第84話 - α 冒険者のご馳走
暗闇の森を抜け、見覚えのある焚き火の明かりが見えてきた。
野営地ではおじさんたちが馬車を拠点にして、しっかりと周囲を警戒しながら私の帰りを待ってくれていた。
見れば、おじさんは馬車の屋根の上に陣取り、あの闘技場で使っていた短機関銃を暗闇に向けて鋭く構えている。
「ただいまー!」
私が小走りで近づきながら声をかけると、おじさんは小さく息を吐き、銃口を下げて緊張を解いた。
「……どうだった」
馬車から飛び降りながら、おじさんが短い言葉で状況を尋ねてくる。
「狼か、ウルフかわからない獣が、だいたい二十匹くらいだったかな?最初は数匹だけだったんだけど。数匹倒したら血の匂いを嗅ぎつけたみたいで、たくさん寄ってきちゃってさ」
私がそう報告すると、おじさんは「はぁ……」と、呆れたような、感心したような深い大きなため息をついた。
「そいつはただのウルフだ。血の匂いを嗅ぐと周りが見えなくなって突っ込んでくる、イカれた獣だよ」
おじさんは頭を掻きながらそう言うと、馬車の横で控えていた御者さんの方へと視線を向けた。
「今のゴタゴタの間に、こっちの仕事も終わったみたいだな」
「はい。馬も落ち着いておりますし、馬車の点検も完了いたしました」
御者さんが深く頭を下げるのを見て、おじさんは馬車から一つの箱を取り出して宣言した。
「……飯にするぞ」
「恐縮です」
御者さんが恭しく一礼し、おじさんの後に続いて温かい焚き火の元へと向かっていく。
張り詰めていた空気が一気に緩み、美味しそうなご飯の予感に、私は顔を輝かせた。
「やった! 私も!」
私は弾んだ声でそう叫び、小走りで二人の背中を追いかけたのだった。
「おじさん、ご飯はどんなのなの?」
私が焚き火の前に座ってワクワクしながら覗き込むと、おじさんは少しだけ口角を上げた。
「冒険の野営といえば、この食べ方は外せないってやつを持ってきてやったぞ」
そう言って、おじさんが先ほど馬車から下ろした木箱の蓋を開ける。
そこに入っていたのは――氷でしっかりと冷やされた、何匹もの新鮮な魚だった。
「……お魚?」
森の中での野営といえばお肉のイメージがあった私は、意外な食材に目を丸くした。
「ああ。コイツを串焼きにして食うのが、俺の鉄板だったんだ。今とは違って、昔はただの一兵卒だったからな」
おじさんはそう言いながら、パチパチと燃える炎を見つめる。
その瞳は、遠い昔を懐かしむような、とても穏やかな色をしていた。
「なんで、お魚なの?」
「今はこうして高い立場になって、馬車に十分な飲み水が積んであるが、当時はそんな贅沢なものはなかったんだ。……上官達の事情は知らないがな。
それで飲み水を確保するために、川の近くにキャンプを作って、水をろ過しながら釣りをしてたんだ」
おじさんは慣れた手つきで魚の準備をしながら、ぽつりぽつりと昔話を聞かせてくれる。
「その後は、仲間達と肩を並べて、こうして炎を見ながら串焼きにしたものだ」
おじさんの言葉からは、当時の情景が目に浮かぶようだった。
泥臭くて、決して楽ではなかっただろう一兵卒の時代。
それでも、仲間たちと囲んだ焚き火の記憶は、おじさんにとってかけがえのない宝物なんだろうな。
そんなおじさんの大事な思い出を、こうして共有してもらえたことが、私はなんだかとても嬉しかった。
「私が焼きましょう」
御者さんが気を使って手を出そうとしたが、おじさんは短く首を振った。
「いや、俺が焼く」
そう言って、おじさんは手際よく魚を串に刺し、パチパチと音を立てる焚き火の周りに、絶妙な角度で突き立てていった。
私はおじさんの正面から、すぐ隣へと移動して座り直した。
パチパチと音を立てる炎の熱を浴びて、お魚たちがゆっくりと、けれど確実に火に負けて美味しそうなきつね色へと変わっていく。
すると、おじさんが小袋から何かを取り出し、焼けていく魚たちにパラパラと粉を振りかけ始めた。
「なに入れてるの?」
私が興味津々に覗き込んで聞くと、おじさんは手元を動かしたまま答えた。
「ああ、こいつは塩だ。塩を振って焼くだけで、ぐんと美味くなるんだ」
「お塩……」
「当時は塩も、こんな上質なものじゃなくてな。ゴツゴツした岩塩を、その場でナイフで削ってこうして振りかけていたものだ」
懐かしそうに目を細めながら、おじさんは魚の刺さった串をくるりと逆にして、もう片面を火に向けた。
その時、裏返されたお魚の表面に、バツの形をした切れ込みが入っているのに気がついた。
「あっ。切れ込み入れるなんて、なんだかオシャレだね!」
私がそう言うと、おじさんは少しだけ可笑しそうに喉の奥で笑った。
「これはオシャレなんかじゃない。美味く食うための、昔からの知恵だ」
――なんでそうなるんだろう?
「切れ込みを入れると美味しくなるの? なんでだろう。昔からの知恵って?」
私が不思議に思って小首を傾げると、おじさんは串をひっくり返しながら、懐かしそうに目を細めた。
「ああ。そのまま焼くと、熱で皮が縮まって爆発するんだ。せっかくの魚が串から外れて焚き火の中に落っこちた事があってな。あの時は、みんなで腹を抱えて笑ったのを覚えているさ」
「ええっ、爆発しちゃうの?」
「ああ。それで、俺の分がなくなっちまったから、他のやつらのを少しずつ分けてもらって食べたんだが……所々、中が生焼けだったんだ」
おじさんは当時の仲間たちの顔を思い出すように、少しだけ苦笑いを浮かべる。
「それで、その日からどうすりゃ美味く焼けるか、皆で色々試行錯誤した結果が、この『切れ込み』だ。
こうすると火の通りが良くなって生焼けも防げるし、皮が破れて爆発もしない。おまけに塩が中まで染みやすくなって、グンと美味くなるってわけだ」
「へええ……!」
私は、こんがりと良い色に焼けていくお魚のバツ印を見つめながら、深く感心して息を吐いた。
「ただお魚を焼くだけのことなのに、そういう知恵が必要なんだね。なんだかすごいな……」
ただ適当に焼いているわけじゃない。
このバツ印の一つ一つに、おじさんたちが昔、仲間と一緒に失敗して学んできた時間が詰まっているのだ。
外の世界には、私の知らない知恵がまだまだたくさん隠れている。
パチパチと鳴る焚き火の温かさと、少しずつ濃くなる香ばしい匂いに包まれながら、私はまた一つ、この世界の新しいことを知れたのがとても嬉しかった。
「ほら、食ってみろ。熱いから気をつけろよ」
やがておじさんが、一番いい色に焼き上がった串を私に向かって差し出してくれた。
「わあ、ありがとう!」
私がホクホク顔で受け取ると、おじさんは続けて、隣で控えていた御者さんにもう一本の串を差し出した。
「ほら、お前も」
「恐縮です」
恭しく頭を下げて両手で受け取る御者さんを見て、私は思わずクスッと笑ってしまった。
「御者さん、『恐縮です』ってさっきも聞いたよー」
私がイタズラっぽく言うと、御者さんは少しだけ照れたように困った微笑みを浮かべ、おじさんは「ふん、……そうだな」と少しだけど、愉快そうに肩を揺らして笑った。
そんな温かい空気に包まれながら、私は手にした串焼きに視線を落とす。
お魚は皮がパリッと弾け、例の『バツ印』の切れ込みから、湯気を立てる白い身が顔を覗かせている。
ポタッと落ちた脂が焚き火の灰でジューッと音を立てて、食欲をそそる香ばしい匂いがふわりと鼻をくすぐった。
「いただきますっ」
私は火傷しないように「ふーっ、ふーっ」と息を吹きかけてから、バツ印のところから思い切って一口かじりついた。
「んんっ……美味しいっ!」
思わず、パァッと目を見開いてしまった。
おじさんの言った通り、皮はカリッと香ばしいのに、中の身は驚くほどふっくらとしていて柔らかい。
そして何より、切れ込みから奥までしっかりと染み込んだ岩塩の塩気が、戦いで疲労した筋肉の隅々にまでジンと染み渡っていくのがわかった。
「すごい!おじさんの言ってた通りだ!中までフワフワで、お塩の味がすっごく美味しい!」
「だろう?」
私が満面の笑みで頬張るのを見て、おじさんは満足そうに鼻を鳴らし、自分の分の串に豪快にかじりついた。
隣では、御者さんも「これは絶品ですね」と目を細めながら、上品に、けれどどこか誇らしげに串焼きを味わっている。
さっきまでの血生臭い戦闘が、まるで嘘みたいだ。
夜の森は相変わらず真っ暗だ。
けれど、パチパチと燃えるこの焚き火の周りだけは、美味しいご飯と、温かい仲間たちの体温で満たされている。
私は、おじさんや御者さんと他愛のない言葉を交わしながら――といっても、私がたくさん喋っておじさんと御者さんは苦笑いしてるだけだったけど。
骨だけになるまで綺麗に、この最高のご馳走を平らげたのだった。




