第78話 - β Trace of a Dream Log 5
「ふぅ……美味しかった」
分厚いステーキをすっかり平らげて、リゼが満足そうに息を吐く。
私もお腹がいっぱいで、幸せな気持ちで「ふふっ」と微笑んだ。
職人街のジャンクな味は、なんだかリゼの力強さをそのまま表しているようで、とても美味しかった。
「リゼ、ここは私が払うわね。エスコート役だから」
「お姉ちゃん……、支払いできる?ここ、金貨使えないけど」
心配そうな顔をするリゼ。
……しまった。確かに私は金貨しか持ち歩いていなかった。けれど、姉としての格好はつけたい。
「お姉ちゃんをなんだと思ってるの? 大丈夫、金貨しかないけど、お釣りはリゼのこれからのご飯代の先払いにするから!」
「お姉ちゃん!?」
慌てるリゼを置いて、私はカウンターの店主さんの元へ向かった。
金貨を出すと、店主さんは一瞬呆れたような顔をした後、「仕方ねえなお嬢ちゃん、ほらよ」と、これからの食事代を差し引いた上で、銀貨や銅貨をお釣りとして持たせてくれた。
……これで、この先あの子がここで食べる分は私が払ったことになる。
あの子の血肉になるものは、少しでも私が与えていたかった。
私は、そんな自分勝手な独占欲を満たしてくれた店主さんに心の中で感謝しながら、リゼの待つ扉へと戻った。
午後のいい時間、3時を回った職人街は、夜の星降り祭の本番に向けてさらに活気を増していた。
私は、リゼと手を繋いでこのままお祭りの屋台を巡るつもりだった。
けれど。
「……お姉ちゃん。湖を、見てみたい」
リゼのその言葉に、私は心臓が跳ねるのを感じ、ピタリと足を止めてしまった。
「……いいの?」
振り返り、確認するように慎重に問う。
湖。星降り祭の舞台。
それは、魔力を持たないリゼが、この世界から「お前には星に願う資格すら無い」と突きつけられた、呪いのような場所だ。
幼い頃、周りの子供たちが光る木船を流す中、一人だけ光らない木船を抱えて立ち尽くしていたあの子の悲しそうな顔が、今でも私の脳裏に焼き付いている。
だから、あの場所だけは避けたかったのに。
「……いい」
リゼは短く、はっきりと答えた。
あの子の瞳には、昔のような怯えはない。……けれど。
……おかしいわね。
私は胸の奥で、微かな違和感を覚えた。
リゼは、私の目を見ているようで、どこか別の遠くを見透かそうとしているような……ただの決意とは違う、何かを探るような『焦り』を隠しているように見えた。
何か、私に言えない隠し事をしている?
湖に行かなければならない理由ができた?
そんな事を考えるが……、そんなことはどうでもいい。
たとえ嘘をついてでも、あの子が私を頼って、一緒にそこへ行こうと言ってくれるなら。
私は少しの間だけ目を伏せ……やがて、優しく微笑んで頷いた。
「分かった。……じゃあ、木船を『一つ』買っていこうか」
昔みたいに、あの子に惨めな思いはさせない。
木船は一つでいい。私が私の魔力で、あの子の願いを完全に包み込んでしまえばいいのだから。
「……うん」
嬉しそうに頷くリゼと一緒に屋台で木船を買い、私たちは湖へと向かった。
夕刻。まだ誰もいない湖のほとり。
私は胸に抱えていた木船を、そっとリゼの前に差し出した。
「ねえ、リゼ。一緒に、願いを込めてみない?」
「でも、私は……」
ためらうリゼ。けれど、二人で一つの船を持てば、光は共有できる。
私の意図を察してくれたのか、リゼはゆっくりと目を閉じ、私と一緒に木船に願いを込めてくれた。
……どうか。この優しい妹の未来から、冷たい悪意がすべて消え去りますように。
私がそう心の中で祈り、目を開けると。
二人の願いを乗せた木船は、私の魔力に呼応し、眩くも優しい一等星のような光を放ち始めた。
リゼの瞳が、その美しい光を反射してキラキラと輝く。
ああ、私はずっと、この顔が見たかったんだ。
「……早いけど、流してみていい?」
「ええ、どうぞ」
「……そうじゃなくて。……一緒に、流してほしい」
リゼのその言葉が、たまらなく嬉しかった。
私なしでは光らない船を、私と一緒に流したいと言ってくれたことが。
「一緒に流しましょうか」
私たちは木船の端を半分ずつ持ち、そっと水面へと浮かべた。
二人の手を離れた光る木船が、川の流れに乗ってゆっくりと進み始める。
「……気になる?」
じっと船を見つめるリゼに、私はイタズラっぽく聞いてみた。
リゼがこくりと頷いたので、私はあの子の手をギュッと力強く握り直す。
「ふふっ、じゃあ追いかけましょう!」
私たちは子供のようにはしゃぎながら、光を追って川沿いの道を駆け下りていった。
空が深い茜色に染まり始めた頃。
――グヂュッ……。
川の淀みから、泥をすするような不快な音が聞こえた。
「お姉ちゃんッ!」
――直後、リゼが叫び、私を庇うように弾かれたように前傾姿勢で踏み込んだ。
腰の剣を抜こうとするあの子の勢いに合わせ、私は即座に背後からリゼの腰のベルトをギュッと掴み、鞘の支えになった。
昔の私なら、ただあの子の前に立って魔法の盾を展開し、安全な鳥籠に閉じ込めていただろう。
けれど、今のリゼは立派な『騎士』だ。私はあの子の剣を信じる。
なら、私はその剣に、私のすべてを乗せるだけ。
「リゼッ!」
あの子が剣を振り抜く瞬間。
私はその刀身に、当代の聖女としての最高位の『氷結の魔法』を纏わせた。
「はぁッ!」
リゼの気合いと共に、氷の魔剣と化した直剣が水面から現れた影に叩き込まれる。
水しぶきと冷気の中から姿を現したその巨体は――。
「……ッ」
濁った眼球に、無数の鋭い牙。
それは、この平和な街には絶対にいるはずのない『魔物』だった。
リゼが私を庇うように、氷の冷気を放つ剣を構えて立ち塞がる。
あの子の背中を見つめながら、私は密かに、そしてどこまでも冷酷に決意を固めていた。
……私とリゼの、二度とやり直せないかもしれない大切な時間を。
こんな泥と汚物に塗れた怪物が、土足で踏みにじった。
絶対に生かしては帰さない。
塵ひとつ残さず、この氷で永遠の地獄に閉じ込めてやる。




