第83話 - α 冴える剣閃
……風に乗って、生臭い獣の匂いが濃く立ち込めてきた。
先ほど仕留めた獣たちの血の匂いを嗅ぎつけて、森の奥からさらなる群れがここに集結しつつあるのがわかる。
囲まれている。普通なら恐怖で足がすくむ状況だ。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
剣を振り抜くたびに、頭の中の靄が晴れ、思考が恐ろしいほどに冴え渡っていくのを感じる。
今なら、忘れていたはずの『剣の型』を、もっと奥深くまで思い出して、自分の身体から引き出せるような……そんな確信めいた気がした。
私はゆっくりと盟剣アリィスを鞘に納め、静かに獣を待つ。
ガサリ、と草むらが揺れ、一匹、また一匹と、闇の中から新たな獣たちがよだれを垂らしながら姿を現した。
……こんな型が、あったはずだ。
私は鞘に剣を納めたまま、ウルフか狼かわからないその群れの先頭へ向かって、自ら猛然と突進する。
獲物から向かってきたことに猛った一匹が、大きく跳躍して私の喉元へ噛み付いてきた。
私はその鋭い牙を紙一重で躱しながら、身体の軸を回し、円を描くような滑らかな軌道で抜刀してすれ違いざまに斬り伏せる。
――冬の型『凩』!
血飛沫が舞う中、休む間もなく続けて追撃を仕掛けてくる獣たち。
……剣が冴えている、まるで私がなくした物へ誘導するかのように、無意識に構えが決まる。
私は剣をすぐさま引き抜き、両手で頭上の高い位置、上段へと構え直した。
次の一匹が、私の腹を裂こうと低い姿勢から噛み付いてくる。
私は右手で剣の柄を握り、空いた左手で硬い鞘の中腹をしっかりと握り込んだ。
そして、飛び掛かってきた獣に向けて、右手の上段の剣と、左手の鞘を交差させるようにして、✕の字を描く軌道で一気に斜め下へと斬り伏せる。
――冬の型『枯落葉』
鞘の重烈な打撃が獣の牙と骨を砕き、同時に振り下ろされた刃がその急所を完全に断ち切る。
確実に生命を絶つ手応えが、剣と鞘を通して両手に伝わってくる。
斬れば斬るほど、感覚が研ぎ澄まされていく。
視界がクリアになり、五感が冴え渡り、次の一手が自然と頭の中に浮かび上がってくるのが自分でもはっきりとわかる。
思考が加速し、身体が羽のように軽い。
……この感覚は、いったいなんなのだろうか。
闘技場で感じていた、泥臭く必死な生存本能とは違う。
ただ剣と私が一体となり、世界が静止していくような、未知の感覚だった。
やがて、全てを斬り伏せた私の周りには、夥しい数の獣の死骸だけが転がっていた。
あれだけ無数の獣を斬り捨てたというのに、血に濡れた『盟剣アリィス』は、なおも白銀に煌めいている。
刀身にこびりつくはずの血の汚れすら一切感じさせないような、底知れない澄んだ輝きを放っていた。
私は静かに残心をとり、ゆっくりと鞘に剣を納める。
カチャリと鍔が鳴った後、ふと、自分の周りを見渡した。
「うわあ……」
自分の足元に広がる惨状に、私は思わず絶句してしまった。
四肢を断たれ、血の海に沈む魔獣の山。
むせ返るような濃い血の匂いが、唐突に鼻をついた。
……あたしがやったの? ……これ。
しばらくの間、私は呆然とその光景を眺めることしかできなかった。
木人と向き合って、ただ静かに型をなぞるのとは全く違う。
実戦だと何十倍も集中力が跳ね上がり、私の中に眠る『本当の剣』が無理やり表に引きずり出されてくるような、そんな恐ろしい感覚があった。
この違いは、一体なんだろう。
私は目の前の血だまりから目を逸らすように、半ば現実逃避気味にそんな疑問を頭の隅でこねくり回す。
けれど、いくら考えても、今の私にその答えが分かるはずもなかった。
「……戻ろうかな」
これ以上ここにいても仕方がないし、遠吠えの正体は倒したんだから、安全だって伝えないと。
私は死骸の山にクルリと背を向け、おじさんたちが待っているキャンプへと歩き出した。




