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檸檬の叫びが聞こえるか  作者: 高冨さご
ふたかじりめ

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2-2 彼女からの言伝

 さて。今日も今日とて、僕は塾へ行く。いつもの黄色い鞄を背負い、自転車へとまたがった。もうあのコンビニに用事はない。僕はコンビニに見向きもせずに、ハンドルを思い切り右に曲げた。その時だった。目の前から突き抜けるような閃光が降り注ぐ。黄色い二つの光が、僕の身体めがけて突っ込んできた。


 あーあ。やっちまった。


 二度目の事故は洒落にならない。なんのための黄色いバックだ。


 僕は自転車から転げ落ち、地面へと寝転がる。自然と顔はしかめているのに、痛みを全く感じない。トラックの運転手だろうか。何か僕に話しかけてきている。だがその声もだんだんと霞んでいく。ああ、僕の人生、ここで終わりか。なにも成さないつまらない人生だった。


 僕が深い眠りに着こうとした時、ぎらぎらと照り付ける太陽が、僕の腕を引き上げた。


「まだまだ。人生これからでしょ」


 僕は否が応でもその目を開く。


「スライスしたライムはね、飾るだけじゃ意味ないの。そのグラスに注いで、たっぷりかき混ぜてあげると、一番美味しいのよ」

「僕はライムじゃ……」

「さあ立って、ライムくん。君の生き方は、自分で決めるんだぞ」


 声の主に背中を押された瞬間、僕は目を覚ました。


「なんだ……。夢、か」


 どうやら学校から帰って、いつの間にか寝落ちしてしまったらしい。運よく今日は塾のない日だ。やり途中だったゲーム機を持ち上げると、充電が切れてしまったのか画面は真っ暗になっていた。せっかくコツコツと経験値を溜めていたのに、また同じ工程のやり直しだ。


 僕はゲーム機を充電コードにつなぐと、電源を付けるでもなくそのまま部屋を出ていた。リビングを覗くとそこには誰もいなかった。まだ母は家に帰ってきていないらしい。


 僕は冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップへ注ぎながら先ほどまで見ていた夢の内容を思い出そうとした。しかしこれまた不思議と、一体なんのことだったかはっきりしない。事故にあったような気がする。中学生の頃に味わった生々しい記憶がよみがえる。


 だが、このことではない。事故にあった後。その後に、誰かにあった気がする。誰だったのだろうか。

中途半端に眠っていたせいか、やけに頭が重たい。気分転換をしようと、外を散歩することに決めた。どうせそう遠くまではいかないだろう。僕は財布も持たずに玄関を開いた。


 目の前の視界を遮っていた扉がその場からなくなると同時に、もわっとした外気温が僕の頬にすり寄って来た。まだ五月初めだというのに、随分と蒸し暑い。梅雨がやってくる前兆だろうか。雨の日は嫌いだった。自転車に乗れなくなるから。塾までの道を雨傘片手に一人歩いていくことを考えると、さらに気分が落ち込んだ。


 理由もなく、僕は目の前の坂を下った。そして、どうやら先ほど僕の夢の中に勝手に入り込み、お説教を垂れたであろう人物が住んでいるところへとたどり着いた。丁度曲がり角の端っこに立ち、超おんぼろアパートを振り返る。やはりいつもと同様に、部屋に灯りはなかった。いつだってあの部屋に灯りがついているところを、僕は見たことがない。まだ帰っていないのだろうか。一体どこで、誰と過ごしているのだろう。それとも、いるけれど居ないフリを決め込まなければならない理由があるのだろうか。


 そんなことを考えていると、突然大きなクラクションが鳴った。僕が慌てて半歩歩道側に下がると、肩をかすめるギリギリで大型トラックがすり抜けて行った。間一髪だ。トラックと事故だなんて、かれこれ二回目だ。


 二回目? 僕は自分の頭に出てきた言葉を、もう一度繰り返した。いや、事故にあったのは一度きりだ。そう、左前十字靭帯を損傷したあの時だけ。その怪我で済んだのは、トラックではなかったからだ。ならば二度目と言ったのはなぜだろうか。


 僕は夢の中での出来事を思い出す。視界を覆うような黄色い光が僕を包み込み、そして僕は道路の中心へと投げ出される。そこでトラックの運転手がやって来て、僕は静かに目を閉じる。だがそれを赦さない君がいる。


 いや、単なる夢だ。現実に起こるはずはない。万が一起こったとして――彼女が助けに来るはずなど、ないのだから。


 そう思いトラックが走り去っていった道路側を振り返ると、なんとトラックのライトよりもはるかに明るい髪色が、僕にひらひらと手を振ってきていたのだった。


「出た!」


 僕は抑え込むように、慌てて口へ両手を当てた。だが既に発言してしまった後なので、実に今更の行動であった。傍から見ていた彼女にとって、それは実に滑稽な姿であっただろう。遠目からも分かるほどに、彼女の顔は歪んでいた。


 僕の失言に、彼女は幻滅しただろうか。ものすごく怒っているかもしれない。顔を合わせるのが怖くてそっぽを向いた。しかしそのまま逃げだすともっと失礼極まりないのは理解できていたので、その場に立ち止まったまま恐る恐る顔をあげ、彼女の顔を盗み見ることに成功した。


 先程よりも距離を詰めていた彼女は、やはり怪訝そうな顔をして僕の顔をじっと見ていた。だが彼女は視線が合った途端、怒るでもなく、突然ケラケラと笑い出したのだ。なんなら半ばスキップでこちらへと駆け寄って来るではないか。


「随分な挨拶じゃん! もしかして、アタシのこと待ち伏せしてた?」


 なんというご都合主義。そんな訳はない。むしろ、今一番会いたくないと思っていたところだ。そう言ってやりたかったが、あいにく口は未だ塞がれたままなので何も言い返せなかった。


 僕が何も答えずにいると、彼女はいつも背負っている穴の開いた鞄をその場へと下ろした。ドスン、と見るからに重たそうな音を立てる鞄の中身を、僕は既に知っている。その答え合わせをするように、彼女は鞄の口をゆっくりと開いた。細い指が教科書の隙間に差し込まれる。大量の本に埋もれるよう身を潜めていた、一枚の紙きれだ。破れないよう丁寧に引っ張り出すと、おもむろに僕の目の前に突き出して来た。


「これ。渡しといてくんない?」

「え?」


 僕の手は口を抑えることを辞め、誘われるがままその紙へと手を伸ばしていた。まただ。素直に受け取るもんではないと、担任の時に散々反省したばかりではないか。だがもう後の祭りである。彼女は僕が受け取ったことを確認すると、すぐさま手を離していた。


 僕は右手に握られてしまった紙きれを、じっと見下ろしていた。丁寧に角が揃えられ二つ折にはされているが、ファイルにも入れられていない紙はしわだらけであった。なんだか嫌な予感がしていたが、彼女が付け足した一言ですべてを察する。


「担任の先生に」


 なぜ僕が、とはもちろん思ったし、顔にも出ていた。だが知っての通り、僕はこの紙を相手に突き返す度胸を持ち合わせていない。受け取ってしまったが手前、突き返すことなど到底不可能であった。僕は了承としてその紙を自分の方へと引き寄せると、ズボンの後ろポケットへと押し込んだ。少しだけ紙が歪む音がした。元々歪んでいる紙だ。彼女も気にすることなどないだろう。そう思って、気にしないふりをした。


「中、見ないでよね」


 彼女はわざとらしく言葉を紡いだ。言われなくったって、見るつもりなどさらさらない。僕は小さく頷いて返事をした。このまま立ち去っても良かったのだが、彼女が目の前で立ち止まっているので僕の足も動かしづらい。どうやって立ち去ろうかをあれこれ考えていると、珍しく彼女は少しどもった口調で話し出した。


「あ、あのさ」


 僕の視線は彼女へと向けられる。目があった途端、彼女は顔を逸らしてしまう。しかし話は続いていた。


「次の日直、いつ? 来月あたりかな。分かったら、またポストに手紙いれてよ。待ってるからさ」


 その声の後半は掠れて、消え入りそうだった。このタイミングで先ほどのトラックが通っていたならば、確実に聞き逃していただろう。


 日直、という言葉に僕は彼女の姿を思い出す。おそらく、またあの昼休憩のことを言っているのだろう。なぜ毎回のように体育館にいるのかは別として、僕は彼女から出された提案にとある疑問符を投げかける。


「手紙を、ですか?」


 僕はその日初めて、やっと言葉らしい言葉を発言した気がする。すると彼女は嬉しそうに微笑みながら、一度だけ大きく頷いた。


「そう。君が日直の日がいいの」

「何かあるんですか?」


 僕がそう問いかけると、彼女は下ろしたままになっていた鞄を持ち上げて、勢いよく背中へと貼り付けた。


「逢瀬」

「……おう、せ?」


 それだけを言うと別れの挨拶もなく、彼女は僕の隣をすり抜けて行ってしまった。この前のように呼び止めても良かったのだが、まるで逃げていくかのように離れて行く背中を捕らえることはかなり難しかった。彼女は超おんぼろアパートへ戻ることなく、そのまま薄暗い路地の中へと消えて行ったのだった。


 僕はトボトボと坂道を上る。夢と現実がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような気分だ。だが事故には合っていないし、夢の中で彼女が言った言葉も思い出せない。


 なのに、どうしてだろう。――この清涼感は。先ほどまで重たく曇っていた頭が、急に晴れやかになっているような清々しさだった。言葉に出来ない胸の高鳴りは、運動消費量に伴うものではないことは明らかだ。


 こんなにも何度も出会う巡り合わせは、まさに運命というやつだろうか。嫌よ嫌よも好きのうち。どうやら僕はあのコンビニでレモンケーキを見つけた時から、彼女に首ったけになっているようだった。


 僕は家に返ると鞄の中から電子辞書を取り出した。そして彼女が残した言葉をそのまま打ち込んだ。その言葉の意味を知って、思わずその場にアマガエル如く飛び跳ねた後に、見事にひっくり返った。



おう‐せ【逢瀬】恋愛関係にある男女が人目を避けて密かに会うこと。



 僕の心は土砂降りどころかカンカン照りだ。カエルが蒸し焼きになりそうな程に、体は熱を帯びていた。どうやら梅雨は、まだまだ先のようだ。

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