかは不明であったが、飾りと思われた新聞紙のページを開き直しているので、一応必要な行動であるらしい。


 僕は置かれている便箋を左から右に向けて順番に確認した。シンプルなものから始まり、キャラクターもの、小学生ウケしそうなもの、北欧系といわれる意識が高いもの、(いや、これは僕の勝手なイメージであって決して悪口ではないことを理解していただきたい。リスペクトの気持ちで使っている。決して、悪口ではない。大切なことなので二回言った。)


 そして、ついに僕の目当ての便箋を見つけた。ここに来る前からこの柄に決めていた。封筒はやや女子向けのものだが、女子に手渡すのであるから問題ない事とする。僕は一つのレターセットを手に取り、おじいさんの元へと向かって行った。


 なぜだか無性に緊張をした。ここの文房具屋に来るのは初めてではない。小学校入学の時には、ここで鉛筆と筆箱、下敷きなどの一式をそろえたし、赤ペンを買いに来るのはいつもここだ。


 だから、なのだ。だから、逆に緊張する。僕に兄弟がいないこともおじいさんは知っているし、誰かのお使いでこれを買いに来ることなんてないに等しいことも知っている。


 つまり、僕が自分で買って、自分で使うということを見透かされているのだ。そんなことを危惧して、僕の鼓動は格段にスピードを早めていたのだった。


 おじいさんを目の前にして、急にレターセットを握っていた手が震えて来た。じんわりと手汗がにじみ出てきたことも分かる。聞かれたらなんて答えようか。母のお使いで、と言えばいいだろうか。だが万が一でも母がここに買い物に来たとして、僕がお使いに来ただなんて言われてしまえばもっと面倒なことになる。嘘をついてまで買うとはどういう了見か、と問い詰められるに決まっているからだ。ならば選択肢は、自分で使う一択だ。だとすればもっと面倒かもしれない。こんな可愛らしい便箋に一体何を書いて誰に送るというのか。ラブレターか。そう聞かれたらなんて答えればいい。ただの日直の報告だなんて、絶対に信じて貰えない。


 僕が盛大な脳内会議を開いているとは露知らず、おじいさんは新聞を畳むとこちらに手のひらを向けて来た。僕は突然のことに後ろを振り向く。何をしているんだと思われただろう。見ての通り、動揺しているのだ。


 するとおじいさんはその手をくるりと回して、古臭いレジのボタンをひっぱたいた。


「えーっと、いくらかね」


 僕の持っている商品を大して確認もせずに、値段を聞いてくる。僕はレターセットの上に貼られていた値札を確認しそのまま読み上げた。


「あ、四五〇円です」

「はいよ」


 おじいさんは言われた通りの数字をレジへと打ち込んだ。僕は慌てて財布から五百円玉を取り出し、目の前に突き出した。僕の差し出した五百円玉はおじいさんによって掬い上げられ、そのままレジの中へと吸い込まれて行く。


「じゃあ、五〇円のお返しね」


 財布の口をおおっぴろげて立ち尽くしていた僕の元に、おじいさんのしわしわの手が伸びる。そしてその口の中にポトンと硬貨を落としてくれた。その後その手はすぐに新聞紙を拾い上げ、器用に広げて見せたのだった。すでに視線はテレビの中へと吸い込まれている。


「あ、えっと……。ありがとうございました」


 僕はおじいさんがいうべき台詞を代わりに吐いて、慌てて店を出て行った。別に値段を搾取したわけでもないし万引きをしたわけでもないのに、その行動が異様な焦りと捉えられて疑われたらどうしようと、またしてもありもしない不安を抱え店の中を振り返る。しかしおじいさんの顔はテレビに向けられたままで、僕に対して一粒たりとも興味を示している様子はなかった。


 ひとまず、便箋を手に入れることには成功した。僕はそのレターセットを鞄の隅へと入れ込むと小走りでバス停へと向かい、帰りのバスへと飛び乗った。


 家に戻った僕は、母がいないのを入念に確認した。塾がない今日しか僕に自由な時間はない。


 自分の部屋に戻ると、僕は大急ぎで鞄の中からレターセットと筆箱を同時に引っ張り上げた。あまりに力が入っていたのか、缶の筆箱の蓋が変な音を立てて半分開き、中から筆記用具が鞄の中に散乱した。ぎゅうぎゅうに詰められていた教科書の隙間に入り込んでいく細いペンを尻目に、僕は唯一筆箱に残っていた黒いマジックペンを持ち上げる。


 足早に机の前に座ると、やや汗で湿っている袋の中から破れないよう便箋を一枚だけ取り出した。いざ、マジックの蓋を引っこ抜く。


 さあ、なんて書く?


 勢いよくそこまでの流れを進んできたものの、いざ書こうとすると全ての思考が停止する。


 そう。僕は今から彼女に、たった二人で逢うための恋文をしたためようとしているのだ。未だかつて女子からバレンタインにチョコレートを貰ったこともなければ、もちろんのことお返しをしたこともない。女子の好きそうなものも、言葉選びも、全くもって理解できない。


 なんと書けば彼女に伝わるだろうか。というか、ちゃんと彼女が開くだろうか。名前を書いていれば問題ないのかもしれない。だが我が家みたいに、僕宛ての手紙を親が先に開けることもあるかもしれない。開いた封筒を何事もなかった顔をして僕に手渡してきたりして。まあ、僕に届く封筒なんて、新しい塾の宣伝広告ばかりなのだが。


 万が一、彼女の親が代わりに開いたとしよう。だとしたら、内容によっては何か疑いの目を向けられるかもしれない。『逢瀬』だなんて、言語道断だ。日付だけを書いたとて、その日に何があるのかを問い詰められる可能性もある。送り主の名前を書かない方が、彼女のためでもあるだろうか。


 カップヌードルが出来上がるほどの時間ペンを握りしめていた僕は、ようやく便箋にインクをしみ込ませた。僕が書いた文字はもはや暗号かと思われる数字の羅列。しかも横書きの便箋に文字の穴がつぶれるほどの小さな文字で縦書きだ。もはや呪いのチェーンメールの原子版みたいな手紙の内容に、僕は首を左に傾げた。


 いや、やっぱりもっと分かりやすくした方がいいのか。


 僕は月と日付を分けるように間に一本線を入れた。いや、いよいよ訳が分からない。素直に『来週の六月十二日です。』と書けば良かっただろうか。


 僕はもうペン先が渇き始めているのではないかと思う程頭を悩ませた後、ようやくペンに蓋をした。もうこれ以上悩んだところで、内容が変わることはないだろう。僕はその手紙を一寸たりともずれることなく二つに折ると、一緒に入っていた封筒へと押し込んだ。


 椅子から立ち上がり、先ほど悲惨な状況に遭遇した鞄の中を覗き込む。目的のものを手探りで探していたが一向に見つからないため、思い切って鞄をひっくり返した。重たい教科書と共に文房具たちが床の上を飛び跳ねる。その中でコロコロと床を転がる円柱の糊がベッドの端へと転がって行った。僕はそれを追いかけるように駆け寄った。


 ベッドの下に入り込みそうだったのでかなり慌てていたためか、ベッドの端で右足の小指を思い切り強打した。お分かりの通り、声も出ない程の激痛である。だが僕の手はしっかりと、目的のものを確保しているのだった。


 痛みに耐えながらピョンピョンと飛び跳ね、なんとか机の位置まで戻ってくる。封筒のふたに糊の先を押し付けると、机にはみ出す勢いで塗りたくった。そしてもう二度と開かないほどの圧力で密封し、宛先部分に彼女の名前をマジックペンで記す。


 苗字まで書いてペン先が止まった。あいにく僕は、レモンという単語を生きてきて一度たりとも漢字で書いたことはない。彼女の名前が漢字表記なのか、ひらがな表記なのかは分からないが、なぜか律義に漢字を調べることにした。


 未だに片足で飛び跳ねながら電子辞書の所へと舞い戻ってくると、その画面を開いた。開いた途端に思わず閉じた。あの時の言葉が、そのまま残っていたからである。誰にも見られているはずはないのに注意深く周囲を確認しながら、勢いよく画面を開いて履歴を消した。


 次に入力したのは、彼女の名前だった。漢字を確認するつもりだけであったのだが、現れた意味について自然と目が追っていた。よく知る黄色い果実をつける、植物の説明が羅列されている。その中で、なぜか英語表記の『lemon』が目に留まる。そこに書かれている言葉に、一瞬息の仕方を忘れてしまった。


「欠陥品……」


 しばらくそのままその文字を眺めていたが、酸欠になった脳が慌てて呼吸を再開するように命令して来て、僕は大きく息を吸い込んでは吐き出していた。


 これは断じて彼女のことを言っているのではない。そういう意味があると言う事だけを告げているのだ。第一日本人の名前だって、元をたどれば文字の意味なんてごまんとある。占い好きの日本人は字画までもを気にするが、最初からすべてが円満な名前などこの世に存在しているのだろうか。


 必死に言い訳を連ねながら、ただ檸檬に関するポジティブな文面だけを受け取る様に、画面をスライドさせた。


 そしてその辞書に書かれている漢字を凝視しながら、なんとか封筒に彼女の名前を書き終えたのだ。


『清田 檸檬 様』


 後ろには、何も書かなかった。

 

 僕はもう一度、あの超おんぼろアパートへと出向くことになった。もう二度と来ることはないし、来てはいけないと思っていたのに、こんなに早く訪れることになろうとは。一度訪れた心霊スポットから誘われるようにもう一度その地に戻って来るなど、ホラー映画では擦り切れる程使われた手口である。まさかそれを実体験することになるとは、思っても見なかった。


 あいも変わらず、部屋まで続く階段は虫の死骸だらけであった。その階段を上ることに多少躊躇したものの、前回ほどではない。見ないふりをして駆け上がり、すぐさま彼女の部屋の前にたどり着いた。


 またしてもドアについている狭いポストの隙間には、大量の封筒と宣伝のチラシが押し込まれている。僕はその隙間になんとか自分の封筒をねじ込んだ。これでは取り出すときに破れてしまわないかと危惧したが、あれこれ考える前に立ち去らざるを得なかった。


 なぜなら、目の前の扉から物音がしたからだ。それはポストの中身が地面に落ちる音ではなかった。明らかに誰かが中を歩いているような音だ。


 僕は全速力で階段を駆け下りると、いつもの曲がり角まで逃げて来た。また最初に訪れた時と同じ展開だ。ホラー映画の主人公が後ろを確認するように、ゆっくりと振り返り彼女の部屋を確認する。しかしそこに人影はなく、部屋の中から人が出て来る様子もなかった。


 部屋の明かりは扉を開ける前に確認した。まだ日の落ちきっていない夕暮れであっても、重たいカーテンを引かれた部屋はおそらく真っ暗だろう。人がいるのなら電気をつけていてもおかしくはない。それとも、仕事の都合で今の時間帯は眠っていたのだろうか。


 とにかくあの足音が人間のものであってほしいと、違う緊張感を胸に僕は坂道を上った。


 あの部屋には、幽霊がいる。けれどそれは、ただの幽霊ではない。愛くるしい『檸檬のおばけ』だ。

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