EX II - 1 囚われの姫
カイナが手綱を握る馬車に揺られながら、私は今日、何回目かもわからない深いため息をついた。
「お嬢さん。私に誘拐されて、こんな辺境まで連れてこられた気分はどうですか?」
向かいの座席では、お姉ちゃんがやけに楽しそうな笑顔を浮かべ、完全に何かの役に入りきった甘い声で私に話しかけてくる。
「船長!もう少しで目的地です!この可憐な姫を屋敷で監禁して、愛でましょう!」
さらに、御者席に座っているカイナまでもが、ガタガタと揺れる馬車の騒音に負けないくらいの大声で叫びながら、ノリノリで私たちの会話に乱入してきていた。
お姉ちゃんの小説の主人公ごっこと、やけにテンションが高いカイナ。
この二人を同時に相手にして、私はすっかりツッコミ疲れていた。
「……はぁ。今日は犯罪者の役にでもなってるの?あんまりそういう本、読んじゃ駄目だよ?」
ジト目でぼやくと、御者席からカイナの豪快な笑い声が降ってきた。
「あっはっは!姫は最近のロマンス小説がわかってないな!最近は、人さらいの海賊と恋に落ちるラブロマンスが流行ってるんだぞ!」
これはお父様の趣味じゃない……。これはきっとお姉ちゃんが好きで買った本のお話なのかも……。
「海賊って……」
呆れる私をよそに、お姉ちゃんはニコニコと上機嫌な笑顔のまま、私の顔を覗き込んできた。
「ふふっ。逃げられると思わないことだな」
……なんか口調が変わってない?話し方が他の登場人物と混じってるけど。
「……はいはい。今回は海賊かぁ」
もう一度小さくため息をつきながら、ガタゴトと揺れる馬車の窓の外へと視線を向けた。
あの星降祭の日の夜、私を気遣ってエスコートしてくれた時の事が余程楽しかったのか。
あれ以来、こういうお出かけになると、大体お姉ちゃんは自分が読んでいる物語の主人公を演じるようになってしまった。
旅の吟遊詩人、姫を魔王から助け出す勇者様、敵国の王子様……。他にも色々演じてて、くせになってるのかも。
そのたびに私は呆れてツッコミを入れているけれど……。
嬉しそうに笑うお姉ちゃんと、それを面白がってはやし立てるカイナと一緒にいるこの時間は、決して悪い気はしない。
むしろお姉ちゃんの、こういう面倒くさい茶番に付き合ってあげている時間こそが、私にとって一番の宝物なのかもしれなかった。
「ねえ、お姉ちゃん」
窓から視線を戻して尋ねると、お姉ちゃんはコホンと小さく咳払いをして、気取った声を出した。
「なんですか? 囚われのお嬢さん」
役に入ってるお姉ちゃんが、聞き返してくる。お姉ちゃんに悪役って、絶対配役ミスだと思うんだけど……。
「なんか出かけるっていうから、朝早くから付いてきてあげたけど、結構経つよ?いったいどこに向かってるの?……というか、なんでカイナがいるの?」
気になってた質問を投げかけると、先ほどまで海賊になりきっていたお姉ちゃんの余裕が、一瞬にして崩れ去った。
「え、えっと……カイナさんとはその、今回の件……というか、……他のことも色々と相談を……」
急に、しどろもどろになって目を泳がせるお姉ちゃん。
すると、その窮地を救うように、御者席のカイナがどっぷりと役に浸かったまま横から割り込んできた。
「船長と私は、切っても切れぬ縁!その昔、私が人売りに売られていた時に、わざわざ私のことを買ってくださり……。
奴隷のように働かせるのかと思いきや、清潔な衣服と食べ物を与えてくださり、こうやって自由に手伝うことを許されたのですよぉっ!」
……にしても、途中から本当に涙声になってるし。
なんだろう、カイナって、絶対にお姉ちゃんよりもお芝居うまいよなぁ。
……お姉ちゃんが傷つくかもしれないから、言わないけど。
心の中でこっそりと親友の演技力を評価しつつ、再び呆れたように息を吐いた。
「はいはい。二人とも、私に出会いも目的地も、言う気はないんだね」
わざとらしくそっぽを向くと、お姉ちゃんは慌てて海賊の役を取り戻そうとしたのか、私の顔を覗き込んでニヤリと笑ってみせた。
「ふふっ。私の隠れ家で、たっぷり可愛がってあげますよ……」
……きっと本人は、海賊らしく下卑た笑顔を浮かべようとしていたのだろう。
けれど、お姉ちゃんの顔立ちが良すぎるせいで、悪党の顔には程遠く、ただの可憐で美しい微笑みにしかなっていなかった。
……っ。
間近で向けられたその予想外の破壊力に、私は思わずドキッとして、ちょっとだけ見惚れてしまった。
……もちろん、そんなことお姉ちゃんには、絶対に秘密だけど。
「――では、由緒正しき海賊の伝統に則り! これより捕虜の尋問……『模擬裁判』を行います!」
密かにお姉ちゃんの笑顔に見惚れていると、御者席のカイナが突然、高らかにそんなことを宣言した。
「模擬裁判?」
なんの話だろう?伝統?
「いかにも! 我々海賊は、捕らえた獲物を裁判にかけて裁くのが嗜みですからな! さあフィーネ船長、まずは逃げられないように、姫に手枷を!」
カイナの無茶振りに、お姉ちゃんは「手枷ですね。ふふっ、ちょうどいいものがありますよ」と嬉しそうに頷き、自分の手提げカバンをゴソゴソと漁り始めた。
……嫌な予感しかしない。
やがてお姉ちゃんが取り出したのは、もちろん冷たくて重い鉄の鎖なんかじゃない。
純白のレースがあしらわれた、見るからに肌触りの良さそうな、最高級の幅広シルクリボンだった。
「おとなしくしてくださいね、お嬢さん」
お姉ちゃんは私の隣にすり寄ってくると、私の両手首を合わせて、その綺麗なリボンでふんわりと、まるでプレゼントの箱をラッピングするかのように蝶々結びにした。
「……お姉ちゃん。これ手枷っていうか、ただのリボンだよね。私、ちょっと力入れたら一瞬でちぎれちゃうんだけど」
呆れ半分に両手を持ち上げてみせると、お姉ちゃんは私の顔を覗き込み、悪びれる様子もなくニコッと微笑んだ。
「だーめ。ちぎったら私、本気で泣いちゃいますからね」
こんな時だけ役の仮面を取って脅してくるんだからっ……。
「…………っ」
……ずるい。
そんなこと言われたら、絶対にほどけないじゃないか。
手首に巻かれたリボンからは、お姉ちゃんの甘くて良い香りが漂ってきて、大人しく両手を膝の上に下ろすしかなかった。
「よろしい。では、罪人のお嬢さん。貴女の罪状を読み上げます」
お姉ちゃんはコホンと咳払いをして、ひどく真面目な、けれどどこか熱を帯びた瞳で私を見つめてきた。
「貴女の罪は……この冷酷な海賊船長の心を、その気高い瞳でいとも簡単に奪い去った罪。つまり窃盗罪です!」
……は?
「そ、そしてっ……!私を貴女の虜にして、夜も眠れなくさせた海賊団への営業妨害も追加しておきましょう!」
「おおーっと!出ました!」
ポカンとする私に、御者席のカイナが待ってましたとばかりに手を叩いて歓声を上げた。
「獲物を捕らえたはずの船長が、逆に姫に心を奪われてしまう王道のラブロマンス展開!これは万死に値する重罪ですぞ、船長ぉ!」
カイナの合いの手を聞いて、カァァッと顔が熱くなるのを感じた。
「ちょ、ちょっと待って!なにその恥ずかしいセリフ!?一体どんな本から引っ張ってきたの!?」
「ふふっ。抵抗しても無駄ですよ、お嬢さま。……すでに私の心は、貴女の海で溺れてしまっているのですから」
お姉ちゃんはツッコミを華麗にスルーして、とろけるような甘い声でさらに畳み掛けてくる。
顔がいいから無駄に様になっているのが、余計にタチが悪い。
「よって、判決を下します。お嬢さまには罰として……これから向かう秘密の隠れ家で、私から一生逃げられなくなる『永遠の愛』の刑に処します」
そう言いながら、リボンで縛られた私の両手をそっと包み込み、まるで宝物に触れるように、その甲に自分の額をすり寄せた。
「……っ」
あまりの距離の近さと、破壊力抜群のセリフの連続に、私の心臓はさっきからバクバクと大きな音を立てっぱなしだ。
完全にからかわれている……。もしくは、お姉ちゃんの趣味に付き合わされているだけだと分かっているのに。
「……お姉ちゃんの、バカ」
赤くなった顔を誤魔化すように、ぷいっと窓の外へ顔を向けることしかできなかった。
「ヒューヒュー!お熱いねえ!さぁさぁ、愛の逃避行の目的地はもうすぐだぞー!」
カイナの楽しそうな笑い声と、馬のいななき。
窓から吹き込んでくる風が、いつの間にか少しだけ、不思議な匂いが混じっていることに、私はこの時ようやく気がついた。




