第81話 - β Trance of a Dread Log
誰にも聞こえない狂気めいた誓いを、私は愛する妹の寝顔を見つめながら、静かに、深く刻み込んだのだった。
EXエピソード 星降祭・完
E̶X̷ヱヒoソード エヒoソ-ド圉降祭・莞
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――グチャッ。
ふいに。
遠くで響いていたはずの美しい音が、生々しく肉の潰れるような音にすり替わった。
「……え?」
ノイズが走った瞬間、私の膝にあったはずの愛おしい温もりが、冷たい雪のようにふっと消え失せる。
「リゼ!?――リゼッ!」
リゼを探して顔を上げると、視界がぐにゃりと歪んでいた。
川面を流れていた色鮮やかな木船の光が、まるでインクを零したように、ドクドクと脈打つような赤に染まっていく。
……違う。光じゃない。
それは、私が雪原で惨殺してきた同胞たちの、赤黒い血溜まりだ。
――うっ、ああぁぁ!
耳鳴りのようなノイズがどんどん大きくなる。
甘い綿菓子の匂いが、鉄錆のような血の悪臭に変わる。
キラキラと輝いていた天の川は、死体が浮かぶ真っ赤な泥濘へと姿を変え、私の足元からひたひたと這い上がってきた。
『姉なら……あいつに誇れる自分でいてくれよ!』
ノイズの中に、いつかの男の悲痛な叫び声が混じる。
ロミオの言葉。私に突きつけられた、痛々しいほどの正論。
「あ……ぁ……」
そうだ。ここは夢だ。
過去の幻影だ。
血と泥に塗れ、妹の優しさに寄りかかることしかできなくなった、醜い『魔女』に成り果てた今の私が。
こんなに幸せで、美しい景色を見られるはずがないじゃないか。
真っ赤に染め上げられた地獄の心象風景の中で。
私は、もうどこにもいない妹の幻影を求めて虚空を抱きしめたまま、底なしの絶望へと真っ逆さまに堕ちていった。
ドブンッ、と。
冷たくて、ひどく鉄錆の臭いがする泥濘の底に、私の身体は沈み込んだ。
息ができない。もがこうと手足を動かした瞬間、泥の中から無数の『冷たい手』が伸びてきて、私の足首や腕に絡みついた。
「……っ!?」
それは、私がこの雪原で、戦争で惨殺してきた、敵兵や同胞たちの腕だった。
彼らは私を恨み、引き裂こうとしているわけではないようだ。
ただ静かに、私が犯した罪の重さそのものとして、私を地の底へと引きずり込もうとしているのだろうか。
振り払おうと、私は自分の手を見た。
息が、止まった。
つい先程まで、愛おしい妹の柔らかな髪を撫でていたはずの純白の手は、もうどこにもない。
そこにあったのは、どす黒い血と泥に塗れた、ひび割れて醜い『魔女の爪』だった。
――あぁ、そうだ。
これが、私なんだ。
絶望に目を閉じたその時。
ふいに、血の海の底まで、温かくて眩い一筋の光が差し込んできた。
顔を上げると、水面のはるか上から、あの無垢で優しい笑顔のままの『リゼの幻影』が、私を救い上げようと真っ白な手を差し伸べていた。
『お姉ちゃん、こっちへ来て』
鈴を転がすような愛おしい声が、泥の底まで響いてくる。
昔の私なら、何も考えずに泣き喚いて、その光にすがっていただろう。
けれど。
「――駄目っ……!」
私は、自分からその手を振り払うように、醜い両手を胸に抱え込んで、泥の底へと後ずさった。
こんな血に塗れた汚い手で、あの子の綺麗な光に触れてはいけない。
私の罪で、あの子を汚すわけにはいかない。
「私を見ないで……! 近寄らないでっ!!」
声にならない絶叫を上げながら、私は自ら進んで、光の届かない暗い泥の底へと沈んでいく。
もう、あの子の隣に立つ資格なんて、私にはこれっぽっちも残されていないのだから。
「――ッ、はぁっ、はぁぁッ!!」
肺に無理やり空気をねじ込まれたように、私は大きく弾かれてベッドから跳ね起きた。
「はぁっ……、……はぁっ」
全身が、嫌な汗でびっしょりと濡れている。
激しく警鐘を鳴らす心臓を押さえながら、私は震える視線を部屋の中に這わせた。
薄暗い客室。暖炉からパチパチとはぜる微かな火の粉の音。
そして、肌を刺すような雪山の凍てつく冷気。
どこにも、星降り祭の賑わいはない。
甘い綿菓子の匂いも、愛おしい妹の温もりも、どこにもない。
「あ……」
私は、シーツを握りしめていた両手を、ゆっくりと目の前にかざした。
……血は、ついていない。
醜い魔女の爪でもない。ただの、青白くてか弱い、私の手だ。
自分が現実に戻ってきたのだと、はっきりと理解した瞬間。
「あ、ああ……っ、ああぁぁぁ……っ!」
私は自分の顔を両手で覆い、声も出さずにボロボロと泣き崩れた。
あんな恐ろしい悪夢を見たからじゃない。
違う。
あんなにも幸せで、美しかったあの世界には。
もう二度と、絶対に手が届かないのだと。
その残酷すぎる現実を、私はあの男の言葉によって、心の底から理解してしまったから。
私は古びた部屋のベッドの上で、永遠に失われた妹の温もりを求めて、ただ身をよじって泣き続けることしかできなかった。




