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空白の少女と錆びた英雄 ――音を聴く大鎌の少女、帝国の闘技場で弾丸と舞う――  作者: R.D
第二部 前編

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第85話 - α 不安を溶かす者

 夜がさらに深まり、そろそろ休む時間になった。


 私は馬車で寝ようと立ち上がったけれど、ふと振り返ると、おじさんは一人で焚き火の前に残ったままだった。


 パチパチと音を立てる炎に薪をくべながら、小さな鍋を使ってゆっくりとコーヒーを淹れている。


「おじさん、寝ないの?」


 私が尋ねると、おじさんはコーヒーの湯気越しにこちらをちらりと見て、短く息を吐いた。


「ん? ああ……」


 おじさんは視線を炎に戻し、ポツリと呟く。


「昔の事を、少し思い出していただけだ。少ししたら俺も馬車で休む。お前は俺が戻る前にさっさと寝ていろ。眠る前にうるさくされたら敵わんからな」


 ぶっきらぼうなその言葉の裏に、私はどこか寂しそうな響きを感じ取っていた。


 きっとおじさんも、過去の何かを引きずって、足が重くなっているのかもしれない。


 ……私には、わかる気がした。


 私も最近、親友であり、恩人であり、剣の師匠でもあった人をこの手で殺したという『記憶』を取り戻したばかりだから。


 その重たくて暗い思いは、誰かに頼るのではなく、自分一人で向き合わなきゃ意味がないんだ。


 だから、おじさんが「手を貸してほしい」って言うまでは、そっとしてあげるのが一番の手伝いなんだと思う。


 ……私も、ちゃんと向き合えるのかな?


 ふと不安に思い、自分の両手を見下ろした。


 ――ドクン、と。


 心臓が嫌な音を立てた瞬間。私の両手は、ベットリとした赤黒い血潮に塗れていた。


 ……ッ。


 その罪に向き合えという、過去からのメッセージだろうか。


 私は目を細め、その幻覚を静かに見つめ返した。


 ……もうこの幻覚にもすっかり慣れたけど。急にこういう風に見えるのはやっぱりびっくりするから、勘弁してほしいかな。


 私は、心の中にまとわりつく罪悪感を振り払うように、ぶんぶんと小さく頭を振った。


「それじゃあ、お先に休ませてもらうね!おやすみなさい!」


 努めて明るい声でそう呟くと、私は幻覚の血に塗れた手を隠すようにギュッと握りしめ、一人で馬車の中へと入っていった。



 馬車の座席はフカフカで寝心地がいいし、夜風の温度もちょうどいい。  


 それに枕に毛布まで用意されてる。


 なのに、私はなかなか寝付けずにいた。


 ……やっぱり、過去の罪悪感が私を眠らせてくれないのかもしれない。


「……どんな時でも寝れるのが一流の戦士、だよね」


 私は、殺した師匠から教わった事を、暗闇の中で小さく呟いてぎゅっと目を閉じ、なんとか寝ようと頑張ってみた。 



 しばらくして、外からボソボソと話し声が聞こえてきた。


 私は目を閉じたまま、聞き耳を立ててしまう。


「ギリアム卿、見張りの順番ですがどうしますか?私は三交代制を考えておりますが」


 御者さんの声だ。


 ……見張りかぁ。確かに夜の森なら必要なのかも。


 心のなかでこっそり相槌を打っていると、おじさんが低い声で答えた。


「お前は朝から夜まで手綱を握る仕事がある。見張りは俺が一人で引き受ける」


 それを聞いて、私は内心むくれた。


 ……えー。私も役に立てるのに……!


 すると、御者さんが私の言いたいことを代弁してくれた。


「あの少女は使わないのですか? 外見はともかく、腕はかなりの戦士に見えましたが」


 ……外見はともかくって……。でも、褒められてるのかな?


 なんだかちょっと嬉しいような複雑な気分になりながらも、私は馬車の中で、もっと言ってやれー!と密かに御者さんを応援した。


 私だって戦えるし、おじさん一人だけに負担をかけたくない。


 けれど、おじさんの口から出たのは、思いもよらない言葉だった。


「……こんなことに巻き込まれてるが、あいつはまだ子供だ」


 パチ、と爆ぜる焚き火の音に混じって、おじさんの静かな声が響く。


「本当なら友達と遊んで、勉強に不満を言って、わがままをいう年頃だろうに……あいつには、そんな年相応の反応がない」


「……」


「話し方こそ子供っぽいが、俺には、あいつが背負ってる重たい過去が少しだけわかる。……だから、せめて夜だけは、安らかに寝ていてほしいんだ」


 ……。


 予想外の言葉に、私は思わず息を呑んだ。


「……わかりました。では、お言葉に甘えて」


 御者さんが納得して、私のいる馬車の御者席の方へと移動してくる気配がわかった。


 私は、暗い馬車の中で一人、おじさんの言葉を反芻していた。


 ――せめて夜だけは、安らかに。


 なんだ、そんな心遣いをしてくれてたんだ。


 ……直接言ってくれればいいのに。


 心の中でそう文句を言いながらも、私の口元は自然と緩んでいた。


 私の胸の奥に冷たく居座っていた罪悪感は、おじさんの不器用で温かい言葉にすっかり溶かされて消え去っていた。


 私は毛布を深く被り直すと、今度こそ、本当に安心して意識を手放したのだった。

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