EX II - 3 青い世界の元で
私が目の前に広がる圧倒的な海に目を奪われていると、横からふふっと笑い声がした。
「満足した?」
お姉ちゃんが私の顔を覗き込んで聞いてくる。
「う、うん……」
私は、もう少しだけこの青色を見ていたいような、名残惜しい気持ちのままこくりと頷いた。
「それじゃあ気を取り直して!」
カイナがパンッと手を叩き、楽しそうに笑いながら馬車の方へと向かう。
「さっそく着替えますか!ほら、二人も早く馬車の中に!」
と、私たちを手招きして促してきた。
「そうね。ほらリゼ、付いてきて」
お姉ちゃんが私の手をぎゅっと引いて、再び馬車の中へと歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってよお姉ちゃん」
私は文句を言いながらも、逆らうことなく大人しく一緒に馬車の中へと戻った。
狭い馬車の中で、三人で着替えることになったのだけれど。
「よいしょ、っと」
カイナは服の下に最初から着ていたのか、するすると器用に服を脱ぎ捨てて、あっという間に手早く水着姿になってみせた。
装飾が少なくて、泳いだり砂浜を走り回ったりするのにぴったりな、スポーティで健康的なセパレートタイプの水着だ。
無駄のない引き締まった体が、いかにも騎士らしくてよく似合っている。
「……ねえお姉ちゃん。私、水着なんて持ってきてないよ」
私が自分の普段着を見下ろして言うと、お姉ちゃんはトランクを開けながら、満面の笑みで振り返った。
「もちろん!リゼの分も、ちゃんと私が用意してきたのよ!」
「えっ、ちょっと待っ――」
私の抵抗も虚しく、お姉ちゃんの手によって半ば強制的に着替えさせられてしまう。
用意されていたのは……信じられないくらいフリルがたっぷりとあしらわれた、ひたすらに可愛い水着だった。
普段の私の好みとは正反対で、動きやすさなんて一切考慮されていない。完全に愛でるためだけの、最高級の品だ。
「なにこのフリル……動きにくいし、恥ずかしいんだけど」
……お姉ちゃんの目には、私どう映ってるんだろか、……似合うわけないんだけど。
「可愛いからいいんですー!」
そんなずれたことを言ってる一方のお姉ちゃんも、いつの間にか着替えを終えていた。
私と色違いのお揃い……だけど、少し大人っぽくアレンジされた上品なワンピースタイプで、腰に巻かれた純白のレースのパレオが、気品と美しさを完璧に引き立てている。
「ほほぉ……!」
フリフリの水着姿になった私の着替えを、カイナが腕を組んで、これ以上ないくらいニヤニヤとした視線で見守っている。
「……ちょっとカイナ、あんまりジロジロ見ないでよ」
私は真っ赤になって顔を伏せ、少しでもフリルを隠そうと身体を縮こまらせた。
こんなヒラヒラした格好を見られるなんて恥ずかしい……はずなんだけど。
大好きな親友からの似合ってるぞ!と言わんばかりの熱い視線は、不思議と、決して悪い気はしなかった。
私が水着に着替え終えると、カイナが口角を上げた。
「みんな!水着に着替えたな!いくぞーっ!」
馬車の扉を開け、カイナが元気いっぱいの声を上げて砂浜へと飛び出していく。
着替え終わった私たちも、先陣を切るカイナに先導されるようにして、そのまま海へと突っ込んでいった。
……正確には、カイナに続いて駆け出したお姉ちゃんに、手を引っ張られていただけなんだけど。
「わっ……」
素足に伝わる砂の熱さに驚く暇もなく、ザバンッ! と冷たい水が足首を包み込む。
水は思ったよりも冷たかった。けれど、決して嫌な冷たさじゃない。
太陽の日差しで熱を持った砂浜と火照った身体を、すっきりと冷ましてくれる心地よい冷たさだ。
……こんなに大きな水溜まりが、当たり前みたいにあるんだから……世界って、本当にすごい。
足元で白く弾ける波と、どこまでも続く青い水平線を見渡しながら、私は改めて感嘆の息を漏らした。
私がそんな風に、一人で静かに感動に浸っていると。
「くらえ、リゼ!」
「えっ、わあっ!?」
突然、カイナが楽しそうな声と共に、両手で思いっきり海水をすくい上げて、バシャッと私にかけてきた。
冷たい水が、顔や髪、そしてフリルの水着に勢いよく降りかかる。
びっくりしたけれど、不思議と怒る気にはなれなくて。むしろ、火照った顔にかかる冷たい水がすごく気持ちよかった。
口元に垂れてきた水滴を、無意識に舌で少しだけぺろりと舐めてみる。
「……しょっぱ」
本に書いてあった通りだ。本当に、塩の味がする。
私が少しだけ顔をしかめると、それを見たカイナとお姉ちゃんが、耐えきれないように声を上げて笑い出した。
「あっはっは!リゼ、海の水は飲み物じゃないぞ!」
「ふふっ、もう。リゼったら本当に可愛らしいんだから」
お姉ちゃんはそう言いながら水の中へ入ってくると、私の顔についた水滴を優しく指先で拭ってくれた。
「……ねえ、二人とも」
「ん?」
私は、顔を拭いてくれるお姉ちゃんと、横で笑っているカイナを交互に見比べて尋ねた。
「もう海賊のお話はいいの?……船長さん」
「あっ」
私の言葉に、お姉ちゃんとカイナはハッとして顔を見合わせた。
数秒の沈黙の後、お姉ちゃんは少し気まずそうに視線を泳がせながら、コホンと咳払いをした。
「え、えっと……実は、海に着いてからはその……肝心の船がないからさ……。どうやって話を展開させようか、迷っていて……」
海賊なのに船がない。
完全に計画が行き詰まって、元の素の口調に戻ってしまっている。
「あっはっは!」
言い淀むお姉ちゃんを見て、カイナが豪快にお腹を抱えて笑い出した。
「私はどっちでもよかったんだけどさ!フィーネさんがどうしてもやりたいって言うから、付き合ってたのさー!いやー、でも楽しいなぁ!こうやって別の誰かの役に入るって!」
あっけらかんと笑うカイナ。
彼女にとって、海賊ごっこはただの遊びで、設定なんてどうでもよくて、ただこの時間を全力で楽しんでいるだけなのだ。
「ちょっとカイナさんっ!バラさないでよ……」
「だって本当のことじゃないですかー!」
適当すぎる親友と。
海賊ごっこの次の役に困って、すっかり頬を赤くしているお姉ちゃん。
「……ふふっ」
そんな二人の噛み合っているような、いないようなやり取りを見ていると、なんだか少しおかしくて。
私は自然と、口元を綻ばせて笑っていた。
波の音と、三人の笑い声。
果てしなく広がる青い海の前で、私たちはただの年相応の女の子に戻って、心からこの時間を楽しんでいた。




