第82話 - α キャンプファイヤー
夜の帳が下り、私たちは馬車を止めて野営を整えていた。
パチパチと爆ぜる焚き火を、私とおじさんの二人で囲む。
少し離れたところでは、御者さんがランタンの灯りを頼りに、馬車の周りを忙しそうに行ったり来たりしている。
私は立ち上がり、彼の方へと駆け寄って声をかけた。
「御者さんも、一緒に焚き火に当たらない?」
夜風は少し肌寒かったから、温かい火のそばで少し休んだ方がいいと思ったのだ。
けれど、御者さんは手を止めることなく、申し訳なさそうに頭を下げた。
「お誘いはありがたいのですが、私にはまだ仕事がありますので」
「仕事?」
「ええ。馬の体調に変わりはないか、馬車の車輪や部品に怪我や故障がないか、しっかりと確認しておかないといけませんからね」
どうやら、御者さんは休む暇もなく忙しいみたいだ。
私はそれ以上無理に誘うことはできず、一人で焚き火のそばへと戻ってきた。
「……断られちゃった」
私が少し残念そうに座り直すと、向かい側に座っていたおじさんは、はぁっ、と深くため息をついた。
「御者には、御者の仕事があるんだ。あいつは自分の仕事に誇りを持ってやってるんだから、仕事の邪魔だけはしてやるなよ」
「それは分かってるけど……。でも、私たちだけこうして休んでるのは、なんだか気が引けて……」
私がおじさんの顔を見られずに俯き気味に言うと、おじさんは焚き火の枝を少し動かしながら、諭すような、どこか優しい声で話し始めた。
「あいつの仕事は、俺たちを無事に輸送することなんだ。そのために今、奴は仕事をしてくれている」
「……」
「お前が気を揉む必要はない。俺たちは俺たちで、明日に備えてしっかり休むのが仕事だ」
「……そう、だよね」
おじさんの言葉に、私は申し訳ないという思いを静かに飲み込んだ。
誰かが休めるのは、見えないところで誰かが働いてくれているから。
外の世界には、私の知らない『当たり前』がたくさんある。
私は膝を抱え、パチパチと赤く燃える焚き火の炎を、しばらくの間、ぼーっと焚き火を見つめてることにした。
パチ、パチと鳴りながら、規則的なのか不規則的なのかわからない炎の揺らぎ。
火って、なんだか不思議だ。
こうして見ていると心がじんわりと落ち着くような気がするのに、近づきすぎれば火傷をしてしまう。
『安心』と『危険』のちょうど狭間にある、ひどく曖昧で不思議なもの。
……そんなことをぼんやりと考えていた、その時だった。
――ワォォォォンッ!
遠くの闇を切り裂くように、狼の遠吠えが夜の森に響き渡った。
「……ッ!」
私は瞬時に立ち上がる。
焚き火の温もりで弛んでいた全身の筋肉が、一瞬にして戦闘態勢へと切り替わる。
「あたしの出番!」
私は、向かいに座っていたおじさんに向かって鋭く叫んだ。
「おじさんは、御者さんをお願い!」
それだけを言い残し、私は手元にあったランタンを素早く持ち上げると、盟剣が下げられている腰のベルトにしっかりとくくりつける。
カチャリと剣の鳴る音が夜風に響く。
私はおじさんの返事を待つこともなく、足元を照らすランタンの灯りだけを頼りに、遠吠えが響いた暗闇の奥へと一直線に走り出した。
足元を照らすランタンの灯りを頼りに、暗闇の森を走り出してしばらくすると。
木々の隙間から、ギラギラと光る複数の眼光が浮かび上がった。
狼なのか、それともウルフと呼ばれる魔獣なのか。
どちらにせよ、獲物を狙う狂暴な獣が数匹、低く唸り声を上げながらうろついていた。
私は立ち止まり、腰に差した『盟剣アリィス』の柄にそっと手を添える。
この剣にとって、これが初めての実戦だ。
ふぅ、と。短く息を吐き出す。
大丈夫、私はこの剣を信用している。
ゆっくりと腰を落とし、居合いの構えを取りながら、じりじりと獣たちとの距離を詰めていく。
獣たちも私の警戒に気づいたのか、牽制するように動き回る。
その中の一匹が、群れから離れて私の後ろへ回り込もうと、闇に紛れて移動を始めた。
……今だ!
私は、後ろを取ろうとしていたその一匹に向けて、一気に身体を反転させて思い切り突っ込んだ。
地を蹴り、身体を空中で回転させるように高く跳び上がる。
その遠心力を利用しながら、空中で鞘から盟剣を勢いよく引き抜き、そのまま上段から下段へと脳天を引き裂くように振り下ろした。
秋の型――『釣瓶落とし』!
ドサッ、と。
一匹を確実に仕留める、獣の重たい身体が地面に沈む。
だが、私が空中で体勢を動かしたその隙を突き、残った数匹の獣が一斉に私の背中へ向けて突進してくる。
私は着地と同時に、再び剣を鞘へと納め、低く沈み込んで居合いの構えをとった。
『釣瓶落とし』……、無駄なく、素早く居合いの構えに入れる。私が覚えている剣は、とても実戦的で気に入ってる。
……そろそろ来る!
獣の鋭い牙が、私の身体を食いちぎらんと迫るその刹那。
接近すると同時に、私は鞘走りの加速を乗せ、下段から斜め上へと鋭く切り裂く抜刀撃を放った。
秋の型――『星月夜』!
突風のような斬撃が1体を正確に斬り伏せる。
そして、剣の軌道はそこで終わらない。私は振り抜いてやや上段にある剣の勢いを殺さず、それをそのまま返しの刃として利用する。
自身の身体を独楽のように回転させながら、今度は斜め上から下へと向かって、残る獣を無慈悲に斬り伏せた。
――『返し星月夜』!
重たい肉を断つ音が夜の森に響き渡り、血飛沫とともに獣たちが次々と大地に崩れ落ちていった。




